古き井戸に一匹の鯉棲むと言へど
見しことはなしその酷(むご)き緋を
真鍋美恵子『蜜糖』
見しことはなしその酷(むご)き緋を
真鍋美恵子『蜜糖』
歌論を書いていていちばん困るのは、少し古い歌集が手に入らないことである。もともと歌集は少部数出版で、東販・日販などを通じた一般の図書流通ルートには乗らず、寄贈で人出に渡ることが多い。評価の確定した歌人ならば「現代短歌文庫」(砂子屋書房)や「現代歌人文庫」(国文社)で読むことができるが、それ以外はまず絶望的である。古書店を回ってみたこともあるが、古書価値のある塚本邦雄ら少数の歌人の初版本を除いては、店頭に並ぶことも稀だと足を棒にしてようやく思い知った。まことに歌集の流通は特殊な世界なのである。私のように結社や歌会に縁のない人間には、歌集の入手はほんとうに難しい。
ところがときには僥倖が訪れることもある。ごく最近、『真鍋美恵子全歌集』(沖積舎、昭和58年刊)の美本を入手し、念願の真鍋の短歌世界の全貌に触れることができた。栞と沖積舎の出版物案内の折り込みと愛読者カードまで揃っており、新本同然の本である。巻末に永田和宏の解説を付し、栞には尾崎左永子・河野裕子・佐佐木幸綱・高安国世・武川忠一が文章を寄せている。第一歌集『径』から第八歌集『雲熟れやまず』まで収録されている。真鍋はこのあと『彩秋』ともう一冊歌集を上梓しているようだ。今回は現代歌人協会賞を受賞した第四歌集『玻璃』と第五歌集『蜜糖』を中心に読んだ。
真鍋美恵子は明治39年(1906年)生まれ。「心の花」に所属した歌人で、平成6年(1994年)に88歳の高齢で没している。『真鍋美恵子全歌集』の巻末に自筆の略歴があるが、公務員の家庭に生まれ結婚して二女をもうけており、実にそっけない略歴である。特筆するような大事件はなく、家庭婦人として平穏な生涯を送ったようだ。祖父が江戸時代の黄表紙本作家の柳下亭種員(りゅうかてい・たねかず)であったそうで、『岩波現代短歌事典』には真鍋の文学的資質のルーツをこの系譜に見る記述があるが、真偽のほどはわからない。
『岩波現代短歌事典』の真鍋の項を執筆した河野裕子は、真鍋を「戦後屈指の実力派歌人である」と絶賛しているが、短歌史的には真鍋の評価はそれほど確定しているわけではない。篠弘の『疾走する女性歌人』(集英社新書)では一言も触れられていないし、同じ著者の大部の『現代短歌史』(短歌研究社)にも言及はない。またアンソロジーなどに収録されることも少ないのである。「戦後屈指の実力派歌人である」にしては冷たい扱いではなかろうか。私見によれば、この冷遇の理由はふたつある。その第一としては、戦後の短歌はしばしばイデオロギー的色彩を帯びた論争と運動を軸として展開したきたという事実がある。真鍋のように家庭婦人として短歌を作り、論争的な評論を書かなかった歌人は短歌史のなかで位置を持ちにくいのだ。第二の理由は、葛原妙子における塚本邦雄や中井英夫のような読み手を得ることができなかったことである。葛原もまた医師の妻として家庭婦人という立場で作歌活動を続けた。しかし塚本邦雄や中井英夫らが葛原の短歌を絶賛し、それを契機として前衛短歌運動が興隆したという短歌史的出来事の結節点に位置していたがために、葛原は後世に多くの読者を得ることができた。葛原と真鍋は年齢が一歳ちがいで、1949年の女人短歌会創立に共に参加しており、葛原が第一歌集『橙黄』を上梓した1950年に真鍋も第二歌集『白線』を出版しており、ふたりの歩みはかなり平行している。にもかかわらず、葛原が「幻視の女王」の名を欲しいままにし、葛原を取り上げた評論も数多いのにたいして、真鍋について語られることは少ない。これは実に残念なことである。論争と運動から構成された短歌史ではなく、純粋に芸術的観点から編まれた短歌史があれば、真鍋の名が落ちることはないだろう。
『真鍋美恵子全歌集』には永田和宏が周到な真鍋美恵子論を執筆しており、私のような単なる短歌の一読者が屋上屋を架すのは笑止なのだが、私なりに真鍋の短歌世界を読み解いてみたい。
まずいかにも真鍋らしい歌をいくつかあげてみよう。
月のひかり明るき街に暴力の過ぎたるごとき鮮しさあり
捨て身の如く眠る猫のゐて海は膨(ふく)らみを夕べ増しくる
飴色の非常扉の外にある暗夜は直(ただ)に海につづかん
蘭の葉の光沢ふかみくる夜ふけ扉に満潮の海感じゐる
孵卵器に電流ながれつつありて無花果の葉の影黒き昼
真鍋の短歌に特徴的なのは、目の前の現実の微細な景物描写を出発点として、感応の連鎖によって現実を超えた密度を持つ不思議な手触りのある世界を構築しているという点である。一首目、月の光に照らされた街というのはごくありふれた情景だが、そこに「暴力の過ぎたるごとき」気配を察知しそれを「鮮しさ」と表現することにより、夜の街は新たな相貌のもとに現出することになる。二首目、「捨て身の如く眠る」という表現は注目されるが、それを除けば上句は猫が寝ているという家庭内の日常的情景にすぎない。ところが下句ではその眠りに感応するかのように、海が膨らみを増すという不気味な光景が描かれている。家庭内の安寧と外の世界の危機を孕んだ予感とが、上句下句の対比のなかに表現されることにより、一首は異様な緊迫感を醸し出すことになる。この上句下句の対比は三首目以下の歌にも同様に見ることができる。三首目で〈私〉が見ているのは飴色の非常扉だけだが、見えないはずの外部には海に続く暗夜が広がっている。下句は実際に目にしたものではなく、〈予感〉であり〈感応〉であることに注意しよう。四首目も似たような構造の歌で、蘭の葉の光沢が深くなるのは室内の情景で、〈私〉は外部に満潮の海を感じている。五首目の構造はやや異なる。孵卵器に電流が流れているのはもちろん卵を暖めるためのはずなのだが、聖書では不毛の象徴とされた無花果の葉影の暗さと並置されることによって、孵卵器のなかの卵は決して孵化することがないか、もしくは孵化しても歓迎されないことを予感させるような不吉な世界が描かれる。ちなみにここに引いた歌に詠まれている「非常扉」「卵」「海」「猫」「蘭」などは、真鍋の短歌に頻繁に登場する主題である。
葛原妙子の「幻視」とまでは言えないかもしれないが、同時代を生きた二人の女性歌人が共通の感性を感じさせる短歌世界を作り上げたことはおもしろい。葛原と比較して真鍋により色濃く感じられるのは、「漠とした危機感」「かすかな不安感」である。それは次のような歌群に濃厚である。
はびこりて毒だみが掩ひつくしたる湿土をぢかに圧(お)しをる曇
台風警報出でながら日の洩るる町血のにじむ鯨の肉売られゐる
尖端恐怖症の友とゐて見てゐつ燃えんばかりの朱の空
赤き星接近しくる夜にして限りなく甕の罌粟が水吸ふ
汗ばみて覚めたる明(あした)窓下を過ぎゆく純粋の緋の消防車
繁茂するドクダミ、覆い被さる曇天、台風警報、血のにじむ鯨肉、尖端恐怖症、朱色の空、赤い凶星、真っ赤な消防車と、列挙するだけで不吉なイメージが増幅されてゆく。このような視点から描かれることによって、読者は世界がどこかで歪んでいるという印象を強く持つ。このように世界に歪みを与える表現力が真鍋の真骨頂である。この世界の歪みの歪曲率が歌に強い緊張感を与えている。
「漠とした危機感」が昂じると、パスカル流の「足下に口を開く深淵」が現われることになる。
黄の色の扉うつくしく照りをれば直ちに外は断崖なるべし
からだ熱きけものが崩るるごとく寝つその窓下は深淵なるべし
この類の歌は、「ぬぎしままある衣(きぬ)がぬくみ保(も)ちをれば沼より冥しわれのめぐりは」に代表される「存在のほの冥さ」についての認識と通底していることは言うまでもない。
全集の栞文でも尾崎左永子は真鍋の「短歌の映像的な切り取り方の巧みさ」を指摘し、河野裕子は「絵画的構図と遠近法」をあげている。
エレベーターにて綿荷と共に上り来し男が鳥のやうなる顔せる
製粉所の裏戸は山に向きをりて嘴赤き鳥を吊せり
確かに真鍋の短歌には映像的結象力の高いものが多い。しかしより特徴的なのは、歌に詠まれた景物のなかの一点に結象力が凝集される作り方の巧みさである。
拡声器の赤き塗料の日にひかり巡航船は港に入りくる
潮のにほひの濃き夜とおもふ河岸倉(かしくら)の戸におろされし錠前ひかる
温室の卓に誰かが置きゆきし針光りたる小さき磁石
水涸れし池底にして石一つ起点の如く白く日に照る
一首目では読者の視線は巡航船の拡声器の赤さに吸い寄せられる。その一点を中心としてピタリと映像が決まる。二首目では錠前の光が構図の全体を支配している。三首目ではそれが磁石の磁針、四首目では涸れた池底の石ひとつである。このように全体の構図が一点に収斂する作り方は、歌に奥行きと大きな広がりを与えると同時に、視覚的な結象力を高めることは言うまでもない。
それでは次に真鍋の短歌の文体的特徴に話を移そう。真鍋の文体の特徴は、「直喩の多用」と「リフレインの構造」の2点にある。
薔薇の刺のやうなる青き爪研ぎて出でゆけば猫は深夜のけもの
蜥蜴のやうな指してスプーンをわが前に人があやつりてゐる
なめし皮の表のごとき海面が米穀倉庫の間より見ゆ
宣教師の卓にぬぎゆきし手袋が魚の肌(はだへ)のやうに光れる
木もれ日が斑を置く畳貝の身のやうな冷たき耳して病めり
鳥の脚のやうな茎せる植物が密生したるくらき渓あり
子規に始まる近代短歌が言葉による現実への肉薄を重んじたため、比喩を嫌ったことはよく知られている。また隠喩の多用が戦後の前衛短歌の中心的技法として復権を遂げたことも周知のことである。比喩については永田和宏が『喩と読者』で多くのページを割いて詳細な分析を試みている。永田の論旨は、「もともとは存在していなかった共通性を、作者の眼が独自に見つけだしてきて、それを、自分では決して直接に結びつけ得ない微妙さの中に架橋しようとする」のが直喩の効果であり、「世界が秘めている意味、潜在性として蔵している価値、それらを一回性のものとして剔抉してくれるような喩」を「能動的喩」と呼んで重視するという立場である。
上にあげた真鍋の短歌では、永田が指摘したような直喩の効果が十分に発揮されていると言えるだろう。「薔薇の刺のやうなる青き爪」という喩を媒介として、「薔薇」と「猫」のイメージが重ね合わされ、猫に人智を超えた神秘的な意味が付加される。「蜥蜴のような指」「なめし皮の表のような海」「魚の肌のような手袋」も同じくイメージの重層性を歌に与えている。
注意すべきは、「AのようなB」という直喩におけるAとBの2項がほとんどの場合、「植物と動物」「魚と事物」「貝類と人体」「鳥類と植物」のように、分類学的に異なる項目を結びつけている点である。陳腐な例をあげると「お盆のような月」のように、本来異なるカテゴリーに属するものを結合するのが直喩の本質であるから、これは当然のことと映るかもしれない。しかし真鍋の短歌の場合、その根底にある「感応」する心性が、直喩の結合様式となって現われているように思える。
次に「リフレインの構造」である。
谷に向く木小屋の厨人蔘の荷を解きをりて人蔘匂ふ
道端に家鴨のひなを売りてをりあひるの雛にも当れる秋日
送電線のたるみし影が動かざる罌粟の畑のけしの花の上
砂浜に牡蛎殻積めり牡蛎がらの山よりも低く燈ともせる家
永田和宏は解説のなかでこのリフレインの効果を、「外形をなぞっていたにすぎない視線が」「不意に発見をする (… ) 認識レベルの飛躍」にあるとしている。例えば一首目では、台所で誰かがニンジンの荷を解いている情景が描かれている。これを結句で「人蔘匂ふ」と受け止めているのだが、ニンジンがあるのだからニンジンの匂いがするのはある意味で当たり前である。しかしここでは単に「ニンジンの荷を解いている光景」として提示されていたにすぎない場面のなかから、他の要素を振り捨てるようにしてニンジンの匂いが感覚にクローズアップされる。あたかも網膜に漠然と映っていた景色が、突然に遠近感と陰翳を深めてズームアップされるような感覚的効果がここにはある。この効果はすでに述べた真鍋短歌の結象力における一点収斂と同じ構造を持つことがわかるだろう。同じ単語のリフレインは「すでにあるもの」のなかからひとつを改めて取り上げることによって、ズームアップ効果を実現する修辞的手法として用いられているのである。
真鍋の歌には作者の心情を直接に述べる歌が少ない。栞文で佐佐木幸綱が指摘しているように、「全く感情がなく感覚だけがある」歌であり、「感覚がひたすら〈もの〉の在りようへ向かっている」歌だと言える。しかしそのような視座から描かれた世界は、どこかに独特の歪みを孕んでおり、その歪みが世界を見ている〈私〉の在りようを照らし出す。真鍋の短歌の世界はそのように特徴づけることができるように思う。
最後にもう少し印象に残った歌をあげておこう。
ましろなるタイルの上に水湧きて熄(や)まざる池が春日(しゅんじつ)にあり
鈎傷のあぎとに深くある魚を焼きをり長く火にかがまりて
夜おそく帰りし家に足洗ふくるぶし深く水に浸して
量感のなべて希薄となれる午後酸ゆき木の実をわれは食みたり
雛鳥の白き骨片がのこりたる皿あり湖に対ふ夜の卓
自我青くきらめく少女夜の卓にありて切口匂ふペアーは
洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
強き酢を硝子の壜に入れたれば硝子は罌粟の茎より青し
確かに真鍋は限られた数のテーマを繰り返し執拗に歌にしたため類想歌が多く見られ、やや歌の世界が狭いという印象を与える。また葛原妙子の三句落ちの短歌のような、大胆な文体的実験も見られないために、短歌史的に重要な歌人と見なされないのかもしれない。にもかかわらず真鍋の短歌には人を魅了して止まない磁力がある。再評価が期待される所以である。
ところがときには僥倖が訪れることもある。ごく最近、『真鍋美恵子全歌集』(沖積舎、昭和58年刊)の美本を入手し、念願の真鍋の短歌世界の全貌に触れることができた。栞と沖積舎の出版物案内の折り込みと愛読者カードまで揃っており、新本同然の本である。巻末に永田和宏の解説を付し、栞には尾崎左永子・河野裕子・佐佐木幸綱・高安国世・武川忠一が文章を寄せている。第一歌集『径』から第八歌集『雲熟れやまず』まで収録されている。真鍋はこのあと『彩秋』ともう一冊歌集を上梓しているようだ。今回は現代歌人協会賞を受賞した第四歌集『玻璃』と第五歌集『蜜糖』を中心に読んだ。
真鍋美恵子は明治39年(1906年)生まれ。「心の花」に所属した歌人で、平成6年(1994年)に88歳の高齢で没している。『真鍋美恵子全歌集』の巻末に自筆の略歴があるが、公務員の家庭に生まれ結婚して二女をもうけており、実にそっけない略歴である。特筆するような大事件はなく、家庭婦人として平穏な生涯を送ったようだ。祖父が江戸時代の黄表紙本作家の柳下亭種員(りゅうかてい・たねかず)であったそうで、『岩波現代短歌事典』には真鍋の文学的資質のルーツをこの系譜に見る記述があるが、真偽のほどはわからない。
『岩波現代短歌事典』の真鍋の項を執筆した河野裕子は、真鍋を「戦後屈指の実力派歌人である」と絶賛しているが、短歌史的には真鍋の評価はそれほど確定しているわけではない。篠弘の『疾走する女性歌人』(集英社新書)では一言も触れられていないし、同じ著者の大部の『現代短歌史』(短歌研究社)にも言及はない。またアンソロジーなどに収録されることも少ないのである。「戦後屈指の実力派歌人である」にしては冷たい扱いではなかろうか。私見によれば、この冷遇の理由はふたつある。その第一としては、戦後の短歌はしばしばイデオロギー的色彩を帯びた論争と運動を軸として展開したきたという事実がある。真鍋のように家庭婦人として短歌を作り、論争的な評論を書かなかった歌人は短歌史のなかで位置を持ちにくいのだ。第二の理由は、葛原妙子における塚本邦雄や中井英夫のような読み手を得ることができなかったことである。葛原もまた医師の妻として家庭婦人という立場で作歌活動を続けた。しかし塚本邦雄や中井英夫らが葛原の短歌を絶賛し、それを契機として前衛短歌運動が興隆したという短歌史的出来事の結節点に位置していたがために、葛原は後世に多くの読者を得ることができた。葛原と真鍋は年齢が一歳ちがいで、1949年の女人短歌会創立に共に参加しており、葛原が第一歌集『橙黄』を上梓した1950年に真鍋も第二歌集『白線』を出版しており、ふたりの歩みはかなり平行している。にもかかわらず、葛原が「幻視の女王」の名を欲しいままにし、葛原を取り上げた評論も数多いのにたいして、真鍋について語られることは少ない。これは実に残念なことである。論争と運動から構成された短歌史ではなく、純粋に芸術的観点から編まれた短歌史があれば、真鍋の名が落ちることはないだろう。
『真鍋美恵子全歌集』には永田和宏が周到な真鍋美恵子論を執筆しており、私のような単なる短歌の一読者が屋上屋を架すのは笑止なのだが、私なりに真鍋の短歌世界を読み解いてみたい。
まずいかにも真鍋らしい歌をいくつかあげてみよう。
月のひかり明るき街に暴力の過ぎたるごとき鮮しさあり
捨て身の如く眠る猫のゐて海は膨(ふく)らみを夕べ増しくる
飴色の非常扉の外にある暗夜は直(ただ)に海につづかん
蘭の葉の光沢ふかみくる夜ふけ扉に満潮の海感じゐる
孵卵器に電流ながれつつありて無花果の葉の影黒き昼
真鍋の短歌に特徴的なのは、目の前の現実の微細な景物描写を出発点として、感応の連鎖によって現実を超えた密度を持つ不思議な手触りのある世界を構築しているという点である。一首目、月の光に照らされた街というのはごくありふれた情景だが、そこに「暴力の過ぎたるごとき」気配を察知しそれを「鮮しさ」と表現することにより、夜の街は新たな相貌のもとに現出することになる。二首目、「捨て身の如く眠る」という表現は注目されるが、それを除けば上句は猫が寝ているという家庭内の日常的情景にすぎない。ところが下句ではその眠りに感応するかのように、海が膨らみを増すという不気味な光景が描かれている。家庭内の安寧と外の世界の危機を孕んだ予感とが、上句下句の対比のなかに表現されることにより、一首は異様な緊迫感を醸し出すことになる。この上句下句の対比は三首目以下の歌にも同様に見ることができる。三首目で〈私〉が見ているのは飴色の非常扉だけだが、見えないはずの外部には海に続く暗夜が広がっている。下句は実際に目にしたものではなく、〈予感〉であり〈感応〉であることに注意しよう。四首目も似たような構造の歌で、蘭の葉の光沢が深くなるのは室内の情景で、〈私〉は外部に満潮の海を感じている。五首目の構造はやや異なる。孵卵器に電流が流れているのはもちろん卵を暖めるためのはずなのだが、聖書では不毛の象徴とされた無花果の葉影の暗さと並置されることによって、孵卵器のなかの卵は決して孵化することがないか、もしくは孵化しても歓迎されないことを予感させるような不吉な世界が描かれる。ちなみにここに引いた歌に詠まれている「非常扉」「卵」「海」「猫」「蘭」などは、真鍋の短歌に頻繁に登場する主題である。
葛原妙子の「幻視」とまでは言えないかもしれないが、同時代を生きた二人の女性歌人が共通の感性を感じさせる短歌世界を作り上げたことはおもしろい。葛原と比較して真鍋により色濃く感じられるのは、「漠とした危機感」「かすかな不安感」である。それは次のような歌群に濃厚である。
はびこりて毒だみが掩ひつくしたる湿土をぢかに圧(お)しをる曇
台風警報出でながら日の洩るる町血のにじむ鯨の肉売られゐる
尖端恐怖症の友とゐて見てゐつ燃えんばかりの朱の空
赤き星接近しくる夜にして限りなく甕の罌粟が水吸ふ
汗ばみて覚めたる明(あした)窓下を過ぎゆく純粋の緋の消防車
繁茂するドクダミ、覆い被さる曇天、台風警報、血のにじむ鯨肉、尖端恐怖症、朱色の空、赤い凶星、真っ赤な消防車と、列挙するだけで不吉なイメージが増幅されてゆく。このような視点から描かれることによって、読者は世界がどこかで歪んでいるという印象を強く持つ。このように世界に歪みを与える表現力が真鍋の真骨頂である。この世界の歪みの歪曲率が歌に強い緊張感を与えている。
「漠とした危機感」が昂じると、パスカル流の「足下に口を開く深淵」が現われることになる。
黄の色の扉うつくしく照りをれば直ちに外は断崖なるべし
からだ熱きけものが崩るるごとく寝つその窓下は深淵なるべし
この類の歌は、「ぬぎしままある衣(きぬ)がぬくみ保(も)ちをれば沼より冥しわれのめぐりは」に代表される「存在のほの冥さ」についての認識と通底していることは言うまでもない。
全集の栞文でも尾崎左永子は真鍋の「短歌の映像的な切り取り方の巧みさ」を指摘し、河野裕子は「絵画的構図と遠近法」をあげている。
エレベーターにて綿荷と共に上り来し男が鳥のやうなる顔せる
製粉所の裏戸は山に向きをりて嘴赤き鳥を吊せり
確かに真鍋の短歌には映像的結象力の高いものが多い。しかしより特徴的なのは、歌に詠まれた景物のなかの一点に結象力が凝集される作り方の巧みさである。
拡声器の赤き塗料の日にひかり巡航船は港に入りくる
潮のにほひの濃き夜とおもふ河岸倉(かしくら)の戸におろされし錠前ひかる
温室の卓に誰かが置きゆきし針光りたる小さき磁石
水涸れし池底にして石一つ起点の如く白く日に照る
一首目では読者の視線は巡航船の拡声器の赤さに吸い寄せられる。その一点を中心としてピタリと映像が決まる。二首目では錠前の光が構図の全体を支配している。三首目ではそれが磁石の磁針、四首目では涸れた池底の石ひとつである。このように全体の構図が一点に収斂する作り方は、歌に奥行きと大きな広がりを与えると同時に、視覚的な結象力を高めることは言うまでもない。
それでは次に真鍋の短歌の文体的特徴に話を移そう。真鍋の文体の特徴は、「直喩の多用」と「リフレインの構造」の2点にある。
薔薇の刺のやうなる青き爪研ぎて出でゆけば猫は深夜のけもの
蜥蜴のやうな指してスプーンをわが前に人があやつりてゐる
なめし皮の表のごとき海面が米穀倉庫の間より見ゆ
宣教師の卓にぬぎゆきし手袋が魚の肌(はだへ)のやうに光れる
木もれ日が斑を置く畳貝の身のやうな冷たき耳して病めり
鳥の脚のやうな茎せる植物が密生したるくらき渓あり
子規に始まる近代短歌が言葉による現実への肉薄を重んじたため、比喩を嫌ったことはよく知られている。また隠喩の多用が戦後の前衛短歌の中心的技法として復権を遂げたことも周知のことである。比喩については永田和宏が『喩と読者』で多くのページを割いて詳細な分析を試みている。永田の論旨は、「もともとは存在していなかった共通性を、作者の眼が独自に見つけだしてきて、それを、自分では決して直接に結びつけ得ない微妙さの中に架橋しようとする」のが直喩の効果であり、「世界が秘めている意味、潜在性として蔵している価値、それらを一回性のものとして剔抉してくれるような喩」を「能動的喩」と呼んで重視するという立場である。
上にあげた真鍋の短歌では、永田が指摘したような直喩の効果が十分に発揮されていると言えるだろう。「薔薇の刺のやうなる青き爪」という喩を媒介として、「薔薇」と「猫」のイメージが重ね合わされ、猫に人智を超えた神秘的な意味が付加される。「蜥蜴のような指」「なめし皮の表のような海」「魚の肌のような手袋」も同じくイメージの重層性を歌に与えている。
注意すべきは、「AのようなB」という直喩におけるAとBの2項がほとんどの場合、「植物と動物」「魚と事物」「貝類と人体」「鳥類と植物」のように、分類学的に異なる項目を結びつけている点である。陳腐な例をあげると「お盆のような月」のように、本来異なるカテゴリーに属するものを結合するのが直喩の本質であるから、これは当然のことと映るかもしれない。しかし真鍋の短歌の場合、その根底にある「感応」する心性が、直喩の結合様式となって現われているように思える。
次に「リフレインの構造」である。
谷に向く木小屋の厨人蔘の荷を解きをりて人蔘匂ふ
道端に家鴨のひなを売りてをりあひるの雛にも当れる秋日
送電線のたるみし影が動かざる罌粟の畑のけしの花の上
砂浜に牡蛎殻積めり牡蛎がらの山よりも低く燈ともせる家
永田和宏は解説のなかでこのリフレインの効果を、「外形をなぞっていたにすぎない視線が」「不意に発見をする (… ) 認識レベルの飛躍」にあるとしている。例えば一首目では、台所で誰かがニンジンの荷を解いている情景が描かれている。これを結句で「人蔘匂ふ」と受け止めているのだが、ニンジンがあるのだからニンジンの匂いがするのはある意味で当たり前である。しかしここでは単に「ニンジンの荷を解いている光景」として提示されていたにすぎない場面のなかから、他の要素を振り捨てるようにしてニンジンの匂いが感覚にクローズアップされる。あたかも網膜に漠然と映っていた景色が、突然に遠近感と陰翳を深めてズームアップされるような感覚的効果がここにはある。この効果はすでに述べた真鍋短歌の結象力における一点収斂と同じ構造を持つことがわかるだろう。同じ単語のリフレインは「すでにあるもの」のなかからひとつを改めて取り上げることによって、ズームアップ効果を実現する修辞的手法として用いられているのである。
真鍋の歌には作者の心情を直接に述べる歌が少ない。栞文で佐佐木幸綱が指摘しているように、「全く感情がなく感覚だけがある」歌であり、「感覚がひたすら〈もの〉の在りようへ向かっている」歌だと言える。しかしそのような視座から描かれた世界は、どこかに独特の歪みを孕んでおり、その歪みが世界を見ている〈私〉の在りようを照らし出す。真鍋の短歌の世界はそのように特徴づけることができるように思う。
最後にもう少し印象に残った歌をあげておこう。
ましろなるタイルの上に水湧きて熄(や)まざる池が春日(しゅんじつ)にあり
鈎傷のあぎとに深くある魚を焼きをり長く火にかがまりて
夜おそく帰りし家に足洗ふくるぶし深く水に浸して
量感のなべて希薄となれる午後酸ゆき木の実をわれは食みたり
雛鳥の白き骨片がのこりたる皿あり湖に対ふ夜の卓
自我青くきらめく少女夜の卓にありて切口匂ふペアーは
洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
強き酢を硝子の壜に入れたれば硝子は罌粟の茎より青し
確かに真鍋は限られた数のテーマを繰り返し執拗に歌にしたため類想歌が多く見られ、やや歌の世界が狭いという印象を与える。また葛原妙子の三句落ちの短歌のような、大胆な文体的実験も見られないために、短歌史的に重要な歌人と見なされないのかもしれない。にもかかわらず真鍋の短歌には人を魅了して止まない磁力がある。再評価が期待される所以である。