由比の海に対える如月朔日に身は乾きゆく午後をしずかに
永田淳『竜骨もて』
本歌集は『1/125秒』(2009年)、『湖をさがす』(2011年)に続く第三歌集なのだが、あとがきによれば『湖をさがす』はふらんす堂の求めに応じて書いた1年間の短歌日記をまとめたものなので、本人の意識としては本書は第二歌集に当たるという。2007年から2014年の間に作った歌から499首を選んで編まれた大部の歌集である。作歌と出版の間にタイムラグがあり、直近の歌は収録されていない。前二作の版元はふらんす堂だったが、今回は砂子屋書房から出版されている。
私が永田淳に会ったというより見かけたのは、今から10数年前のことだ。当時短歌を読み始めた私は、二ヶ月に一度くらいの割で、寺町二条にあった三月書房に歌集を買いに出かけていた。歌集の棚は勘定場にいる店主の背後にあるので、店主の斜め正面に立って眺めることになる。ある日のこと、そうして棚を見ていたら、ジーンズ姿の青年がふらりと現れて店主と親しげに話し始めた。店主は青年に「お父さん、テレビに出てたで。小泉今日子の隣でうれしそうにしてはったわ」と言ったので、私はすぐにわかった。確か小泉今日子が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、永田和宏も受賞して並んで登壇する姿がテレビに映っていた。すると横に居るのは子息の永田淳さんにちがいないと気づいたのである。今はなき三月書房が歌人の聖地だった頃の話だ。
ほぼ編年体で編まれていると思しき本歌集の題名は、「極北を目指す逸りの竜骨もて70mphに水をわけゆく」という歌から採られている。竜骨とは、船の先か船尾までいちばん下を支えている部材で、その形状が竜の骨を思わせるところから命名されたものである。元は釣り雑誌の記者をしていて、オートバイや自動車や船が好きな作者らしい題名である。本歌集に収録された歌は、大きく分けて「人事」「景物」「日常」「家族」「述志」に分類することができる。あとがきによれば本歌集の前半の時期に永田は佐藤佐太郎に傾倒していて、叙景歌しか作らないと公言していたという。しかしその方針を変更せざるを得なかったのは、主に「人事」と「家族」の故である。そしてその多くが死に関係している。
まず本歌集には家族を詠んだ歌が多く見られる。
降りしきる雪の大原越え行きて腫瘍見つかりし祖母に見えき
「お母さん」の母の呼びかけに口を開けわずかに「あ、あ」と漏らしたりけり
死をも孕んでしまった肉叢が自らの死に呻くが聞こゆ
死の後に死の影とうはなくなりぬ実家の庭に転がる青柿
母の居ぬこの世の川面に風の吹きこの世の時間が流れるばかり
遠き日にわが使いいしグローブが子の手にありて軟球を受く
この時期に作者は母方の祖母、父方の祖父、そして母親の河野裕子を亡くしている。一首目と二首目は歌人であった祖母を詠んだ歌で、三首目から五首目は母の死を詠んだものである。歌数としては多くはないものの、河野裕子の逝去は作者のみならず、永田家の家族全員にとって大きな出来事であったにちがいない。作者には四人の子がいるので、六首目のように子供を詠んだ歌も少なくない。歌の素材を近景、中景、遠景に分けるならば、家族は典型的な近景であり、永田にとって歌はまず身めぐりから発するものであることがわかる。
人事にも人の死が関わるものが少なからずある。
歌会にて母の引きえぬブルタブを常に空けくれし真中朋久
あごひげをちょぼちょぼはやし無口なり冬でもサンダル藪内亮輔
釣り仲間亡くしたことは二回目で 十二歳うえの遺影を見上ぐ
死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき
ひとたびを会いたるのみにて訃に触れぬ母と同年美しき人なりき
一首目は塔短歌会の重鎮の真中朋久で、二首目は同じく塔の若手の藪内亮輔を詠んだ歌。ふだんは歌集を通してしか知らない歌人がこのように描かれると、急に人間臭く見えるものでおもしろい。三首目は年上の釣り仲間の死、四首目は小高賢の訃報に接して詠んだ歌である。〈私〉が生きる「今」が際だって表れていた第一歌集『1/125秒』から年月を経て、作者も年齢を重ね人との別れが増えることは避けられない。人生に降り積もる歳月の嵩である。
たいていの人がそうであるように、永田にとっての日常はほぼ家族と仕事で埋められる。何気ない暮らしのひとコマがていねいに掬い取られて詠われている。
妻と子の家に寝ぬるが力なり夜のローソンにビールを買いつ
灯を点すごとくにゲラに朱を入れつ沫雪の降る午の窓辺に
わが妻をかばうがごとき物言いの息子とおでんの鍋をつつきぬ
ひと日とて同じはなきを子に夏の一日過ぎゆく川風の中
夜の卓に自我についてを訥々と話す息子に付き合う半刻
数こそ少ないものの、次のような述志の歌にも注目される。
「死刑」とは記号なれども彼の前に置かれし時の意味をや知らね
クレームをうまくさばけてはいけないと切り泥みおり午後の電話を
勝つたびに万歳唱うる国に生れわが両腕の重たき晩夏
今だからまだ言えるはず 日本に巨き五つの鎖来るな
交戦権と呼ばざることのそしてまた明らに交戦権であることの
一首目は山口県光市親子殺人事件の判決に触れた歌で、四首目は東京五輪の開催が決まった時の歌である。コロナ禍がいっこうに終息の気配を見せない今から振り返って見ると、この歌には予言のような趣すらある。二首目のような歌を見ると、仕事をルーティーンとしてこなしているのではなく、心に熱いものを抱えていることがわかる。
本歌集を読んで最も注目されるのは何と言っても叙景歌である。付箋を付けた歌には叙景歌が多い。
川の面に映れる月のゆたゆたと流されずして少し欠けいる
萩の穂の枯れいる空き地のひとところ冬日のながく四角く射しぬ
草紅葉まじる賀茂川土手の上を冬の日しろく渡りつつあり
満開といえど疎にして山ざくら海松茶の枝の骨格の見ゆ
おちこちの下草のなか紫のアサマフウロは時を揺らして
浅間岳その稜線のながながといずれいずべに線の果つべし
稲架の上に二重にかかる稲の穂の数本は揺る雀の軽し
由比ヶ浜に兆しそめたる春潮の波待つ頭の黒く浮く見ゆ
叙景歌の鑑賞と批評は難しい。古代歌謡以来、叙景歌は日本の韻文詩の伝統であるが、いくら叙景といってもそこに叙情の影がゆらめくことは避けられないからである。上に引いた歌でもそのことは言える。一首目は水面に映った月を詠んだものであるが、「ゆたゆたと」というオノマトペが穏やかな波を表しており、「流されずして少し欠けいる」に微量の心情を読み取ることができる。ちなみにオノマトペは主観的表現である。一方、二首目や三首目はほぼ純粋な叙景で、二首目では「四角く」に発見があり、三首目では「渡りつつあり」に時間の経過が感じられる。四首目は「といえど」という逆接表現が主観に属する。逆接と判断した主体が想定されるためである。六首目の「時を揺らして」は本来は叙景歌に場所を持たない叙情的表現だろう。七首目は浅間山の雄大な稜線を詠んだ柄の大きな歌だが、「いずれいずべに」と推量の助動詞「べし」に主観が見られる。というように叙景歌にも叙情は付きものであり、その配合によって歌の言葉が立ち上がることが肝要なのだろう。
読んでいて私が立ち止まったのは次の歌である。
繰り返し歌うべきものとして我に近しき死者たちはあり
あとがきに永田は「歌い続ける決意」のようなものが固まったと述べているが、そのような決意を導いた要因のひとつはこの歌に表されているものかもしれない。