102:2005年5月 第1週 中津昌子
または、何を詠っても歌になる組み替えられた〈私〉

象のかたちに象押し上ぐるしらほねの
        軋みおりたり雲あつき下

              中津昌子『遊園』
 中津昌子の名前を初めて知ったのは、俵万智の『記憶の色 三十一文字のパレット2』(中公文庫)に収録された上の歌でだった。象はキリンやライオンと並んで動物園の人気者だ。短歌にも詠まれることが多い。しかし私の印象ではなぜか悲劇的な描かれ方をすることがよくあるように思う。その異常なまでの巨躯、象牙のために乱獲された過去、象の墓場の言い伝えなどがその理由だろうか。掲出歌は一読したら忘れられない印象を残す。作者は象を見て、その巨躯を支える体内の骨に着目している。確かに象の皮膚は洗い晒したキャンバス地のようで、だらりと垂れ下がり、太い骨が浮き出して見える。象の本体は実は骨から成る構造物で、その上に申しわけ程度に布を張ったものであるかのようだ。重力に抵抗して象の形を作っているのは骨なのだ。そのような見方をした歌である。『遊園』の巻頭歌であり、作者としても自信作なのだろう。

 中津昌子は1987年に「かりん」に入会、馬場あき子に師事するかたわら、「鱧と水仙」にも参加。1991年に短歌現代新人賞を受賞。第一歌集『風を残せり』(1993)、第二歌集『遊園』(1997)、第三歌集『夏は終はつた』(2005)と着実に歌人としての歩みを進めている。今回はこの3冊の歌集を一気読みしたので、なかなか読み応えがあった。とびとびに出版された歌集を通読すると、運動選手が日々のトレーニングによって競技に必要な筋肉をつけ、逆に不要なものを削ぎ落してゆくように、歌人としての作歌筋肉が徐々に形成され、歌境が深化してゆくさまが手に取るように感得できる。歌集を読む楽しみのひとつはここにある。

 第一歌集『風を残せり』には、主婦としての、職業人としての、母としての、作者の顔が比較的ストレートに出ている歌が多い。たとえば次のような主婦らしい歌がある。

 クレンザーま白に振りてざりざりと結婚記念日の鍋磨きおり

 たまご焼きうすくきれいに巻きあげててるてる坊主を軒より下ろす

また二人の子を持つ母らしい歌がある。

 我と子を空へ吸いあげそうになりアンパンマンの凧はつよしも

 捨てるならいちご畑と思いおり苺に夢中の兄と弟

作者は貿易会社に勤務しているようで、職場を詠った歌もある。

 マニキュアの光褪せたる指先にキーボードに¥のキー捜しおり

 ラバウルへ送る見本の布束から日の丸柄のものを抜き出す

しかし、日常の体験や目にした光景を起点として歌に想いを馳せようとするのだが、その想いは未だ遠くへは飛翔せず、手の届く範囲にまとわりついて離れようとしない、そのような印象が残る。歌に詠み込む内容としての体験や情景を仮に短歌の「素材」と呼ぶならば、「素材」が自分に付きすぎているあいだは、想いを詩空間に解き放って歌に生命を吹き込むことが難しい。「素材」を詩として結晶化させるには、「素材」を公共化しなくてはならず、そのためには時間的にも心理的にも距離が必要なのである。

 ところが第一歌集から4年の歳月を経て上梓された第二歌集『遊園』における歌境の深まりは瞠目に値する。それはふたつの歌集に収録された類歌を比べてみれば明かである。

 SAVUSAVU (サブサブ)という街の名を打ち上げてタイプの指が踊れるごとし 『風を残せり』

 アルファベットくさりのように編みたるはみんなみ黙しがちなる国へ 『遊園』

 第一歌集の歌はSAVUSAVUという街の名に面白みがあるが、「タイプの指が踊れるごとし」は自分の指の様子を喩により形容したものにすぎず、上句の内容と意味的に呼応がない。ところが第二歌集の歌は、海外に発送する商業レターを「くさりのように編みたる」と間接的に表現する業もさることながら、下句に手紙の届く東南アジアの国々へと馳せる思いがあり、歌に広がりと奥行きを与えている。それと同時に上句のくさりのように編まれた文字の列が、下句では黙しがちなる国へと送られてゆくという意味の結束性もまた一歌の凝集力を高めている。

 『遊園』からもう少し歌を引用してみよう。

 折られたる百合のごとくに裸身折り少年は短き髪を洗えり

 干し葡萄がにじむようなるしろきパン一人称の指に裂きつつ

 ゆうぐれの空へ溶け込むさるすべりいちまいのわれひるがえるなり

 ちりやまぬ睫毛か秋をほのぼのとアーモンド・アイ行き交うアジア

 あみめきりん茫洋とせるまなざしの霜月檻のうちより暮れて

 ついに世界につながらざればコンタクトレンズをうすく止まらせる指

 蛇口には水が止められいることのその背後なる大量の水

 一首ごとに評するのは煩瑣になるので避けるが、特筆すべきは作者が〈私〉を相対化する目を獲得したことである。それは例えば二首目の「一人称の指」という〈私〉を客観視する表現や、三首目の「いちまいのわれ」という〈私〉を「ひとごと」化する表現に窺える。また世界との接続の不全感を詠んだ六首目において、接続不全を指先のコンタクトレンズに象徴させる喩にもそれは表われている。蛇口の背後の大量の水を思うという七首目には、水道の蛇口というありふれた日常の背後に、非日常を幻視する想像力があり、これも第二歌集においてはっきりと形を成した作者の資質である。

 第三歌集『夏は終はつた』で中津の歌はさらに飛躍する。

 右の眼はこまかく菊の咲く痛みひだりしづかな風吹くばかり

 ゑんどうが熟れゆく夜の底ひにて仏はむすぶ厚き唇

 ところてん透明の尾を吸ふ口のこの世のものは吸ひつくすべし

 嘴にくはえられたる魚の目にひろがる天はみぞれを降らす

 テロリズムの花粉に汚れたる花に寝乱れて思ふ兵士は兵士を

 あをぞらから降りくる花よあさがほは夏の終はりをいくひらも咲く

 買はざりし鯵の眼は澄みゐたり路面にながく影は伸びるも

 咲くやうにポスターの上にありし名の如月小春散りて雪なり

 怯えずともやがて夜は来る小さな花大きな花の寝息に満ちて

 私は歌集を読むときに特によいと思った歌に付箋を付けることにしている。ところが『夏は終はつた』ではほとんど付箋を付けることができなかった。収録歌のレベルがいずれも高いので、付けようとすると付箋だらけになってしまい、それでは付箋を貼る意味がなくなるからである。

 中津はこの歌集でそれまでの新仮名遣いから旧仮名遣いに変更している。この変更の持つ意味は大きい。それと平行して短歌の韻律を深化している。第一歌集・第二歌集と比較したとき、いちばん強く感じられるのはこの韻律の変化である。私は実作をしないため、短歌の韻律についてうまく論じることができないのがもどかしいのだが、言葉が収るべき場所に収り、それが三十一音の定型に無理なく吸収されてゆく様、とでも言えばよいだろうか。

 上にあげた歌は、主婦・母・職業婦人としての〈私〉、すなわち現実の位相の〈私〉を詠んだものではもはやない。短歌定型という詩空間において再定義された〈私〉が詠んだものである。ここで「〈私〉を」と「〈私〉が」の、格助詞の「を」と「が」の差異に留意していただきたい。「〈私〉を」空間では、作り手は自分に関心がある。しばしば自分の想いを歌にしたいと願っている。しかし、〈私〉と短歌のこのような関係性の把握から送り出される歌は、往々にして射程が短く詩の蒼穹へと飛翔することがない。「〈私〉を」空間は「〈私〉が」空間へと転換されなくてはならない。そのとき現実の位相の〈私〉はいったん解体され、詩空間において再び組み直された〈私〉へと転轍される。J.-P.サルトルは泥棒詩人ジャン・ジュネを論じた『聖ジュネ』という評論のなかで、ジュネの散文が偽装された詩であり、汚穢を描いて宝石のような詩となる秘技を「転車台」(tourniquet) と呼んだ。あらゆる文学の根底には、〈私〉の組み直しと相関的に現実を変容させるこの秘技がある。そのとき、歌に詠まれたサクラはもはや現実のサクラではない。

 「詩空間において再定義された〈私〉」という言い方に誤解があってはならない。これは現実の位相におけるさまざまな夾雑物を切り捨てた〈私〉であり、短歌定型に貫かれた〈私〉である。このような空間において〈私〉が再定義されると、果たして〈私〉が詠っているのか、それとも短歌定型が詠っているのか、もはや判然としなくなる。これこそが歌人が目指す境地だと思われる。私が読んで心惹かれるのもまた、このような詩空間から手渡される歌である。中津は三冊の歌集において、着実にまた目覚ましくこの詩空間に接近しつつあることを、身をもって示している。これこそ歌集を読む醍醐味に他ならない。