第3回 [sai] 歌合始末記

 すべては一通のメールから始まった。
 2005年の暮れも押し詰まった11月のことである。同人誌[sai]で歌合を企画しているので、判者になってくれないかという依頼が黒瀬珂瀾氏から舞い込んだ。[sai]は黒瀬珂瀾氏をはじめとして、石川美南、今橋愛、生沼義朗、島なおみ、高島裕、正岡豊、玲はる名、鈴木暁世らを立ち上げメンバーとして発足した短歌同人誌で、2005年の9月に第1号が出ている。この歌合は第2号に向けての企画なのだという。
 いきなりの依頼に驚いた。「歌合の経験がないのはもちろんのこと、ルールも知らないので、とても判者が務まるとは思えない」ととっさの返事をしたのだが、黒瀬氏からは「参加するメンバーもルールを知らないのは同様で、真剣な遊びと考えてもらえばよい」との答えが返って来た。逡巡の末に受諾したのは、おもしろそうだという単純な好奇心もさることながら、それまで姿を見たことのない歌人という人種に会えるという魅力に抵抗できなかったからである。
 私は2003年から自分のホームページで「今週の短歌」と題して素人短歌批評(のようなもの)を毎週書いていた。しかし純粋読者を目指す私の短歌との付き合いは本を通してのものに限られており、生身の歌人に会ったことは一度もなかったのだ。私にとって歌人とは、言葉の魔術を巧みに操る超人のように思えるので、歌人とじかに会うのは恐ろしいが、会ってみたいという誘惑も抗しがたかったのである。
 そうこうするうち12月11日(日)の歌合当日を迎えることとなった。待ち合わせ場所は京都駅の七条側改札口である。黒子役で黒瀬珂瀾夫人の鈴木暁世さんが目印に[sai]を一冊手に持って待っているという。ホームページに実物そっくりの似顔絵を掲載しているので、先方が私を見つけるのはかんたんだ。少し早めに待ち合わせ場所に到着してあたりを観察するが、私は歌人たちの顔を知らないのできょろきょろするばかりだ。ふと見ると改札口を出た所に、並々ならぬ存在感を発散させている男性がいるなと思っていたら、参加メンバーの一人、北の歌人・高島裕氏であった。やがて参加者が続々と到着し、とりあえず昼食をとることになる。あいにく日曜の時分時で飲食店はどこも混雑している。京都駅を出て向かいにある京都タワービル地階の食堂に入る。こんなとき自然とリーダーとなってみんなを引率するのは黒瀬珂瀾氏で、そのカリスマ性はすごいなと横から観察する。昼食が終わったところで、歌人たちはふたつのチームに分かれて作戦会議に入る。私は判者なので会議には加わらず、手持ちぶさたで所在がない。作戦会議が終了し、地下鉄に乗って会場へ移動する。会場は四条烏丸を少し北上した所にあるウィングス京都である。楽屋裏のような場所を通って予約した会議室にたどり着き、いよいよ歌合わせの幕が切って落とされた。
 今回の歌合のルールはこうである。方人(かたうど)は東方が生沼義朗、高島裕、光森裕樹、玲はる名、西方が石川美南、今橋愛、黒瀬珂瀾、土岐友浩、司会は鈴木暁世、判者は不肖私。東方には「ゆりかもめ」、西方には「チーム赤猫」というニックネームがつく。参加者にはあらかじめお題が出ており、「パパイヤ」「たんす」「半島」「姉」の4つを詠み込んだ歌を準備している。方人は一首ずつを出して一騎打ちの対戦をする。残りのメンバーは念人(おもいびと)となって、自軍の歌を弁護し敵軍の歌を攻撃する。ひとしきりの議論の後で、判者の私が判辞(裁定理由)とともに勝ち負けを宣告するという手順で、小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)のルールにほぼ則っている。『短歌パラダイス』では高橋睦郎が判者として見事な裁定を下しているが、もとより私にはそんな能力も権威もないので、心臓に汗をかく思いである。
 最初のお題は「パパイヤ」で、対戦者は「ゆりかもめ」から光森裕樹、「チーム赤猫」から石川美南。
 光森裕樹は「京大短歌会」OBで、現在は東京でIT関係の仕事をしており所属結社なし。2005年に「水と付箋紙」50首で角川短歌賞の次席に選ばれている。何首か引いてみよう。
 しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
 てのひらは繋がるかたちと知るゆふべ新京極に影をうしなふ
 はさまれし付箋にはつかふくらみて歌集は歌人の死をもて終はる
 80年代後半からの修辞全盛を通過した目で見れば、古典的とも言える端正な作りで、手堅い骨格のなかに清新な抒情を漂わせる作風である。しかし欲を言えば、歌の中にひっかかりが少なく、すらすらと結句まで読めてしまう。そんなところが、選考委員の河野裕子の「感じのいい歌ですが、迫力がないのね」という発言に繋がるのだろう。日本語にもっと負荷をかけて、言葉を撓ませることもときには必要ではなかろうか。
 かたや「チーム赤猫」の石川美南は『砂の降る教室』(2003年)でデビューした若手の注目株である。最近東京で「さまよえる歌人の会」なる組織を結成したらしい。水原紫苑に「口語とも文語とも判別がつかない文体」と評された石川の歌も引用しておこう。
 窓がみなこんなに暗くなつたのにエミールはまだ庭にゐるのよ
 いづれ来る悲しみのため胸のまへに暗き画板を抱へてゐたり
 カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋
 さて、お題「パパイヤ」の出詠歌である。
  タイ内陸部、チェンマイ
 パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を  光森裕樹

 うるはしきルーティンワーク犇めけるパパイヤのたね身に飼ひながら  石川美南
 光森の歌はタイ旅行に取材したもので、一見すると単なる叙景歌に見える。歌合参加者がこの歌についてどのような発言をしたかは[sai]第2号の記録に譲るとして、私には高島裕の示した解釈が印象深かった。眼鏡は近視の人がこの世の事物を見るために必要なものであり、この世を暫時離脱する瞑想に入る僧侶には必要のないものである。眼鏡を外す行為は、見える世界から見えない世界への移行の喩であり、この歌にはそのような仏教的世界観が表現されているというのである。高島が自軍の念人であることを差し引いても優れた読みと言えよう。
 一方の石川の歌は働く日常がテーマである。この歌のポイントは「犇めける」という表現で密集する種の様子を描写した点と、パパイヤの種を外在的事物として詠むのではなく、体内の感覚の喩として提示した点にある。その感覚はルーティンワークに象徴される卑小な日常性に対する焦燥だろう。
 題詠では「パバイヤ」という題が十分生かされているか、「パパイヤ」でなくても成立する歌ではないかといった点が、歌の優劣を判定するポイントとして重視される。光森の歌をめぐっても、ひとしきりそのような議論が続いた。私は議論に参加する立場にないので黙って聞いていたが、後日思いついたのは、パパイヤの形状と、黄色い果肉の中に黒い種がぎっしり詰まっている内部構造が重要ではないかということだ。パパイヤの外見はやや括れた卵形をしているが、卵はしばしば宇宙や再生のシンボルとされる。また内部に詰まった種はビッグバンのごとき爆発的な生産力を暗示する。するとパパイヤ自体を転成を繰り返す宇宙の暗喩とみなせるのではないか。ならば僧侶が眼鏡を外す行為が象徴するこの世からの離脱と、パパイヤが体現する宇宙的次元はよくマッチするのである。
 判定は東方の光森を勝ちとした。僧侶が眼鏡を外すという何気ない情景に精神性を詠み込んだ光森の手腕と、倒置法による手堅い措辞を多としたのである。石川の歌もおもしろいが、二句切れなのか三句切れなのか判然とせず、上句の調子があまりよくない。これで東方「ゆりかもめ」チームが一勝となる。
 次のお題は「たんす」。方人は東方が生沼義朗、西方が今橋愛である。生沼は短歌人会所属。『水は襤褸に』(2002年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞して注目を浴びた歌人であり、荒廃を抱え込む現代都市東京を背景とする神経症的な抒情に持ち味がある。
 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ
 塩辛き血の腸詰を喰いながらわがむらぎものさゆらぎはじむ
 嚥下するピリン錠剤 精神の斜面(なだり)にしろき花咲かすため
短歌人会には現代では珍しく「男歌」の系譜が脈打っているように感じるが、生沼も確実にその衣鉢を継ぐ一人だろう。
 一方の今橋は『O脚の膝』(2003年)で北溟短歌賞を受賞した若手で、『短歌研究』800号記念臨時増刊の「うたう作品賞」には赤本舞の名前で投稿していた。多行書きで場所を取るので『O脚の膝』から1首だけ引用する。
 「水菜買いにきた」
 三時間高速をとばしてこのへやに
 みずな
 かいに。
 独特な言葉の浮遊感と、現代詩と淡く接続した詩想は、明治以来の近代短歌の作歌原理と完全に切れている印象が強い。その個性はとうてい他人が真似できるものではなく、ヘタに短歌のお勉強などしないよう切に願いたくなる作風である。
 さて、生沼と今橋のタンスの歌に移ろう。
 人生の荷物を背負うこと思い、タンスかつげばタンスは重い  生沼義朗

 うかがって うすくわらっておりました
 たんす ながもち どの子がほしい?  今橋 愛
 生沼の歌は今回のお題と波長が合わなかったのか、いつもの調子が出ないようで、敵軍からは人生の荷物をたんすで象徴するのは陳腐だとか、「思い」「重い」の脚韻もうさんくさいだとかさんざん攻撃されていた。ちょっと反論しにくいのが気の毒である。自軍の東方の念人もほめあぐねている感があった。また「本当にたんすをかつげるのか」という話題にも花が咲いたが、その昔、TBSの「ベストテン」で演歌歌手の大川栄策がかついでいるのを見たことがあるのでその点は心配ない。
 今橋のたんすの歌は、上句の主語が意図的に消去され、下句にわらべ歌を引用して、人気のない大きな日本家屋で座敷童が白昼に戯れているような不思議な印象を生み出している。初句「うかがって」が「伺って」なのか「窺って」なのかひとしきり議論があったが、これは「窺って」だろう。
 題詠で重要なのは、題の持つ意味場の潜在力をいかに引き出すかという点と、日常的文脈に回収されていない意味や結合をいかに発見できるかという点である。今回の対決では、生沼の歌の「人生の荷物」と「たんす」の取り合わせはいささか平凡に堕した感が否めない。今橋の歌は、日常的什器であるたんすから滲み出る不気味さの感覚をよく捉えている。実力派の生沼には気の毒な結果となったが、判定は西方の今橋の勝ちとした。ここでコーヒーが運ばれてきて、いったん休憩となる。
 次のお題は「半島」。なかなか手強いお題だが、今回の歌合わせ白眉の勝負となった。お題から放散される意味場の強度が歌人の創作意欲を刺激したと見える。東方は玲はる名、西方は黒瀬珂瀾である。
 東方の玲はる名は「短歌21世紀」所属。歌集に『たった今覚えたものを』(2001年)があり、印刷媒体よりもインターネット上で活躍している歌人である。今回の歌合でもずっと膝の上にノートパソコンを置いて何か打ち込んでいた。何首か引いておく。
 便器から赤ペン拾う。たった今覚えたものを手に記すため
 冬の間は忘れ去られる冷蔵庫の製氷皿のごときかわれは
 体には傷の残らぬ恋終わるノンシュガーレスガム噛みながら
 かたや黒瀬珂瀾は『黒耀宮』(2002年、ながらみ書房出版賞)の耽美的世界で注目された歌人で、「中部短歌」を経て現在は「未来」所属。批評会やシンポジウムなどの常連と言ってよいほど短歌シーンで活躍している。短歌の未来を担う逸材であることはまちがいない。得度したとも聞いているので、私が万一のときには一面識もない坊さんより、黒瀬氏に経をあげてもらいたいものだ。
 咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり 『黒耀宮』
 世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ
 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく
 さて両者の「半島」の出詠歌である。
 半島に夕暮れどきを 半熟の卵で汚れたスカートに銃を  玲はる名

 ひとづまのごと国を恋ふ少年にしなやかに勃つ半島のあれ  黒瀬珂瀾
   ふたりが詠んだ歌は期せずして強いエロスの磁場を発散するものとなった。玲の歌は「夕暮れどきを」と「スカートに銃を」と、二重の希求体を並置して高いテンションを付与し、「スカート」の女性性に「銃」という男性性を対置することで、歌の内部に緊張感を演出している。また「夕暮れ時」を権力の凋落、「半熟の卵で汚れた」を抑圧・陵辱、「銃」を闘争の喩と読むならば、政治的な解釈も可能な歌である。歌合では実際にそのような解釈を示す人もいた。二句切れの不安定さもここでは歌にこめられた切迫した希求感を強める効果がある。
 一方黒瀬の歌は、「人妻」と「少年」の対置が醸し出す「禁忌」と「隔たり」を、「少年」と「国」の関係へ投影し、「勃つ」と「半島」の連接が性的暗喩を生む構造になっている。直喩と暗喩を駆使した技巧的な歌であり、黒瀬の得意とする同性愛的世界である。
 「半島」というお題が二人の歌でこれほどの物語性を押し上げるのには驚く。海に向かって突き出しているという形状もさることながら、半島がしばしば政治的軋轢や戦闘の舞台となったという歴史的経緯も、この語に強い意味的磁場を付与しているのだろう。  さて判定である。事前になるべく「持ち」(引き分け)は出さないようにと言われていたのだが、こういう秀歌が出そろうと判者の心は千々に乱れる。考えた末、この対決ばかりは甲乙付けがたく、よって持ちとすることとした。
 歌合もいよいよ大詰めを迎え、最後のお題は「姉」である。東方「ゆりかもめ」チームからは高島裕、西方「チーム赤猫」からは土岐友浩。労働で鍛えた頑丈そうな高島の体格と、神経質そうな痩せた土岐の体格が対照的な対戦である。別に体格で勝負するわけではないけれど。
 高島は「首都赤変」で1998年の短歌研究新人賞候補に選ばれて注目された歌人で、「未来」に所属していたが現在は無所属。歌集に『旧制度(アンシャン・レジーム)』、『嬬問ひ』、『雨を聴く』、『薄明薄暮集』がある。最近は故郷の富山の風土に沈潜するような歌を作っているらしい。北国の人らしく寡黙だが、歌の解釈を述べるときの冷静にして的確な意見は印象に残った。
 蔑 (なみ) されて来し神神を迎えへむとわれは火を撃つくれなゐの火を
                『旧制度(アンシャン・レジーム)』
 森の上 (へ) にふと先帝の顕ち給ふ苦悶のごとく微笑のごとく
 雪の野に横たふわれの掌のなかで灯る青あり青はいもうと 『嬬問ひ』
 一方の土岐友浩は京大短歌会所属の現役大学生。2005年の第3回歌葉新人賞では「Cellphone Constellations」で、2006年の第4回歌葉新人賞では「Freedom Form」で最終候補作品に選ばれている。最近、Web歌集「Blueberry Field」を上梓したので、何首か引用しておこう。
 首もとのうすいボタンをはずしたらゆびさきにのりうつったひかり
 ウエハースいちまい挟み東京の雑誌をよむおとうとのこいびと
 こいびとの黄色い傘をもったままイルミネーションへ移る心は
 土岐の世代にとってはニューウェーブ短歌はすでに歴史であり、その資産は組み込み済みのものとして作歌を始めるのだろう。
 ふたりの「姉」の出詠歌は対照的な歌となった。
 姉歯、とふ罪人の名を愛でながら夕餉の魚を咀嚼してをり  高島 裕

 かろうじてきれいな川をふたりして見る 姉にしてお茶をくむひと  土岐友浩
 高島の歌には今となってはいささか解説が必要である。歌合の少し前、姉歯一級建築士による建築強度偽装問題が発覚して大騒ぎになったので、これは時事的な歌なのである。お題の「姉」が姉歯という固有名として詠み込まれている。題詠ではお題をストレートに詠み込まず、少しずらして詠むというやり方もあって、これもアリなのだ。描かれているのは男の孤独な夕食の場面で、「罪人の名を愛でながら」にどこか屈折した心理が読み取れる。また「咀嚼してをり」には、世の出来事に対して距離を置いた即物的な反応が暗示されている。全体として静かな中に鬱屈した心情を体臭のように発散させるよい歌だと思う。また「姉歯」の「歯」と「咀嚼」とが遠く呼応しているという指摘もあった。
 土岐の姉の歌は解釈をめぐっていろいろな議論があった。なかなか読みにくい歌である。「ふたりして見る」とあるので、女性と「私」が川を見ているのだろう。「お茶をくむひと」は死語となった感のある「お茶汲みOL」か。「姉にして」も本当の姉か、姉のような人か解釈が分かれる。私など最初は、川を見下ろす旅館の二階で女性がお茶を淹れている場面を想像してしまったが、みんなの読みはそうではないらしい。テーマは年上の女性に対する淡い恋情と、まもなく関係が壊れるという予感あたりだろうと推測される。
 歌合では一首ずつで勝負を決めるので、一首の屹立性が弱くまた結像力に欠ける口語短歌は不利である。「決まった」という感じが薄いからだ。口語短歌における連作の重要性とも関係する問題だろう。
 判定は高島の勝ちとした。土岐の若さも高島の作歌経験のぶ厚さを突破するには少し勢いが不足したようだ。
 都合四番の勝負の結果、東方「ゆりかもめ」チームが2勝1引き分け、西方「チーム赤猫」が1勝1引き分けで、東方の勝ちである。「ゆりかもめ」チームは快哉を叫び、[sai]歌合はお開きとなった。
 開始が予定時間より遅れたので、会場を出ると京都の町はもう暮れ方である。これから喫茶店に行くという歌人たちと別れて、疲労困憊した私は一人家路についたのであった。

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089:2005年2月 第1週 今橋 愛
または、詩と地続きのゆるい定型感覚から繰り出される薄い空気の歌

手でぴゃっぴゃっ
たましいに水かけてやって
「すずしい」とこえ出させてやりたい

          今橋愛『O脚の膝』
 この短歌批評ではずっと掲出歌を二行書きにしている。しかし今回の今橋の歌は、もともと原文が三行書きになっていて、私が恣意的に区切ったものではない。この多行書きが今橋の短歌にとってはとても重要なのだということから話を始めたい。

 今橋のプロフィールは、大阪市生まれで京都精華大学卒業、24歳の頃から短歌を作り始めるとしか明らかにされていない。しかし、歌集巻末に著者近影が掲げられているので、若い女性であることはまちがいない。京都精華大学といえば、過去には現代短歌のフィクサー深作光貞が学長を務め、岡井隆が教授で上野千鶴子も教鞭を執っていた大学である。しかし、今橋はこのような伝統から生まれた歌人ではない。結社には所属せず、2002年に「O脚の膝」100首で北溟短歌賞を受賞している。審査員は穂村弘水原紫苑。2000年に短歌研究社が開催した「うたう作品賞」コンテストで候補作に残った赤木舞が今橋のペンネームであったことに気づくのに、少し時間がかかった。「うたう作品賞」候補作も『O脚の膝』にそのまま収録されている。

 さて掲出歌だが、改行が句切れに対応していると想定すると、6・7・6・7・8の34音でかなり定型から外れている。ひながなの多用と口語文体は、最近の若い女性作者にはよく見られるもので、特に珍しいものではない。掲出歌は多行書きになっているが、集中にはふつうの一行書きの歌もあれば、二行もそれ以上の歌も混じっている。試しに二行書きと、それ以上の多行書きの歌を一首ずつ引用しておく。

 濃い。これはなんなんアボガド?
 しらないものこわいといつもいつもいうのに

 わかるとこに
 かぎおいといて
  ゆめですか

 わたしはわたし
 あなたのものだ

 今橋はなぜ多行書きにこだわるのだろうか。短歌を一行書きにするのが決まりになったのは明治からのことで、それ以前の古典和歌の時代には多行書きがふつうだったようだ。色紙や屏風などに書くときには、散らし書きといって平面に分散して書くことによって、視覚的印象を追求する技法もあった。日本語は世界でも珍しい音節文字である仮名を使っているので、右から書こうが左から書こうがどちらでもよく、散らして書いてもかまわないという自在な特性がある。散らし書きは屏風などに描かれた絵と短歌の複合的意味作用をめざしたものだといえる。明治になって一行書きにするようになったのは、短歌を文学として美術から独立させたいという意図に基づくものだ。もしそうならば現在では約束事となっている一行書きではなく多行書きを採用するということは、短歌の一首としての屹立をめざすのではなく、逆に短歌をそれ以外のジャンルと融合させるか、少なくとも地続きのものとして捉えていることになる。今橋の場合は、明らかに詩と地続きである。だからこの歌集に収録された作品は、果たして短歌として読むべきか、散文詩として読むべきか迷うものが多い。

 上にあげたアボガドの歌にしても、「濃いこれは なんなんアボガド しらないもの こわいといつも いつもいうのに」と区切れば、三句が6音に増音されている点を除いて定型に近い。しかし句切れと改行が一致していないので、一読したときに定型感が希薄である。二首目の「わかるとこに」も初句の一音字余りを除けば定型なのだが、句ごとに改行されると印象は短歌より詩に近くなる。

 手をふっても
 またねといっても
 次にかおをみないと
 かおをみたいのです

 四行書きのこの歌にしても、「次にかおを」で句切れがあるのだが改行と一致していないため、改行に忠実に読むと短歌として読むことが難しい。今橋にあってはかくのごとく、定型感覚は希薄なのである。おそらく定型という意識そのものが今橋の頭にないものと思われる。

 今橋の短歌 (のようなもの) に好意的な評価をしている奥村晃作は、「短歌研究」2005年2月号の今橋を論じた文章のなかで、短歌が短歌として成立する条件をふたつあげている。

 その一 フォルムを遵守すること
 その二 レトリックが一以上あること

 奥村はこの基準に照らして、今橋の次の一首目は短歌だが、二首目は短歌ではなく四行詩だと結論づけている。

 たくさんのおんなのひとがいるなかで
 わたしをみつけてくれてありがとう   「ラーラぱど」所収

 「水菜買いにきた」
 三時間高速を飛ばしてこのへやに
 みずな
 かいに。

 奥村の第一の条件にある「フォルム」とは定型のことだとして、第二の条件にある「レトリック」はいかようにも解釈できる。奥村は上の一首目「たくさんの」にレトリックが認められる根拠として、「口語である」「新かな遣いである」「ひらがな書きである」「句跨りがある」「字余りがある」をあげているが、これはどうだろうか。狭義のレトリックとして認められるのは「句跨り」くらいのもので、それも今橋の場合は意図的なレトリックではなく、結果として句跨りになったと見るほうが自然だろう。奥村はいささか今橋を買い被りすぎではないだろうか。ちなみに奥村が「短歌である」と認定した上の一首目はつまらないが、「短歌ではない」と認定された二首目のほうがずっとおもしろい。三時間高速を飛ばして水菜を買いに来るという設定そのものの荒々しさが、青春の一途さの喩として読める上に、最後の「みずな」「かいに」を平仮名書きして改行することによって、つぶやくような口調のなかに青春の傷つきやすさがせつないほど表現されている。水菜を手に握り締めて部屋の中に立っているイメージの結像力は抜群である。今橋のレトリックはここにこそ発揮されていると言うべきなのである。

 「うたう作品賞」コンテストと同じ号で、穂村弘は「棒立ちのポエジーと一周回った修辞のリアリティー」という議論を展開し、「棒立ちのポエジー」の例として次の歌を挙げている。

 あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります  加藤千恵

 そこにいるときすこしさみしそうなとき
 めをつむる。あまい。そこにいたとき               赤木 舞(今橋 愛)

 この変なドキッという感じの衝撃は巨大イカを知った時と似てる   脇川飛鳥

 穂村のいう「棒立ち」とは、近代短歌のレトリックがまるで使われておらず、ただ五・七・五・七・七の音数に合わせて言葉を並べただけのように見える歌のことである。「棒立ちのポエジー」派とは、意図して棒立ち歌を作っているわけではなく、それだけしか作れない「天然」の人を意味する。それに対して、「一周回った修辞のリアリティー」というのは、短歌的修辞を用いた歌も作れるのだけれども、あえてそれを避けて無防備な棒立ち歌を作る人のことである。徒競走で一周遅れの走者が先頭の走者と並んで走ることがあるように、「棒立ちのポエジー」派と「一周回った修辞のリアリティー」派は、一見すると区別できないような歌を作るという趣旨の議論である。

 穂村の判定では今橋は「棒立ちのポエジー」派に分類されている。後世になって過去の事例を断罪するのはルール違反であることを承知で言えば、穂村の判定は見事に外れていたと言うべきだろう。今橋は決して「棒立ちのポエジー」派ではなかったのである。そのことは『O脚の膝』所収の短歌 (のようなもの) が証明している。ただ今橋の作歌のスタンスが、短歌定型を守ることなど頭から考えておらず、多行書きの散文詩と地続きの、単なるスタイルのひとつ程度の意識に基づいていたということなのだ。穂村は「こんなふうにしてもいいよね」というゆるいジャンル意識を読み切れなかったのだろう。要するに、穂村は短歌にこだわりがあり、あくまで短歌のフィールド内で論じているが、今橋にはそんなこだわりは微塵もなく、よそのフィールドに勝手にはみ出していたということだ。

 穂村は『O脚の膝』の栞文のなかで、今橋の短歌(のようなもの) の特徴を次の三点にまとめている。

 a. 5W1Hに関する具体的な情報の欠落。
 b. 多行書きやランダムな旧仮名遣いや時制の混乱や文法からの逸脱を含む直感優位の言語操作。
 c. 言葉の単純さ。

このうち b. は「いろいろやってみる」という現代短歌と現代詩に共通する志向であるから、特に異とするには当たらない。a. に関してここでは特に指示詞のコ・ソ・アに注目してみたい。というのも指示詞は、話し手(書き手)と聞き手(読み手)の共通の了解を基盤に成立するものだからである。

 上にあげた赤木舞名義の「そこにいるとき」の「そこ」がどこをさすのか、作者だけが知っていて読者は知りようがない。これが今橋の典型的な指示詞の使い方である。

 おでこからわたしだけのひかりでてると思わなきゃここでやっていけない

 慣れすぎてやさしかった。あのへやに
 いつものようにあんなボサノヴァ

 もうちがうものになってる?
 太陽が。
 あのひあんなにまぶしかったのに

 一首目の「ここ」、二首目の「あの部屋」「あんなボサノヴァ」、三首目の「あのひ」はいずれも指示対象が読者にはわからないように使われている。これをよく知られた次の歌と比較してみよう。

 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ 小野茂樹

 小野の「あの夏」と今橋の「あのひ」は決定的にちがう。この差が近代短歌と今現在の短歌をへだてる差である。小野の歌でも「あの夏」がどの夏をさすのかという説明はないが、この歌が相聞歌でありまた恋が終った後の歌であるという歌意を踏まえれば、「あの夏」が私と恋人の恋がいちばん輝いていた夏だということは読者に了解されるように作ってあり、それが作歌と読みの約束事として成立していたのが近代短歌であることは言うまでもないことだろう。今橋の「あのひ」はこの約束事を軽やかに蹂躙している。ここから引き出すことができる結論は、次のふたつのどちらかである。

 その一 今橋のような作り方をする短歌は、作者と読者を結ぶ読みの回路を最初から無視しており、作者が作って満足すればいいという自己充足的短歌である。

 その二 今橋のような作り方をする短歌は、特化されるような感情や意味を伝えるものではなく、意図的に意味を曖昧にし措辞を攪乱することをひとつの技法に昇華し、読者の心の水面に正体のわからない波紋を広げることのみをめざした歌である。

 さて、どちらの結論が正しいのだろうか。私としてはその二が正しいことを願うばかりである。

 最後に印象に残った歌をあげておこう。

 きめたのでしんだひとですはなのなか
 こどもみたいにでてきたらこまる

 そのくちはなみだとどくをすいこんでそれでもかしこい金魚でしょうか

 きのう家。
 軽くこわれて かあさんは
 こんな日にだけ むらさきのしゃどうを

 ぼくは流す
 やさしいオンガク空のほう
 人生のリセットボタンおすとき

 一首目と二首目は童謡風の怖さがひらがな書きによって強められており効果的である。三首目は家庭崩壊を詠んだものと思われるが、この歌にも冷たいコワさがあり、今橋の個性は案外こういう所に表れているのかも知れない。四首目は若い世代を特徴づける「セカイ系」のゲーム感覚がよく現われている。早坂類や佐藤りえの短歌を読んでいても感じることだが、若い世代の作る歌にはまるで世界の終末に立ち会っているような空虚感が濃厚に漂っていて、息苦しくなることがある。その理由は短歌の世代論として一度真剣に論じてみる必要があるのかもしれない。