127:2005年10月 第4週 永井陽子
または、世界への回路を遮断したウサギの歌

ひまはりのアンダルシアはとほけれど
   とほけれどアンダルシアのひまはり

       永井陽子『モーツアルトの電話帳』
 永井陽子の短歌を語るとき,その「音楽性」に言及する人は多い。事実,永井自身が短歌という文学形式を「ふしぎな楽器」と見なしており,31文字の韻律が醸し出す階調を意識的に追い求めている。掲出歌は「ひまはり」「アンダルシア」「とほけれど」の三つの語句のみからできていて,その順列組み合わせにより一首をなしているのだが,伝達すべき意味はほとんどない。三つの語句が綾なすリフレインがたゆたうような心地よさを生み出し,赤土のアンダルシアの大地と一面に咲くひまわりの黄色が一瞬だけ遠景に心象として揺曳するが,やがてリフレインの波に消えてしまう。そのように読まれなくてはならない。

 岡井隆は『小さなヴァイオリンが欲しくて』の栞に寄せた文章のなかで,永井の歌は解説しようとすると解釈がぐらぐら揺れるところがあり,えたいの知れない不透明感がある,と指摘し,「ただ歌の中を流れる音楽のやうなものに耳を傾けるだけでいいのかも知れない」と結んでいる。のちの世に愛誦歌として残るにちがいない数々の名作を世に送った永井の短歌の音楽性は誰しも認めるとして,どうして岡井の言う「えたいの知れない不透明感」が残るのだろうか。一考を要する問題である。

 『永井陽子全歌集』が今年 (2005年) 二月に青弦社から刊行された。三月書房にも三条河原町のBook 1stにも置かれていたその本を見て,買おうかどうしようか迷った挙げ句,結局買わなかったので,私が所有している永井の歌集は,『モーツアルトの電話帳』と遺稿集『小さなヴァイオリンが欲しくて』の二冊のみである。

 『モーツアルトの電話帳』は1993年に河出書房新社の「〔同時代〕の女性歌集」叢書の一冊として刊行された。この叢書からは井辻朱美『コリオリの風』,早坂類『風の吹く日にベランダにいる』,俵万智『かぜのてのひら』,干場しおり『天使がきらり』などが刊行されている。河出のような大手の書店から単行本で歌集が陸続と出版されるなど,今日では考えられないことだ。87年のサラダ現象が誘因となった短歌バブルであることは言うまでもない。

 『モーツアルトの電話帳』は各章が「あ行」「か行」のように五十音別に配列されており,収録された歌の最初がその行の音から始まるという凝った作りになっている。言葉遊び的短歌は永井の得意とするところであり,今では人口に膾炙した次のような歌がある。

 べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊

 半夏生 わたくしは今日頭上より雨かんむりをしづかにはづす

 丈たかき斥候(ものみ)のやうな貌(かほ)をして f (フォルテ)が杉に凭れてゐるぞ

 一首目は古語の助動詞「べし」の活用形が折り込まれており,二首目では漢字の部首が形象化されていて,三首目では音楽記号が用いられており記号短歌の走りである。永井は新しさを感じさせるこのような短歌の旗手として登場した。

 言葉遊び的要素は,80年代後半から90年代の最初にかけてのバブル経済の日本を覆ったヘンに明るい空気と実によく調和した。糸井重里の「おいしい生活」という西部百貨店のコピーがこの時代を象徴している。当時出版された歌集にはこの空気が漲っている。

 ぼくのサン・グラスの上で樹や雲が動いているって うん,いい夏だ
                  加藤治郎『サニー・サイド・アップ』(1987年)

 サンダルはぜったいに白 君のあと追いつつ夏の光になれり
                  干場しおり『そんな感じ』 (1989年)

 こんなにも風があかるくあるために調子つぱづれのぼくのくちぶえ
                  山崎郁子『麒麟の休日』 (1990年)

 このような時代に出版された『モーツアルトの電話帳』には,次のような歌が並んでいる。

 海のむかうにさくらは咲くや春の夜のフィガロよフィガロさびしいフィガロ

 「あらず,これには別に故あり」鴎外のゆゆしき言葉聞く秋の夜

 いづこへと男らは座を移せしや 瓶子の酒も冷えてゆくなり

 からーんと晴れた空にひばりのこゑもせずねむたさうな遮断機

 いつの日か告げたきはただ銀箔のやうなこころよゆふなみ千鳥

 長き首抱きたかりしを白鳥が去りたるのちの空のうすべに

 この歌集に収録された歌には,木管五重奏・フィガロの結婚・チェロなど音楽に関係するものや,鴎外・龍之介・モーツアルトなどの過去の人間は頻繁に登場するのだが,現実の生身の人間は一切出て来ない。そしてどうやらこれは『モーツアルトの電話帳』に限らず,永井の短歌全般について言えることのようだ。永井にとって短歌は「ふしぎな楽器」であり,その楽器をいかに美しい音色で響かせるかが肝心なのである。この楽器は日々を生活する生身の人間の喜怒哀楽を鳴らすものではない。歌として整っており,言葉が醸し出す美には圧倒的なものがあるが,直接に世界へと通じる回路が断たれている。歌の言葉の背後に言葉が送り返す現実を読み取ろうとすると,鏡のように跳ね返されてしまう。これがおそらく岡井の言う「えたいの知れない不透明感」の正体であろう。試みに岡井の『現代百人一首』〔朝日新聞社〕で永井の2ページ先に収録されている「われに棲み激(たぎ)つ危うきもののためひとりの夜の鎮花祭(はなしずめまつり)」という武川忠一の歌と比較してみれば,永井における世界への回路の不在は明らかである。

 『小さなヴァイオリンが欲しくて』の栞に,永井にとって「言葉だけが信ずるに値するものだった。言葉だけの世界が安心できる世界だった」と小池光が書いている。「小さなウサギ」だった永井にとって,生身の現実は畏怖の対象だったのだろうか。しかし,同じ栞で松平盟子は,永井が「噛みつきウサギ」と呼ばれていたというエピソードを明かしている。作品批評会などで納得のいかない意見などを聞くと必ず反論するところから,そのように呼ばれていたらしい。意外な一面であり,これを聞くと必ずしも永井が現実との衝突に消極的だったとも思えない。

 永井の歌は確かに音楽に溢れており,美しい言葉の世界を描くキャンバスである。しかし人は疲弊し現実は言葉を浸食する。この事実からは誰も逃れることができない。遺稿集となった『小さなヴァイオリンが欲しくて』を読むと,この事実を改めて思い知らされるようで心が痛む。

 へんくつなうさぎが来るぞほよほよと昔の風の吹く交差点

 やはらかなこころうしなひたるのちのうさぎの耳は腐れゆくなり

 閉ざされておのがこころのあづき色くつくつと煮る冬のいちにち

 くたびれたたましひたちのつばさにも似たるくつした星空に干す

 この野郎こころの内でさう思ひ恥ぢてすぐのちまた言ふ阿呆

 一首目と二首目のウサギは永井の自画像である。『モーツアルトの電話帳』では,「少女はたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり」とメルヘン風に詠まれていたウサギは,耳の千切れたウサギになってしまった。三首目のような自閉感や四首目のような疲労感がますます色濃くなり,五首目のように職場の不満を詠う歌も目につくようになる。年譜によればこの時期に,不本意な職場の異動があり母親を亡くし病を得るという不幸な出来事が重なったようだ。このためか死への想いを詠んだ歌が多くなる。

 責了としたき日常くさぐさのおもひを納めがらくたも捨て

 もうながく病垂れなる内に棲むこころとおもひ人に告げざる

 錠剤を掌にかぞふれば兆しくる死の芯のやうなものあたたかし

 さびしさはみづかねいろの雲となりながれてゆきぬこの世のほかへ

 ささやかに生きたあかしの歌一首弥生の街に残さむとする

死への想いに捕われた永井は,最終的には次のような境地に立ち至ったようである。

 水のやうになることそしてみづからでありながらみづからを消すこと

 たましひのすみかといふはからーんと青く大きな瓶(かめ) さう思ふ

 これは魂の器としての生身の人間を極力消去してゆく方向性を示している。どことなく仏教的な無の匂いがするが,若い頃から日本の古典文学に傾倒していた永井だから,それも不思議ではないのだろう。「純化の果てにこの世から消滅する」というのは,結局のところ現実との衝突の回避以外のものではないのだが,『小さなヴァイオリンが欲しくて』の歌から読みとれる現実との軋轢やなかんずく心を蝕む病の果てにそのような境地に至ったというのは,余りに痛ましいとしか言いようがない。

 残念なことに『小さなヴァイオリンが欲しくて』を読んでいて,日頃好きな歌に付ける付箋はあまり多数は付かなかった。やはり永井はそれまでの音楽性と不思議な不透明感のある,生身の人間臭を消した歌によって記憶されるにちがいない。