第273回 楠誓英『禽眼圖』

さるすべり炎天にひらく形にて暗くよぢれる臓物わたもつわれら

楠誓英『禽眼圖』 

 百日紅はその名のごとく初夏から秋口にかけて長い間ピンクや白の花を咲かせる樹木である。排気ガスに強いせいか、車道の街路樹として植えられることも多い。上句の「さるすべり炎天にひらく形」までを読むと、読者の脳裏には夏の炎天下の百日紅の花のイメージがまざまざと甦る。ところが複合助詞の「にて」まで達すると、一転して百日紅は下句にかかる喩であることが判明する。百日紅は私達が腹の中に持つ内臓のイメージとして置かれているのだ。その喩の大胆さにも驚くが、百日紅の咲く炎天の明るさと、内臓を蔵した体内の暗さの対比がこの歌の眼目だろう。それと同時に目に見える百日紅を詠むことで、目に見えない内臓を喚起している点が重要である。どうやら作者は目に見えない世界に惹かれているようなのだ。

 歌集に添えられたプロフィールによると、楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社はないようだ。2013年に「青昏抄」300首で第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で2014年に第 40回現代歌人集会賞を受賞している。『禽眼圖きんがんず』は2020年1月に出版された第二歌集である。版元は書肆侃侃房で現代歌人シリーズの一巻。私は歌人としての楠の名を知らなかったのだが、『禽眼圖』を一読して感銘を受けたので今回取り上げてみたい。

 誰も知るように旧派和歌から近代短歌への転換には写生という技法が大きな役割を果たした。もっとも写生とは何かという問題を巡っては様々に論争があったこともよく知られている。「写生道」を提唱した島木赤彦に到っては、「吾人の写生と称するもの、外的事象の写生に非ずして、内的生命唯一真相の補足也」とまで述べている。今でも短歌の初心者に対しては、「自分の身の回りの物事をよく観察しなさい」というアドバイスが与えられるようだから、近代西洋絵画の影響下で生まれた「写生」という技法が、短歌を作るテンプレートとして有効に機能しているのだろう。

 しかし写生では捉えることのできない目には見えない世界を詠む歌人もいる。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ  浜田到

死神は手のひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり  葛原妙子

少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲溺るる  松平修文

 いずれも形而上的世界や天上的世界を詠む歌人、あるいは幻視・幻想の歌人などと呼ばれる歌人たちである。楠がこのような系譜に連なる歌人だというのではない。しかし楠が目に見える世界と目に見えない世界のどちらに惹かれているかと問えば、答は明らかに後者なのである。

ロッカーのわたしの名前の下にある死者の名前が透けて見えくる

軒下に寄れば自動でつく灯りものかげ消えて死後のあかるさ

右の靴ばかりがならぶ店の奥箱に眠れる左の靴よ

まなうらに羽ばたくかげあり 小禽を愛せし兄の弟なれば

人間が消えた車両かまひるまの校舎のかんの渡り廊下よ

 一首目、職員ロッカーには使用者の名札が貼られている。私が今使っているロッカーには前に使っていた人がいるはずだ。その人はずっと昔に鬼籍に入っているかもしれない。自分の名札の下にその死者の名が見えるという歌である。二首目、近頃は赤外線を用いた人感センサーというものがあり、人が近づくと自動的に点灯する。するとそれまで辺りを支配していた闇と影が消失する。周囲を満たす明るさがまるで死後の明るさということは、何かが失われたのである。三首目、場所を節約するために右の靴しか店頭に並べていない靴屋で、作者の想いは自然と靴箱の暗がりの中にひっそりと倉庫に仕舞われている左の靴へと向かう。四首目、後で述べるが作者の兄は亡くなっている。その兄を想うと、瞼の裏に小鳥の羽ばたきが見える。五首目、作者は学校に勤務しているようで、真昼の無人の渡り廊下が、まるで乗客が消失した幽霊列車の車両のように見えたという歌である。

 「叙景を述べて叙情に至る」というのが抒情詩としての短歌のあり方だが、その伝で言えば、「可視を述べて不可視に到る」のが楠の歌の骨法であるらしい。そのことはあとがきで作者が、「見えるものの向こう側に心を寄せていく。見えないものを視る『眼』が欲しいと苦しいまでに切望する時がある」と書いていることからも裏付けられよう。

 それは神戸に住んでいた作者が、1995年に起き、今年25年目を迎える阪神淡路大震災で兄を亡くしていることと関係があるのかもしれない。作者が12歳の時のことである。

跳ねている金魚がしだいに汚れゆく大地震おほなゐの朝くりかえしみる

柩なく死体はならびて窓とまどのほのほのあかり揺らめいてゐた

花の色素つきたる兄の骨いだくあの日のわれが雨降る奥に

この世では家族をもてぬ亡兄あにとゐて団地のあかりがやけにまぶしい

橋梁を渡るとこちらはあちらになりわたとぶなかに亡兄あにの立ちたり

人型の残りしシートに身をそはせ死なざるわれの手足を置きぬ

 兄は死に自分は生き残ったという想いが作者にはあるのだろう。震災で亡くなりそれ以後歳をとらなくなった兄を想うことは、幽明境を異にする不可視の世界に心を遊ばせるということでもある。

自傷痕隠す少女の瞳の奥 レニングラードに雪は降りけむ

組み伏せしきみのまなこに廃れたる灯台一つおく海がある

教室に残る少年となへたる論語のなかを渡りゆく鳥

 上に引いた歌では水から氷へと変化する相転移のごとくに、見えるものの背後に何かを見ようとするスイッチが働いているようだ。リストカットの跡を包帯で隠す少女の瞳の奥にはサンクトペテルスブルグという昔の名に戻った街に降り積む雪が見え、組み伏せたおそらく男性の瞳の中には廃灯台が、教室に居残って論語を暗唱する少年の背後には空を渡る鳥が見えるのである。

 闇より光を感じる歌は少年を詠んだ歌に多い。

桟橋にゆれるもやひの一束となりて眠れり水泳ののち

半身を窓より出して風を受く君はいつの世の水夫であったか

少年から青年にかはる身体にていだけば波に倒るる自転車

出窓にて膝をかかへて闇の後の光を話すきみとデミアン

 一首目には、体育の授業で水泳をした疲れから、まるで船と船をつなぐ舫のように眠る少年達が詠まれている。二首目はおそらく教室の窓から上半身を外に乗り出している生徒だろう。まるで西脇順三郎のギリシア詩のような陽光溢るる世界である。四首目のデミアンはもちろんヘルマン・ヘッセの名作『デミアン』に登場する謎の少年。

灯の下にとりどりのパン集まりて神の十指のごとく黄昏

青銅のかひなに抱かるる一瞬の暗さのありてうみは暮れたり

木の下の暗がりのなか雨をみるきんのまなこになりゆく真昼

継父に虐げられし少年と白皮厚き朱欒ザンボアを断つ

深夜灯てらす花屋にめぐり来て渇きて一夜香るダアリア

鞄のなか昨日の雨に冷ゆる傘つかみぬ死者の腕のごとしも

乾きたるプールの底に立つひとのまばゆし死後のひかりのやうに

もう一度弟になりたし鉄橋をすぐるとき川のひかりは満ちて

 特に印象に残った歌を引いた。いずれも言葉で立ち上げた世界のイメージ鮮明、と同時にどこからか熟れすぎた無花果の腐臭がかすかに漂うような美意識に貫かれている。フラットな口語短歌全盛の感のある現代の短歌シーンにあって、楠のような作風は奇貨とすべきだろう。「なづのき」の田中教子の回想によれば、楠は大学の卒業時からすでに戦前の文学青年のような雰囲気を身に纏っていて、かつての上海租界の豪奢と退廃が似合う青年だったというから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。