154:2006年5月 第3週 笹原玉子
または、意味が外部へ溶解してゆく物語性

十指とふこの十全なかたちのゆゑに      
     かなしみのくる秋の食卓
        笹原玉子『われらみな神話の住人』

 世に難解な短歌というものがあるが、それとは別に不思議な短歌というものもまた存在する。笹原の短歌はその代表格であり、師の塚本邦雄は「良質の不可解」と断じたという。どれほど不思議かは実際に笹原の歌を見てみればわかる。

 色鉛筆が折れてばかりゐる春がくる いつそあつまれやはらかきもの 『南風紀行』

 鶴の骸は折鶴を折るやうに 思ひ出はハンカチを畳むやうに

 乙女達が花冠を編みをはるころ丘は陸よりしづかにはなれる

 ひと夏の蝶の骨もてつくらるる首飾りして最後の恋を

 雪が舞ふ よこたはりゐる父の手に識れるかぎりの蝶の名を書く

第一歌集『南風紀行』(1991年)から引用した。写実からはほど遠く、かといって心象風景でもなく、一首全体が夢想の断片か物語の一片のごとき観を呈している。近代短歌の方程式である叙景と叙情の対位法、もしくは永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」の構造はこれらの歌には皆無であり、読者は一首の中のどこを繋留点として全体の意味を構築するべきか判断できず、いわく言い難い宙吊り感覚に捕われる。そう感じたとき読者はすでに笹原の言葉の魔術の術中に墜ちているのであり、解釈過程における宙吊り感覚が生み出す意味の空白に、ポエジーがするりと滑り込むという仕掛けなのである。

この仕掛けを実感するために、写実派の吉川宏志の歌と比較してみよう。

 うすあかきゆうぞらのなか引き算を繰り返しつつ消えてゆく鳥  『海雨』

吉川の歌に夢幻的要素は皆無である。夕暮れ時、電線に留まっている鳥が一羽また一羽と塒に飛び去る光景を詠んだ歌で、歌意は解説の要もないほど判明である。私たちは歌の言葉が立ち上げる世界像と、現実に私たちが体験により知っている世界像のあいだに、安定した対応関係を確認する。こここに意味の宙吊り感覚はない。では吉川の歌のどこを味わうべきかと言うと、作者が現実に目にしたと思われる鳥が一羽また一羽と飛び去る様を「引き算を繰り返しつつ」と表現した所にある。しかるに笹原の歌を前にしたとき、このような解釈過程を辿ることはあらかじめ拒絶されているのであり、そのような歌の造りにどうしても馴染めない人がいることは当然予想される。吉川の歌も笹原の歌も、言葉によって組み上げられた心的世界であることは同様なのだが、それが現実世界(と私たちが信じているもの)との対応関係へと誘うのか、その回路を意図的に遮断するのかのちがいが、言葉に対するふたりの歌人の態度の差なのである。

 第二歌集『われらみな神話の住人』(1997年)でも笹原のこのような作歌態度は不変であり、それは笹原の歌人としての生理そのものなのだろう。

 その踝から濡れてゆけ 一行の詩歌のために現し世はある

 白馬(あを)にまたがり野を焼きはらふいもうとは異教徒だった、断髪の

 霧の日に振ればはつかに鳴りはじむカランコロンとそんな空函

 われらみな神話の住人。風の鎖につながれてそよぐ岸辺の

 この髪だ、きみのからだでみづうみのにほひもつともしてゐるところ

 秋を汲まばや旅人よ深井には今日をいのちの蛍火の群れ

 骨組みのいとやはらかき身をもてばみんなみの風、風の一枚

一首目の「一行の詩歌のために現し世はある」という断言は、芸術至上主義の言挙げであり、第二歌集の巻頭に置かれたこの歌は、作者の信条表明と受け取ることができよう。

 笹原の短歌で特徴的なのは、短歌定型へと凝縮して収斂するよりも、定型の韻律から逃れ去ることで、一首を詩の世界へと開く態度が顕著に見られることである。笹原にとって短歌とは、おそらく「一行の詩」なのであり、一首の核へと内的に収斂してゆく凝集性が希薄である。それよりも、セピア色のインクが紙に滲んでゆくように、一首の外へと広がる詩的世界へと意味を溶解させようとする力学が働いているように思える。このことは次のようなタイプの歌に顕著に感じられる。

 孤児がうつくしいのは遺された骨組みから空が見えるからです  『南風紀行』

 みんなみのましろき町はあかるくて目隠などして遊んでゐます

 月桂樹のしたでルカ伝を読むことが夏期休暇の宿題です

 そのかみの私の星は三分の光の洪水に溺死しました  『われらみな神話の住人』

 ここはくにざかひなので午下がりには影のないひとも通ります

 主に「です・ます調」で書かれているこれらの歌には、もはや五・七・五・七・七の短歌韻律はなく、まさしく一行詩となっている。内的リズムによる凝集性がある場合には、短歌の意味は一首の内部へと収斂するが、それがない場合には意味は逆に拡散する傾向がある。そうすると上のような歌は、唐突で尻切れとんぼの散文であるかのごとき相貌を呈するのだが、文脈による意味の充填があらかじめ拒まれているため、読者は語られていないより大きな詩的世界の断片だと理解せざるをえない。「一首の外へ広がる」というのはこのような意味形成過程をいうのである。より短歌的韻律を備えた歌群のなかに、上のような一行詩が織り交ぜられている。そうすると従来の短歌文脈で読める歌すらも、その韻律的凝集性に疑いが生じてくる。読者は今までの短歌文脈で読んで来た歌もまた、実はその本質は一行詩ではなかったかと感じるてしまうのである。

 『われらみな神話の住人』の栞に文章を寄せた井辻朱美は、笹原短歌における用言の多さと速度感を指摘した。用言の多さは体言止めの少なさの裏返しであり、体言止めが一瞬の光景をあたかも一幅の絵画であるかのごとく定着するのに適した文体であるのにたいして、用言による結句は一首に物語性を帯びさせ、時間の流れを感じさせる。井辻が指摘した速度感はここに由来する。

 では笹原は何の物語を語りたいのか。それはおそらくシェラザードのように千夜一夜語っても語り尽くすことのない「〈私〉と世界の物語」であろう。笹原にとっては、写実によって世界の一隅を切り取って提示することで世界と〈私〉の関係性を暗示するという手法はまどろっこしいのであり、いきなり主体的立場から「〈私〉と世界の物語」を語ろうとするのである。これは大胆不敵な試みと言わねばならない。笹原の歌が描く世界に参入することができるのは、作者自身が認可した人に限られるだろう。しかしお墨付きを得てその世界に足を踏み入れた人は、シェラザードのように倦むことなく、百億の昼と千億の夜にわたって、星々の誕生と消滅の物語を語る人の声を聴くことになるのである。その世界の住人はおそらく不死だろう。それは物語なのだから。