142:2006年2月 第2週 桑原正紀
または、光と闇の陰影深く生を詠う歌

いま我は生(よ)のどのあたり とある日の
     日暮里に見し脚のなき虹

         桑原正紀『月下の譜』
 まぎれもない中年の男の歌である。中年男でなければ「いま我は生のどのあたり」などとつぶやいたりしない。青年はみずからの若さを信じて疑わない。初老の年齢にさしかかった人は、あとは人生の坂を下るだけと知っている。その中間に挟まれた中年は中途半端な期間であり、ふと行き惑うということが起きる。あとがきによれば、この歌集は作者の43歳から47歳までの歌を収録しており、実年齢の実感に基づいた歌であることがわかる。

 上二句が作者の想いで残り三句が叙景になっている。一字空けは二句切れを明示するための工夫だろう。この場合、下三句が上二句の「短歌的喩」(像的喩)として働き、意味を支える内的構造を持つ。では喩の中心となる「脚のなき虹」が暗示するものは何だろうか。作者には虹を詠んだ歌が他にもある。

 ははそはの母をはふりし野辺のはてあぢさゐ色の冬の虹たつ 『火の陰翳』

 梅雨のまの空にかかれる淡き虹、周平の佳き短篇のごと   『月下の譜』

 時雨すぎしなぎの木の上ひとはけの残虹ありぬ人を愛さむ

 一首目は作者30歳のときに享年69歳で亡くなった母親の弔いを詠んだ歌である。冬の虹は淡く、それは身罷ったばかりの母親の生を象徴するように見える。二首目は虹が作者の傾倒する藤沢周平の短篇になぞらえられている。三首目では虹が「人を愛さむ」というつぶやきを導き出す契機として表現されている。これを見ると虹は生の表象として比定されていることがわかる。

 掲出歌の虹には脚がなく途中で途切れている。その不安定な状態は、中年という半端な人生の時期とよく呼応しており、また序詞的に虹にかかる「とある日の日暮里に見し」という修飾句のなかの日暮里という地名の呼び出す意味作用もまた中年にふさわしい。これが六本木とか銀座のような華やかな流行の中心地では話がちがってくる。ちなみに掲出歌は、季刊現代短歌『雁』56号「わたしの代表歌2」で桑原自身が代表歌としてあげており、『現代短歌事典』(三省堂)の桑原の項目を執筆した影山一男もこれを代表歌としているが、そのことはあとで気づいたことである。

 桑原は1948年(昭和23年)生まれの団塊の世代である。國學院大學在学中に影山一男の知遇を得て、その縁で奥村晃作・高野公彦と知り合い、コスモス短歌会に入会している。第一歌集『火の陰翳』はコスモス新鋭歌人シリーズの一巻として1986年に出版されている。歌集に『白露光』(1992年)、『月下の譜』(1996年)、『時のほとり』( 2002年)があり、季刊現代短歌『雁』55号が桑原の小特集を組んでいる。『雁』の特集に文章を寄せた木畑紀子は桑原の短歌に見られる「光と闇」を、吉川宏志は「鋭い観察眼」を、中川佐和子は「都市生活者」としての側面をそれぞれ取り上げている。また全員に共通する認識として、桑原の短歌における師宮柊二の強い影響を指摘している。

 第一歌集『火の陰翳』は題名の示すように、光と闇の交錯する世界を描いて強い印象を残す。

 幾つもの掌(て)のごとき葉に見え隠れ無花果は赫き肉ひらきおり

 闇の中より砂利を踏みつつ現はれて線路工夫らまた闇に消ゆ

 暗き路地抜け出でしとき目を襲ひ驟雨のごとし花舗の裸灯は

 蝋燭の炎(ほ)ととのひの時折を乱れてふかき闇を揺らしぬ

 たっぷりと血や臓物や悪心をしまひてくらし人間の胴

 光と闇の交錯はカラヴァッジオのようなバロック絵画を連想させるが、バロックは本来「動とよじれ」を身上としており、桑原の「静と沈潜」の世界とはかなり異なる。私が連想したのは高島野十郎の絵の世界である。高島は好んでローソクの絵を描いた孤高清貧の画家で、ほとんど世に知られていない。私は久世光彦の『怖い絵』という本で高島の名を知った。キャンバスの中央に燃える一本のローソクだけを描いた絵には不思議な味わいがあり、生涯にわたってローソクや烏瓜の絵ばかり描いていたという偏執性も預かって、忘れることのできない絵のひとつである。上に挙げた桑原のローソクの歌は、木畑紀子も指摘するように、宮柊二の「一本の蝋燃やしつつ妻も吾も暗き泉を聴くごとくゐる」という歌と遠く呼応する歌であろう。しかし当時みずからを「鬱の器」と規定していた桑原にとって、ローソクの淡い光とその周囲の圧倒的な闇は、孤に鬱屈した心象を仮託するにふさわしい歌題と映っていたにちがいない。

 私は桑原の歌集を全部読んだわけではなく、『月下の譜』のみを通読し、その他の歌集はアンソロジーを読んだに過ぎないのだが、『火の陰翳』のような闇と孤独に身を浸すような詠風は徐々に変化を見せたようだ。木畑紀子は、第一歌集に身辺に題材を採ったものが多いのがふつうだが、桑原は逆で歌集を重ねるにつれて素材が身近になると指摘している。確かに『月下の譜』には次のような身近な題材をもとにした歌もある。

 歓迎のレイつぎつぎと取り出だす箱に記せりカリフォルニア産と (ハワイ旅行)

 何の霊か棲める気配にひそひそと雨ふりしづむ東京地裁  (勤務校の訴訟)

 一戦を交じへしのみに達川は西部の打者の癖見抜きしと  (広島カープの野球試合)

 千万の仮想譜思へば一局の棋譜さんらんと星座のごとし  (将棋の対局)

 出くわせる牛におどろき跳びのきし大松達知都会つ子なり (中国旅行)

 吉川も「闇のなかに光が差してきたようだ」と桑原の詠風の変化に言及している。しかしながらこの変化は、光量の増加とか身辺に素材を求めるようになったというような表層的な変化ではあるまい。桑原は一種の「覚悟」のような境地に到達し、そこから反転して「軽み」を体得したように思える。それと同時に小さな命の証を愛しむ眼差しが強く感じられる。 

 いのちとは漏刻ならむ最終のひとつしづくをかなしみおもふ

 反転のきかぬ砂時計身にもてばさらさらに愛しその金の砂

 春雨にけぶる公園を濡れて行く一匹の犬 生の典型として

 頬ちかく吐かれし息のほのけきをよみがへらせてほうたる火(とも)る

 うすら氷に鎖されし湖(うみ)のあをき水そのしづけきにこもる少年

 一首目、人の命を水時計に譬え、その最後のひと雫に思いを馳せている。二首目もよく似た歌で、体内に持つ砂時計は命の比喩にほかならない。「その金の砂」という結句に愛しさが感じられるとともに、遠い師脈の北原白秋を思わせる。三首目は口語脈の強い歌で、技巧的な桑原にしては素直に詠んだ歌に見えるが、野良犬を生の典型として把握するところに桑原の到達した境地が垣間見える。四首目は「ホ」音の連続が歌全体にかすかな息のような印象を与えている。ホタルもまた命の表象であることは言うまでもない。五首目では「うすら氷に鎖されし湖のあをき水」までが序詞として美しいイメージを醸成している。

 桑原の歌の作りの巧みさは第一歌集『火の陰翳』から際立っているが、翌年1987年のサラダ現象を機にライトヴァースが流行し、また加藤治郎らのニューウェーブ短歌が注目を集めたこともあり、ややその陰に隠れた感は否めない。しかし『月下の譜』収録の次のような歌を見ると歌の作りの手堅さは明らかである。

 手囲ひにライターを擦る男ゐて頭上おほいなる夏の雲湧く

 黒髪をすべり逃れしヘアピンが電車の床に灯をかへしをり

 雨かぜに晒さるるなきコンコースを行く人らみな濡れし傘もつ

 一首目、手囲いの中の暗さと空の雲の明るさが鮮やかに対比され、またライターを擦る男には物語性が強く感じられる。二首目の床に落ちたヘアピンの輝きや、三首目の乾いたコンコースを行く人が濡れた傘を持つというおかしさをすくい上げる目には、鋭い観察力を見ないわけにはいかない。

 最後に特に印象に残った歌を三首あげておこう。

 ただよひてゐたる未生の言葉らも今はしづけく白水に帰す 『白露光』

 はつかなるえにしのありてこの猫と朝の閻浮の水わかち飲む

 摘みきたる桔梗いちりん手向くれば墓碑のおもてのかすか明るむ 『時のほとり』