諏訪兼位『科学を短歌によむ』(岩波科学ライブラリー, 2007)と、松村由利子『31文字のなかの科学』(NTT出版、2009)を同時に読んだ。諏訪は名古屋大学理学部長や日本福祉大学学長を務めた地質学者で、松村は『鳥女』で現代短歌新人賞を受賞した歌人であると同時に、元毎日新聞記者で科学畑の取材をしていた人である。本書で2010年度の科学ジャーナリスト賞を受賞している。
同じように科学と短歌の関係に焦点を当てながら、2冊の本の切り口は異なっている。諏訪の本のテーマは、科学者がどのように短歌を詠んできたかであり、科学者は短歌の作者の位置にある。引用されている歌に詠まれている題材は科学に限らない。一方、松村の本は科学が短歌にどのように詠まれているかという点に焦点を当てており、作者は必ずしも科学者ではなく、そうではない例の方が多い。しかし詠まれている素材は広義の自然科学に関わるテーマである。このように位置取りの異なる2冊の本は、一部が重なるベン図式のように、重複部分を持ちながらも独自の方向への広がりを見せていて、同時に読むことで興味が増幅される2冊だと言えるだろう。
人間を理科系と文科系に二分するのは日本特有の習慣だと言われるが、理科系に属する人が文学に傾倒する例は珍しくない。明治時代の近代文学成立以後、いちばん多いのは医者が文学に越境するケースだろう。森鴎外に始まり、小説では木々高太郎、山田風太郎、加賀乙彦、なだいなだ、藤枝静男、渡辺淳一、北杜夫、海堂尊らがおり、短歌でも斎藤茂吉、上田三四二、原田禹雄、浜田到、岡井隆などの名前がすぐに頭に浮かぶ。医学以外の理科系の分野で短歌や俳句などの短詩型文学に手を染める人も少なくない。二足のわらじで活躍する人としては、細胞生物学者の永田和宏と娘の紅、計算機科学者の坂井修一らがいるが、諏訪の本を読むと、実に多くの理科系の人が短歌を作ってきたことがわかる。明治時代の物理学者・石原純は現代の私たちには馴染みがないが、有名どころではノーベル賞を受賞した物理学者・湯川秀樹も短歌を詠んでおり、『深山木』という歌集がある。
同じ物理学者では、戦前に渡仏しジュリオ・キュリーのもとで放射線の研究に携わった湯浅年子も短歌を詠んだ人である。戦前のパリにはパリ短歌会があったそうで、湯浅も参加していたという。
『科学を短歌によむ』は著者の諏訪の選歌にもよるのだろうが、「科学者が短歌を詠む」というタイトルの方がふさわしい。上に引用した歌の多くは、自然科学者でなくとも誰でも感じる喜怒哀楽を歌にしたものである。言うまでもなく自然科学者にも日々の感情生活があり、希望もあれば失望もある。それを歌にするとき自然科学者に特有のことはなにもないことが、本書に引かれた歌を読むとよくわかる。
これにたいして松村由利子『31文字のなかの科学』は、自然科学がテーマとして詠まれた歌を取り上げていて、諏訪の本を補完する内容になっている。こちらからも何首か引用してみよう。
自然科学は顕微鏡や望遠鏡によって、肉眼では目に見えない微視的世界や巨視的世界を私たちの認識のもとに置くことを可能にした。それは同時に私たちの感覚世界が飛躍的に拡大したことを意味する。しかし肉眼を超える世界を思い描くには、いささかの想像力を必要とする。歌人たちは想像力を駆使して、このように私たちの感覚世界を広げることに成功していると言えるだろう。厳密な論理と証明を旨とする自然科学とポエジーは相容れないように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
ランゲルハンス島はこの器官を発見した19世紀のドイツの医学者ランゲルハンスの名を冠しているが、人の名前が付いた科学用語は少なくない。パブロフの犬は実在の実験動物だが、実在しないものもたくさんある。「マックスウェルの悪魔」は、分子の運動に細工することで熱力学第二法則を成り立たなくする想像上の仮定で、「シュレジンガーの猫」は量子力学が前提とする確率論的世界観を表現するために考案された思考実験をさす。「ディラックの海」は物理学者のディラックが考案した陽電子で満たされた空間だが、どこかポエジーを感じさせる。巻き貝の形状を表すフィボナッチ数列など、とても詩的だと思うのだが。なかでも私が美しいと感じるのは「チェレンコフ光」である。チェレンコフ光とは、電荷を帯びた荷電粒子がその物質中での光速より速い速度で運動したときに出る青白い光をいい、ロシアの科学者チェレンコフによって発見された。その青白い光も美しいが、「チェレンコフ光」という音の響きがとても美しいと思う。
しかし現実にはチェレンコフ光とは人を殺す禍々しい光である。1999年に東海村の核燃料処理施設で臨界事故が起きたとき、被爆した作業員がみた青白い光がチェレンコフ光であった。今野はこの事故を次のように歌に詠んでいる。
同じように科学と短歌の関係に焦点を当てながら、2冊の本の切り口は異なっている。諏訪の本のテーマは、科学者がどのように短歌を詠んできたかであり、科学者は短歌の作者の位置にある。引用されている歌に詠まれている題材は科学に限らない。一方、松村の本は科学が短歌にどのように詠まれているかという点に焦点を当てており、作者は必ずしも科学者ではなく、そうではない例の方が多い。しかし詠まれている素材は広義の自然科学に関わるテーマである。このように位置取りの異なる2冊の本は、一部が重なるベン図式のように、重複部分を持ちながらも独自の方向への広がりを見せていて、同時に読むことで興味が増幅される2冊だと言えるだろう。
人間を理科系と文科系に二分するのは日本特有の習慣だと言われるが、理科系に属する人が文学に傾倒する例は珍しくない。明治時代の近代文学成立以後、いちばん多いのは医者が文学に越境するケースだろう。森鴎外に始まり、小説では木々高太郎、山田風太郎、加賀乙彦、なだいなだ、藤枝静男、渡辺淳一、北杜夫、海堂尊らがおり、短歌でも斎藤茂吉、上田三四二、原田禹雄、浜田到、岡井隆などの名前がすぐに頭に浮かぶ。医学以外の理科系の分野で短歌や俳句などの短詩型文学に手を染める人も少なくない。二足のわらじで活躍する人としては、細胞生物学者の永田和宏と娘の紅、計算機科学者の坂井修一らがいるが、諏訪の本を読むと、実に多くの理科系の人が短歌を作ってきたことがわかる。明治時代の物理学者・石原純は現代の私たちには馴染みがないが、有名どころではノーベル賞を受賞した物理学者・湯川秀樹も短歌を詠んでおり、『深山木』という歌集がある。
天地もよりて立つらん芥子の実も底に凝るらん深きことわり「深きことわり」とは森羅万象を統べる自然法則であり、「深山木の道ふみわけし人」は果てしのない科学の探究という道に踏み込んだ研究者の喩である。「わかれさす光」は生い茂った枝の間から射す光で深山の描写だが、光の研究に没頭しニュートン・リングに名を残したニュートンとも遠く響き合うようにも感じる。湯川の短歌はこのように、自然の哲理の深奥に思いを馳せた歌となっている。
わかれさす光かそけき深山木の道ふみわけし人し偲ばゆ
同じ物理学者では、戦前に渡仏しジュリオ・キュリーのもとで放射線の研究に携わった湯浅年子も短歌を詠んだ人である。戦前のパリにはパリ短歌会があったそうで、湯浅も参加していたという。
帰る船なしときゝつゝ秘やかに躍る心を母許しませ一首目は日本に残した父の訃報に接した際に詠まれた歌で、当時は日本とフランスを結ぶのは30日かかる船旅であった。長期の留学は親の死に目に会えないことを意味したのである。「躍る心」は帰国の船がないことを口実として、研究に没頭できることを喜ぶ後ろめたさを表している。二首目は師のジュリオ・キュリーを詠んだものと思われる。
神さびてたちます老いし師の君の白き実験着の目にしるきかも
二た月を黙してすごしぬアフリカの夜のサバンナ雷鳴轟く 松沢哲郎松沢は京都大学霊長類研究所教授で、天才チンパンジーのアイに関する研究で知られている。この歌はアフリカでの類人猿のフィールド調査の折のもの。二ヶ月にわたる沈黙というかんたんな記述に研究者の苦労が知れる。藤田は天文学者で宮中歌会始の召人も務めた歌人。「すばる」はハワイのマウナケア山頂に建設された大型天体望遠鏡で、2000年に稼働したときの研究者としての喜びが率直に詠われている。柳澤は生命科学者で、長年原因不明の難病に苦しんだ。それゆえの生きる喜びの歌である。
青そらの星をきわむとマウナケア動きそめにしすばるたたえむ
藤田良雄
やわらかき冬の光が身に沁みて生きよ生きよと我を温む 柳澤桂子
『科学を短歌によむ』は著者の諏訪の選歌にもよるのだろうが、「科学者が短歌を詠む」というタイトルの方がふさわしい。上に引用した歌の多くは、自然科学者でなくとも誰でも感じる喜怒哀楽を歌にしたものである。言うまでもなく自然科学者にも日々の感情生活があり、希望もあれば失望もある。それを歌にするとき自然科学者に特有のことはなにもないことが、本書に引かれた歌を読むとよくわかる。
これにたいして松村由利子『31文字のなかの科学』は、自然科学がテーマとして詠まれた歌を取り上げていて、諏訪の本を補完する内容になっている。こちらからも何首か引用してみよう。
レンズ下に美しく狂える細胞は”花むしろ様配列“という名を持てり 久山倫代「狂える細胞」とは悪性腫瘍細胞のことで、暴走して無限に分裂を繰り返す。そんな禍々しい細胞の姿に「花むしろ様配列」という美しい名があることに驚く。短歌に自然科学を詠むときに発揮される力のひとつは、このように美しいコノテーションを持つ自然科学の用語が開く世界だろう。私たちはふだんは肉眼で見、耳で音を聞く世界に暮らしているが、科学の探査プローブは肉学では見えない微視的世界や何万光年離れた世界をも射程に入れる。そこで展開される生命や自然の様相が、ふだんは日常世界に立脚している短歌の世界を広げてくれることは確かである。
検索をすればたやすくゆきあたる顔写真ありHelaその人 永田紅ヒーラ細胞とは1951年に培養されたヒト由来の細胞株で、爾来半世紀以上にわたって実験室で用いられている。Henrietta Lacksという女性から採取されたものだが、本人は同年に死亡しても細胞はまだ生き続けている。永田が歌に詠んだHelaその人とは、この当人のことである。検索によってたやすく顔写真までわかるのも驚きだが、それより死者の細胞が半世紀以上にわたって死後に生き続けるところに驚きがある。このワンダーを短歌がうまく取り入れることができるだろうか。
体内に海抱くことのさびしさのたとへばランゲルハンス島という島大辻が詠う体内の海とは、海水と塩分濃度がほぼ等しいという血液の循環のこと。ランゲルハンス島とは膵臓内にあってインシュリンを作る器官。それを知らずに聞くと北海のどこかに実在する島のようにも聞こえる。それを逆手にとった『ランゲルハンス島の午後』というエッセー集が村上春樹にある。安西水丸のイラストが素敵だ。大辻の歌は海という極大と身体器官という極小を対比させたなかなかの名歌だと思う。
大辻隆弘
宇宙塵いくたび折れて届きたる春のひかりのなかの紫雲英田 玉井清弘宇宙塵とは宇宙に浮遊している星間物質のこと。光は真空を直進するが、微小固体である宇宙塵にぶつかると散乱する。そんな散乱をどれくらいくぐり抜けて地球に到達した春の光だろうかと、作者は田んぼに咲くれんげ草を見ながら思っているのである。宇宙塵へと思いを馳せるところが歌の骨格を大きくしている。
神様とわたしどんどん遠ざかる夜ごと赤方偏移のしらべ 佐藤弓生佐藤はSFも書いているので、歌の発想のどこかに科学に触れるところがある。赤方偏移(redshift)とは光の波長が長い方、つまりスペクトルの赤い方へとずれることをいう。音におけるドップラー効果と同じで、光源が遠ざかっていることを意味し、星の放つ光が赤方偏移を示していることが膨張宇宙論の根拠とされた。だから佐藤の歌では私と神様がだんだん遠ざかると詠われているのだが、もちろんここには私の心が神から離れてゆくということも重ねられている。赤方偏移という言葉にはどこか悲しい響きがある。膨れ続けるこの宇宙は、いつか収縮に転じると考えられている。
時限装置のテロメア持たされ生れしゆゑ人もけものも閑かに歩めテロメアとは染色体の端に見つかった構造体で、回数券の綴りのように一枚ずつ使われることで、細胞の寿命を決定しているという。つまり回数券を使い果たしたら寿命が尽きたことになる。だから松川の歌では時限装置と詠われているのである。テロメアを持つのは人間も動物も変わりない。私たちはいつか使い終わる回数券を持たされて、この世に放り出されたのである。その理不尽さに対する感慨が、「人もけものも閑かに歩め」という下句に静かに表現されている。
松川洋子
自然科学は顕微鏡や望遠鏡によって、肉眼では目に見えない微視的世界や巨視的世界を私たちの認識のもとに置くことを可能にした。それは同時に私たちの感覚世界が飛躍的に拡大したことを意味する。しかし肉眼を超える世界を思い描くには、いささかの想像力を必要とする。歌人たちは想像力を駆使して、このように私たちの感覚世界を広げることに成功していると言えるだろう。厳密な論理と証明を旨とする自然科学とポエジーは相容れないように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
ランゲルハンス島はこの器官を発見した19世紀のドイツの医学者ランゲルハンスの名を冠しているが、人の名前が付いた科学用語は少なくない。パブロフの犬は実在の実験動物だが、実在しないものもたくさんある。「マックスウェルの悪魔」は、分子の運動に細工することで熱力学第二法則を成り立たなくする想像上の仮定で、「シュレジンガーの猫」は量子力学が前提とする確率論的世界観を表現するために考案された思考実験をさす。「ディラックの海」は物理学者のディラックが考案した陽電子で満たされた空間だが、どこかポエジーを感じさせる。巻き貝の形状を表すフィボナッチ数列など、とても詩的だと思うのだが。なかでも私が美しいと感じるのは「チェレンコフ光」である。チェレンコフ光とは、電荷を帯びた荷電粒子がその物質中での光速より速い速度で運動したときに出る青白い光をいい、ロシアの科学者チェレンコフによって発見された。その青白い光も美しいが、「チェレンコフ光」という音の響きがとても美しいと思う。
しかし現実にはチェレンコフ光とは人を殺す禍々しい光である。1999年に東海村の核燃料処理施設で臨界事故が起きたとき、被爆した作業員がみた青白い光がチェレンコフ光であった。今野はこの事故を次のように歌に詠んでいる。
とことはにウランは少女の名であればあな青白き光不意打ち 今野寿美最後に諏訪の本にも松村の本にも引かれていないが、私が心打たれた歌を一首引いておきたい。1966年に起きた全日空機事故の調査報告に納得せず、独自の事故調査を『最後の30秒』という著書にまとめた東大教授・山名正夫の歌である。
はるのそら とはのなみだの ひとつゆを いまなきひとの たまのみまえに