143:2006年2月 第3週 松村由利子
または、残酷と母性の鳥女は私

くりかえし繰り返す朝わたくしの
    死後も誰かが電車に駆け込む

          松村由利子『鳥女』
 たまに東京に行き電車に乗ると、強い違和感を抱くことがある。混み合った電車で人々は視線を合わすことを避け、徹底的に他人に無関心である。混んだ車内で隣の人と肘を付き合わせる距離に立ちながら、徹底的な〈孤〉の群として地下の闇のチューブを運ばれてゆく様は、都市東京の日常でありながら異常な光景である。私はどうしてもこれに馴れることができない。掲出歌も通勤電車のひとコマを詠んだ歌であり、勤め人ならば誰でも一度は抱いたことのある感想だろう。〈私〉はメガロポリス東京の1200万住民の一人であり、いつでも代替のきく社会の歯車にすぎず、〈私〉の死後も何事もなかったかのように日常が続いてゆく。これは震えが来るほどの真実である。「くりかえし繰り返す朝」というリフレインが、アイコン的に日常の無限反復を表象している。

 松村由利子は1994年に短歌研究新人賞を受賞し、1998年に第一歌集『薄荷色の朝』を上梓して注目された。『鳥女』は2005年刊行の第二歌集である。松村は毎日新聞社の記者を経て現在は同社の管理職に就いているキャリアウーマンである。インターネットで検索すると、短歌よりも新聞の署名記事関連のヒットが多いくらいだから、その道では名を知られたジャーナリストなのだろう。『鳥女』には「働く女性」としての夢と希望と蹉跌の全部が盛り込まれている。そういう意味で極めて個人的な歌集と言える。

 誰もみな背骨を立てていることのかなしくもあるミルクスタンド

 気がつけばミントキャンディがりがりと噛み砕きおり会議の後に

 何千足の履き潰されしパンプスの山越え女は役職に就く

 予定稿のろのろと書く画面には国内初の臨界事故死

 反戦の行為ならねど料理記事書く同僚のやや羨しかり

 これらの歌は広義には職業詠ということになるだろう。佐佐木幸綱がどこかの対談で、昔は短歌の担い手として工場労働者や農業労働者の層が存在したが、今では状況が変わってしまい、そういう場からの出詠が少なくなったという趣旨の発言をしていた。例えば昭和22年の『人民短歌』には次のような歌がある。

 乾燥炉のかな錆匂ふ炉蓋とり今日の作業をはじめんとする  林麟道

 木枯しのふき荒ぶ夜の汽車の旅安けくあれと車軸取換ふ  滝田晃聖

 粉末炭吹込風車のかそかなる唸りを聞きつつ汗を拭きたり  中津賢吉

 産業構造と社会の変化に伴いこのような汗の匂うような歌は少なくなった。高度成長と第三次産業へのシフトの結果、労働者のホワイトカラー化が進行したためである。しかし見かけは変わっても仕事の現場で人が感じることにはそれほどちがいはないのかもしれない。村松の仕事場は、事件の一報を合図に殺気立ち怒号が飛び交うような場所であり、またサラリーマンに付き物の人事異動や出世競争がある会社のひとつでもある。サラリーマン短歌と言えば長尾幹也が有名だが、村松や長尾の短歌はある意味で上に引用したような労働歌の直系の子孫だとも言えるのである。

 作者には子供がいるが家庭はない。自分のそのような状況と子供を詠んだ歌もたくさん収録されている。

 月一度新幹線に飛び乗りて子に会いにゆくレプリカの母

 母はこんないびつな鳥を作りたり粘土も人も手に負えぬまま

 カルピスのギフトセットが届く夏そんな家族もつくりたかったが

 ガラス越しに手を振り合える母と子のいよいよ遠き水泳教室

 自分を「レプリカの母」と感じてしまう気後れ、粘土細工で鳥を作るのがうまく行かないように人との関係を築くことができなかったという後悔、子供の成長とともに母子の距離がだんだん遠くなるという淋しさなどが詠われている。上に引いた職場詠にも言えることだが、作者の眼目は自分の置かれた状況を短歌という器で表現することにあるので、それほど修辞的技巧は凝らされてはいない。

 憧れの部分は主として恐竜の闊歩していた古生代に向かっている。

 ミルク色の霧たちこめる朝まだき羊歯も私も白亜紀を恋う

 今よりも世界美しかりし頃クジラの祖先陸を歩みき

 私たちどうして海を出たのだろう失くした鰭をプールで恋うも

 不思議なことだが、女性には水との親和性と並んで古生代へと想像力で直結する傾向があるようだ。男性歌人にはあまりそのようなことがない。

 女性の視点から男性を眺める次のような歌もある。

 キッチンに光あふるるこの朝もどこかで女が殴られている

 鶴となり狐となりて女らはついに子を捨てて旅立ちにけり

 男らは言葉少なに飲み食いし新幹線は獣舎のごとし

 したり顔にイラクを語るこの人も雌雄異体の種の一つなる

 作者はいわゆるフェミニスム論者ではないが、男性をこのように批判的視点から見る歌は個人的体験と並んでジャーナリストとしての経験から出たものでもあるのだろう。

 作者がリアリズムから離れて飛翔するのは歌集題名にもなった「鳥女」の連作においてである。

 わたしくの顔を見つけて立ち止まる幻視の画家の「鳥女」像

 鳥女きろりとまなこ光らせてまだまだ飛べぬふりせよと言う

 わが胸に長く羽ばたかざる鳥の黒き羽毛の抜けやまぬ夜

 くらぐらと口を開けたる沼の辺に鳥女赤き目をして立てり

 「幻視の画家」とは小山田二郎のことで、歌集のあとがきに小山田の「鳥女」を見たとき、これは私だと思ったとある。小山田の絵について論じられる「臆病さと残酷性」「寛容さと嫉妬深さ」を自らのことと感じたという。

 小山田二郎 (1914-1991)はシュルレアリズムに傾倒し幻想的な絵を残した画家で、晩年は世間との関わりを断った孤独のなかで過ごしていたため世に知られることが少ない。私はずっと前に小山田の「ピエタ」という絵をポスターで見て衝撃を受け、それ以来気にしていた画家なのだ。2005年に東京ステーションギャラリーで開かれた待望の回顧展は見に行くことができなかったが、その折りのカタログは手許にある。村松は小山田の「群舞」という絵を歌集表紙に使っているくらいだから、相当小山田に傾倒しているのだろう。

 小山田はフリーダ・カーロと同じように「痛い」画家である。心に鋭い痛みを感じることなくその絵を見ることができない。孤独と煩悶とが強烈な色彩を伴う幻視として形象化されてキャンバスに噴出している。鳥女像に自己を仮託して詠われた上の引用歌は、それまでのリアリズム基調の職業詠とはまったく異なる地平から撃ち出された歌に見える。その地平とは誰も立ち入ることのできないほの暗い内面である。職場での仕事や同僚や上司・部下らとの相関において把握された〈私〉を〈関係的私〉と呼ぶならば、鳥女像に村松が見た〈私〉は〈絶対的私〉である。〈関係的私〉は職場の異動や身分の変化によって動くが、〈絶対的私〉はそのような外的状況によって動かないものである。村松はこの〈絶対的私〉の発見によって歌の新たな根拠を見いだしたのではないか。「動くもの」ではなく「動かないもの」を詠むことで、村松の歌に新たな展開がもたらされるのではないか。そのように思えるのである。