角川『短歌』11月号歌壇時評 名歌とアンソロジー

 往年の人気テレビ音楽番組「夜のヒットスタジオ」の構成作家で、現在は音楽プロデューサーの木崎徹が、あるラジオ番組で、「僕たちはヒットソングを作ることには成功したが、スタンダード・ナンバーを作ることができなかった」と述懐していた。ヒットソングは、はやり歌なので、しばらくの間ヒットチャートを賑わせて、やがて忘れられてゆく。これにたいしてスタンダード・ナンバーは、長く歌い継がれてゆく歌である。たとえばフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」、ビートルズの「イエスタデイ」、坂本九の「上を向いて歩こう」などが代表的なスタンダード・ナンバーだろう。

 スタンダード・ナンバーは、それをよい歌だと感じた歌手がカバーすることでスタンダードとなる。つまりその歌を最初に歌った本人以外の多くの人が歌うことで名曲として世に定着してゆくのである。スタンダード・ナンバーが生まれるためには、「他の人が何度も繰り返し歌う」ことが必須なのだ。

 短歌における名歌にも同じことが言える。どこかの会に一度出詠されたり、どこかの雑誌に掲載されただけでは名歌にはならない。それをよい歌だと感じた人が、その歌を引用し、その歌について語り、その輪が池に投げ込まれた小石の波紋のように拡がることによって名歌が生まれる。名歌とは、たくさんの人が「これは良い歌だ」と言った歌のことである。だから名歌の誕生には、作者以外の人が読み、それについて語るという行為が必須なのである。こうして名歌が生まれるには、アンソロジーが大きな役割を果たしている。昔の和歌ならばそれは勅撰和歌集が担った役割である。今年の初夏に出版された瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、二〇二一)は、このような文脈で受け取られるべき優れたアンソロジーである。

 それまで短歌に縁のなかった人が短歌に興味を持ったとして、いきなり誰かの歌集を買うのはお奨めできない。時評子も最初は歌集をどのように読めばよいのかわからず、一冊を最後まで読むことができなかった。寡聞にして「歌集の読み方」を解説した本は見たことがない。しかし歌集を読むのは小説を読むのとはちがって、一定の技術が必要な特殊な読書行為である。

 短歌の初心者が最初に手に取るべきなのはアンソロジーである。アンソロジーでは、編者の鑑識眼に基づいて名歌・秀歌が選び出され、歌の鑑賞・解題と作者の紹介まで付いている。歌集を一人で読むのが自分で旅程を決めて、飛行機の切符の手配からホテルの予約までする個人旅行であるとするならば、アンソロジーは経験豊富なガイド付きのツアー旅行である。

 短歌のアンソロジーとしては、すでに定評のある高野公彦編『現代の短歌』(講談社学術文庫、一九九一)や小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館、一九九九)などがあるが、最近相次いで新しいアンソロジーが出版された。山田航編著『桜前線開架宣言』(左右社、二〇一五)は、「Born after 1970 現代短歌日本代表」という副題が付されていて、大松達知から小原奈実までの四十人の歌人の短歌が収録されている。また東直子・佐藤弓生・千葉聡編著の『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房、二〇一八)は、「現代歌人115人の各20首&1首鑑賞」と銘打っていて、こちらは葛原妙子、大西民子、前田透なども取り上げられており、より年代幅の広い選集となっている。

 『はつなつみずうみ分光器』の帯には「読むべき歌集55」と書かれている。このコピーが示すように、歌人のアンソロジーではなく、歌集のアンソロジーであるところが本書の特徴だろう。二〇〇〇年以後に出版された歌集を出版年順に並べて紹介しているのだが、そこにはちょっとした秘密が隠されている。たとえば最初に取り上げられているのは吉川宏志の『夜光』だが、これは吉川の第二歌集であり、第一歌集の『青蝉』は一九九五年に出版されている。穂村弘の歌集で取り上げられているのは『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』で、これは『シンジケート』『ドライ ドライ アイス』に続く第三歌集である。瀬戸が紹介文で、吉川が現在の短歌に与えた影響は、穂村弘や枡野浩一を凌ぐのではないかと書いているように、現代短歌に与えた影響の大きさから、吉川の歌集を入れたくて、第二歌集を選んだのにちがいない。また『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』については、「二十一世紀において短歌をいかにつくるべきかを考えるときにこの歌集を抜きに考えることはできなくなった」と瀬戸が書いていることからわかるように、短歌シーンに与えたインパクトの大きさが収録の理由となっているのである。つまり編者の選択眼は、歌人のみならずどの歌集を選ぶかにまで及んでいるということだ。これがなかなか大変な作業であることは想像に難くない。

 それぞれの歌集に付された瀬戸の論評には独自の視点があり、教えられるところが多い。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』のまみのモデルが雪舟えま(小林真実)であることは知らなかったので驚いた。また飯田有子の『林檎貫通式』が出版当時、ジェンダー的視点やフェミニズム的観点から読まれることがなかったという指摘や、東直子の口語短歌のテクニックはほとんど公共物となっているのに、そのことが過小評価されているという指摘には考えさせられるところがある。このアンソロジーを短歌の世界への入口とする人がたくさん現れるだろう。

 俳句の世界では、山田のアンソロジーと相似形の佐藤文香編著『天の川銀河発電所』、副題「Born after 1968 現代俳句ガイドブック」(左右社、二〇一七)が出ていて、川柳では小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、二〇二〇)があり、いずれもそれぞれの短詩型文学へのよき導き手となっている。併せて読むと、現在における短詩型文学の展望が広く得られるだろう。

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 もう一冊楽しい本が出たので紹介しておきたい。東直子・穂村弘『短歌遠足帖』(ふらんす堂、二〇二一)である。仲良しの東と穂村が、岡井隆、『きことわ』で芥川賞を受賞した小説家の朝吹真理子、最近穂村とコラボをしている脚本家・演出家の藤田貴大、名作『ポーの一族』の漫画家萩尾望都、お笑いコンビ麒麟の川島明をゲストに迎えて吟行した記録で、中身は作った短歌を披露しあう座談会になっている。岡井の回が二〇一二年、最後の川島の回が二〇一五年なので、吟行からずいぶん時間が経ってからの出版である。

 留意しておきたいのは、第一回目の吟行が行われた二〇一二年は、東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故、および関東地方での計画停電という稀に見る大きな出来事からまだ一年しか経っていないということだ。吟行で岡井ら三人の作った歌にはこの事件の余波が遠く反映している。

 岡井隆と吟行したのは井の頭公園と園内にある動物園である。三人は次のような歌を作っている。

実験用山羊をあやめし若き日を語りつつす黒き牡山羊を                             岡井 隆

頭蓋骨のくぼみに日本の影ためて老象はな子のっしり遊ぶ                             東 直子

「どっちからきたんだ、これからどこへゆく、あっちですか」と動物園で                             穂村 弘

 吟行では赴いた先で目にしたものを題材として歌を詠むので、注意力と機転が求められる。岡井の歌は、医者になるべく研鑽を積んでいた若い頃の回想だろう。穂村の歌は、実際にその場で岡井が言った言葉を歌に落とし込んだ、一種の挨拶歌である。こうして見ると、まるでゴーギャンの有名な絵のタイトルのようでもあり、何やら箴言めいて聞こえるから不思議である。

 朝吹真理子とは鎌倉へ、藤田貴大とは東京タワーへ、萩尾望都とは上野公園へ、川島明とは大井競馬場へ足を運んでいる。岡井以外の人の歌も挙げておこう。

少女 四番ポジションで漫画読む山門の脇道骨の上

                  朝吹真理子

オレンジに発光したあれ背に歩くこの気持ちとはあれだ、あれあれ                             藤田貴大

オリーブの山の一夜に眠り入る使徒の足もとに白い花咲く                             萩尾望都

「目があった!」頬赤らめてたあのひとは指を赤く染めどて煮を啜る                             川島 明

 俳句の句集をよく出している版元のふらんす堂ならではなのは、各回にお題として季語が与えられ、その季語をもとにして歌を作るという課題である。その季語がまた一筋縄ではいかないものばかりで、「鶏始めて乳す」「蟷螂生ず」「閉塞して冬と成る」「魚氷に上がる」「鹿の角落つ」である。みんなの苦吟する様子がほほえましいが、抜群の対応力を見せるのが東直子である。

三軒先までは知らせていなくなる鶏始乳四人よたり

制服をガラスの床におしつけた空つめたくて冬となる日に

鹿の角ぬけおちる朝こんなにも忘れてしまう心でしたか

 第一回目の吟行のゲストの岡井は昨年他界している。ずっと年下の二人の歌人と楽しそうに話す岡井の写真を見ると、いまだ岡井が存命のような錯覚に襲われる。東の歌に詠まれていた井の頭公園動物園の象のはな子も二〇一六年に老衰で亡くなっている。一連の吟行が行われたのは、新型コロナウイルスによるパンデミック以前のことである。昨年春以来、緊急事態宣言が断続的に発令され、マスク着用を強いられ、不要不急の外出を控えるように言われている現在から見ると、本書はまるで失われてしまった遠い世界の楽しかった行事の記録のように見えて、懐かしさすら覚えてしまうのである。

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 短歌ムック「ねむらない樹」は、毎号興味深い特集を組んでいるが、最新号の七号も例外ではない。特集1は葛原妙子で、川野里子による高橋睦郎インタビュー、石川美南・水原紫苑・睦月都・吉川宏志の座談会、尾崎まゆみ・松平盟子らによる論考、川野里子と水原紫苑の往復書簡と盛りだくさんである。なかでも高橋睦郎インタビューには、あっと驚くことがたくさん書かれて、興味深く読んだ。

 高橋睦郎といえば、現代詩人のイメージが強いかもしれないが、俳句と短歌もよくしており、句歌集『稽古飲食』で第三九回読売文学賞を受賞している。もともとは私家版だったものが、受賞を期に不識書院から普及版が刊行されている(一九八八)。

 ふるさとは盥に沈着しづく夏のもの

            稽古飲食』

  慈圓僧上の草枕ならねど

 捨靴にいとどを飼ふも夢の夢

 くたりつつ馨る玉葱少年のおよぴ觸れなばおよびしろがね

 死に到る食卓はろか續きゐていくつかは椅子二脚をそなふ

 その高橋が昔から多くの歌人と交流があったことがインタビューで語られている。高橋は葛原の自宅や軽井沢の別荘を訪れることがよくあったという。葛原は六月に東京を後にして別荘に行き、九月に東京に戻るまで、ずっと別荘の二階で過ごし、一階に降りて来ることがなかったそうだ。軽井沢の別荘から帰るとき、「駅弁でも召し上がって」と手渡された封筒に三十万円入っていたとか、葛原からはよく午前一時頃に電話がかかってきたとか、驚くような話が語られている。深作光貞や須永朝彦や長沢美津らの名も飛び出して、交流の広さが感じられる。

 特集2は川野芽生である。自筆年譜、近作の短歌、幻想小説作品に加えて、藤原龍一郎・吉田瑞季・山階基が寄稿したエッセーが掲載されている。川野のように歌集をまだ一冊しか持たない若い歌人がこのように特集されるのは珍しいことで、特段の待遇と言えるだろう。それだけ川野が注目されているということである。

 特集の目玉は何といっても山尾悠子との往復書簡だ。山尾といえば、『ラピスラズリ』『飛ぶ孔雀』などで知られる幻想小説作家で、熱狂的なファンがいることでも名高い。本人は「若気の至り」「黒歴史」などと言っているが、山尾には『角砂糖の日』(深夜叢書社、一九八二)という歌集がある。長らく絶版になっていたが、二〇一六年に新装版が出て話題になった。川野は現在、東京大学大学院総合文化研究科(駒場にある教養学部の大学院)の博士課程に在籍しており、ファンタジー文学、特にトールキンの『指輪物語』やウィリアム・モリスの研究をしている学徒である。ひと昔前の分野名で言うと比較文学だろう。言うまでもなく川野は山尾の大ファンであり、憧れの山尾と往復書簡を交わす機会を得られたことが嬉しくてならないという興奮が文章から伝わってくる。

 川野は自身がフェミニストでクィアであることを公言しているので、話題は勢い「女性であること」と「風変わりであること」に及ぶ。山尾は、尾崎翠・倉橋由美子・矢川澄子らかつての風変わりな女性作家が孤独であったと言い、また自身も小説の世界で若い頃はとても孤独だったと述懐している。短歌の世界ではどうかと川野に問い掛けると、川野は、葛原妙子が孤独だったという印象はなく、自分自身も歌の仲間がいて孤独は感じないと答えている。男性優位の小説の世界と、女性作家が多くいる短歌の世界のちがいかもしれない。やがて話題は両性具有へと及び、ファンタジー文学に馴染みのない人間にはとうてい手の届かない領域へと入ってゆくのだが、二人がシスターフッドの可能性について熱く語っているのが注目される。

凍星よわれは怒りを冠に鏤めてこの曠野をあゆむ

                  川野芽生