第353回 水原紫苑『快楽』『天國泥棒』

美しきナイフ買ひたしページ切り天球のごときまなこ切るべし

水原紫苑『快楽』

 その昔、欧州では本は簡易製本の仮綴本で販売されていた。購入者は買った本を製本屋に出して、革表紙に金箔押しなど好みの装幀をする。仮綴本はページを裁断せずに売られていた。これをアンカット本、またはフランス装という。買った人が読む時に自分で切らなくてはならない。このために発達したのがペーバーナイフである。私が学生時代に買ったガリマール社の小説本はフランス装だった。それをナイフで切ると、大人の世界に足を踏み入れたような誇らしい気がしたものだ。今ではフランス装の本は売っていないので、ページを切るのは古書を買った時に限る。ちなみに2010年にDIC川村記念美術館で開催されたジョゼフ・コーネル展のカタログは、高橋睦郎の賛を収録したフランス装という凝った造本だった。私は千葉県の佐倉までこの展覧会を見に行きカタログも買ったのだが、もったいなくてまだページを切っていない。

 掲出歌の上句で詠われているのは、買った小説本のページを切るのに美しいナイフが買いたいということだ。一方、下句の「天球のごときまなこ」で私が思い浮かべたのは、幻想的な画風の画家オディロン・ルドンの「キュクロプス」と「エドガー・ポーへ」という作品だ。前者にはギリシア神話の一つ目の巨人が、後者には気球のように空に浮かぶ眼球が描かれている。ページを切ったナイフの返す刀で巨大な眼球を横に切り裂くという。これを喩と取れば、ページを切って小説の作品世界に参入するには、相手の眼球を切るほどの覚悟が必要だというほどの意味が浮上するが、水原の歌としてこれではあまりおもしろくない。水原の歌の魅力は、現実世界と思念の世界を強引に接続するところにある。だから下句はナイフからの連想でふと脳裏に浮かんだ思念と取っておく。

 『快楽』は2022年暮に上梓された水原の第十歌集である。標題は古語で「けらく」と読む。2020年から2022年までに詠んだ753首を収録した大部の歌集で、通読するのにものすごく時間がかかる。この歌集は第57回超空賞と第21回前川佐美雄賞をダブル受賞している。それから半年も経ないうちに『天國泥棒』が出版された。こちらはフランス堂のHPに1年間毎日連載された短歌日記をまとめたものである。標題の天国泥棒とは、それまでやりたい放題の人生を送った人が死ぬ間際に天国に行く事を願って受洗することを言うらしい。こちらには念願叶ってフランスに旅行した折の旅行詠が多く収録されている。今回は『快楽』と『天國泥棒』の二冊を続けて読んだのだが、歌の質の違いが感じられてなかなか興味深かった。

 『快楽』を読んで気の付いたことが三つほどある。ひとつはキリスト教への言及のある歌が多いということだ。歌集の表紙の写真がシテ島のサント・シャペルのステンドグラスなので、いやでもそのことを感じない訳にはいかない。

 

聖靈がをとめを犯す瞬間をいくたびも想ふ受洗戀ひつつ

もつれあひわれら入りゆくシャルトルの大聖堂へ靑き蝶たち

馬小屋のヨセフくれなゐの心臓を天に向けつつはたらきやまず

基督の妻なるマリー・マグダレナ髪ふりみだし聖母に向かふ

無原罪のマリアを生みしアンナその老いたる産道くらぐらとして

ふらんすの身軆に沁むカトリックふれなむとして黄なるてのひら

 

 かつて水原は能や歌舞伎などの日本の古典芸能に親炙していたが、現在は聖書を通じてキリスト教の世界に接近しているようだ。しかしその心理は一首目にあるように受洗を願いつつも、六首目のように東洋人である自分を自覚するという具合で、複雑に折り畳まれていることが感じられる。しかしながら信仰は魂の問題なので、これ以上触れないこととしよう。

 もうひとつ感じたのは、父母への感情の屈折である。父母を詠んだ歌も集中のそこここに散見される。

 

二・二六事件に心寄せたりしちちのみの父よ老いて天ちやんとよびき

ちちのみの父虐げし報いにやいのりの羅典語こゑとならずも

わたくしは三たび否みき 父の愛 母の愛 きみの愛 朝焼

母よりも白犬さくら愛せしよ犬のごとく死なむわれなりければ

ちちのみの父をなみせしわれは今ささがにの蜘蛛に蔑せられける

冥界ゆわが名を呼べる父のこゑいくさびとなる底昏きこゑ

 

 水原は先の大戦で父親が皇軍兵士だったことにわだかまりを抱いているようだ。しかし当時は徴兵制があり、該当する年齢の男子はみんな召集されたものだ。私の父も海軍に召集されて海防艦に乗っていた。第一歌集『ぴあんか』に、「母は北、父は南に生まれしが今宵の河のなどかげりゆく」のように父母を詠んだ歌はあるが、本歌集で詠まれた父母はより影が濃い。

 三つ目は今までの水原の歌にはあまり登場しなかった政治と時局の歌である。

 

昭和天皇いまだ裁かれずそのすゑを崇むる不條理、太陽のごと

改憲を許さじと思ふひるさがり毛蟲のたえなるフォルムに見入る

天皇制、自衛隊容認のリベラルを訝しむとき露草濡るる

戦争は海彼にあらず夾竹桃あかあかと咲く脳髄ゆ來る

そらみつ大和の僭主ティラン大和に死にてんげり あはれにあらずただあな、とのみ

裁かれて無惨の生を全うせよ それのみに希ひし延命のこと

國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉島あきつしま

 

 憲法九条遵守と言いつつ天皇制と自衛隊を容認するリベラル政治勢力を痛烈に非難する歌が続く。「改憲を望まずさあれ第一条のみは認めがたしも象徴は言葉」と断じる歌もあり、水原の舌鋒は鋭い。特に驚いたのは五首目以下の安部元首相暗殺事件を詠んだ一連である。連作の題名は「僭主ティラン」という。内閣の史上最長不倒を達成し、首班を辞してからも党内に隠然たる勢力を保持していた安部元首相を古代ギリシアの僣主になぞらえたものである。

 しかし集中で最も多く詠まれているのは疑いなく愛犬さくらだ。

 

わが愛をうたがひにける白犬かさくらといふ名の罪を負はせし

白犬を喪ひしより飲食おんじきは華やぐ常に最後の晩餐

パリの橋そのいづれかに出會ふらむ亡き犬きよらなる物乞として

亡き犬の匂ひ残れるうつそみのあはれといふは雪月花のほか

亡き犬のクローンはつか夢見たるわれを罰せむ立枯れ紫陽花

亡き犬は高貴なる他者に在りにしを妻とよびたりゆるさるべしや

 

 旅立った白犬さくらに寄せる作者の愛情はひとかたならぬものであり、体に犬の幻臭を感じ、クローン技術によって犬をこの世に甦らせることを夢想すらしている。

 5月21日の朝日新聞の短歌時評で小島なおは、最も水原紫苑を感じる歌として「夏生みし虹の娘が瞬間の生にあらがふ脚のいとしさ」という歌を挙げている。今にも消えようとする夏の虹を詠んだ歌である。しかし私がいちばん水原らしいと感じるのは次のような歌だ。

 

バケツまた存在にして倒立のゆゑよし問へり師走廿日朝

 

 12月20日の朝、起きてみるとバケツが上下逆さまに置かれているのを見て、なぜ逆さまなのかと自問したという歌だ。バケツが天地逆になっているというような些末なことを存在論の謎としてかくも格調高く詠めるのは水原を措いて他にいないだろう。かと思えば「ふらんすにゆきたけれどもあかねさすふらんす文學はわれを救はず」のようにストレートな歌が時々混じっているのも楽しい。

 『天國泥棒』は短歌日記なので日々の暮らしが詠まれていて興味深い。「機中なるわれはわが家に遺言書テスタマン置きて來にけりねむらざる犬よ」という歌のある8月15日から水原はフランスに滞在していて、本書の後半はフランスの旅行詠となっている。

 

ノートルダム大聖堂は羞ぢらふその胸處むなどあたり男が登る

ルーヴルの硝子のピラミッドあやにくにかがやかずけりたれも入れぬ

 

 ノートルダム大聖堂は2019年4月に火災に遭い現在は修復工事中である。登る男は作業員だろう。ルーブル美術館の入口はイオ・ミン・ペイが設計したガラスのビラミッドだが、当日は休館日だったのだろう。今も変わっていなければ休館日は確か火曜日だった。本書は短歌日記なので、『快楽』に較べてわかりやすい歌が多い。とはいえ次のような水原らしい高踏的な歌も収録されている。

 

曼珠沙華な咲きそ咲きそ黑海にオウィディウスの泪流るる秋は

 

 『快楽』と『天國泥棒』の両方を読めば、水原の豊穣な短歌世界を満喫できること請け合いである。


 

031:2003年12月 第4週 水原紫苑
または、カテゴリーを自在に越境する美の探索者

美しき脚折るときに哲学は
   流れいでたり 劫初馬より

          水原紫苑『びあんか』
 私の知り合いで、水原と早稲田大学の仏文科で同級だったという人がいる。その人の話では、当時から水原は独特の雰囲気のある女性で、「あんな風に生まれていたら、ちがう人生を送れただろう」と周囲に思わせる何かを持っていたという。

 水原は高校生の頃から短歌を作っていたらしいが、第一歌集『びあんか』で1990年に現代歌人協会賞を受賞して、はなばなしく歌壇にデピューした。1987年に俵万智の『サラダ記念日』が出版され、口語によるライトヴァースの時代と騒がれた直後だけに、水原の端正な文語短歌は驚きを持って迎えられたという。その作品世界は解説を書いた高野公彦により、「透明伽藍」と形容された。確かにその作品群は透明な輝きを持つと同時に、寺院の伽藍に喩えられるスケールの大きさを感じさせる。水原の短歌の魅力は、端正な古典的語法を駆使することで、伝統的和歌の世界の美意識を踏まえながら、時に強引なまでのイメージの衝突を恐れない大胆な発想にある。

 掲載歌では、馬の脚の骨折と哲学の起源という、本来ならばまったく相いれないものがひとつに歌われている。なぜ馬が脚を折るときに哲学が流れ出るのか、散文的で合理的な説明は難しい。しかし、サラブレッドがその華奢な脚を骨折するという、悲劇的でありながら限りなく美的なイメージと、古代ギリシアにおける哲学の起源という形而上学的問題とがひとつの歌のなかで出会うとき、そこには火花を散らす磁場のような共鳴世界が現出する。こうして何とか説明しようとすることが虚しく思えるほど、そこには美しい世界があると感じてしまうのである。

 炎天に白薔薇(はくそうび)断つのちふかきしづけさありて刃(やいば)傷めり

 殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あきつ) 行け

 われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

 天球に薔薇座あるべしかがやきにはつかおくれて匂ひはとどく

 白鳥はおのれが白き墓ならむ空ゆく群れに生者死者あり

 水原の師は中部短歌会の春日井建であり、アララギ系統のリアリズム短歌ではなく、実生活とは無関係な美的世界を言葉の力で構築する短歌世界をめざしている。処女歌集『びあんか』に収録された第一首の「炎天に」の薔薇と刀の組み合わせには、春日井の濃厚な影響が感じられる。

 水原の個性としてよく指摘されるのは、人間と動物、生物と無生物、動物と植物といったカテゴリーを自在に飛び越える想像力である。『新星十人・現代短歌ニューウェイブ』(立風書房)に解説を書いた川崎賢子は、「水原紫苑は、ひととモノ、ひととケモノ、自己と他者との差異の消滅する境地を歌う」と評した。例えば、上にあげた第三首の「われらかつて」で詠われている夕暮れの風景は、ヒトの祖先がかつて魚であったカンブリア紀の水中の藻の蔭に喩えられている。また次の歌では、自分がガラスや貝や時計を生むという、まさに種を越えた幻想が詠われている。

 宥されてわれは生みたし 硝子・貝・時計のやうに響きあふ子ら

 岡井隆によればこの歌の眼目は、時計のようにチクタクと鳴り、貝殻のように響きを発するという、物件のおもしろさの方にあるという(『現代百人一首』朝日出版社)。岡井は水原の短歌について、「平成短歌特有の没歴史的な抒情」と、手厳しい批評を下していることも付け加えておこう。確かに岡井のように、かつて人生を賭けた政治活動に基づく歴史意識を作歌の基盤としている歌人から見れば、水原のように自在な幻想を呼び込む短歌世界は、いかにも甘い絵空事に見えるのかも知れない。

 しかし、水原の持ち味である強引なイメージの結びつきは、時には難解という評価を生むことになる。例えば、次の歌は『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌会で、「パラシュート」の題詠で出された歌である。

 パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ

選評ではこの歌の意味をどう解釈するかで意見が分かれた。問題は「わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ」の部分である。パラシュートが開いた瞬間に、「私の顔を象ったステンドグラスが見える」ならば、見ている人は地上にいる。パラシュートをステンドグラスに喩えたと見ることもできる。しかし、見方によっては自分自身がパラシュートで降下しているともとることができる。解釈が分かれて、吉川宏志は「水原の歌の特徴は主体と客体の区別がない点だ」と弁護に回っているが、いかにも苦しい。

 しかし、公平を期するために、水原の短歌は難解なものばかりではなく、次のようなのびやかな歌もあることも付け加えておこう。

 菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに

 坂くだる少女の爪のはらはらと散るくれなゐを聴きつつゆくも

 みづうみ、と呼びかけしなり名をもたぬみづうみわれらを抱かむと来つ

 水原は人前に出るときはいつも着物姿で、梅若流の能に入門し、古典芸能に造詣が深い。年齢を重ねるとともに古典の世界に入って行くのは、馬場あき子の例を引くまでもなく歌人のひとつの王道である。ここから次のような歌が生み出される。

 わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも

 白色尉・黒色尉の昼夜より濃き千歳が朝焼けあらむ

 ヴェネツィアングラスを投げし僭主あり梅若大夫いかに応へし

 しかし、これは水原の短歌にさらなる難解さを加えることになっていないだろうか。舞台芸術や古典芸能は、知っている人、見た人でなくてはわからない世界である。短歌のなかに舞台芸術や古典芸能を自在に引用することは、水原の短歌の美の世界を広げることになるかも知れないが、逆に読者を遠ざける結果にもなりかねない。

 本がどうしても見つからないのでうろ覚えの引用だが、かつて赤江瀑が歌舞伎の名優・中村歌右衛門を題材にした短編を書いたとき、中井英夫が巻末の解説で、「美の毒は作者にまっさきに回ったのだろうか」という意味の手厳しい批評を書いていた。作者は美の毒をコントロールしなくてはならないのであり、自分がその毒に溺れてはならないということである。水原の古典芸能への接近がそのような結果にならないことを祈るばかりである。