148:2006年3月 第3週 山田消児
または、「僕たち」の位相

ざわめきは遠く聞きつつ街を出る
  内耳にふかき海を湛えて

       山田消児『アンドロイドK』
 古典和歌の時代と異なり、明治以来の近代短歌の根底には一人称としての〈私〉があるというのが共通の理解である。たとえ一首のなかに「我」という文字が含まれていなくても、短歌一首は〈私〉による観察、または〈私〉の表出として読むというのが共有された読みのコードとして定着している。岡井隆は、「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の ― そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです」というよく知られた定義を下した。近代短歌の自然主義的〈私〉観に対抗する形で、寺山修司の〈私〉の拡散、前衛短歌の虚構の〈私〉などが提唱されたが、これらも短歌に顕われた〈私〉と、実生活における、もしくは作者としての〈私〉との距離と異同が問題にされたのであり、その位相はさまざまでありながら、ただ一人の〈私〉を想定する点においては変わりないのである。つまり一首の背後に想定する〈私〉は一人であり、それが原則ということになる。

 一首のなかに複数の〈私〉が存在する場合があるだろうか。すぐ頭に浮かぶのは直接話法による引用である。

 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 俵万智

 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」 穂村弘

 この場合には一首のなかで対話が成立しているか、他の場における対話を再現しているのだから、発話者としての〈私〉が複数存在することに何の不思議もない。発話者の交代により時系列的に〈私〉が複数現われているのであり、〈私〉が同時的に複数存在しているわけではない。

 山田消児の『アンドロイドK』(深夜叢書社)を読んでいて、集中に「僕たち」「僕ら」という一人称複数形が使われている歌がいくつか含まれていることに気づいた。このことについて少し考えてみたい。

 「僕」「私」「吾」は一人称単数形の人称詞である。「僕たち」「私たち」などは一人称複数形とされているが、実はそんなものは存在しないということに注意すべきである。「一人称複数形」というのは文法の便宜的呼称にすぎない。「一人称」とは発話主体の言語的記号である。発話主体はその定義上、常に単数でしかありえない。例外的に複数化するのは、シュプレヒコールで大勢の人間が「われわれは勝利するぞ」などと同時に唱和する場合に限られる(このとき本当に発話主体が複数化するかという点については疑問があるがここでは触れない)。二人称や三人称の複数は現実に存在する。私が「あなたがた」と言うとき、私は複数の(潜在的)共発話者に向かって話しているのだから、二人称複数は現実のものである。三人称複数についても同じである。一人称のみが常に単数であり、一人称と他の人称とのこの非対称性はもっと注目されてしかるべきだろう。一人称は常に〈孤〉なのである。

 では、一人称がその内奥に保有するこの〈孤〉性ゆえに、私の発話は常に孤的性格に彩られているのだろうか。そうではない。私が発話主体として振る舞うとき、一人称の〈孤〉性を対話の共同性へと放出するがゆえに、私の発話は孤的性格を免れるのである。私が発話するとき、その発話は他者へと向けられている。私の発話は共発話者によって回収され、隣接する次のフェーズでは共発話者が「私」を名乗って私に発話を返す。言語はこのように発話者と共発話者との相互性の内にのみ顕現する何物かである。発話者と共発話者とが、同時発話・ユニゾン・構文の継承などのさまざまな手段を駆使して、複雑な織物のように会話を織り上げてゆく様は、近年の会話分析によってその詳細が明らかにされている。

 では短歌に現われる「僕たち」「僕ら」という「一人称複数形」は何の記号なのだろうか。結論から先に言うと、それは何らかの基準に基づいて画定された社会的「小集団」の記号である。

 四年前、原っぱだったねとうなずきあう 僕らに特に思いはなくて  早坂類

 歌に即した状況的解釈においては、この歌の「僕ら」は、新しく建物が建ち自分たちが遊んでいた原っぱを失った子供の小集団を指すが、もう少し解釈のレベルを上げると、それは土着的ルーツを喪失し浮遊する都市生活者という社会階層をも指すだろう。早坂は屹立する孤的〈私〉を詠うよりも、「僕ら」という代名詞を梃子として、「小集団」に漠然と共有された都市的気分のなかに自己を溶解させる手法を好んで使うのである。このとき早坂は好むと好まざるとにかかわらず、小集団の「代弁者」となる。「僕ら」は代弁者の言語的記号なのである。

 『アンドロイドK』所収の山田の歌を見てみよう。

 いまはただ見てるだけ 皆と一緒に生きられなかった僕たちだから

 潔い手つきにいつも手を引いて僕たちは誰も裏切らなかった

 信ずれば救わるる神の御言葉を聴くとき僕ら瞼をふさぎ

 さしのべるために右手を較べ合うたぶん僕たちはさしのべるから

 まだ終わりそうもないから僕らは撃つ壁にかならず追いつめてから

 山田もまた「僕たち」という人称詞によって代弁者たらんとしているのだが、それはどのような社会的小集団の代弁者なのか。上に引用した歌だけからはすぐにはわからない。山田の他の歌では比較的明確な歌の背景も、「僕ら」が登場する歌群では故意にかと疑われるほど輪郭がぼかしてある。次のような歌を見てみよう。

 子供だから嘘は吐(つ)けない破裂した風船ガムが口を塞いで

 対人恐怖症のこの子は追いつめて楽しむテレビゲームが好き

 やさしいね どうせきみより先に死ぬ蝶をお空に放したりして

 始めからなかった 世界拒みたる少女の瞳に映らぬものは

 少女のまま眠れる薄き胸の扉開いてみれば コワレカケテル

 人間のかたちを真似て僕はいた 紅うすき日暮れに生まれ

 口を塞がれて話せない子供、対人恐怖症の子供、世界を拒む少女、壊れかけている少女などが登場人物であり、その傾向は明白だろう。この流れは、巻末に収録され歌集の表題ともなっている「アンドロイドK」と題された連作へと収斂する。

 弱ケレバ誰デモヨカッタ 強くない僕がはじめてささえるために

 はじめてだったからいくたびもいくたびも生き返らないように殺した

 バモイドオキ 僕だけのための神だから僕だけのために僕が名づけた

 ねじ一本自ら抜けば心持たぬアンドロイドのように壊れた

  「バモイドオキ」から明かなように、1997年(平成9年)に起きた酒鬼薔薇聖斗と名乗る犯人による神戸小学生殺人事件が題材となっている。山田が「僕たち」という人称詞によって代弁者になろうとしているのは、自己の不全感と世界との不調和から心の闇を抱え、社会的逸脱を犯した青少年なのである。彼ら、彼女らは、アンドロイドのように描かれている。酒鬼薔薇聖斗はのちに「少年A」と呼ばれたが、表題の「アンドロイドK」のKはおそらく神戸の頭文字のKだろう。

 ここで「僕たち」の位相をもう一度考察してみると、作者である山田自身は「僕たち」が指示する社会的小集団に所属しているわけではない。だからこの「僕たち」は偽装であり、山田はそれが指示する小集団に成り代って詠っているのである。では山田の〈私〉はどこにあるのか。それは「心を病んだ青少年」=「僕たち」という偽装を組み立てた主体として、歌の表面にもその背後にも見えない形で存在するしかない。それは理論的にその存在を要請されるにすぎない〈私〉であり、歌の背後の極めて抽象的な審級に占位するのである。

 寺山修司が短歌に大胆に虚構を導入して私性の拡張を図ったとき、リアリズム陣営からは非難の大合唱が起きたが、虚構された〈私〉は現実の寺山の内部にあった欲求や抑圧を投影したものであり、その意味においては寺山の〈ほんとうの私〉と無縁なものではなかったと言える。少なくとも虚構された〈私〉は現実の〈私〉と同位の階層に属している。しかし山田が試みた偽装の「僕たち」は、一首を屹立させる〈私〉の代替物として短歌の核に成りうるものだろうか。仮構された「僕たち」の内面性は〈私〉の切実さとして引き受けられるものだろうか。そこにはどうしても限界があると考えざるをえない。それはまた読者の立場からするならば、短歌的言語空間に展開された言葉の河を遡り、韻律の波に揺られて喩の橋を渡り、最終的にどのような源に到達したときに、一首の意味の輪が閉じられたと判定するかという受容の問題でもあるのだ。