193:2007年3月 第3週 池田はるみ
または、数々の仕掛けを施した短歌の玉手箱

あふぎつつ泥濘ゆけば空のまほ
    水のきはかと思(も)ふひかりあり
         池田はるみ『奇譚集』

 かねてより探していた『奇譚集』が古書店より届き、包みを開いて驚いた。何という版型なのか知らないが、縦と横の寸法がほぼ同じで、子供向けの絵本のような厚紙を使った表紙にオレンジ一色の装幀なのだ。短歌の歌集としては破天荒な造本と言ってよい。栞が岡井隆・秋山律子・小池純代の3人の鼎談というのも珍しい。おまけに巻末には皇室系図と古代アジアの地図が添えられており、これまた異色である。

 池田はるみは1948年(昭和23年)生まれ。『奇譚集』に収録された「白日光」で1985年に短歌研究新人賞を受賞している。「未来」会員。『奇譚集』は1991年刊行の第一歌集。異色なのは何も造本だけではなく、収録された短歌もまた他に類を見ない肌合いのものである。現代短歌は、口語短歌の隆盛・ライトヴァースの流行・記号短歌の試みなどを経たあと、ほぼ「何でもアリ」の世界を生きているが、そんななかでも池田に比肩しうるものは見あたらない。TVのグルメ・レポーター彦摩呂のお約束のキメ科白を借用すれば、「短歌の玉手箱やァ~」なのである。そしてこの玉手箱の構造はなかなかに複雑なようだ。たとえば巻頭の「むすび松 有間皇子・囁」と題された連作には次のような歌が並んでいる。

 信号を無視してとばす 地上にも天にもおれを結ぶものなく

 エンジンのいかれたままをぶつとばす赤兄(あかえ)とポルシェのみ知る心

 縊らるる。天より下る皇子といへサンドバッグのやうな重さや

 「大兄のサアセカンドカーのボルトをサアゆるめておいた」と下司のささやき

 有間皇子は父・孝徳帝崩御のあと、政争を避けんがため佯狂の日々を送るも、蘇我赤兄の奸計により捕縛され19歳で刑死した。背後に中大兄皇子の陰謀があったと言われている。有間皇子は尋問されたとき、「天と赤兄と知る。吾もはら知らず」と答えたと伝えられる。そんな古代史の悲劇の主人公である有間皇子が、エンジンのいかれたスポーツカーを疾走させるという設定で歌は作られている。有間が現代の無軌道な若者に置き換えられることで、古代史の悲劇の上に現代的な疾走感・躍動感が塗り重ねられ、そこに重層的な意味の風景が現出していると言ってよかろう。池田の短歌はこのように、本歌取りではないものの、何か下敷きになる歴史上の素材を換骨奪胎して構成されている。弁当箱を開けて中身を食べ切ったら、実は箱は二重底になっていて、底を開いたらまた別の空間がそこにある、といった具合なのである。たとえば歌集前半の「松」シリーズは「中大兄皇子・偲」「間人皇后・瞳」「建内宿禰宜・謀」など、古代史に登場する人物が詠んだ歌という体裁を採っている。第二部の東南亜細亜奇譚は、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を下敷きにしているようだ。また短歌研究新人賞を受賞した「白日光」も、「みづくみのをんなどれいとうまれたるかむなぎわれのひと世かたらむ」と、巫女の語りという体裁を採っている。ただしこれは単に歴史に素材を採った歌というわけではない。また福島泰樹のイタコ風「成り代り短歌」のように、死者に成り代ってその無念を詠うというのでもない。作者の素材の扱い方はもっと複雑で、どちらかと言えば意味の重層性に基づく遊びに近いのではなかろうか。

 このことは『奇譚集』に収録された歌の文体の多様性にも現れている。池田は折口信夫の唯一の女弟子といわれた穂積生萩(なまはぎ)の許で古典を学んでおり、古典の知識と古語を操る能力は抜群なのである。だから作ろうと思えば次のような正統古典調の歌も難なくできるのだ。

 たゆたひて沈みゆく髪 母王は海人ゆゑに水の御言(みこと)持ちてむ

 夏うづき瑞鳥とふがあらはれて垂直に指す うすずみの天

 おとうとの媛よぶこゑの透みとほりくぐもりわらふ夏の夕べに

 夕されば花も眠らむ時待ちて恍と咲きつつあどけなかりき

かと思えば次のような滑稽調の歌も散見される。歯切れのよい口調で、気っ風のよさを感じさせる。

 「むかしかの聖(ひぢり)おはしてうどん好き芸ありうどん鼻にて喰らふ」

 許しますなどといつてはやらせたる超絶技巧めちやめちやに好き

 ローソンに買ひにやつたが最後にてあのぐづをとこ二度と戻らぬ

さらに次のような口語の会話調の歌や、現代風俗を詠み込んだもある。上に引いた「大兄のサア」もこの部類に入る

 なべて世の憂きが好きなの とり分けてをとこの心のにんぴにん風

 おとうとはいつもそうだよ知らぬ間に乗りたがる兄(え)のモーターボート

 六本木踏み鎮めゆくすてつぷは ロックと呼べる後妻(うはなり)がわざ

 このように池田の歌は、古典の素養に裏打ちされながらも、1980年代に展開された現代短歌のさまざまな試みを咀嚼吸収し、それを自在に取り入れた所に成立している。池田の遊び心は所属する「未来」の指導者である岡井隆にまで及ぶのである。

 水中に鳥のあそびをしてゐるはうたびとRyu。そとのぞきたり

 ばら抱いて湯に沈めるもよく見えぬこんこんと夢ねむし眠しよ

 Ryuは「隆」の音読みで、この歌も岡井の本歌のいずれかを下敷きにしているのだろう。二首目は岡井の「薔薇抱いて湯の沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」の換骨奪胎である。それを「よく見えぬ」と言い放つとはなかなかのものだ。池田の歌にしばしば辛辣な批評が込められていることにも注目してよい。

 さて、このように本歌取り・換骨奪胎・古代と現代の重ね合わせ・多彩な文体の駆使などを特色とする池田の短歌だが、ここで問題になるのは池田の〈私〉はいずこにありやということである。池田の短歌が〈私性〉の歌、すなわち自己表現としての近代短歌の枠に入らないことは自明である。この問題につついて栞の鼎談のなかで秋山律子は、「私性とか、岡井さんがおっしゃった近代的な自我と結びつけるのはおもしろくないですね。(…)物語の中に『私』があって、その『私』はなにが起ころうが、なにを言おうがいいという、そういう感じです。(…) そしてその外側に池田さんの『私』がいる」と述べており、おそらく真相はこのあたりが近いと思われる。

 聞くところによると池田の最新歌集は、カバーが二重になっており、それを広げて重ねると風呂敷として使えるのだそうだ。ここに池田のサーヴィス精神の発露がある。足を運んでいただいた以上は、何かお持ち帰りいただかないと申し訳ないというのは大阪人特有のサーヴィス精神である。おそらく『奇譚集』を構成する歌の複雑な入れ子構造もまた、池田の遊び心とサーヴィス精神が作り出したものである。歌集と歌に箱根名物のからくり箱のようなさまざまな仕掛けを施しておく。読者はその仕掛けをひとつひとつ解いてゆくことで楽しむことができる。おおむねこのような事情ではなかろうか。すると池田の〈私〉は複雑に仕掛けを施した歌に対して、俯瞰的位置にいることになる。神は自らの創造した世界の内部にではなく、それを外から眺める外部にいる。神は世界に含まれないのだ。それと同じように、池田の〈私〉は歌の外側にいることになる。だから歌の内部に作者の〈私〉を探しても無駄である。ひょっとするとこれはポストモダンと立場が似ているかもいれない。ポストモダンもその手法は過去の様式の引用とコラージュであり、ポストモダン的〈私〉もまた遊戯する〈私〉だからである。しかしこの連想はいささか先走りすぎだろう。読者は『奇譚集』に池田が仕掛けた数々の謎を楽しめばよいのである。そしてまた集中には次のように心に沁みる歌まであるのだから。

 かがみゆらゆらりとゆれてまぼろしのふるさとそこに桃あることも

 はまぐりのやうなくちづけ あそびとは死にゆく者とこのしづけさに