第9回 奥田亡羊『亡羊』

ジャム瓶の口に凭るるスプーンの細長き柄の先端五月
                      奥田亡羊『亡羊』
   蓋を開けたジャムの瓶の口に、今しもパンにジャムを塗るのに使ったスプーンが立てかけてある。ジャムはありふれたイチゴなどではなく、季節にふさわしいレモン・ママレードか花梨のジュレあたりがよかろう。「凭るる」という動詞で擬人化されているので、まるで長身の男が足を交叉させて樹の幹に凭れているようなイメージが湧く。「柄の先端」はスプーンの握りの部分の先を指すが、スプーンがどちら向きに立てかけてあるかで、柄の先端の向きが異なる。ジャムをすくった丸い部分を上向きに立てかけたなら、柄の先端はテーブルに接している。逆向きならば柄の先端は天を向いている。しかし後者だとジャムのついた丸い部分がテーブルを汚すことになるので考えにくい。ここで解釈を修正して、スプーンはジャムの瓶に突っこんであると考えると、柄の先端は正しく上を向く。そして天から降り注ぐ五月の光を反射して銀色に輝くのである。スプーンの柄の先端という極小世界に大きな季節の移り変わりを閉じ込めた構成は、短詩型文学の短さが世界を切り取る武器となるという逆説を実証している。「○○の××の▽▽の」と属格を連ねて最後を体言止めで受ける措辞も効果を上げている。歌集でこの歌の次に置かれている「はちみつの中をのんびり上りゆく気泡ありたり微かなる地震(ない)」と並んで、静謐な描写と確かな観察眼を感じさせ、印象に残る歌である。
 奥田は1967年生まれ。TVディレクターという職業のかたわら作歌を始め、1999年短歌研究新人賞次席。その年の新人賞は長江幸彦の「麦酒奉行」。2005年再度挑戦して「麦と砲弾」で新人賞受賞。『亡羊』は受賞作を含む第一歌集で2007年刊。「心の花」会員で、跋文は佐々木幸綱が寄稿している。新人賞発表の「短歌研究」2005年9月号に載っている奥田の近影はスキンヘッドである。墨染めの衣と剃髪は、古来からこの世を捨てた者の記号である。奥田がこの世を捨てたかどうかは定かではないが、この世から距離を置いた生き方をしようとしていることはまちがいない。「亡羊」は中国の列子の故事から取られた名前で、逃げた羊を追いかけたものの、道が枝分かれしていてどちらに逃げたかわからず途方に暮れている様を表す。第一歌集の題名に筆名を採用したところにも、作者の思い入れが見てとれる。
 佐々木幸綱は跋文で奥田の美点を三つ挙げている。独特な映像感覚、新しい男歌の可能性、そして歴史・伝統への興味の三つである。私は一読してそれほど映像感覚は感じなかったが、残りの二つは同意見である。ただ「歴史・伝統への興味」という言い方は少し的を射ていない気もする。奥田の世界観と作歌技法の根幹にかかわる特質だと思う。実例を見てみよう。
宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている
青空に満ちくる声を聞きながらバットでつぶす畑のキャベツ
 歌集冒頭の一連に置かれた歌であり、二首ともに「叫び・声」を詠んでいる。ここには二つの点で作者の世界観が看取される。ひとつは「どこから届いたのかもわからない叫び」に聴き耳を立てることで、作者の〈私〉を取り巻く親和的小世界の外部に広がる疎外された世界を明確に定立している点である。この「外の世界」は、私が日々を暮らし飯を食い眠る世界ではない。戦争と暴力が横行し人が死ぬ他者の世界である。奥田の歌においては〈私〉と〈世界〉はこのように疎外された関係にある。そして奥田は〈私〉と〈世界〉の相互疎外の関係において、「叫びを預かっている」という使命感を持っているのである。「兵役につくこともなく三十を過ぎてつまらぬものを殴りぬ」という歌が示しているように、〈私〉は戦争と暴力の世界に直接参入することはできない。しかしその世界から眼を背けることもできないという自覚が奥田にはある。この世界観と次のような歌群とが直結していることは明らかである。
この国の平和におれは旗ふって横断歩道を歩いていたが
人あまた死にし野原にのんびりと夕焼けを置くホリゾント
白砂に蝉の骸の光りいる監獄跡をわれは歩めり
パレスチナに人殺さるる謐けさを聞きつつ我は生まれ来にけり
 これは奥田も引用している『東京漂流』を始めとする写真家・藤原新也の著作の世界に他ならない。ガンジス川では人々が沐浴するそばを死体が流れてゆくという、即物的でハードな世界である。思想的には実存主義に接近するこの世界観は、現代短歌の世界にも次のような先蹤がある。いずれ劣らぬ硬派の歌人たちであり、奥田は系譜的にはこれらの歌人たちの流れに連なるのである。
砲弾の止みて静もる世界史を花を抱えて待ち人は来る 
             谷岡亜紀『アジア・バザール』
日本のパンまづければアフリカの餓死者の魂はさんで食べる
             山田富士郎『羚羊譚』
アカーキィ・アカーキェヴィッチ赤肌に剥ぎ取られゆく身體検査
             佐々木六戈『佐々木六戈集』
 このような世界観を持つ場合、作歌においてひとつ問題がある。疎外された外部世界は〈私〉を取り巻く親和世界とはあまりに隔絶しているため、そのふたつをつなぐ回路が必要となる。茶の間でTVを見ていたらイラク戦争の映像が映ったなどという緩い回路では、外部世界を歌に取り込むことなど到底できない。
 この回路を形成するひとつの手段は、〈私〉を現場に置くことである。実際に奥田は、パリのユダヤ人記念館・ソウルの監獄跡・長崎原爆資料館・沖縄などに足を運んで歌を作っている。しかしこの方法で作られた歌はややもすれば旅行詠に流れる。〈私〉は所詮は旅人であり、傍観者に過ぎないからである。
 奥田が採用したもうひとつの方法は、一首の歌の中に歴史的・地理的重層性を塗り込めるというものである。実例を見てみよう。
しめやかに首をかかげて現れるヘアーサロンの僕のサロメは
アステアの砂のダンスのステップで浮浪者を蹴る月の夜の子ら
古地図見れば梟首(きょうしゅ)と墨で書かれあり若き日われの働きいしところ
何をして殺されけるや祖父と吾のあっけらかんとものを食う癖
 一首目のヘアーサロンで登場する首がいまひとつ不明だが、髪型の見本を載せた人形の首か。それは措くとして、現代の美容院と古代ユダヤの伝承を重ね合わせようとした作であり、「~のごとく」という直喩を避けるために「僕の」と所有形容詞を用いた点にも工夫がある。二首目の「アステア」は往年の名優フレッド・アステアだろう。ホームレスを襲撃する少年たちという現代の負の光景と、フレッド・アステアの華麗な舞台のダンスが二重映しになるところがこの歌の要である。三首目の「梟首」とは、その昔に斬首の刑に処した罪人の首を晒したことをいい、転じて刑場をも指す。自分の以前の職場が昔の刑場跡だったということで、ここでは古地図という時間転轍機が〈私〉をはるかな外部世界とつなぐ装置として選ばれている。四首目は作者の五世代前の先祖に暗殺された鈴木重胤という人物がいたことを踏まえての歌である。〈私〉は偶然に今・ここに存在するわけではなく、〈私〉にも何かをなした先祖がいたという感覚は、確かに〈私〉と世界をつなぐ契機となるのである。佐々木六戈にも「セブンティーン愛機を降りてけふの日の澁谷の街の若きに雑じれ」のように、戦争の過去と繁栄の現代とを重ね合わせた作がある。このように歌の中に歴史的・地理的重層性を折り込むことによって、生暖かい親和世界を越えた外部世界を歌の中に召喚することができる。
 昨今の若い歌人たちの作る歌が、ややもすればディタッチメント(detachment)、すなわち「〈私〉と世界や他者との関係性の希薄さ」の雰囲気を色濃く漂わせているなかで、奥田の歌がこれとは逆方向のエンゲイジメント (engagement)、つまり「世界や他者と積極的に関わろうとすること」という旗を立てていることは特筆すべきだろう。しかしこの世界観を貫くことはなかなか容易なことではない。奥田の歩み自体がそのことを示しているようだ。
 収録された歌からは奥田がディレクターとして勤務していた会社を辞め、妻と離婚して榛名山麓に単身移住し、無為の暮らしを送ったことが読みとれる。そこに至る経緯は詳らかではない。
妻の住む部屋を探しぬ我が妻と二人で為せることの最後に
辞令書の四隅の余白広々とさあどこへでも行けというのだ
鳥のむくろ土間に乾びていたりしを焚火にくべて住み始めたり
 この人生の転機をきっかけとして、奥田の歌はにわかに人生探求派の色を濃くしてゆく。職を捨て家庭を捨てて単身旅立つのは、西行以来の日本文学伝統の風狂の道である。捨てる行為が人生のミニマリスムを実現し短詩型文学を輝かせることは、尾崎放哉や種田山頭火の例を見ても明らかだろう。ここに来て奥田の歌はまさに「亡羊」の名にふさわしい「男の行き惑う歌」となる。
明日もまた何もするなと言うような私自身の夕暮れである
自転車の籠にたまねぎ躍らせて俺も畑も夕焼けている
元旦のパンにひそめる干葡萄みなひんやりと冷えている食う
奥村土牛の城を見上げる絵の奥のあんなところに青空がある
 「~している」「~である」の終止形に自由律俳句の影響が感じられる。ともに歌の視界を眼前の現在のみに限定することで、孤絶感を際だたせる効果がある。浮かび上がるのは、過去を捨て未来も見えないため現在しか持たないが、その現在を埋めるすべを知らない孤独な男の姿である。このような境地から生み出される歌は、確かに佐々木幸綱の言うように、現代では珍しい男歌だと言える。なるほど人生は迷いの連続ではあるが、とりあえず日常生活を送りながら心の奥底に迷いを抱えているのと、生活のすべてを捨て去って迷いを暮らしの中心に据えるのとでは大きくちがう。奥田が選択したのはどうやら後者の道らしい。
 とはいえ逡巡と悔恨の泥濘の沼に美しい花が咲くこともある。
春雨のしずかに濡らす屋根がありその屋根の下ふたつ舌あり
我の名を夜ごと呼びし手のごとく芭蕉枯れゆく陽だまりの中
まぶたにも縞を持ちたる縞馬に桜の花の降りやまずけり
もの思うごとくしずかに沈みゆき花びらひとつふたつ吐きたり
枝肉の怒り鋭し身を反れどぶち切られおり四肢は半ばに
 このような歌が「あれこれとやりっぱなしの鰯雲そらに浮かべて髭剃られおり」のような歌と並んでいるところにこの歌集の特色があり、これらの歌が心に沁みるとすれば、それは周囲に「行き惑う男の歌」が溢れているためだというのもまた事実なのである。