第86回 穂村弘『短歌ください』

夕やけよあらゆる色を駆逐せよ 頬が冷めてくモザイクの街
                  めぐみ・女・21歳
 穂村弘の『短歌ください』(メディアファクトリー、2011年)は、雑誌『ダ・ヴィンチ』誌上で穂村が連載している「短歌ください」に読者から投稿された短歌を集めたものである。あとがきによると、最初は作品が集まらないのではないかと心配しながら始めた企画だったが、蓋を開けてみればたくさんの優れた短歌が寄せられたという。穂村が選歌をして、選んだ歌に短いコメントを付けている。
 言うまでもなく穂村弘と加藤治郎と荻原裕幸は、1980年代の後半から後にニューウェーブ短歌と呼ばれるようになる短歌の潮流を牽引してきた3人である。しかし、時代がページを一枚めくってポスト・ニューウェーブ短歌の時代を迎えたとき、3人の歩みはかなりちがってきたようだ。加藤は「未来」に「彗星集」という選歌欄を持ち、結社内結社の主宰となっている。荻原はニューウェーブ短歌のプロデューサー的役回りを演じたためか、ポスト時代になって活動が目立たなくなった。一方、穂村はもともと同人誌「かばん」に拠って活動していたため、加藤や荻原とちがって結社の経験がない。最初からフリーランスだったようなものだ。しかしそのため選歌欄を持つことがなかったが、『ダ・ヴィンチ』の連載は、いわば穂村の選歌欄のような機能を果たしたようだ。投稿してきた人たちも、そのような意識で出詠したと思われるフシがある。
 穂村にはすでに、東直子・沢田康彦との共著で『短歌はプロに訊け!』と『短歌があるじゃないか』がある。こちらは沢田の友人を中心に結成された素人のFAX短歌会「猫又」の活動記録である。この2冊はほんとうにおもしろくて何度も読み返しているのだが、その大きな原因は素人の作る短歌の衝撃力にある。
ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の。)               千葉すず(水泳選手)
ビール狂体に悪いと改心しワインに変えるもアンドレは死す
                  ターザン山本(プロレスラー)
われを抱く荒々しきかいなありジャーマンスープレックスホールドということばのなかに                肉球
めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ
                  鶯まなみ(女優・本上まなみ)
 千葉すずのとって付けたような(←足の。)という掟破りといい、肉球の大幅な字余りといい、プロの歌人なら絶対しないような型破りなおもしろさがある。『短歌研究』の「うたう」短歌賞のときも、「愛って奴はWOWOWOその心を育てるさベイビイそして恋におちたときアイラブユーそこがパラダイス。ウー」という作品を葉書に書いて送ってきた人がいたそうだが、その桁外れの勘違いぶりに感動すらしてしまう。
 こういう伏線があるので、『短歌ください』にも素人ならではの楽しい勘違いでドキューンとこちらの胸を撃ち抜く歌が見つかるかと期待しつつ繙くと、実はそんなことはないのである。数ページ読んだところで、「ちょっと待った」と頭をリセットして新たな目で読むことにした。投稿している人はド素人ではなく、逆に相当な手練れが混じっている。歌集『ゆっくり、ゆっくり、歩いてきたはずだったのにね』の辻井竜一や、2009年の短歌研究新人賞を受賞し、歌集に『ミドリツキノワ』があるヤスタケマリも投稿している。他に題詠2011などで主にネットで活動している虫武一俊、古屋賢一、冬野きりん、木下侑介(木下一)らも名を連ねている。変名で投稿している人のなかに、既に名を知られている歌人がいないとも限らない。全部がそうだとは言えないが、どうやらネットを中心に活動しているポスト・ニューウェーブ世代の歌人が大挙して『ダ・ヴィンチ』の穂村選歌欄に出詠したようだ。この本はそのような受け取り方をして読むべきだろう。
 とはいえなかにはプロの垢にまみれていない素人ならではの歌もある。
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ                       陣崎草子
四十肩 三段腹に 二重あご 一重まぶたで ツルツルあたま 
                         水野川順平
かまわないでかまわないわよかまってよ(フリルのついた鎌振り下ろす)
                             峰子
あんかけのあん煮立つような音させてぼこりと夫が寝入る木曜 
                           てこな
イカ墨のパスタを皿に盛るように洗面器へと入れる黒髪
                         麻倉遥
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
                          伊藤真也
 一首目のように水道の蛇口を詠った歌はあまり目にした記憶がない。「飛びでているとこが三つ」というのは手で回す栓の部分を言っているのだろうが、これも奇妙な表現である。だいたい人に「蛇口が好きでしょ」などと訊くだろうか。二首目は逆順のかぞえ歌で最後がゼロになっているところがミソ。「無い」ということを表現するのは案外難しいのだ。三首目は男女の言い合いだろうが、「フリルのついた鎌」というのが恐ろしい。「かまう」と「鎌」の音を合わせているので、短歌的修辞も意識しているのである。四首目もヘンな歌で、人が寝入るときに音がするものだろうか。それをあんかけの餡に喩えているところもおかしい。しかし筆名が「てこな」なので、ひょっとしたら短歌に詳しい人なのかもしれないから、滅多なことは言えないが。五首目もプロの歌人なら絶対に作らない歌だろう。和歌の時代から女性の黒髪は何度となく歌に詠われてきたが、髪をイカ墨パスタに喩えるとは! しかし定型への言葉の落とし込み方が堂に入っているので、この人も案外短歌を作り馴れている人なのかもしれない。六首目の「ふえるわかめ」は理研の乾燥ワカメで、これで失敗したことのある人は多いだろう。とにかく水を加えると体積がものすごく増えるのである。そのワンダー感を若妻から夫への電話という形で表現しているところが秀逸である。世界は驚異に満ちているということを実感させるという意味で、短詩型文学の潜在的パワーを十全に発揮した例と言えるだろう。
 投稿作品の中には「コワイ系」と呼べる歌が数多くあり、選者の穂村も何度も述べているように、コワイ歌は良い歌なのである。いくつか引いてみよう。
「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク                           ゆず
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
                       冬野きりん
生態系食物連鎖をくつがえしあたしがあなたをたべる日が来た
                      小玉裕理子
今二匹蚊を殺したわ息の根を止めましたこの手あなたをさわる手
                         森響子
 一首目、食事をしている男女の会話と思われる。語尾からして発言者は女性だろう。こう言い放った後、その女性がペコちゃんの目をしてフォークに残った食べ物を舐めとるという場面である。コワイのは発言から窺える愛の不実さではなく、「ペコちゃんの目」のほうだ。二首目は「可愛さ余って憎さ百倍」を地で行く屈折した愛の歌。三首目と一首目に共通するのは、性愛が飲食のメタファーを用いて語られることが多いという点である。だから「あたしがあなたをたべる」には当然意味の二重性が伴うのだが、文字どおり解釈すればホラーの世界となる。四首目もコワイ。女の手が男の首にゆっくり伸びてゆくのが目に見えるようだ。
 短歌と言えば恋愛である。というわけで恋の歌も数多く投稿されている。
あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに
                   木下侑介
忘れてく思い出たちは優しいと午後四時半の物理実験室
                      イマイ
ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー
                        ちゃいろ
蝉が死んでもあなたを待っています バニラアイスの木べらを噛んで
                           ゆず
昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて
                     ハレヤワタル
 一首目、僕と貴方だけでなく、夏までもが一直線に並んでいたという感覚が新しい。一瞬と永遠とが実は踵を接していることをあらためて想わせてくれる。二首目、「忘れてく」は「思い出たち」にかかる連体修飾節ととる。この歌のポイントは「午後四時半」という放課後の半端な時間と「物理実験室」の具体性である。三首目、コンビニの袋に入っているペットボトル飲料はまったく詩的なアイテムではないのに、それを美しく感じさせるところに技がある。「ひそやかな」の使い方といい、言語感覚の優れた人のようだ。作者のちゃいろさんは21歳の女性ということだが、この人の歌に多く付箋が付いた。超初心者らしいが、ちょっと小林久美子を思わせる作風の人だ。四首目、「蝉が死んでも」というのは夏が終わってもということなので、バニラアイスの必然性がある。少し歪んだ感じも魅力的。五首目、歌人はあまり歌の中で「女子」という言葉を使わないだろう。その点も新鮮だが、ファウルがよけられないというところに女性の可愛さが表現されている。
 最後に注目した歌をあげておこう。こうして見るといずれも素人の歌ではなく、ほとんどは相当作り慣れた人たちであることがわかる。『ダ・ヴィンチ』の連載がポスト・ニューウェーブ世代の歌人たちの発表の場となったようだ。
スカートにすむたくさんの鳥たちが飛び立つのいっせいに おいてかないで                       ちゃいろ
電子レンジは腹に銀河を棲まわせて静かな夜に息をころせり
                      陣崎草子
こんにちは私の名前は噛ませ犬 愛読書の名は『空気』です
                       冬野きりん
マヨネーズ時計ではかるゆうぐれの時間は赤いところへ降りる
                      やすたけまり
卵らが身を寄せあってひからびる二十時の回転寿司銀河
                      古屋賢一
献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後
                      虫武一俊
旅先で僕らは眠るすべてから知らない街の匂いをさせて
                     ソウシ
 もし「電子レンジの歌」を集めることがあったら、陣崎の歌は文句なく取ることになろう。電子レンジのなかに銀河を見る発想は秀逸である。また冬野の世界に対する敵意に満ちた視線も注目される。やすたけの歌は「赤いキャップ」と言わなかったところがミソ。古屋の歌では、「銀河」は店の名前ととってもよいし、くるくる回転する寿司コンベアの喩ととってもよい。虫武の歌は静かな光景を描きながら、どこかに危険な感じを出しているところがポイント。ソウシの歌はとても好きな歌で、未知のものに体全体で浸る若さをこの上なく表現している。
 このように『短歌ください』には素人の勘違いが炸裂するおもしろい歌が意外に少ないのだが、まあそれは選歌の過程でふるい落とされたのかもしれない。ふるいを無事くぐり抜けた歌をあげておこう。いずれも突き抜けた疾走感がすてきな歌だ。
少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!
                           古賀たかえ
毛を刈ったプードル怖いと言う彼にあれは唐揚げと思えと伝えた
                          モ花