第237回 穂村弘『水中翼船炎上中』

天使断頭台の如しも夜に浮かぶひとコマだけのガードレールは

穂村弘『水中翼船炎上中』

 

 ガードレールはふつう道路の脇に長く続くものである。車が車道を逸れるのを防止するためにあるのだから当然と言えば当然だ。しかしどういうわけがポツンとひとコマだけのガードレールが残されている。ひと「コマ」というのが正しい数え方かどうかは知らないが、要するに支柱2本分しかない短いものである。これではガードレールの用をなさない。路上観察学会にならって言えば「トマソン」である。「夜に浮かぶ」とあるので、暗い夜道を車で走っていたら、曲がり角でヘッドライトに白く浮かび上がったのだろう。それを「天使断頭台の如しも」という喩を用いて表現するところは近代短歌のコードを遵守している。天使も断頭台で死刑に処せられることがあるのだろうかなどと真面目に考え込んではいけない。これは「詩的比喩」である。詩的比喩はあるが、あまり「圧縮」はかけておらず、修辞は倒置法だけに留めているのでわかりやすい歌になっている。

 天使というと思い出すのは、塚本邦雄が最も美しい町名と評価した「天使突抜」である。京都市下京区に実在する。マリンバ奏者の通崎睦美がこの地名に引かれて住み着いている。穂村は塚本の短歌に衝撃を受けて短歌を作り始めたので、この歌の背後には密やかな塚本へのオマージュが隠されているのかもしれない。

 今年(2018年)の5月に講談社から上梓された『水中翼船炎上中』は、『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』以来、実に17年ぶりの穂村の歌集だという。とても信じられない気持ちになるのは、その間も穂村の名を頻繁に目にしているからだろう。穂村は定評のあるエッセーの名手で、爆笑エッセー集をたくさん出しており、また『短歌ください』のような投稿短歌のアンソロジーや、『ぼくの短歌ノート』のような歌論も書いているので、とても17年ぶりだとは思えないのである。『水中翼船炎上中』の装幀はあの名久井直子。挟まれたメモによると表表紙と裏表紙の組み合わせで9パターンあるそうだ。装画のテーマは旅である。昔の大西洋横断豪華客船の写真や旅行用大型トランクのイラストや古い絵葉書などが配されている。この「旅」は本歌集を読み解くキーワードと言ってよい。穂村はどこへ旅をするのだろうか。

 メモによれば、冒頭の連作「出発」は現在、「楽しい一日」「にっぽんのクリスマス」「水道水」は子供時代、その後は「思春期へのカウントダウン」「昭和の終焉から二十一世紀へ」、やがて「母の死」を経て、最後は「再び現在」となっている。つまり穂村は過去の世界へ旅をしているのである。このうち「楽しい一日」は2008年の短歌研究賞受賞作である。

食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕

スパゲティとパンとミルクとマーガリンがプラスチックのひとつの皿に

水筒の蓋の磁石がくるくると回ってみんな菜の花になる

ゆらゆらと畳に影を落としつつ丹前姿になってゆく父

雪のような微笑み充ちるちちははと炬燵の上でケーキを切れば

元旦に明るい色の胴体を揉めばぷよぷよするヤマト糊

 最初の三首は「楽しい一日」から、残りの三首は「にっぽんのクリスマス」から引いた。一首目は新幹線の食堂車の光景である。今はもうないが昔の新幹線には食堂車があつた。子供にとっては憧れの的である。二首目は小学校の給食の風景だろう。私の子供の頃は脱脂粉乳だったが、穂村の時代には牛乳になっていたと思われる。三首目は遠足の光景。そういえば昔の水筒の蓋には方位磁石が付いているものがあった。四首目も明らかに昭和の風景だ。お父さんは会社から戻ると、スーツを脱いで丹前に着替えた。みんなで囲むのはちゃぶ台である。五首目はクリスマス。「食堂車」「マーガリン」「丹前」「炬燵」「ヤマト糊」といったノスタルジーを感じさせるアイテムが散りばめられている。穂村は単なるノスタルジーから過去に旅をしているのだろうか。

 穂村は『短歌研究』2018年9月号に掲載された短歌研究賞受賞のことばで次のようなことを書いている。当時の子供にとって新幹線やビュッフェは憧れだった。しかし新幹線はその後速度が上がったため食堂車は無用となり廃止された。新たな時代状況に見合った大人の憧れを探せばいいのだが、どこにそれを求めればよいのかわからない。「楽しい一日」にはすべてが幻だったような感覚と、それに抗う気持ちがまざっている、と。

 短歌は「今」を切り取り「今」を輝かせる詩型だ言われることがある。穂村自身、近代短歌の重要なモチーフは「生のかけがえのなさ」だと論じ、次のように書いている。

 「かけがえのない〈われ〉が、言葉によってどんなに折り畳まれ、引き延ばされ、切断され、乱反射され、ときには消去されているように見えても、それが定型の内部の出来事である限り、この根源的なモチーフとの接触は最終的には失われない。一人称としての〈われ〉が作中から完全に消え去っているようにみえても、生の一回性と交換不可能性のモチーフは必ず『かたちを変えて』定型内部に存在する。」(『短歌の友人』p.185)

 もしそうだとすると、上に要約した穂村の受賞の言葉は、今の世界に憧憬の対象を見いだせず、輝かせようにも「今」に手が触れないという気持ちを言い表していると取ることができる。

 穂村はたびたび「酸欠世界」について語っている。穂村が今の世界に欠けていると感じている「酸素」とは、「愛や優しさや思いやりといった人間の心を伝播循環させるための何か」であり、それが欠けた世界では「愛や優しさや思いやりの心が、迷子になったり、変形したりして、そこここに虚しく溢れかえっている」(『短歌の友人』p.106)のである。そして「蜆蝶草の流れに消えしのち眠る子どもを家まで運ぶ」と詠む吉川宏志や、「花しろく膨るる夜のさくらありこの角に昼もさくらありしか」と詠む小島ゆかりは酸欠とは無縁で、それは彼らが一人用の高性能酸素ボンベを背負って詠っているからだとする。「一人用の高性能酸素ボンベ」とはいかにも穂村らしい言い回しで笑ってしまうが、言いたいことはわかる。今の自分の暮らし、住んでいる町、つきあいのある友人、働いている会社、所属しているサークル、通っている教会などの近景や中景世界で、どんなに些細でも「愛や優しさや思いやり」を感じることのある人は酸欠にはならない。

 穂村が『水中翼船炎上中』で過去に旅をするのは、現在に「生のかけがえのなさ」「生の一回性」を実感できる「今」が感じられないからではないだろうか。だからこそ毎日が「わくわく感」に充ちていた子供時代がモチーフとなるのである。

灼けているプールサイドにぴゅるるるるあれは目玉を洗う噴水

東京タワーの展望台で履き替えるためのスリッパをもって出発

カルピスと牛乳まぜる実験のおごそかにして巨いなる雲

ザリガニが一匹半になっちゃった バケツは匂う夏の陽の下

魚肉ソーセージを包むビニールの端の金具を吐き捨てる夏

 このような歌に穂村が求めているのは過去を懐かしむノスタルジーではない。毎日が「わくわく感」に溢れていた「今」を再び現前させたいと願っているのである。正月とクリスマスを除けば、描かれているのが夏であることもこれと無縁ではない。長い夏休みは子供時代のハイライトである。穂村はそれを詠むことによって、「ワンダー」をもう一度感じたいと希求しているのではないだろうか。

 このように本歌集は「過去への旅」をテーマとしているので、そちらに注意を引かれがちだが、穂村の短歌の作り方の巧さにも注意しておきたい。

あのバスに乗ったらどこへ着いたのと訊かれて駅と答える冬の

埋立地で拾った猫がレフ板の上でねむれば墜ちてくる雪

金色の水泳帽がこの水のどこかにあると指さした夏

 穂村は口語が基本だが、定型は驚くほどきちんと守っている。おそらく穂村が腐心しているのは歌を「どこに着地させるか」である。一首目は「あのバスに乗ったらどこへ着いたの」という仮定法過去完了の会話に始まり、「駅」と答えた後で「冬の」と付け加えている。結句は「冬の駅と答える」でも音数は同じだが、「あのバスに乗ったらどこへ着いたのと訊かれて冬の駅と答える」とすると、用言の終止形で終わる凡庸な歌になってしまう。口語的な後置法を用いることで統辞法に詩的な捻れを生み出している。二首目では「埋立地で拾った猫」まではありそうなことだが、「レフ板」で読者は「?」となる。レフ板はプロの写真家が撮影に用いるものだ。すると埋立地で写真の撮影をしているという情景が浮かび上がる。冬で雪が降ってくるのだが、それに「墜ちてくる」と漢字を使うことでうっすら天使失墜のイメージが被さり歌が重層化する。三首目は「この水」の解釈が鍵だ。学校のプールなら探せばすぐに見つかるだろう。だから「この水」は海でなくてはならない。しかしもし「この海のどこか」としたら詩的水位はぐんと下がってしまう。そのような点に工夫があるのだ。

 しかし考えてもわからないのは、なぜ穂村はすぐに酸欠になってしまうのかだ。穂村は1962年(昭和37年)生まれである。キューバ危機の起きた年だ。吉川宏志は1969年(昭和44年)生まれ。東大の安田講堂占拠事件のあった年だ。穂村の方が年長だから、もし酸素が徐々に消失しているのなら、吉川の方が酸欠になっているはずだ。確かに吉川は18歳で京都大学に入学するまで、自然豊かな宮崎で少年時代を過ごしているので、酸素の備蓄がたくさんあるのかもしれない。私が唯一考えついたのは「穂村=カナリア説」である。

 1995年に地下鉄サリン事件が起き、しばらくして警察は山梨県の上九一色村にあったオウム真理教教団本部の強制捜査に入った。ものものしい装備を付けてサティアンに突入する機動隊の先頭の隊員は、鳥籠に入ったカナリアを持っていた。昔、カナリアは炭鉱で使われていたという。坑道で有毒ガスが発生したとき、ガスに弱いカナリアがまっさきに苦しみ出す。それを見て鉱夫は逃げ出したという。もし穂村が何らかの理由でカナリア体質だったとしたら、酸素の欠乏に敏感に反応してしまうのではないか。もしそれが正しければ穂村は未来の予言者である。そんな想像をしてしまうのだ。

 特に心に残った歌を挙げておく。

何もせずに過ぎてしまったいちにちのおわりににぎっている膝の皿

冷蔵庫のドアというドアばらばらに開かれている聖なる夜に

ひまわりの顔からアリがあふれてる漏斗のようなあおぞらの底

下駄箱の靴を掴めば陽炎のなかに燃えたつ審判台は

金魚鉢の金魚横から斜めから上からぐわんとゆがんでる冬

母の顔を囲んだアイスクリームが天使に変わる炎のなかで

今日からは上げっばなしでかまわない便座が降りている夜のなか

生まれたての僕に会うため水溜まりを跳んだ丸善マナスルシューズ

カーテンもゴミ箱もない引っ越しの夜に輝くミルクの膜は

 一首だけちがう色の付箋を付けた歌がある。本歌集の空気を象徴する歌だと思う。

胡桃割り人形同士すれちがう胡桃割りつくされたる世界

 

第233回 『短歌と俳句の五十番勝負』

百葉箱の闇に張られし一筋の金なる髪を思うたまゆら
                      穂村弘

 おもしろい本が出た。穂村弘と堀本裕樹の共著『短歌と俳句の五十番勝負』(新潮社 2018年4月)である。堀本裕樹ゆうきは角川春樹に師事したのち、独立して現在蒼海俳句会主宰の俳人。この本は穂村と堀本が与えられたお題で短歌と俳句を作るという題詠競作で、新潮社のPR雑誌『波』に連載されたものを単行本にまとめたものである。帯に斬り合う二人の忍者の写真があるが、別に優劣を競っているわけではない。短歌と俳句だけでなく、お題にまつわる短いエッセーが添えられていて、韻文と散文を交互に味わう形式になっている。一般の読者にとって韻文は敷居が高いので、散文を交えて近づきやすくしてあるのだろう。
 おもしろいのはお題の出し方で、最初は穂村が「椅子」、堀本が「動く」を出しているが、それ以後はいろいろな人が題を出している。中には又𠮷直樹や荒木経惟やビートたけしのような有名人もいるが、大学生や小学生や牧師という人までいる。又𠮷に有季定型俳句の手ほどきをしたのは堀本だそうだから、堀本が「ちょっと出してよ」と頼んだ可能性はあるが、牧師とか書店員や整体師はどこから見つけて来たのだろう。担当編集者の個人的な知り合いだろうか。
 出されたお題もおもしろい。荒木経惟の「挿入」はいかにもで、牧師の北村篤生の「罪」は少しストレートすぎるか。朝井リョウの「ゆとり」にはくすっと笑ってしまうし、壇蜜の「安普請」には感心する。その他、北村薫の「謀反」、モデルのリヒトの「逃げる」、西崎憲の「適正」など、作りやすそうなお題もあれば、苦労しそうなものもあり、歌人と俳人がどう頭をひねって句歌を絞り出したかを見るのが、この本のおもしろさである。題詠をするときは、出されたお題につきすぎると広がりがなくおもしろくない。特に俳人は「つきすぎる」のを嫌う。かといってあまりに発想を飛ばし過ぎるとお題から離れすぎてしまう。その加減が難しい。
 いくつか拾って見てみよう。まず「まぶた」である。

左目に震える蝶を飼っている飛び立ちそうな夜のまぶたよ  穂村
料峭りょうしょうやかもめと瞼閉づるとき  堀本

 身体部位のお題では、「眼」とか「髪」とか「手」などはよく詠まれるため、意味が付着していて類想に陥りやすい。「眉」や「ぼんのくぼ」などはあまり詠まれていないが、そのため発想が難しくなる。「まぶた」はどうだろう。試しに千勝三喜男編『現代短歌分類集成』の「まぶた」の項を見てみると、三首収録されている。二首だけ引く。

撫でおろしやさしくなだめわが強ひて眠らむとするがらすの瞼  斎藤史
睡りつつまぶたのうごくさびしさを君のかたえに寝ながら知りぬ  吉川宏志

 これを見ると「まぶた」は睡りと関連して捉えられることが多いようだ。穂村の歌では夜に突然まぶたがピクピク痙攣して止まらないという体験が詠まれている。それを「震える蝶」と詩的に表現したところがこの歌のポイントだ。堀本の句の「料峭」は春の季語で、風がまだ寒く感じられることをいう。堀本は「かもめ」といえば、寺山の「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」を思い出すとエッセーで語っている。この歌を遠くに感じて作った句だろう。かもめが瞼を閉じる時に、〈私〉も瞼を閉じているのである。かもめが瞼を閉じるのは単なる生理的反応だが、〈私〉が瞼を閉じるのは何かを想っているからである。その「何か」が明かされていないために、句に奥行きと広がりが生まれている。ちなみに私はこの句を見たとき、「サタン生る汗の片目をつむるとき」という加藤楸邨の句を思い浮かべた。

 次は高橋久美子の「カルピス」である。

虫籠にみっしりセミを詰めこんでカルピス凍らせた夏休み  穂村
カルピスの氷ぴしぴし鳴り夕立ゆだち 堀本

 エッセーでは二人とも子供時代の思い出を語っている。昭和の人間にとってカルピスは郷愁アイテムである。お中元に瓶2本入りのカルピスをもらうと子供は狂喜乱舞したものだ。ちなみに堀本の句では季語は「カルピス」ではなく「夕立」。期せずして二人とも氷を詠んでいるが、少しちがうのは堀本の句では水で薄めたカルピスに入れた氷だが、穂村の歌ではカルピス自体を凍らせてカルピスに入れるという点。子供の時遊びに行った友達の家でそうしていて驚いたそうだ。こうすると氷が溶けてもカルピスが薄まらない。読んでいて少し驚いたのは、穂村は意外に実体験に基づいて歌を作っているということてある。
 西崎憲(フラワーしげる)が出したお題は「適正」。いやがらせとしか思えない難しい題である。「さあ、詠めるものなら詠んでみろ」という声が聞こえてきそうだ。二人はどう詠んだか。

火星移民選抜適正検査プログラム「杜子春」及び「犍陀多」  穂村
瓜番として適正を見るといふ  堀本

 穂村の工夫は「適正」を「適正検査」というより大きな語句の一部として組み込んだところにある。しかしそのために大幅な字余りになっている。火星移民選抜に「杜子春」と「犍陀多」という誰もが学校で読んだ記憶のある小説を取り合わせているのがミソだ。やはり穂村の作歌にはノスタルジーがかなり原動力となっている。一方、堀本の句で「瓜番」は夏の季語だそうだ。畑に出没する瓜盗人を見張る役目である。「瓜番としての」適正ではない。何か別の仕事の適性を見るために、瓜番をさせるのである。そのややとぼけた所に俳味があるのだろう。
 穂村が詠んだ歌では冒頭に挙げた「百葉箱の闇に張られし一筋の金なる髪を思うたまゆら」がよいと思った。しかし解説が必要である。昔の小学校にあった百葉箱の中には、毛髪乾湿度計なるものが入っていた。人の毛髪の伸び縮みの度合いで空気の湿度を測定していたのである。穂村によれば、その昔、毛髪乾湿度計には西洋人の女性、とりわけフランス人の金髪の毛が最適だとされていて、わざわざ輸入していたそうである。これには驚いた。私が通っていた小学校にあった百葉箱の中にも、フランス女性の金髪が一本張られていたのだろうか。穂村はこういう意外な事実を拾ってくるのが巧みである。「放射能を表す単位ベクレルの和名すなわち『壊変毎秒』」でも、ベクレルの古い和名が「壊変毎秒」であることを調べ出している。
 堀本の句では次のようなものがおもしろいと思った。

秋扇のゆとりや時に海指して (題 ゆとり)
湯ざめして背骨の芯のありどころ (題 背骨)
濡れ衣を着せられしまま秋の蜘蛛 (題 着る)

 巻末の二人の対談では、季語や切れなどをめぐって、短歌と俳句の生理のちがいも論じられていて興味深い。穂村が短歌を作るとき、対象をつい異化してしまい、「こうなったらどうなるだろう」と想像するので、じっくり写生をするのが苦手だと語っているのがおもしろかった。

 

第145回 穂村弘編『短歌ください 2』

みんな違う理由で泣いている夜に正しく積まれるエリエールの箱
                   たかだま(女・21歳)
 きっとあまり注目されないだろうから、最初にここに書いておくが、澤村斉美の歌集『galley ガレー』(青磁社)が、第48回造本装幀コンクールで最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。私も知らなかったが、このコンクールは日本書籍出版協会が、出版文化振興のために毎年開催しているのだそうだ。装幀を担当した濱崎実幸のインタビューが朝日新聞に載っていた。それによると、カバーには印刷所に嫌われることは承知で、手に吸い付くような感触の紙を用いたそうで、また単調さを避けるために、16ページごとに色の異なる紙を使ったという。改めて本の小口を見ると、確かにそうなっている。微妙な所に工夫が施してあるわけだ。ちなみにこのコンクールでは、堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』(港の人)が日本印刷産業連合会会長賞を受賞している。このコラムでも造本の美しさを褒めたので、受賞は喜ばしいことである。
 こちらで受賞者一覧を見ることができるが、おもしろいことに、書名・装幀者名・出版社名・印刷所名・製本会社名だけが載っていて、作者名がない。本の中身ではなく、物理的実体としての外側だけが評価の対象になるからだろう。私たちはふだんそのような目で本を見ていないので、地軸が数度傾くような感覚を覚えるが、なるほど本は著者だけのものではないのだと納得もするのである。

 穂村弘編『短歌ください その二』が出た。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載企画から生まれたもので、2011年に最初の巻が出版され、このコラムでも取り上げた。最初の巻のあとがきで穂村が書いているが、一般読者から題詠を募集するという企画を考えたとき、ほんとうに投稿が集まるのか不安だったという。ところが案に相違して多くの投稿が集まり、第二巻まで出版されることになったのだから、世の中に潜在的短歌作者はたくさんいるということなのだろう。そのほとんどは伝統的な結社とは無縁の人である。ブンガク魂は意外に多くの人の心に宿っているということか。もちろん投稿者の全員が短歌の素人というわけではなく、第一巻には後に歌集『春戦争』を出す陣崎草子、『かたすみさがし』の田中ましろがいたし、『つむじ風、ここにあります』の木下龍也も常連である。この人たちの多くは「かばん」の同人なので、「ダ・ヴィンチ」の投稿欄が穂村の選歌欄と見なされているのだろう。読書家として知られているピースの又吉直樹も「くす玉の残骸を片付ける人を見た」という歌が一首選ばれている。短歌というより自由律俳句に近い。
 おもしろいと思った歌をいくつか引いてみよう。
どこにでも行ける気がした真夜中のサービスエリアの空気を吸えば
                       木下ルミナ侑介
顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情
                  一戸詩帆
ホームと車体とを他者にした闇によだれを垂らす聖者は8歳
                     冬野きりん
煮え切らぬきみに別れを告げている細胞たちの多数決として
                      九螺ささら
味の素かければ命生き返る気がしてかけた死にたての鳥に
                     九螺ささら
エックス線技師は優しい声をして女の子らの肺うつしとる
                     猿見あつき
みそ汁に口を開かぬしじみ貝はじめて母に死を教わりぬ
                     麻倉遥
だしぬけに葡萄の種を吐き出せば葡萄の種の影が遅れる
                     木下龍也
結界のように真白い冷蔵庫ミルクの獣臭も冷やして
                     高橋徹平
冬の朝窓開け放ちてあおむけば五体にひろがりやまぬ風紋
                      寺井龍哉
 付箋の付いた歌を改めて見直すと、ネット短歌などですでに活躍している人が多い。木下侑介はいつのまにか「ルミナ」というミドルネームが付いている。一戸詩帆は朝日歌壇賞の受賞者である。寺井龍哉は本郷短歌会に所属し、今年の「短歌往来」7月号の「今月の新人」欄に歌を載せている。付箋が付くのはどうしても、このような手練れの人たちになってしまう。今回いちばんたくさん付箋が付いたのは木下ルミナ侑介だった。
水筒を覗きこんでる 黒くってきらきら光る真夏の命
                       木下ルミナ侑介
カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨
夏の朝体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と
君の手のひらをほっぺに押しあてる 昔の日曜みたいな匂い
 いずれも爽やかな青春歌である。いつもの癖でついついこういう歌に付箋を付けてしまうが、素人投稿欄でおもしろいのは素人ならではの破壊力を備えた歌だろう。
エスカルゴ用の食器があるのだし私のための法で裁いて
                      麻倉遥
君を待つ3分間、化学調味料と旅をする。2分、待ち切れずと目を覆い、蓋はついに暴かれた。                   せつこ
鉄分が不足しているその期間車舐めたい特に銀色
                  九螺ささら
アリよ来い迷彩アロハシャツを着た俺が落とした沖縄の糖へ
                        小林晶
 一首目では自分だけの法を要求する根拠にエスカルゴ用の食器を持ち出すところがおもしろい。タコ焼きを焼くような穴のあいた陶器のことだろう。二首目は最初読んだとき、何のことだかわからなかった。穂村の解説によれば、これはカップ麺に湯を注いで3分間待てずに、途中で蓋を開けて食べてしまった場面だという。大幅な字余りと暴走感覚がすごい。三首目、妊娠中や生理のときには、味覚や嗅覚が変化すると聞いたことがあるが、それにしても車を舐めたいとは奇想天外である。「特に銀色」が効いている。四首目もおもしろい歌で、「沖縄の糖」はふつうに考えれば、沖縄名産の黒糖かサトウキビジュースか、あるいはそれらを用いたアイスクリームだろう。作者は女性なのだが、「アリよ来い」という力強い呼びかけといい、意味を読み込みたくなる歌である。

 とまあ楽しんで読んだ一冊だったが、途中から思考はあらぬ方角へ彷徨い始めた。投稿された短歌のほとんどが、日頃読み慣れている近代短歌とどこか決定的に違うと感じたからである。投稿作品のほとんどは口語短歌だが、私が感じた違いは文語と口語の差ではない。もっと深い場所にある違いなのだが、その違いを言語化するのに時間を要した。
 投稿された短歌の多くは「あるある系」の歌なのだ。日頃注意を払うことはないが、改めて指摘されると「ああ、そういうことあるよね」と共感を呼ぶ。この共感が歌の眼目となっている歌のことだ。たとえば次のような歌がそうだろう。
ラーメンを食べてうとうとしているとゴールしていた男子マラソン
                        綿壁七春
試着室くつを脱ぐのかわからない わからないまま一歩踏み出す
                        竹林ヾ来
ドアの隙間に裏の世界が見えました線対称な隣の間取り
                        弱冷房
 「あるある系」の歌とは「共感系」の歌だと言ってもよい。その構造は「何かの出来事に遭遇した私」を中核として構成される。一首目ならばうとうとしてゴールを見逃した私で、二首目では試着室でうろうろしている私、三首目では団地の隣の部屋をドアの隙間から見た私である。一首全体が「何かの出来事に遭遇した私」という単層構造になっている。
 では近代短歌はどうか。ランダムに引いてみよう。
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし
                        岡井隆
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
                       大塚寅彦
死は道に落ちていたりきあるときはこがねむしの緑光として
                       吉川宏志
 岡井の歌が描く情景は、夜の台所で冷蔵庫を開けたときの卵ケースである。この情景をAとしよう。情景が描かれているということは、潜在的に知覚主体がいるということで、知覚主体をBとする。するとB (A) という関係が成り立つ。AはあくまでBの知覚として成立する事態である。次に「だまされて来し一生のごとし」という感慨はBの抱いたもので、これをCとすると、B (C) となる。するとこの歌の構造は次のように表示できる。

 B (A)
 │
 B (C) 

 ふたつの式をつなぐ縦棒が喩である。しかもこれに加えて岡井の歌には、情景内部の主体Bのほかに、「だまされて来し一生のごとし」と感じているBを外から見ているもう一つの主体Dがある。Dがなければこれは歌にならず、一時の感慨で終わってしまう。D≒Bだが完全に同じものではない。すると上の式は次のように書き換えられる。

  ┌ B (A)
D │ │
  └ B (C) 

 大塚と吉川の歌にもほぼ同じことが言える。大塚の歌ではA=「あけぼのの月」、C=「睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむ」で、吉川の歌ではA=「こがねむしの緑光」、C=「死は道に落ちていたりき」である。要するに近代短歌、および近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造でかつ複線構造になっているのである。B (A) とB (C) とが複線であり、それらとDとが複層をなす。このような複雑な内部構造になっているからこそ、31文字という限られた言語空間に複雑な意味を盛ることができるのだ。
 これにたいして上に引いた「あるある系」もしくは「共感系」の歌は、単線構造であり同時に単層構造だということに注意しよう。これらの歌の眼目は「そんなことあるある」という共感に訴えることであり、そのためには「昨日こんなことがありました」ということを即物的に提示したほうがよいのである。大事なのはAであり、Bはいてもいなくてもよく、Dは端的に必要ない。なぜなら歌が呼び出す共感は、受け手(読み手)の側に期待されているのであり、送り手(書き手)は相手の陣地にボールを投げるだけでよいからである。
 「あるある系」の歌がしばしば構造的に平板に見えるのはこのような理由による。それは共感という意図された目的により選択された形と言えるだろう。これにたいして、近代短歌と近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造かつ複線構造を好むのだが、それは歌の目的が「あるある」という共感ではないからだろう。共感でないとしたら歌の目標は何か。それは文学空間において屹立することである。

第86回 穂村弘『短歌ください』

夕やけよあらゆる色を駆逐せよ 頬が冷めてくモザイクの街
                  めぐみ・女・21歳
 穂村弘の『短歌ください』(メディアファクトリー、2011年)は、雑誌『ダ・ヴィンチ』誌上で穂村が連載している「短歌ください」に読者から投稿された短歌を集めたものである。あとがきによると、最初は作品が集まらないのではないかと心配しながら始めた企画だったが、蓋を開けてみればたくさんの優れた短歌が寄せられたという。穂村が選歌をして、選んだ歌に短いコメントを付けている。
 言うまでもなく穂村弘と加藤治郎と荻原裕幸は、1980年代の後半から後にニューウェーブ短歌と呼ばれるようになる短歌の潮流を牽引してきた3人である。しかし、時代がページを一枚めくってポスト・ニューウェーブ短歌の時代を迎えたとき、3人の歩みはかなりちがってきたようだ。加藤は「未来」に「彗星集」という選歌欄を持ち、結社内結社の主宰となっている。荻原はニューウェーブ短歌のプロデューサー的役回りを演じたためか、ポスト時代になって活動が目立たなくなった。一方、穂村はもともと同人誌「かばん」に拠って活動していたため、加藤や荻原とちがって結社の経験がない。最初からフリーランスだったようなものだ。しかしそのため選歌欄を持つことがなかったが、『ダ・ヴィンチ』の連載は、いわば穂村の選歌欄のような機能を果たしたようだ。投稿してきた人たちも、そのような意識で出詠したと思われるフシがある。
 穂村にはすでに、東直子・沢田康彦との共著で『短歌はプロに訊け!』と『短歌があるじゃないか』がある。こちらは沢田の友人を中心に結成された素人のFAX短歌会「猫又」の活動記録である。この2冊はほんとうにおもしろくて何度も読み返しているのだが、その大きな原因は素人の作る短歌の衝撃力にある。
ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の。)               千葉すず(水泳選手)
ビール狂体に悪いと改心しワインに変えるもアンドレは死す
                  ターザン山本(プロレスラー)
われを抱く荒々しきかいなありジャーマンスープレックスホールドということばのなかに                肉球
めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ
                  鶯まなみ(女優・本上まなみ)
 千葉すずのとって付けたような(←足の。)という掟破りといい、肉球の大幅な字余りといい、プロの歌人なら絶対しないような型破りなおもしろさがある。『短歌研究』の「うたう」短歌賞のときも、「愛って奴はWOWOWOその心を育てるさベイビイそして恋におちたときアイラブユーそこがパラダイス。ウー」という作品を葉書に書いて送ってきた人がいたそうだが、その桁外れの勘違いぶりに感動すらしてしまう。
 こういう伏線があるので、『短歌ください』にも素人ならではの楽しい勘違いでドキューンとこちらの胸を撃ち抜く歌が見つかるかと期待しつつ繙くと、実はそんなことはないのである。数ページ読んだところで、「ちょっと待った」と頭をリセットして新たな目で読むことにした。投稿している人はド素人ではなく、逆に相当な手練れが混じっている。歌集『ゆっくり、ゆっくり、歩いてきたはずだったのにね』の辻井竜一や、2009年の短歌研究新人賞を受賞し、歌集に『ミドリツキノワ』があるヤスタケマリも投稿している。他に題詠2011などで主にネットで活動している虫武一俊、古屋賢一、冬野きりん、木下侑介(木下一)らも名を連ねている。変名で投稿している人のなかに、既に名を知られている歌人がいないとも限らない。全部がそうだとは言えないが、どうやらネットを中心に活動しているポスト・ニューウェーブ世代の歌人が大挙して『ダ・ヴィンチ』の穂村選歌欄に出詠したようだ。この本はそのような受け取り方をして読むべきだろう。
 とはいえなかにはプロの垢にまみれていない素人ならではの歌もある。
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ                       陣崎草子
四十肩 三段腹に 二重あご 一重まぶたで ツルツルあたま 
                         水野川順平
かまわないでかまわないわよかまってよ(フリルのついた鎌振り下ろす)
                             峰子
あんかけのあん煮立つような音させてぼこりと夫が寝入る木曜 
                           てこな
イカ墨のパスタを皿に盛るように洗面器へと入れる黒髪
                         麻倉遥
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
                          伊藤真也
 一首目のように水道の蛇口を詠った歌はあまり目にした記憶がない。「飛びでているとこが三つ」というのは手で回す栓の部分を言っているのだろうが、これも奇妙な表現である。だいたい人に「蛇口が好きでしょ」などと訊くだろうか。二首目は逆順のかぞえ歌で最後がゼロになっているところがミソ。「無い」ということを表現するのは案外難しいのだ。三首目は男女の言い合いだろうが、「フリルのついた鎌」というのが恐ろしい。「かまう」と「鎌」の音を合わせているので、短歌的修辞も意識しているのである。四首目もヘンな歌で、人が寝入るときに音がするものだろうか。それをあんかけの餡に喩えているところもおかしい。しかし筆名が「てこな」なので、ひょっとしたら短歌に詳しい人なのかもしれないから、滅多なことは言えないが。五首目もプロの歌人なら絶対に作らない歌だろう。和歌の時代から女性の黒髪は何度となく歌に詠われてきたが、髪をイカ墨パスタに喩えるとは! しかし定型への言葉の落とし込み方が堂に入っているので、この人も案外短歌を作り馴れている人なのかもしれない。六首目の「ふえるわかめ」は理研の乾燥ワカメで、これで失敗したことのある人は多いだろう。とにかく水を加えると体積がものすごく増えるのである。そのワンダー感を若妻から夫への電話という形で表現しているところが秀逸である。世界は驚異に満ちているということを実感させるという意味で、短詩型文学の潜在的パワーを十全に発揮した例と言えるだろう。
 投稿作品の中には「コワイ系」と呼べる歌が数多くあり、選者の穂村も何度も述べているように、コワイ歌は良い歌なのである。いくつか引いてみよう。
「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク                           ゆず
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
                       冬野きりん
生態系食物連鎖をくつがえしあたしがあなたをたべる日が来た
                      小玉裕理子
今二匹蚊を殺したわ息の根を止めましたこの手あなたをさわる手
                         森響子
 一首目、食事をしている男女の会話と思われる。語尾からして発言者は女性だろう。こう言い放った後、その女性がペコちゃんの目をしてフォークに残った食べ物を舐めとるという場面である。コワイのは発言から窺える愛の不実さではなく、「ペコちゃんの目」のほうだ。二首目は「可愛さ余って憎さ百倍」を地で行く屈折した愛の歌。三首目と一首目に共通するのは、性愛が飲食のメタファーを用いて語られることが多いという点である。だから「あたしがあなたをたべる」には当然意味の二重性が伴うのだが、文字どおり解釈すればホラーの世界となる。四首目もコワイ。女の手が男の首にゆっくり伸びてゆくのが目に見えるようだ。
 短歌と言えば恋愛である。というわけで恋の歌も数多く投稿されている。
あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに
                   木下侑介
忘れてく思い出たちは優しいと午後四時半の物理実験室
                      イマイ
ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー
                        ちゃいろ
蝉が死んでもあなたを待っています バニラアイスの木べらを噛んで
                           ゆず
昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて
                     ハレヤワタル
 一首目、僕と貴方だけでなく、夏までもが一直線に並んでいたという感覚が新しい。一瞬と永遠とが実は踵を接していることをあらためて想わせてくれる。二首目、「忘れてく」は「思い出たち」にかかる連体修飾節ととる。この歌のポイントは「午後四時半」という放課後の半端な時間と「物理実験室」の具体性である。三首目、コンビニの袋に入っているペットボトル飲料はまったく詩的なアイテムではないのに、それを美しく感じさせるところに技がある。「ひそやかな」の使い方といい、言語感覚の優れた人のようだ。作者のちゃいろさんは21歳の女性ということだが、この人の歌に多く付箋が付いた。超初心者らしいが、ちょっと小林久美子を思わせる作風の人だ。四首目、「蝉が死んでも」というのは夏が終わってもということなので、バニラアイスの必然性がある。少し歪んだ感じも魅力的。五首目、歌人はあまり歌の中で「女子」という言葉を使わないだろう。その点も新鮮だが、ファウルがよけられないというところに女性の可愛さが表現されている。
 最後に注目した歌をあげておこう。こうして見るといずれも素人の歌ではなく、ほとんどは相当作り慣れた人たちであることがわかる。『ダ・ヴィンチ』の連載がポスト・ニューウェーブ世代の歌人たちの発表の場となったようだ。
スカートにすむたくさんの鳥たちが飛び立つのいっせいに おいてかないで                       ちゃいろ
電子レンジは腹に銀河を棲まわせて静かな夜に息をころせり
                      陣崎草子
こんにちは私の名前は噛ませ犬 愛読書の名は『空気』です
                       冬野きりん
マヨネーズ時計ではかるゆうぐれの時間は赤いところへ降りる
                      やすたけまり
卵らが身を寄せあってひからびる二十時の回転寿司銀河
                      古屋賢一
献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後
                      虫武一俊
旅先で僕らは眠るすべてから知らない街の匂いをさせて
                     ソウシ
 もし「電子レンジの歌」を集めることがあったら、陣崎の歌は文句なく取ることになろう。電子レンジのなかに銀河を見る発想は秀逸である。また冬野の世界に対する敵意に満ちた視線も注目される。やすたけの歌は「赤いキャップ」と言わなかったところがミソ。古屋の歌では、「銀河」は店の名前ととってもよいし、くるくる回転する寿司コンベアの喩ととってもよい。虫武の歌は静かな光景を描きながら、どこかに危険な感じを出しているところがポイント。ソウシの歌はとても好きな歌で、未知のものに体全体で浸る若さをこの上なく表現している。
 このように『短歌ください』には素人の勘違いが炸裂するおもしろい歌が意外に少ないのだが、まあそれは選歌の過程でふるい落とされたのかもしれない。ふるいを無事くぐり抜けた歌をあげておこう。いずれも突き抜けた疾走感がすてきな歌だ。
少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!
                           古賀たかえ
毛を刈ったプードル怖いと言う彼にあれは唐揚げと思えと伝えた
                          モ花

第63回 青磁社創立10周年記念シンポジウム見聞記

青磁社シンポジウム「ゼロ年代短歌を振り返る」
 11月7日(日)に立冬とは思えないうららかな陽気のなか、京都会館会議場で青磁社創業10周年記念シンポジウム「ゼロ年代短歌を振り返る」が開かれた。大きな会議場がほぼ満員になる盛況ぶりだった。短歌出版でがんばっている出版社が創業10年を迎えたことは喜ばしい。私は歌人の方々とほとんど面識がないので、会場では永田淳さんにお祝いを述べたあと、松村正直さんと魚村晋太郎さんにご挨拶し、田中槐さんが数列前におられるなと認識した程度で、あとはさっぱりわからない。
 第一部は高野公彦の講演「ゼロ年代短歌の動向」。私は高野公彦と小池光の初期短歌が現代短歌の精粋だと思っているので、演壇の高野を遠くからでも初めて見られたことに満足した。
 第二部は「缶コーヒー・肉・アマゾン その他」という奇妙な題の吉川宏志と斉藤斎藤の対談。二人は買ってきた缶コーヒーを机に並べて、「最近、缶コーヒーのネーミングがおもしろいよね」という枕から話は始まった。誰がこの二人を対談させようと思いついたのかは知らないが、途中からグダグダの会話になり、肉の話は出たものの、ついに最後までアマゾンの話は出なかったので、なぜアマゾンなのか未だに謎である。にもかかわらず私にはこの対談はとてもおもしろかった。それは対話を通して歌人としての吉川と斉藤の体質の差が浮き彫りになったからで、なかんずく斉藤の本質がよく見えたからである。
 吉川はまず「自販機のなかに伊右衛門も若武者も眠らせて二ン月の雪は降り積む」(久々湊盈子)、「下痢止めの〈ストッパ〉といふ名づけにも長き会議のありにけんかも」(大松達知)といった歌を引いて、言葉にまつわるおもしろさが見られる歌を論じたが、議論が途中から予期せぬ方向に進んだので、吉川がゼロ年代短歌の動向をどう総括して見ているのかはわからない。これに対して斉藤は「〈特別〉から〈ふつう〉へ、〈わがまま〉から〈なかよし〉へ」と題した第一章で、「牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ」(宇都宮敦)という歌を引いて、ゼロ年代以前の短歌の方法論は「特別なレトリックで特別なことを詠う」もしくは「特別なレトリックで日常を詠う」のに対して、ゼロ年代の歌人はそのような方法論に嘘くささを感じて、「ふつうのレトリックでふつうの日常を詠う」態度へとシフトしたと指摘した。いわゆる短歌の「棒立ち化」で、この点は第三部のバネルデッスカッションでも話題になった。続いて第二章「下がって」では、「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」という中澤系の歌を引いて、「電車が通過します。危険ですからお下がりください」という駅のアナウンスは、形式は依頼表現だが実は命令なのだと述べたが、時間の不足からか斉藤の趣旨はよく理解できなかった。第三章「肉」では、吉川が最近しきりに「ふるさとの牛が殺されゆく今を我はドリルで歯を削られる」のような食肉屠殺に関する歌を作っていることを取り上げた。吉川の故郷宮崎での口蹄疫騒ぎがその背景の一つにあろう。このあたりから斉藤の鋭い突っ込みが始まったのである。斉藤は、「考えれば十センチ以上の生き物を殺していない我のてのひら」のような歌を作るくらいなら、ヴェジェタリアンになろうと考えたことはありませんか、と吉川に問うたのである。
 吉川は返答に窮して一瞬口籠もった。その後も斉藤の問いかけを受けて議論を盛り上げようとはしなかった。斉藤の質問の真意を測りかねたのかもしれない。しかし私には斉藤の質問の意味がよくわかった。斉藤は吉川に向かって、「あなたは思想 (=言葉)と行動が一致していない。それでいいのか」と迫ったのである。第三部にパネリストの一人として登壇した穂村弘は、「斉藤斎藤さんの対談相手に選ばれたのが僕でなくてよかった」と述懐していたので、穂村にも斉藤の質問の意味が突き刺さったのだろう。吉川はこれに対して、自分も確かに歌を作りながらその一方で資本主義に加担して金儲けの片棒を担いでいるが、そのような矛盾を内蔵することで歌はむしろ豊かになるのではないか、と答えていた。大人の答えである。
 私はこのやり取りを聞いて、ようやく今まで掴みかねていた斉藤斎藤の本質を垣間見た気がした。斉藤は原理主義者(ファンダメンタリスト)なのである。ここで言う原理主義とは、思想 (=言葉)と行動との完全な一致を個人のレベルにおいて厳格に要求する立場を言う。
腹が減っては絶望できぬぼくのためサバの小骨を抜くベトナム人
                        『渡辺のわたし』
勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します
 このような歌を作る斉藤を、かねてより倫理観の強い人だとは感じていたが、その漠然とした印象はまちがってはいなかったわけだ。しかし原理主義が厳しい道であることはもちろん、危険な道であることもまた覚えておかなくてはなるまい。個人の生の態度としての原理主義の行き着く所は畢竟、革命(=テロ)か宗教しかない。思想 (=言葉)と行動の不一致を劇的に解消するには、世界を根底から変革するか、自分を根底から変えるかのどちらかしかないからである。そしてその二つはほとんど同じ性質のものである。だから斉藤がある日、墨染めの衣をまとって現れても私は驚かないだろう。それにしても斉藤は弁が立つ。現代短歌シーンで屈指の能弁であることはまちがいない。
 第三部のパネルデッスカッション「ゼロ年代短歌を振り返る」は、穂村弘、松村由利子、広坂早苗、川本千栄をパネリストとして、島田幸典の司会で進行した。島田の事前の要請によりパネリストたちは、(1)ゼロ年代の注目すべき課題、(2)印象に残った作品、(3)ゼロ年代を通じて明らかになった課題、の三点をまとめた資料を用意していた。穂村は資料には歌を並べただけで、島田の要請には当日口頭で応える形を取ったが、松村は(1)として新しい「私性」、他者との距離の取り方を、(3)に「われ」の本質・位置と、仮名遣いと漢字を挙げた。広坂は(1)として文語と口語の問題を挙げ、川本は(1)に口語化の流れの中での文語の行方、不安定な自我、老い・介護を、(3)に理屈の歌と理の通らない評論とを資料に挙げた。後日こうしてじっくり資料を見直してみると、パネリストたちの関心は、ゼロ年代ににわかに不安定化しフラット化した短歌の〈私〉と口語化の問題に集中していたことがわかる。司会役の島田の周到な準備により、討議が予定されていた流れで進行していたら、ゼロ年代の短歌を総括する展望が得られていたかも知れないが、誰も知るとおり集団での討議は生き物であり、島田には気の毒だったが予定どおりの展開にはならなかったのである。
 最初に発言した穂村は、『短歌研究』誌四月号の作品季評での印象的な体験から話を始めた。評者の久々湊盈子・永井祐・穂村のあいだで、栗木京子の作品の評価が真っ二つに割れたというのである。久々湊と穂村は、「みづからの体のほかは知らざりし乙女にて夜々数学解けり」のような歌をよいとしたが、永井は「身をゆすりながらバナナを食む子をり花火を持てる荒川の土手」を選んだという。穂村の目には永井が選んだ歌は、措辞の短歌的必然性に弛みがあり、言葉が動く歌と見えた。この経験から穂村は、永井に代表されるゼロ年代歌人の感覚を次のように推測した。永井たちは、従来共有されてきた短歌のレトリックによってポエジーを立ち上げる秀歌性を嘘くさいものと感じて拒否していて、自分たちにとってのリアル(=ふつうの日常)がポエジーの必然性に吸収されることを否定しているのであると。永井たちにとってのリアルとは、「牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ」のような歌のフラットさだけがすくい取れるものだということで、これは第二部の吉川と斉藤の対談でも取り上げられたポイントである。
 その後、松村・広坂・川本ら他のパネリストが準備した資料に基づいて発言したのだが、途中から議論は予期せぬ方向に展開した。「牛乳が…」のような歌のほうがリアルだと言っているのは誰なんですか、という川本の発言がきっかけである。川本が威勢のよい関西弁で滔々と述べたのは、おおむね次のようなことである。
 短歌がフラット化し修辞が棒立ちになったのは、そもそも2001年に『短歌研究』が創刊800号記念に行ない、穂村弘・加藤治郎・坂井修一が審査員を務めた「うたう作品賞」からである。この企画から盛田志保子、加藤千恵、赤本舞(今橋愛)らが世に出た。また『短歌ヴァーサス』を舞台として自分たちの手で歌葉作品賞を作り、審査員を務めたのも穂村である。これらの賞に応募してきた若い歌人たちの歌を「棒立ちのポエジー」と評して、短歌のフラット化を推し進めた張本人は穂村ではないか。『短歌研究』誌四月号の作品季評で永井と評価が割れたことをショックだと言っているが、そのような事態を招いたそもそもの責任は穂村にあるのではないか。
 川本は自分の資料の「理の通らない評論」の項目に穂村の文章を引いていたくらいだから、もともと期するところがあったのかもしれない。かなりきつい調子で以上のようなことを述べた。これにたいして穂村はいつもの小さ目の声で低く語る調子で、次のようなことを述べるに留まった。
 囲碁や将棋には「定石」というものがある。定石とは局所的な盤面において、こう打ったほうが勝率が高くなるという経験則の集合である。しかし定石は最初からあったわけではなく、棋士が長年にわたって積み重ねてきたものである。短歌も同じで、こう作ったほうがよい歌になるという定石があるが、これも最初からあったわけではなく、近代短歌以降に蓄積されたものである。永井たちの棒立ち歌をよい歌だと感じられないとすれば、それは受け取る私たちのなかにそれに反応する回路がまだできていないからである。もし回路ができれば新たな定石となる可能性があると僕は考えていた。ところがなぜか短歌には、ひとつの定石が別の定石と反発して受け入れないという生理がある。今起きているのはそのようなことではないだろうか。
 こうして壇上の穂村が槍玉に挙げられた訳だが、これはむしろ本人にとって名誉なことだろう。加藤治郎・荻原裕幸とタッグを組んでニューウェーブ短歌を推し進めてきたのが穂村であり、川本が苦々しげに述べたように、穂村が「枝毛姉さん」の歌を取り上げればみんながこぞって論じ、穂村が「水菜」の歌を褒めると他の人たちも注目するというように、90年代後半からの短歌評論シーンで穂村は中心的役割を果たしてきたからである。「短歌のくびれ」「棒立ちの歌」「修辞の武装解除」「命の使いどころのない酸欠世界」など、穂村はキメ科白の達人でもある。しかし短歌の棒立ち化・フラット化を前にして、伝統的近代短歌派の歌人は苦々しい思いを噛み締めていたはずで、それが当日、川本の口を借りて噴出したと見ることもできよう。
 さて短歌の棒立ち化と、その背景にある新しい(と見えなくもない)〈私〉像をどう考えるべきか。シンポジウム当日は考えがまとまらなかったが、後日次のような考えに到った。私はこの状況に対して二つの見方が可能だと思う。一つはこの現象はローライズパンツ(または腰パン)のようなものだとする見方である。ローライズパンツとは、股上の浅いズボンをわざと下にずらして穿くファッションで、ヒップホップの流行とともに若者にはやった。下着のパンツが見えることもあり、年長者からは「だらしがない」ファッションとして評判が悪い。しかし若者の目から見ると、年長者のきちんとした服装は「カッコ悪い」のである。つまりこれは世代間闘争ということだ。世代間闘争には原理的に解決策はない。年長者が死に絶えることで問題が消滅するだけである。だからもし棒立ち短歌が世代間闘争の一種であるのなら、私たちにできることは何もない。ファッションがいつまでも続かず新しいファッションに置き換えられて行くように、棒立ち短歌も見過ぎて飽きられたら消えて行くだろう。
 もう一つの見方はもう少し大きな視野に立って、近代とそれを支えてきた〈私〉像が液状化を起こして溶解し始めており、棒立ち短歌はその表れではないかとする見方である。哲学者ミッシェル・フーコーはすでに80年代に、私たちがふつう考えている「人間」像は近代の産物であり、浜辺の砂に書いた文字が波に洗われて消えるように、いつかは消えてしまうだろうと予言した。これは大きすぎる問題で私にはほんとうにそうなのかどうか判断がつかないが、もしこの見方が正しいとするならば、やはり私たちにできることは何もない。大規模なパラダイム・シフトは文明規模で起きる現象であり、私たちが個人レベルで何をしてもそれは蟷螂の斧である。私たちは昨日と変わらず自分たちの小さな生を生きるしかない。
 司会の島田が最後にまとめと総括をあきらめてパネルディスカッションは終了した。企画した人たちが意図した方向には進まなかったかもしれないが、以上のようなことを考えさせられたという意味で、十分におもしろい討議だったと言えるだろう。

013:2003年7月 第4週 穂村 弘
または、真夜中に菓子パンをほおばる爆弾犯

夏空の飛び込み台に立つひとの
    膝には永遠のカサブタありき

             穂村 弘
 穂村が初めて短歌と出逢ったのは、札幌の旭屋書店で偶然に手にとった『國文學』によってだという。その中に塚本邦雄の次の歌があった。「輸出用蘭花の束を空港へ空港へ乞食夫妻がはこび」穂村はこの歌に脳を直撃されるような衝撃を受けたという(『短歌』角川書店、2002年10月号)。当時、漠然と「言葉の呪的機能」について夢想を巡らしていた穂村は、言葉がその呪的機能によって世界を変えてしまうということが現実に存在することを知った。この原体験から穂村の短歌観は発している。評論集『短歌という爆弾』(小学館)の冒頭にある「絶望的に重くて堅い世界の扉をひらく鍵、あるいは呪文、いっそのこと扉ごと吹っ飛ばしてしまうような爆弾」としての短歌という発想は、この原体験の直接の申し子なのである。

 爆弾犯は下宿の四畳半に閉じこもり、なるべく隣人と顔を合わせないようにして、孤独に夜ごと爆弾製造にいそしむ。彼が通うのは近所のコンビニであり、そこで買うのは甘い菓子パンばかりである。エッセー集『世界音痴』(小学館)を読むと、このような爆弾犯のイメージと穂村の実生活は、あまりかけ離れてはいない、いやむしろピッタリすることがわかっておもしろい。勤め帰りにスーパーに寄って、割引シールの貼られたトロの刺身のパックを手にとり、「俺の人生はこれで全部なのか?」と叫ぶくだりは、涙なしには読むことができない。

 塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて作歌を始めた穂村が作るのは、しかし次のような歌なのである。

 サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

 「酔ってるの? あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

 ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり

 最近の穂村は次のような歌まで作るようになった。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(この歌集のタイトルからして相当なものだとおわかりだろう)から引用する。

 目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ ほんかくてき

 天才的手書き表札貼りつけてニンニク餃子を攻める夏の夜

 整形前夜ノーマ・ジーンが泣きながら兎の尻に挿すアスピリン

 巻き上げよ、この素晴らしきスパゲティ(キャバクラ嬢の休日風)を

 舌出したまま直滑降でゆくあれは不二家の冬のペコちゃん

 かくして山田富士郎のように、穂村を「短歌界のM君」と呼ぶ人まで現われるようになった(『現代短歌100人20首』邑書林に所収の「「歌壇」の変容について」)。M君とは、1988年から89年にかけて、猟奇的な幼児殺人事件を引き起こした宮崎勤のことである。山田が言いたいのは、幼児的全能感を肥大させたまま大人になり、社会化されなかった自我形成において、M君と穂村には共通する点があるということだろう。ずいぶんな言われようである。

 もっとすごいのもある。石田比呂志は、自分の作歌生活40年が穂村の歌集の出現によって抹殺されるかも知れぬという恐怖感を語り、「本当にそういうことになったとしたら、私はまっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい」と述べている(現代短歌『雁』21号)。今どき「腹かっさばいて殉死」とはすごい。つまりは石田は穂村の短歌を、「頭から」「完全に」否定しているのである。

 おもしろいのはこのエピソードを紹介しているのが穂村自身だという点だ。「一読してショックで頭の中が白くなった」とは書かれているものの(『現代短歌最前線 下』北溟社)、石田比呂志の激烈な批判に、穂村は反論しようとしない。むしろ自分の歌のなかに、いやおうなくはだかの自分が現われているということを、ややあきらめを込めて認めている。穂村のなかで何かが壊れていると感じるのは、このようなときである。

 とはいえ、『短歌はプロに聞け』(本の雑誌社)で、沢田康彦主宰のFAX短歌会「猫又」に投稿される素人短歌を添削する穂村の批評は冴えている。また、言葉がピシリと決まったときの穂村の短歌には、確かに本人が爆弾と呼ぶほどの起爆力があるのもまた事実なのである。

 ねむるピアノ弾きのために三連の金のペダルに如雨露で水を

 卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け

 限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月

穂村弘のホームページ
http://www.sweetswan.com/0521/syndicate.cgi