季刊『短歌Wave』2003年夏号と、季刊『現代短歌雁』55号/56号が、「わたしの代表歌」という特集を組んでいる。『短歌Wave』は歌人ひとりにつき3首、『現代短歌雁』はひとりにつき1首を、歌人本人にアンケートして選んでもらうという趣向である。この特集を読んでいると、「代表歌とは何か」ということを考えさせられる。よく引用される歌を本人も選んでいるときは、「ああ、やっぱり」という気がするし、「えっ、これなんですか」というような意外な歌が選ばれていることもある。両誌の特集でかなりの歌人が共通しているのだが、一誌で選んだ歌を他誌では外していることもあり、歌人としても変化をつけたいという気持ちが働いているのかとも思う。
『現代短歌雁』55号では、佐佐木幸綱・高野公彦・小高賢・小池光というそうそうたる顔ぶれが、「代表歌とは何か」という座談会を行なって、これが殊の外おもしろい。佐佐木によると、古典和歌の世界では「表歌」という概念があり、歌人は名刺がわりに自分の代表歌を決めていたという。現代のように短歌が私的な文芸と化した時代とはちがって、王朝時代には和歌は公的な文化に属しており、コミュニケーションのための公認ツールであったから、そのようなことが可能だったのだろう。私は歌人の方々とお付合いがないので知らないが、現代の歌人は自分の名刺に代表歌を印刷しているのだろうか。
座談会でも話題になっているが、代表歌には客観的側面と主観的側面とがある。客観的な視点から見れば、世間でよく引用されているものがその歌人の代表歌ということになる。しかし、歌人本人の主観的視点から見れば、そんな歌がよく引用されるのは不本意で、自分で代表歌と見なしているものはこれだということになり、両者は一致しないことも多い。
座談会では、佐佐木が「サキサキとセロリを噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず」のように、20代で作った歌をいつまでも代表歌と言われるのは困ると発言している。その後の自分の歩みや変化が無視されるのが嫌だということであろう。自分としては、「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ」のような歌を代表歌と見なしてほしいと注文をつけている。佐佐木は実際に、『現代短歌雁』の特集ではこれをあげている。かと思えば、「佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず」のように有名になった歌が代表歌と言われたらどうだと振られて、小池は「それは困りますよ」と応じている。ほんとうに嫌そうである。セルフイメージにかかわることなので、歌人もなかなか注文が多いのである。かくして本人もどれを選ぶべきか悩むことになる。
『現代短歌雁』では次のような歌が代表歌として選ばれているのを見ると、なるほどと納得する。おおかたの期待を裏切らない選択で、自分の私的な好みというより、世間の判断を重視した結果だろう。あるいは両者が一致しているとも言える。
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな 大滝和子
まだ何もしていないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す 萩原裕幸
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井建
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子
何処までもデモにつきまとうポリスカーなかに無電に話す口みゆ 清原日出夫
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(ひとよ) 栗木京子
白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり 高野公彦
いずれも余りにも有名な歌ばかりである。しかし、『現代短歌雁』の座談会では、「たっぷりと」を代表歌と言われることを河野は嫌っていると小高が発言しているのだが、あんまり言われるのでもう匙を投げたのだろうか。「もうしょうがないわ」という〈あきらめに基づく代表歌〉というのもありそうである。
かと思うと、次のような歌が選ばれていることもある。
疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより 大辻隆弘
人おのおの生きて苦しむさもあればあれ絢爛として生きんとぞ思ふ 尾崎左永子
やぶこうじ、からたちばなの赤い実が鳥に食われてみたいと言えり 沖ななも
明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ 黒瀬珂瀾
大辻の選んだ歌はそれほどよい歌とも思えない。彼の代表歌はなんといっても、「わがごとく柿の萼(うてな)を見下ろすか熾天使は酸きなみだに濡れて」だと思うのだが、大辻は『短歌Wave』の方にもこの歌をあげていない。不思議なことである。
尾崎左永子(松田さえこ)は、『彩紅帖』(平成2年)収録の歌を選んでいる。比較的近作であり、また自分の生き方を高らかに宣言する歌である。代表歌には〈セルフイメージを演出する〉という目的もあるので、このような選択も考えられるのである。しかし、松田さえこ時代の代表歌集『さるびあ街』の次のような歌の方が個性が光るようにも感じられる。
いくばくか死より立ち直るさま見をり金魚を塩の水に放ちて
悲しみを持ちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む
沖ななもは上にあげた歌を、『短歌Wave』の3首のうちの1首としても選んでいるので、本当に気に入っているのだろう。しかし、どれか1首と言われてあげるほどの強い個性があるかというと、いささかこの選択には疑問がある。沖は『短歌Wave』の方には、「空壜をかたっぱしから積みあげるおとこをみている口紅(べに)ひきながら」を入れていて、この歌は歌集『衣裳哲学』の巻頭歌なのだから、こちらの方が代表歌としてふさわしいようにも思う。
また黒瀬は『黒燿宮』を構成する歌のなかで、よく引かれることの多い耽美的で衒学的意匠の濃厚な歌ではなく、上のような比較的おとなしい歌を選んでいる。これもまたおもしろい選択であり、歌人が自作に対して取っている微妙な距離感がほの見えてくる。
『短歌Wave』は代表歌3首なので、世間で代表歌と言われている歌を1首入れておけば、あとは歌人が自分の好みで選ぶこともでき、比較的自由度が大きい選択になる。次にあげた三枝の1首目は万人の認める代表歌で異論のないところである。佐藤の1首目も歌集の題名となった歌で順当な選択と言える。佐藤には、「生きのびたひとの眼窩よあおじろく光る夜空のひとすみに水」という秀歌があるのだが、どこかで見てメモしたので出典がわからない。
ひとり識る春のさきぶれ鋼よりあかるく寒く降る杉の雨 三枝昴之
ゆっくりと悲哀は湧きて身に満ちるいずれむかしの青空となる
人間の技美しき早苗田が水を呼び水が夏雲を呼ぶ
風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで 佐藤弓生
ぼんやりと街のはずれに生えている水銀灯でありたいわたし
こなゆきのみるみるふるは天界に蛾の老王の身をふるうわざ
歌集を何冊も持つベテランはよいとして、第一歌集を出版したばかりという若い歌人に、代表歌を選べというのはいささか酷な気がする。
とてつもなく寂しき夜は聞こえくる もぐらたたきのもぐらのいびき 石川美南
西ヶ原書店閉まりて夕焼けを呑みこむ町へ行くのだといふ
助走なしで翔びたちてゆく一枚の洗濯物のやうに 告げたし
石川は第一歌集『砂の降る教室』を出したばかりの23歳の若手歌人である。一首のなかに漲るリズム感が心地よく、それは「たたき」「いびき」の脚韻にも現われている。「カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋」もやはり言葉のリズム感覚で記憶に残る歌だと思う。しかし、まだ評価の確定しない若い歌人の場合、世評という外部の目を参照できない分だけ、代表歌を選ぶ際にためらいが出るだろう。
小説家や音楽家が、作品は子供のようなもので、世の中に産みだしてしまったら、あとは独り歩きして行き、それをコントロールすることはできないと言うことがある。確かにその通りで、文学作品についても、いかにして産み出されたかという制作サイドが重視され、なかでも作者の〈制作意図〉を金科玉条とする向きもあるが、それは正しくない。むしろ重要なのは、〈作品がいかに受け取られたか〉という読者論の方である。やはり代表歌というのは、「世間が代表歌と認めたもの」なのであり、この定義のなかには定義すべき事項が埋め込まれていて、循環的あるいは再帰的定義になってしまっている。だから論理的には定義の資格を満たしていないのだが、この矛盾にこそ代表歌の本質があるのではないだろうか。それは〈自己〉とは、〈世間が私と見なしているもの〉だというのと平行的である。もっとも、〈ほんとうの自分〉が、どこかに (インドかネパールあたりの道ばた) あるにちがいないと考えている若い人には納得できないだろうが。
『現代短歌雁』55号では、佐佐木幸綱・高野公彦・小高賢・小池光というそうそうたる顔ぶれが、「代表歌とは何か」という座談会を行なって、これが殊の外おもしろい。佐佐木によると、古典和歌の世界では「表歌」という概念があり、歌人は名刺がわりに自分の代表歌を決めていたという。現代のように短歌が私的な文芸と化した時代とはちがって、王朝時代には和歌は公的な文化に属しており、コミュニケーションのための公認ツールであったから、そのようなことが可能だったのだろう。私は歌人の方々とお付合いがないので知らないが、現代の歌人は自分の名刺に代表歌を印刷しているのだろうか。
座談会でも話題になっているが、代表歌には客観的側面と主観的側面とがある。客観的な視点から見れば、世間でよく引用されているものがその歌人の代表歌ということになる。しかし、歌人本人の主観的視点から見れば、そんな歌がよく引用されるのは不本意で、自分で代表歌と見なしているものはこれだということになり、両者は一致しないことも多い。
座談会では、佐佐木が「サキサキとセロリを噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず」のように、20代で作った歌をいつまでも代表歌と言われるのは困ると発言している。その後の自分の歩みや変化が無視されるのが嫌だということであろう。自分としては、「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ」のような歌を代表歌と見なしてほしいと注文をつけている。佐佐木は実際に、『現代短歌雁』の特集ではこれをあげている。かと思えば、「佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず」のように有名になった歌が代表歌と言われたらどうだと振られて、小池は「それは困りますよ」と応じている。ほんとうに嫌そうである。セルフイメージにかかわることなので、歌人もなかなか注文が多いのである。かくして本人もどれを選ぶべきか悩むことになる。
『現代短歌雁』では次のような歌が代表歌として選ばれているのを見ると、なるほどと納得する。おおかたの期待を裏切らない選択で、自分の私的な好みというより、世間の判断を重視した結果だろう。あるいは両者が一致しているとも言える。
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな 大滝和子
まだ何もしていないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す 萩原裕幸
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井建
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり 河野裕子
何処までもデモにつきまとうポリスカーなかに無電に話す口みゆ 清原日出夫
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(ひとよ) 栗木京子
白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり 高野公彦
いずれも余りにも有名な歌ばかりである。しかし、『現代短歌雁』の座談会では、「たっぷりと」を代表歌と言われることを河野は嫌っていると小高が発言しているのだが、あんまり言われるのでもう匙を投げたのだろうか。「もうしょうがないわ」という〈あきらめに基づく代表歌〉というのもありそうである。
かと思うと、次のような歌が選ばれていることもある。
疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより 大辻隆弘
人おのおの生きて苦しむさもあればあれ絢爛として生きんとぞ思ふ 尾崎左永子
やぶこうじ、からたちばなの赤い実が鳥に食われてみたいと言えり 沖ななも
明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ 黒瀬珂瀾
大辻の選んだ歌はそれほどよい歌とも思えない。彼の代表歌はなんといっても、「わがごとく柿の萼(うてな)を見下ろすか熾天使は酸きなみだに濡れて」だと思うのだが、大辻は『短歌Wave』の方にもこの歌をあげていない。不思議なことである。
尾崎左永子(松田さえこ)は、『彩紅帖』(平成2年)収録の歌を選んでいる。比較的近作であり、また自分の生き方を高らかに宣言する歌である。代表歌には〈セルフイメージを演出する〉という目的もあるので、このような選択も考えられるのである。しかし、松田さえこ時代の代表歌集『さるびあ街』の次のような歌の方が個性が光るようにも感じられる。
いくばくか死より立ち直るさま見をり金魚を塩の水に放ちて
悲しみを持ちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む
沖ななもは上にあげた歌を、『短歌Wave』の3首のうちの1首としても選んでいるので、本当に気に入っているのだろう。しかし、どれか1首と言われてあげるほどの強い個性があるかというと、いささかこの選択には疑問がある。沖は『短歌Wave』の方には、「空壜をかたっぱしから積みあげるおとこをみている口紅(べに)ひきながら」を入れていて、この歌は歌集『衣裳哲学』の巻頭歌なのだから、こちらの方が代表歌としてふさわしいようにも思う。
また黒瀬は『黒燿宮』を構成する歌のなかで、よく引かれることの多い耽美的で衒学的意匠の濃厚な歌ではなく、上のような比較的おとなしい歌を選んでいる。これもまたおもしろい選択であり、歌人が自作に対して取っている微妙な距離感がほの見えてくる。
『短歌Wave』は代表歌3首なので、世間で代表歌と言われている歌を1首入れておけば、あとは歌人が自分の好みで選ぶこともでき、比較的自由度が大きい選択になる。次にあげた三枝の1首目は万人の認める代表歌で異論のないところである。佐藤の1首目も歌集の題名となった歌で順当な選択と言える。佐藤には、「生きのびたひとの眼窩よあおじろく光る夜空のひとすみに水」という秀歌があるのだが、どこかで見てメモしたので出典がわからない。
ひとり識る春のさきぶれ鋼よりあかるく寒く降る杉の雨 三枝昴之
ゆっくりと悲哀は湧きて身に満ちるいずれむかしの青空となる
人間の技美しき早苗田が水を呼び水が夏雲を呼ぶ
風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで 佐藤弓生
ぼんやりと街のはずれに生えている水銀灯でありたいわたし
こなゆきのみるみるふるは天界に蛾の老王の身をふるうわざ
歌集を何冊も持つベテランはよいとして、第一歌集を出版したばかりという若い歌人に、代表歌を選べというのはいささか酷な気がする。
とてつもなく寂しき夜は聞こえくる もぐらたたきのもぐらのいびき 石川美南
西ヶ原書店閉まりて夕焼けを呑みこむ町へ行くのだといふ
助走なしで翔びたちてゆく一枚の洗濯物のやうに 告げたし
石川は第一歌集『砂の降る教室』を出したばかりの23歳の若手歌人である。一首のなかに漲るリズム感が心地よく、それは「たたき」「いびき」の脚韻にも現われている。「カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋」もやはり言葉のリズム感覚で記憶に残る歌だと思う。しかし、まだ評価の確定しない若い歌人の場合、世評という外部の目を参照できない分だけ、代表歌を選ぶ際にためらいが出るだろう。
小説家や音楽家が、作品は子供のようなもので、世の中に産みだしてしまったら、あとは独り歩きして行き、それをコントロールすることはできないと言うことがある。確かにその通りで、文学作品についても、いかにして産み出されたかという制作サイドが重視され、なかでも作者の〈制作意図〉を金科玉条とする向きもあるが、それは正しくない。むしろ重要なのは、〈作品がいかに受け取られたか〉という読者論の方である。やはり代表歌というのは、「世間が代表歌と認めたもの」なのであり、この定義のなかには定義すべき事項が埋め込まれていて、循環的あるいは再帰的定義になってしまっている。だから論理的には定義の資格を満たしていないのだが、この矛盾にこそ代表歌の本質があるのではないだろうか。それは〈自己〉とは、〈世間が私と見なしているもの〉だというのと平行的である。もっとも、〈ほんとうの自分〉が、どこかに (インドかネパールあたりの道ばた) あるにちがいないと考えている若い人には納得できないだろうが。