第298回 永田淳『竜骨もて』

由比の海に対える如月朔日に身は乾きゆく午後をしずかに

永田淳『竜骨キールもて』

 本歌集は『1/125秒』(2009年)、『湖をさがす』(2011年)に続く第三歌集なのだが、あとがきによれば『湖をさがす』はふらんす堂の求めに応じて書いた1年間の短歌日記をまとめたものなので、本人の意識としては本書は第二歌集に当たるという。2007年から2014年の間に作った歌から499首を選んで編まれた大部の歌集である。作歌と出版の間にタイムラグがあり、直近の歌は収録されていない。前二作の版元はふらんす堂だったが、今回は砂子屋書房から出版されている。

 私が永田淳に会ったというより見かけたのは、今から10数年前のことだ。当時短歌を読み始めた私は、二ヶ月に一度くらいの割で、寺町二条にあった三月書房に歌集を買いに出かけていた。歌集の棚は勘定場にいる店主の背後にあるので、店主の斜め正面に立って眺めることになる。ある日のこと、そうして棚を見ていたら、ジーンズ姿の青年がふらりと現れて店主と親しげに話し始めた。店主は青年に「お父さん、テレビに出てたで。小泉今日子の隣でうれしそうにしてはったわ」と言ったので、私はすぐにわかった。確か小泉今日子が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、永田和宏も受賞して並んで登壇する姿がテレビに映っていた。すると横に居るのは子息の永田淳さんにちがいないと気づいたのである。今はなき三月書房が歌人の聖地だった頃の話だ。

 ほぼ編年体で編まれていると思しき本歌集の題名は、「極北を目指す逸りの竜骨キールもて70mphマイルに水をわけゆく」という歌から採られている。竜骨とは、船の先か船尾までいちばん下を支えている部材で、その形状が竜の骨を思わせるところから命名されたものである。元は釣り雑誌の記者をしていて、オートバイや自動車や船が好きな作者らしい題名である。本歌集に収録された歌は、大きく分けて「人事」「景物」「日常」「家族」「述志」に分類することができる。あとがきによれば本歌集の前半の時期に永田は佐藤佐太郎に傾倒していて、叙景歌しか作らないと公言していたという。しかしその方針を変更せざるを得なかったのは、主に「人事」と「家族」の故である。そしてその多くが死に関係している。

 まず本歌集には家族を詠んだ歌が多く見られる。

降りしきる雪の大原越え行きて腫瘍見つかりし祖母に見えき

「お母さん」の母の呼びかけに口を開けわずかに「あ、あ」と漏らしたりけり

死をも孕んでしまった肉叢が自らの死に呻くが聞こゆ

死の後に死の影とうはなくなりぬ実家の庭に転がる青柿

母の居ぬこの世の川面に風の吹きこの世の時間が流れるばかり

遠き日にわが使いいしグローブが子の手にありて軟球を受く

 この時期に作者は母方の祖母、父方の祖父、そして母親の河野裕子を亡くしている。一首目と二首目は歌人であった祖母を詠んだ歌で、三首目から五首目は母の死を詠んだものである。歌数としては多くはないものの、河野裕子の逝去は作者のみならず、永田家の家族全員にとって大きな出来事であったにちがいない。作者には四人の子がいるので、六首目のように子供を詠んだ歌も少なくない。歌の素材を近景、中景、遠景に分けるならば、家族は典型的な近景であり、永田にとって歌はまず身めぐりから発するものであることがわかる。

 人事にも人の死が関わるものが少なからずある。

歌会にて母の引きえぬブルタブを常に空けくれし真中朋久

あごひげをちょぼちょぼはやし無口なり冬でもサンダル藪内亮輔

釣り仲間亡くしたことは二回目で 十二歳ひとまわりうえの遺影を見上ぐ

死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき

ひとたびを会いたるのみにて訃に触れぬ母と同年美しき人なりき

 一首目は塔短歌会の重鎮の真中朋久で、二首目は同じく塔の若手の藪内亮輔を詠んだ歌。ふだんは歌集を通してしか知らない歌人がこのように描かれると、急に人間臭く見えるものでおもしろい。三首目は年上の釣り仲間の死、四首目は小高賢の訃報に接して詠んだ歌である。〈私〉が生きる「今」が際だって表れていた第一歌集『1/125秒』から年月を経て、作者も年齢を重ね人との別れが増えることは避けられない。人生に降り積もる歳月の嵩である。

 たいていの人がそうであるように、永田にとっての日常はほぼ家族と仕事で埋められる。何気ない暮らしのひとコマがていねいに掬い取られて詠われている。

妻と子の家に寝ぬるが力なり夜のローソンにビールを買いつ

灯を点すごとくにゲラに朱を入れつ沫雪の降る午の窓辺に

わが妻をかばうがごとき物言いの息子とおでんの鍋をつつきぬ

ひと日とて同じはなきを子に夏の一日過ぎゆく川風の中

夜の卓に自我についてを訥々と話す息子に付き合う半刻

 数こそ少ないものの、次のような述志の歌にも注目される。

「死刑」とは記号なれども彼の前に置かれし時の意味をや知らね

クレームをうまくさばけてはいけないと切り泥みおり午後の電話を

勝つたびに万歳唱うる国に生れわが両腕の重たき晩夏

今だからまだ言えるはず 日本に巨き五つの鎖来るな

交戦権と呼ばざることのそしてまた明らに交戦権であることの

 一首目は山口県光市親子殺人事件の判決に触れた歌で、四首目は東京五輪の開催が決まった時の歌である。コロナ禍がいっこうに終息の気配を見せない今から振り返って見ると、この歌には予言のような趣すらある。二首目のような歌を見ると、仕事をルーティーンとしてこなしているのではなく、心に熱いものを抱えていることがわかる。

 本歌集を読んで最も注目されるのは何と言っても叙景歌である。付箋を付けた歌には叙景歌が多い。

川の面に映れる月のゆたゆたと流されずして少し欠けいる

萩の穂の枯れいる空き地のひとところ冬日のながく四角く射しぬ

草紅葉まじる賀茂川土手の上を冬の日しろく渡りつつあり

満開といえど疎にして山ざくら海松茶の枝の骨格の見ゆ

おちこちの下草のなか紫のアサマフウロは時を揺らして

浅間岳その稜線のながながといずれいずべに線の果つべし

稲架の上に二重にかかる稲の穂の数本は揺る雀のかろ

由比ヶ浜に兆しそめたる春潮の波待つ頭の黒く浮く見ゆ

 叙景歌の鑑賞と批評は難しい。古代歌謡以来、叙景歌は日本の韻文詩の伝統であるが、いくら叙景といってもそこに叙情の影がゆらめくことは避けられないからである。上に引いた歌でもそのことは言える。一首目は水面に映った月を詠んだものであるが、「ゆたゆたと」というオノマトペが穏やかな波を表しており、「流されずして少し欠けいる」に微量の心情を読み取ることができる。ちなみにオノマトペは主観的表現である。一方、二首目や三首目はほぼ純粋な叙景で、二首目では「四角く」に発見があり、三首目では「渡りつつあり」に時間の経過が感じられる。四首目は「といえど」という逆接表現が主観に属する。逆接と判断した主体が想定されるためである。六首目の「時を揺らして」は本来は叙景歌に場所を持たない叙情的表現だろう。七首目は浅間山の雄大な稜線を詠んだ柄の大きな歌だが、「いずれいずべに」と推量の助動詞「べし」に主観が見られる。というように叙景歌にも叙情は付きものであり、その配合によって歌の言葉が立ち上がることが肝要なのだろう。

 読んでいて私が立ち止まったのは次の歌である。

繰り返し歌うべきものとして我に近しき死者たちはあり

 あとがきに永田は「歌い続ける決意」のようなものが固まったと述べているが、そのような決意を導いた要因のひとつはこの歌に表されているものかもしれない。

 

第46回 永田淳『1/125秒』

ブーストを立ち上がらせつつ走りゆく前にも後にも時間はなくて
                     永田淳『1/125秒』 
 掲出歌には「ターボタービンにてエンジンに過給することをブーストと呼ぶ」という詞書がある。自動車でもオートバイでもエンジンがあれば当てはまるが、ここは作者の愛するオートバイの話だろう。下句の「前にも後にも時間はなくて」は、空間的にも時間的にも解釈できる。空間的に解釈すれば、オートバイを駆る〈私〉の前方にも後方にも時間は存在せず、疾駆する〈私〉が実感している〈今〉だけが時間だ、という意味になる。また時間的に解釈すれば、〈私〉の前方にあるのは未来で、後方にあるのは過去だが、それらは〈私〉にとって時間と呼ぶにふさわしいものでなく、〈私〉の実感する〈今〉だけが時間だ、という意味になろう。前段の解釈は異なっても後段の解釈は同じである。歌が表現する疾走感を背景に浮かび上がるのは、強い〈今・ここ〉(hic et nunc)感覚である。この感覚が一巻の通奏低音のように響く歌集と読んだ。
 永田淳は1973年生まれ。永田和宏の子息で、「塔」編集委員。短歌関係の出版社青磁社社主である。『1/125秒』はずいぶん遅い第一歌集で、昨年度の第35回現代短歌集会賞を受賞している。自著の編集はしにくいせいか版元は自社ではなく、俳句出版のふらんす堂。栞文はコスモスの高野公彦、未来の大辻隆弘、塔の松村正直の三人が書いている。高野は優しさのなかに異能を秘めた作者だと評し、大辻は茫洋としたのびやかさを言い、松村は些細に見えることの奥にある何かを捉えていると述べている。確かに三人の指摘はもっともなのだが、私が一巻を通読して最も強く感じたのは「時間」の重みだった。このことは珍しい歌集題名にも現れている。たぶん「ひゃくにじゅうごぶんのいちびょう」と読むこの題名は、カメラのシャッター速度を表していて、「印画紙に残されし1/125秒ほどの過去を君は好めり」という歌から採られている。人生の長さから見れば須臾の瞬きに等しい1/125秒で定着された光景を愛おしむ歌である。それ自体は取り立てて目新しい感想ではないが、作者が自分をまず時間の流れにある存在と捉えていることがうかがえる。
 集中の時間に関係する歌を見てみよう。
横断歩道渡りて煙吐き出せば同時進行の前世もあるべし
またヤゴの憂鬱に戻りゆくのだろうアキツは巨き顎持ちて果つ
午後三時数多の手首にぶら下がる時間と時刻神田神保町
東シナ海を今し抜けゆく台風の針路の東の夜に佇ちおり
 一首目は不思議な歌である。前世とは自分がこの世に生まれる前の生で、過去に属するものである。しかし歌では同時進行の前世とされており、字義通り解釈すればSFのパラレル・ワールドのようになる。日常にふと時間の穴に落ち込んで、別の生を生きているような気になる瞬間を詠んだものだろう。二首目はトンボの死を詠んだ歌。トンボが死んで幼生のヤゴに戻ることは本来は起こらないことだが、ここには種として循環的に流れる時間意識がある。三首目は電車の吊革を握る手にはめられた腕時計の歌だが、「時間」と「時刻」のちがいに注目したい。「時刻」はたとえば「現在午後三時」と表現されるように、現在時点においてしか成立しない。一方、「時間」は「もう二時間待っている」のように幅のあるもので時刻とは独立で、腕時計の時針はこの両方を表しているのである。考えれば確かにそうなのだが、改めて指摘されるとハッとする。また時刻は万人に共通のものだが、時間はそれを抱える一人一人によって異なることにも留意すべきだろう。四首目に時間は明示的に表現されてはいないものの、海上を進む台風によって強く暗示されていることは明らかである。「夜」にかかる「東シナ海を今し抜けゆく台風の針路の東の」という長い連体修飾句が、啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹と戯むる」と同じようなズームイン効果を生んでおり、最終的に到達するのは「佇ちおり」の隠れた主語である〈私〉が位置する〈今・ここ〉なのである。
 この時間意識はどこから来たものか。青春を過ぎて30代に入った作者が、「もう俺もジーンズの似合わないオジさんになったか」と感じて生まれたものではないようだ。集中には確かに次のようにやや甘さを含む過去への惜別の歌がある。
ただ海を見に行きたかりし夏として記憶のうちに留めておかな
永遠とは十代の修辞 名も知らぬ少女にあくがれいたる文月
数時間走らば海のあることをそこで逝かしむる時のあることを
 しかしこの気分は一巻の主調音ではなく、他の歌に見られる時間意識を説明するものでもない。作者の時間意識はむしろ次のような歌によく現れている。
驟雨きて驟雨は去りてまだ浅き春の夕暮れ暮れ残りたり
いつ知らず静かな春の雨となるずっと昔も同じ匂いに
潰れずに死にたる秋蚊を掌に載せて流しに捨つるまでの数歩
遮断機の撓りの先の触れ合わず揺れ止む前に上がり始めき
 最初の二首は時間の流れを抱えた歌で、たまたま両方とも雨の歌である。驟雨が来て止むまでの間、また雨の降り出しに気づくまでの間という比較的短い時間が含まれており、その動的変化に歌の眼目があると読んでもよい。しかしこれらの歌から否応なく浮かび上がるのは、流れる時間のなかにある人間である。それはつまるところ、人間が時間的存在であることに由来するのかもしれない。三首目と四首目は時間の流れではなく、〈今・ここ〉感覚の突出した歌である。晩秋の蚊は哀れ蚊と呼び季語ともなっているが、潰すまでもなく死んでしまった蚊を捨てる短い時間に〈今・ここ〉感覚が溢れている。四首目では降りた遮断機の左右の棒が揺れているために、触れ合うことなくまたすぐ上がり始めるまでの短い時の間が詠まれており、やはり〈今・ここ〉感覚の歌と言える。
 近代短歌は明治期の短歌革新を経て〈私〉を表現する詩型となったが、永田の歌にある〈私〉とは、特別な思想を持ったり特殊な経験をした〈私〉や、修辞に工夫を凝らして言語空間に楼閣を築こうとする〈私〉でもなく、「今ここにいる」という感覚に根ざした〈私〉なのだろう。「今ここにいる」ということは誰にでも当てはまる普通のことである。したがって永田が詠むのも、たとえば「アオリイカの目玉の大きなることを子らと言いおり鮮魚売り場に」のように、家族を中心とする普通のことになる。
 そんな集中でやや異色なのが、「誰も言わぬ」と題された三首のみの連作である。
金雀児の葉末を半月過ぎりゆく隣家の鳩が二度鳴きし時
一様の暗がりならず石階の手摺の根元に開く夕顔
誰も言わぬ日照雨が降りぬ京都北郵便局の隣りの路地に
 永田の歌に難解・難読語句は少ないのだが、珍しく金雀児エニシダ石階いしばしは辞書を引くはめになった。日照雨そばえは歌人好みの語なので、知らない人はいないだろう。この三首は永田の普通の歌の詠み方からすると、ずいぶん修辞を凝らした歌となっている。「難読語を用いる題詠」にでも出詠したのだろうか。そんななかでも一首目と三首目には特に〈今・ここ〉感覚を強く感じる。
 最後に私が特に好きな歌を一首挙げておこう。
今朝われら羽を持たざるもののごと清々しただ水溜まりを越ゆ
 私は「われら」に弱いので、ついこういう歌に丸を付けてしまう。この歌のおもしろさは、「羽を持たざるもののごと」と敢えて表現する矛盾にある。人間にはもちろん鳥や天使のような羽はないので、空を飛ぶことができない。天空の高みを目指して飛翔することができないのである。そのような人間の境涯を「羽を持たざるもののごと」と逆説的に表現し、続けて「清々し」と断じるところに作者の矜恃がある。永田は「ただ水溜まりを越える」という日常的行為と〈今・ここ〉に大きな価値を置いているのだろう。