125:2005年10月 第2週 重信房子
または、獄中のグラジオラスは誰の心を照らすのか

独房の闇なき夜の壁際に
    光源のごとカサブランカ咲く

       重信房子『ジャスミンを銃口に』
 2000年11月8日に大阪で潜伏中に逮捕された日本赤軍リーダーの重信房子の歌集が出版された。重信は公判中の身で,現在小菅の東京拘置所に収監されている。東部鉄道伊勢崎線に乗って草加市方面に向かうと,荒川を越えた所に遠望できる東京拘置所は最近改築され,屋上にヘリポートまで備えたハイテク拘置所になった。その超近代的佇まいは荒川周辺の牧歌的風景にははなはだしく不調和だ。近くを通るたびにそう思う。

 この歌集に収録された短歌を作ったのは重信房子だが,この歌集を編んだのは本人ではない。重信の弁護を担当している大谷恭子弁護士である。重信は改築前の東京拘置所の独房にいた時に,房の前にあるサクラの木を歌に詠んで大谷弁護士に送って来たという。それが始まりとなり,その後作られた短歌の数は3,548首に及ぶ。『ジャスミンを銃口に』は大谷弁護士の選歌という作業と,編集者によるプロデュースという作業を通過して,幻冬舎から世に出ることとなった。この点には注意が必要である。

 重信は現在未決囚として収監されているのだから,歌集に収められているのは「獄中の歌」である。歌の内容は,(1) バレスチナ解放闘争で中東に闘った日々 (2) 未決囚として獄中に暮らす日々 (3) 学生時代・子供時代の思い出 に分かれる。それぞれ歌を引用してみよう。

 ぬばたまの闇かきよせる掌の中で火を隠し喫う戦場のタバコ

 撃ち尽くし挟撃されて戦士らがジェラシの土地を血に染めし夏

 すでにもう街には棺はなくなりて布一枚で地に還る友


 花蘇芳 雨に燃えたつ獄庭にユーアーマイデスティニー静かに聴きし

 鉄格子の模様の影を浴びながら光とあそぶ秋の晴天

 湯船から片手のばして格子越し秋の落葉の一片拾う


 御茶ノ水駅降りたてば水仙のかすかに匂う二月のバリケード

 くつひもを何度も結び躊躇した君のかすかな笑み忘れられず

 福助の足袋買いしわれ七歳の夜道を帰る母の日ありし

分量的には (1)と(2)が大部分を占めていて,(3)は巻末に母への挽歌とともにわずかに収録されているに留まる。この歌集は本人が編んだものではないため,この主題別の割合が重信が今までに作った短歌の割合を正確に反映しているのかはわからない。もし仮にそうだとしたら,重信の心を占めているのは解放闘争の日々と獄中の今の生活だということになるが,自分の行為が裁かれている公判中の身の上としては,それも当然のことだろう。

 中東での闘争の日々を詠んだ歌に表われるのは,おびただしい死者と花である。「死者と花」はこの歌集全編を通してのテーマだと言ってもよい。

 この街で暮らしていくと決めた朝きみと別れてジャカランタ仰ぐ

 銃口にジャスミンの花無雑作に挿して岩場を歩きゆく君

 君が骸この両腕にいだくまで時空を走るわが銀河鉄道

 拷問にて果てし骸を抱けもせず君のパジャマを弔いし夜

 相聞・挽歌・辞世の三つは短歌永遠のテーマである。重信の歌には辞世こそないものの,相聞と挽歌を大きな主題としていて,この意味では短歌の王道を歩いていると言ってよい。重信の家庭環境に短歌があったかどうかはわからないが,少なくとも短歌をどこかで習った節はない。にもかかわらず短歌の王道を歩いているのはなぜだろうか。重信が短歌という表現形式を選んだというよりは,短歌が重信を選んだのではないか。だとすれば最初から王道を歩いているのは当然なのである。ではなぜ短歌が重信を選んだと言えるのか。それは重信が独房という特殊で極限的環境に置かれたからである。目前に死を意識すると辞世の歌を作りたくなるのと同じである。短歌が自分を呼ぶのである。かくまでに,死を頂点とする極限状況と短歌とは深い所でつながっている。この暗い水面下の深い結託を抜きにしては,短歌の本質を理解することはできないと私は考えている

 極限状況の極北は死刑囚という身の上である。佐藤友之に『死刑囚のうた』(現代書館)という著書があるが,死刑の宣告を受けて短歌を作り始める人は多いと聞く。死刑囚でこそないが,カリフォルニアの刑務所で終身刑に服している郷隼人の『ロンサム・ハヤト』(幻冬舎)という獄中歌文集もある。死刑囚の歌で比較的記憶に新しいのは,1972年の連合赤軍浅間山荘事件で死刑判決を受けた坂口弘だろう。坂口については以前に一度書いたことがある。坂口は刑務所のなかで短歌を作り始め,朝日歌壇の常連投稿者となった。最初は短歌作りのイロハも知らず,見かねた刑務官が作歌の手ほどきしたという。この刑務官はアララギ派で短歌を作っていた人のようだ。私はこのエピソードを聞いたとき,日本における短歌の裾野の広がりを実感し,その根が広く深くにまで及んでいることに一種の感動を覚えた記憶がある。例えばアメリカの刑務所の刑務官で,時間のある時にポエムを作り,それを文学雑誌に投稿しているという人がいるとは考えにくい。

 リンチせし皆が自分を総括すレモンの滓を搾るがごとくに

 床下に縛りし彼女も死にゆきぬ重石に拉がれ吾声も出ず

 リンチ死を敗北死なりと偽りて堕ちゆくを知る全身に知る

 彼の人も処刑の前に聞きしならん通勤電車に地の鳴る音を

 そを見ればこころ鎮まる夜の星を見られずなりぬ転房ありて

 坂口のこのような歌を従来の短歌の基準で評価して,その作歌技術の未熟さを批判することには意味がない。これらの歌の持つ一種異様な迫力を感じることがまず肝要である。そして次に「なぜ短歌を?」という問いかけをしなくてはならない。なぜならば,小説なり俳句なり短歌なりの表現様式を現代において実践することは,「なぜその様式を選んだのか」という自覚的問いかけなしには成立しないからである。坂口は死刑囚として独房内で小説でも俳句でもなく,短歌という表現様式を選択した。「それはなぜか」という問こそが,今日「短歌とは何か」を考える上で重要なのである。

 岡部隆志は『言葉の重力』1(999年洋々社)所収の「短歌の地上性について」という文章のなかで,坂口の短歌を題材として歌の成立する根拠に深く降りてゆこうとしている。まず岡部は凄惨な同志リンチの場面などを含む過去の記憶に獄中の坂口が正面から向き合うことを可能にしたのは,短歌という定型の持つ作用のおかげであるという点に着目する。岡部はそこに定型の力を認めている。そして「なぜ短歌なのか」という点について岡部は次のように述べている。

 「文学作品は言語表現として純粋に自立しているなどという幻想が,例えば古典の作品を読むような場合でも,本当に純粋に自立した虚構の世界として読んでいるのかどうか自身に問うてみれば,いかに根拠のない幻想であるかすぐにわかるだろう。言語表現以前に沈み込んだ生成の事情への関心なしに,われわれは言語表現としての作品に向かえないのだ。
 さて,そうであるならば,何故坂口弘は短歌という表現様式を選んだのか。それは,短歌という言語表現の様式が,言語表現以前に沈み込んでしまう生成の事情を,言語表現と同等の重さでよく伝える詩形であるからだろう。」
 つまり短歌を読むときに私たちは,文学の世界に属する言語表現としてその意味を味わうだけでなく,誰がどんな状況でどんな思いから短歌を作ったのかということもまた,「同時に」読んでしまうということだ。岡部が注意深く「言語表現以前に沈み込んでしまう生成の事情」と呼んでいるものを,ここではあえて作者の「境涯」と呼ぶことにしよう。

 短歌において境涯が最も際立つのは言うまでもなく辞世である。

 かねてより君は母とに知らせんと 人より急ぐ死出の山路  原惣右衛門

 百にても同じ浮世に同じ花 月はまんまる雪はしろたへ  油煙斎貞柳

 原惣右衛門は赤穂藩足軽頭で,討ち入りに参加して56歳で切腹した人。油煙斎貞柳は大阪の狂歌師で81歳で病没した人。これらの歌が辞世であることを知って読むのと知らずに読むのとでは受け止め方がまったくちがう。同じように「失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ」という中城ふみ子の歌も,中城が乳ガンで早世したという境涯と切り離して読むことはできない。

 岡部は先に引用した文章のなかで,短歌における「言葉の重力」が生じる秘密を次のように分析している。岡部によれば短歌の機能は「ローポジションとハイテンション」だという。「ローポジション」とは私たちがこの地上に縛り付けられているという事情をさす。「ハイテンション」とはそのような事情故に生まれる感情の迸りや抒情をいう。そして「ローポジションとハイテンション」機能を発揮するには俳句の17文字は少なすぎ,短歌の31文字が必要なのである。

 さてここからは岡部の発想を元にした私の勝手な空論なのだが,地上に縛り付けられているという「ローポジション」の最たるものは獄中だろう。囚人は文字通り狭い房に「縛り付けられている」からである。坂口の短歌を読んで感じる異様な迫力は,この究極の「ローポジション」に由来する。

 目覚むれば胸底までもひびき入る蛇口のしずくは乱れもなしに

 死刑囚はいつ処刑されるかわからない。そのような境涯がこのように厳しく自己を見つめる透徹した心境を生む。

 では重信の短歌はどうだろうか。同じく獄中にあっても坂口が死刑囚として自分の行ないに対して贖罪と鎮魂の祈りとも言うべき歌を詠んでいるのにたいして,重信は過去の闘争を正当なものと主張して公判中であり,この境涯のちがいが歌の差となっている。重信は獄中にあるという場所的意味では「ローポジション」にいるが,心理的にはいまだ解放闘争を続行中だと認識しているため「ハイポジション」にいる。だから「ローポジション」から「ハイテンション」を虚空に投げ上げるという短歌的抒情の構図にはなっておらず,「ハイポジション」から「ハイテンション」を詠うのである。このような視座から生まれる歌は,自らの過去の行為の正当化であり,パレスチナ解放運動へのエールでしかありえない。解放闘争で銃弾に斃れた同志を詠む歌は,言葉の本当の意味での挽歌になっていない。死はあくまで英雄としての死と把握され描かれているからである。重信がみずからを「ハイポジション」ではなく「ローポジション」に置いたとき初めて、人の心に響く歌が生まれるにちがいない。

 31文字という極小の詩形において,作者の自己認識がかくまで鮮やかに暴かれるというのは考えてみれば不思議なことである。そこに短歌が今日まで命脈を保って来た秘密の一端があるのだろう。