095:2005年3月 第3週 大松達知
または、フラットな世界にも神は細部に宿るか

口が口を食ふかなしさよ丸干しの
    いわし食ひたりまづあたまから

        大松達知『フリカティブ』
 食卓で丸干しの鰯を食べている光景である。丸ごと頭からかぶりつくと鰯の口がまず自分の口に入ることになる。作者はそれを「かなしさよ」と詠んでいるわけだ。当たり前のこととも見えるが、この歌のポイントが「口が口を食ふ」という表現にあることは言うまでもない。大松は一首ごとにこのように味わうべき歌のポイントを用意している。いわば「外れくじなしの歳末大売り出し」のようなお得な歌集なのである。

 大松達知 (おおまつ・たつはる)は1970年(昭和45年)生まれ。高校生のとき社会科教師だった奥村晃作の影響で短歌を作り始めたという。奥村が社会科の先生だったとは知らなかった。「コスモス」「桟橋」同人で、2000年に出版された『フリカティブ』が第一歌集である。「フリカティブ」(fricative)とは音声学で「摩擦音」を意味する。[s] [f] [v]などのように、口の一部を狭めたり触れたりして呼気が擦れる音である。大松は高校で英語教員をしているので、このような題名をつけたのだろう。

 『短歌ヴァーサス』5号で、小池光が大松の歌集について「ざぶとん在庫なし」と評している。「ざぶとん」はもちろん笑点の大喜利での「ざぶとん一枚」のことである。そのココロは、「うまい! ざぶとん一枚 !」の続出で、ざぶとんの在庫が切れてしまうほど、大松の短歌は一首一首に勝負どころがあり、それが小気味よく決まっているというほどの意味である。確かに小池の言うように、大松の短歌は一首ごとの独立性が高く、意外な物の見方とか意表を突く表現などが散りばめられていて、私も「付箋在庫なし」状態になった。

 献血の勧誘員と目が合ひて笑顔かへせば血を抜かれたり

 職として見せているゆゑわれは見るチャイナドレスのすきまの脚を

 みづからは触れ合はすことなきテディベアの両手の間(あひ)の一生(ひとよ)の虚空

 はじめの日左右なかりしスリッパに左右あらはるその〈時〉の嵩

 はつふゆにこたつを敷けばあらはれき去年(こぞ)の匂ひの小平面が

 ファッションショーのモデルを見をり無計画に伸びてしまひし両脚あはれ

 一首目、献血勧誘員と思わず目が合ってしまう。こういう経験は誰にでもある。その結果「血を抜かれたり」となるわけだが、笑顔で血を抜くのは考えてみればおかしい。二首目、中国の観光客用レストランのウェイトレスだろう。チャイナドレスを着ているのは職業上の制服だからであり、〈私〉もそのゆえに脚を見ると言っているが、どこか言い訳めいている。この歌のおもしろさはその言い訳の後ろめたさにある。三首目、テディベアの拡げた両手は決して打ち合わされることがない。しかし、人形に限りある「一生」などあるのだろうか。〈私〉はテディベアに「一生」を見ているが、一生に限りがあるのは実は〈私〉の方である。テディベアの反照がこの歌を照らしている。四首目、買ったばかりのスリッパには左右がないが、履いているうちに足の形に変形してだんだん左右の区別が生じる。これまた改めて指摘されて「なるほど」と膝を打つ事実である。大松はこの観察を「その〈時〉の嵩」で締めくくる。つまりスリッパの形状の変化は、結婚して家庭生活を営むようになってからの時間経過の関数なのであり、形の変化に時間を見ているのだ。五首目、寒くなってこたつを出す。すると去年の匂いのする四角形が部屋の中央に出現する。これも当たり前なのだが、出現した小平面は去年から今年へという時間経過のなかでの〈私〉の連続性のささやかな保証である。六首目、ファッションモデルの長い足は女性の憧れの的なのだろうが、それを「無計画に伸びた」と河原のセイタカアワダチ草か何かのように言うところがこの歌のミソである。

 このように日常生活に潜む何でもない小事実をことさらに取り上げる作歌方法は、最初の短歌の師である奥村晃作の影響によることは疑いない。しかし奥村が大松と決定的にちがうのは、奥村の場合、当たり前の小事実を歌にするとき、その事実が余りに些細であるために、それをわざわざ歌にする奥村の個性と自我とが強烈に前景化されるという点である。

 ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作

 次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く 

 奥村は歌論集『抒情とただごと』のなかで独特の短歌観を披瀝しているが、奥村がただごと歌の要件としてあげている次の点は注目に値する。ただごと歌は、「対象〈描写〉〈写実〉的態度・叙法の作」ではなく、「対象をよく見て、それを写しとる」という態度に立ってはならず、「世界の〈核〉を述べる」ことが肝要だというのである。つまり「リアリズム短歌」ではないということだ。奥村の言うように「世界の〈核〉」を剔抉するとき、細部は異常に拡大されて提示される。だからこれはありのままを写すリアリズムではありえず、奥村の視点というレンズを通して歪められた世界であり、一種のバロックである。それゆえにレンズの個性が際立つのである。

 大松の短歌は奥村のただごと歌と一見似ているようでありながら、実はずいぶんちがう。おそらく大松には「世界の〈核〉」を照射するなどという意識はないだろう。意表を突く視点から歌を作っても、そこに大松の自我と個性が際立つということがない。

 では大松はなぜこのような小事実をささやかに取り立てる歌の作り方をするのか。それは「無意味をやり過ごす」ためではないだろうか。深読みしすぎかもしれないが、私にはどうもそのように思えてしかたがない。「無意味をやり過ごす」ことが主目的であり、奥村のように「世界の〈核〉を述べる」ではないから、強烈な自我が前に出るということがないのではないだろうか。

 誰しも青春期には「意味」を求める。若い時には「私はなぜ生まれてきたのか」「生きることには意味があるのか」という疑問を抱くものだ。それは若者にとって煩悶と懊悩の種であると同時に、短歌においてはトーンの高い抒情の核ともなる。小池光の初期短歌を見よ。こういう疑問を抱くのは自我の肥大期と一致する。ところが年齢を重ね家庭を持ち社会の塵埃にまみれるにつれて、このような疑問は燠火のように内向化する。生きることに特に意味はなく、人々はただ生きているということに気づくからである。しかし人間はそこでは終わらない。というか終わってはならない。その次の段階として、「ただ生きている」ということに、より思想的に深化された意味を見いだすようになる。まとめると「自我の肥大:意味の希求」→「自我の縮小:意味の放棄」→「自我の止揚:新たな意味の発見」と段階的に推移する。かなり単純化してはいるが、このような意識の進化が「近代的自我」の構図だったはずだ。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に始まり、高野悦子の『二十歳の原点』に至るまで、近代的自我のたどった軌跡と悲劇はこの図式のヴァリエーションである。

 ところが大松の短歌に関して言えば、どうも第一段階の「自我の肥大:意味の希求」がすっ飛ばされているような気がする。そしてこの「自我の肥大期? うーん、それはパス」現象は、大松に限らず程度の差こそあれ若い人に共通して見られるように感じられる。それが青春の煩悶と葛藤という難所を回避するために新人類が獲得した形質なのか、それともバブル経済崩壊期に青春を迎えた世代が身につけた、自分にも社会にもあまり過大な期待を抱かないという防衛反応なのか、その点は定かではない。しかし自我の肥大と縮小を経験せずに成長すると、そこに待ち受けているのはフラット化した世界である。だから「無意味をやり過ごす」ことが必要になるわけだ。

 駐車場に自動車憩ひそのなかに人のをらざる空(くう)憩ひをり

 水母(ゼリーフィッシュ)と呼ばれてひとり簡潔にただよふのみの来世よきかな

 日のひかり一生(ひとよ)見るなきむらぎもにあかきトマトのかけらを落とす

 通夜にゐるわがポケットに前回の通夜のメモあり死者の名があり

 ドラマに殺人、ニュースに殺戮ひとつづつありて夕飯後のわが憩ひ

 これらの歌から滲み出て来るのは「生の空虚感」である。しかしその感覚は過度に深刻になることがない。プラス方向にもマイナス方向にも大きく針が振れることがないという点に、大松が小現実を歌にする根拠と意味があるように思われる。この「振れの小ささ」は妻を詠んだ相聞にも感じることができる。

 妻の傘にわが傘ふれて干されゐる春の夜をひとりひとりのねむり

 妻とわれ入り組むやうに生きてゐてされどそれぞれ爪切りがある

 妻不在、妻のブラウス在室のまひるまひとり食ふメロンパン

 べったりいっしょにいるのではなく、適度の距離を置いて個の空間を守るというスタンスがよく現われている。

 歌集の栞に文章を寄せた吉川宏志が、「夢や幻想を持たずに現実を見ると、ユーモラスでちょっと危険な物事の本質が浮かび上がってくる、それが大松の短歌の方法論なのではなかろうか」と述べている。さすがに吉川らしい的確な批評である。しかし大松の歌集を読んで、もう少し青春の夢と昂揚があってもよいのではないかと感じる向きもあるにちがいない。小池光が「ざぶとん在庫なし」と評したのは故なきことではなく、『廃駅』を最後にトーンの高い抒情を捨てて『日々の思い出』の世界に移行した小池の歌の目線と大松の目線には共通するものがある。〈大きな物語〉が消滅した現代にあって、このような低い目線は短歌の寄って立つ根拠のひとつになるのかもしれない。