082:2004年12月 第3週 吉岡生夫
または、ユーモアを錫杖として中年を生きる草食獣

ワン・タッチの傘をひろげてゆかむかな
        男の花道には遠けれど

        吉岡生夫『勇怯篇 草食獣・そのIII
 傘を片手でひと振りして広げ、折からの雨にかざして退場する。背で泣いてる唐獅子牡丹。歌舞伎にもこういうシーンはありそうだが、この場合は東映ヤクザ映画の高倉健かもしれない。傘はもちろん蛇の目傘で、表は真っ赤に塗られているのがよい。男のカッコよさと孤独が滲み出るシーンで、観客はここでグッとくる。しかし掲出歌はそんなカッコよさからはほど遠く、広げる傘はスーパーで千円で売られているワン・タッチ傘である。高倉健の男の花道がカッコよければよいほど、それとはほど遠い中年男の自分の現実との落差が際立つ。掲出歌はその落差をかすかなユーモアをまぶしつつ冷静に見つめている。昂揚して詠い上げるような調子はどこにもない。これが吉岡の歌の基本的なトーンである。

 吉岡生夫は1951年 (昭和26年) 生まれで「短歌人」に所属。新人賞などの華々しい受賞歴はなく、私は邑書林の「セレクション歌人」シリーズで初めてその名を知り歌を読んだ。「セレクション歌人」は藤原龍一郎と谷岡亜紀の責任編集で、もしこの二人がその任になければ吉岡に一巻が当てられることはなかったかも知れない。谷岡は1959年生まれで今年45歳、藤原は1952年生まれで52歳、吉岡は53歳である。みんな立派な中年男だ。青春の抒情は短歌のしらべに載せやすいが、髪が薄くなり腹の出た中年男が短歌を作るのはなかなか難しい。もうキラキラした青春は詠えないが、かといって老境の枯淡からはほど遠い。マイホームの住宅ローンは背中に重く、職場では中間管理職という板挟みの立場である。作り出された短歌には日常の疲労感と人生の苦みが添加される。イチゴのショートケーキが大好きなお子さまにはその味わいがまだわからない大人の味の短歌となる。

 第一歌集『草食獣』、第二歌集『続 草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣・そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣 第五篇』と並べればわかるように、すべての歌集の題名は「草食獣」となっていて、これはいささか異例なことだろう。この題名の由来は次の歌に明らかである。

 ガリヴァを絵本でよみし頃おもひ草食人種といふを念(おも)へり

 草食人種とは、スウィフトの『ガリバー旅行記』に登場する馬の姿をした人種フイヌムのことである。『草食獣』という歌集題は吉岡本人の発案ではなく、「短歌人」の先輩歌人である小池光がとある酒席で示唆したものだという。「草食人種」は動物を殺して食べ血を流すことのない平和的な種という、肯定的な意味合いを帯びて使われている。しかし、命名の理由はそれだけではなく、作者本人があとがきで次のように書いている。

「加えて、自らの手を血で汚すことのなかった潔癖さと引き換えに、なんら、この現実世界とかかわりをもたなかったのだ、という、いわば緩衝地帯に身をおいた青春のくやしさを記念して、とでもいっておいた方が妥当なようである」

 第一歌集刊行時に28歳だった吉岡が抱いた「緩衝地帯に身をおいた青春のくやしさ」とは何だったのだろうか。吉岡の父は警察官であり、鑑識業務に従事していて1971年に殉職している。

 公務死をとげて勝ちたる亡父のためわれのてにある一輪の菊

 ステージの父の遺影のまつられてあるところまで行かねばならぬ

 父とわが呼びたる骨をひろはむとするに殺めしごとく崩れつ

 警官を犬と呼びたる長髪の友の弁舌さはやかなりし

 1960年代の後半から全国に吹き荒れた学生運動の嵐は、同時代に青春を送った若者にさまざまな形で刻印を残した。この時代に警察官を父親に持つというのは、今からは想像できないほど複雑な立場に身を置くことになる。ヘルメットを被りゲバ棒を振るう活動学生は一部に限られてはいても、若者一般の心情は多かれ少なかれ反体制的であり、親の敵のように髪を長くしていた。そんな若者にとって警察官は「権力の走狗」であり、まっさきに指弾攻撃されるべきものである。吉岡は学生運動に参加することも、かといって父の側に立つこともできなかった。だから父の死に直面して「自ら殺めしごとく」という感情を抱かねばならなかったのだろう。それが「緩衝地帯に身をおいた青春のくやしさ」である。この体験はおそらく吉岡に深く刻印され、吉岡が世界と関わるやり方を決定づけたと思われる。それは何かを声高に主張することなく、人畜無害な草食獣としてひっそりと市井に暮らすという道である。

 略歴によれば高校一年生の頃から短歌を作り始め、あちこちに投稿するようになったとある。おそらく初期の作と思われる次のような作品には、年齢相応の青春の抒情が漲っている。

 ちちははのいのりのごときうみなりのなかをゆくとき血こそかがやけ

 奔放に生きたきわれを捨てがたし雨中に海をみてもどるとき

 ああひとはうまれながらのかなしみをもつゆゑくらくほほゑみにけり

 ああわれをまきこむやうな音ののちあがる遮断機のうへの空

 村木道彦ばりのひらかなを多用した童謡を思わせる語法である。四首目に揺曳する死の予感もまた青年に特有のものであり、青春時代には死すらも憧憬や抒情の対象になる。しかし、吉岡の真骨頂はこのようなトーンにあるのではない。

 きみよそのみどりご抱きて撮られゐる青葉地獄のなかの一齣

 定年の日まで勤める庁舎かとみあげて夜の襟を高くす

 万歳の腕のかたちをかなしめり頭よりセーター脱ぐときの闇

 頸のみをうつして足れりネクタイを朝ごと締める柱の鏡

 一首目の歌を『現代百歌園』で採り上げた塚本邦雄は、「きみ よそのみどりご」と区切る読みの可能性に言及し、ぞっとするような「劇」の存在を指摘したが、これはうがちすぎかもしれない。二首目で20代にして定年を思うとは、いささか老成しすぎている。三首目、万歳は降伏の姿勢であり、セーターに頭をすっぽりとくるまれた姿勢に降伏と闇を見る視点が注目される。四首目には後年ますます顕在化する、生活の細部に注目する吉岡の視線が顕著である。

 なんといっても吉岡独自の個性が確立したのは第三歌集『勇怯篇 草食獣・そのIII』で、「セレクション歌人」に完本収録されていることもその証左とみてよい。

 さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを

 妻と子と母がすわれば空をとぶかたちとなりぬ電気カーペット

 印影の徐徐に大きく太くなりすなはち件の決済終はる

 負けてこそヒーローならむふりかぶるときの江川の耳はピクルス

 神のごとわれは立ちたり円型の蛍光燈を頭にいただきて

 一首目と二首目にはユーモアがただよう。吉岡は「セレクション歌人」に収録された長塚節についての文章のなかで長塚の滑稽趣味を指摘し、それが後世に評価されなかったことを残念だとしている。単なる生活詠に終らせず短歌を歌として成立させ、しかも青春の昂揚や抒情からは遠い中年という人生の砂漠のような地点でいかにして歌のしらべを響かせるかという困難な課題に直面して、吉岡が出した答がここにある。ひとつは「生活の些事をすくいあげること」であり、もうひとつはその些事の観察を提示するやり方における「ユーモア」である。三首目は作者の勤務していた市役所の風景であるが、役職の下の者は印鑑が小さく、上級職になるほど大きくなる印鑑が決裁書にずらりと並ぶ。当たり前といえば当たり前なのだが、その事実が拾い上げられてこのように詠われると、そこにユーモアと若干の皮肉が生じる。それは四首目で江川投手の大きな耳をピクルスに譬えるときも同じである。五首目は居間の円形の蛍光灯を取り替えている風景だが、蛍光灯を頭上にかざす自分を神のようだとする表現は、最初にあげた掲出歌の発想と似たところがあるが、掲出歌とちがって「男の花道には遠けれど」という感慨が消去されている分だけ、吉岡の作歌態度が深化したことを示している。

 このように「生活の些事をすくいあげる」眼差しは、ときに次のような歌を生み出す。

 消しゴムのある鉛筆は書きて消し書きては消してまた書くものぞ

 この歌は、「ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く」という奥村晃作の「ただごと歌」と、その発想と語法において極めて近い地点にいると言ってよい。

 しかし吉岡はただ発想のおもしろさのみによってこのような歌を作っているのではないだろう。「一人の女の運命を狂はせしことさへなくてバスに揺らるる」のような歌の影に揺曳する慚愧の想い、「殺意などふともわきくる中年の背中がありぬ冬のホームに」のような歌から滲み出る凶悪な感情を内心に感じながら押し殺しつつ、変わり映えのしない中年の日常を生きているのである。そんななかから生み出される次のような歌には、きらりと光って私たちの生を照らす何かが感じられるのである。

 その中の闇もろともに流れゆく空缶たのし浮きて沈みて

 ロビンソン・クルーソーならむうつぶせに朝をめざめて渚のごとし

 幽界の汀すなはち電車くるときホームに散る波の花


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