191:2007年3月 第1週 辺見じゅん
または、歴史のほの暗い闇から立ち上がる血族の歌

花々に
眼のある夜を晩年の
父あらはれて
川渉りゆく
    辺見じゅん『闇の祝祭』

 短歌を多行書きにする場合、縦書きだとよいのだが、横書きにするとどうも様にならない。インターネット上のホームページの制約ゆえご勘弁いただきたい。『闇の祝祭』は1頁2首、すべて多行書きという異色の歌集である。ただし掲出歌のように、初句、2・3句、4句、結句と4行になっているものと、上句・下句の2行書きとが混在している。ブックデザインはかの菊池信義。「造本全体に配慮をいただいた」とあとがきにあるので、おそらくは対角線を基本とした歌の配置も助言によるものだろう。贅沢な造りの歌集である。

 「花々に眼のある夜」とは、オディロン・ルドンばりの幻想的風景で、その高い幻視性ゆえに現実ならざる世界へと誘う入り口となる。「晩年の父」は角川書店の創業者角川源義(げんよし)。父の後を襲って角川書店社長になった角川春樹は実弟。源義は折口信夫の弟子で『河』を主宰する俳人であった。辺見は第3歌集である『闇の祝祭』で現代短歌女流賞を受賞しており、歌集以外にも最近映画化された『男たちの大和』(新田次郎文学賞)などの多くの著書がある。

 辺見の歌の特徴として誰もが挙げるのは、父親の色濃い影である。たとえば次のような歌が並んでいる。

 炎天の野の駅はるかパナマ帽/若き父なれ清きまぼろし

 この夕べ/ふるき頁に書き込みの/朱は父なりき創(きず)のごとしも

 死のきはも馬兵なりしよ日盛りに/父のたてがみ濡れて光るも

 かなかなの啼くゆふまぐれちちのみの/父に手紙を書きてゐたるも

 書き沈む父の背中に沼ありて/この世あの世の万燈会かな

思慕の念溢れる父恋いの歌であり、幻想の父親は常に懐かしい姿として現われている。源義と春樹のあいだには父子の確執があったようだが、娘であった辺見には父は異なる姿で映っていたようである。辺見の歌の根底には、血族の血と故郷という人間にとって根源的な要素が色濃く流れていて、それが歌の色彩を決定している。

 わが頬の/あたりに痣のかがよふは/母よ夜火事をとほく見しかや

 おとうとの/地図降りこめて父なるは/標的なりや/戦ぎあるべし

 樹木より耳さとくしておとうとの/眩しきかぎり母といふ海

 蒼穹のこの地に五月晴るる日を/いもうとの逝くはただに明るし

 おとうとよ/旅にしあればかぎりなく/眠れる額の蒼くかがよへ

 血族を詠んだ歌を拾ってみた。辺見に母を詠んだ歌は少なく、父親の圧倒的影響下に育ったことを伺わせる。1首目は集中に少ない母の歌。2首目と3首目は弟の春樹を詠んだ歌だが、姉の目から見ても弟と父との確執は明らかだったようだ。弟に注ぐ眼差しは暖かい。4首目はおそらく自死した異母妹を詠んだ歌。このように辺見の歌の根底には、血のほの暗い色が流れているのである。それは戦後民主主義の明るい近代とは異なる肌合いであり、民俗学的素養を武器に自らの血の根源へと遡行しようとする辺見の態度は、反近代主義と呼んでもよいだろう。辺見の父方の故郷は富山で、故郷の伝統と祭に題材を得た歌も多い。

 ふるさとの古井に水の動かねば/祖母の小櫛のくらきくれなゐ

 越後路は雪のまほろばはろばろと/わが形代のとほき夕映え

 一脈の血のくらがりにさざめくは/夜の谷間の山櫻かな

 いづくにか牲の祭りの桃実り/河口に近き空燃えてをり

 水音の闇ほどきゆく坂町に/風の祭りのはててゆきけり

 雪ふれば秘色のやうなとんど火に/異類の妻のみごもりてゐる

これらの歌に登場する「古井」「櫛」「形代」「山櫻」「桃」などの語彙のどれをとっても、呪的意味をたっぷりと帯びており、私たちが生きている現代とすでに忘れ去られた古代的世界とのあいだの転轍器として作用する。

 しかし何といっても辺見の歌が暗い磁力を帯びるのは、死者を詠った歌においてである。3首目や4首目は、『レクイエム・太平洋戦争』などの著書のある辺見が、南洋に散った学徒兵に寄せる鎮魂歌である。

 花終へしみどりをぐらき物の根に/逝きたる者らささめきやまず

 みんなみに骨洗ふをみな並びゐて/陰(ほと)のくらきにしろく月射す

 手つなぎの学徒兵きみは還らざりし/夕づつの邑あをくつゆけき

 みんなみのニューブリテン島の螢の樹/遺書に記して二十一歳なりき

 ひとすぢの/水のくらきを離れきて/いのちの嵩の/朴のしら花

 たましひの遊びすぎたる夜の明けを/螢火うすく草に濡れゐつ

私たちは命によって過去の死者とつらなるという意味において、命を詠うことと死を詠うことは同じことである。短歌は相聞と挽歌において魂を揺さぶる力をフルに発揮すると言われているが、辺見のこれらの歌を読むとそれが一際重く実感されてくる。そして、そのことは短歌という歴史の重みを背負った短詩形式の奥深い所に根差すのではないかと思えてならない。