第268回 藤島秀憲『ミステリー』

三月のわが死者は母左折する車がわれの過ぎるのを待つ

 藤島秀憲『ミステリー』

 「心の花」所属の歌人藤島の第三歌集である。第一歌集『二丁目通信』(2009年)は現代歌人協会賞を受賞し、第二歌集『すずめ』(2013年)は寺山修司短歌賞と文部科学省の芸術選奨新人賞をダブル受賞している。第一歌集は本コラム「橄欖追放」の第50回で、第二歌集は第133回で取り上げて批評している。別に自慢するわけではないが、本コラムで批評した歌集は直後に受賞することが多い。

 第一歌集については、〈私〉を等身大より少し小さく描くことによって、虚実皮膜の異空間を作り出していると述べ、第二歌集については、濃密な空間と意味性への挽歌と表現した。第二歌集の終わりでは、作者が長年介護した父親が亡くなり、濃密な意味空間であった自宅を離れて新しい町に引っ越して、もう今までのような歌は作れないとあとがきに書かれていた。人生を画するような大きな出来事を経て、藤島はどのような境地に到ったのだろうか。

 意外かも知れないが、歌集を通読して私が抱いた印象は「等身大」である。しかも介護をしている長い間無職だった作者が、新しい職に就き、新しい町に引っ越して結婚しているのである。歌集題名の『ミステリー』は、人生は何が起きるかわからないミステリーだという気持ちから付けられたものだが、本歌集は作者の再出発の歌集となっている。

 作者の人生航路を辿る歌を歌集から拾ってみよう。

父が建てわれが売りたりむらさきの都わすれの狂い咲く家

医学生が父の解剖する午後をチラシ配りに歩くわたしは

わが部屋を君おとずれん訪れん座布団カバーを洗うべし洗うべし

これからをともに生きんよこれからはこれまでよりも短けれども

君のいる町に越さんと決めてより秋の深まり早くなりたり

お知らせがあります五月十五日今日から君を妻と詠みます

味噌汁が俺の好みに合っている なれば勤めてみよう久しく

 一首目は父親が死んで自宅を売却した折のことを思い出して詠んだ歌である。父親は献体を申し出たので、医学生が実習のために解剖する。何でも遺骨は二年後に戻されるようで、文部科学大臣から感謝状が届いたという歌もある。余談だが、本郷の東大構内を散歩していた時、旧解剖学教室の建物の裏口に古びた木製の解剖台が展示してあり、添えられた説明文に「初代解剖学教室教授の某先生と、第二代教授の某先生は、ともにその身をこの解剖台に横たえられき」と書いてあり驚いた。三首目は後に妻となる女性を初めて家に迎える時の浮き浮きした気分を詠んだ歌。「おとずれん訪れん」「洗うべし洗うべし」のリフレインがいかにも浮ついた気分をよく表している。四首目のように結婚の意思を固めて、五首目のようにお相手の住む街に越す。六首目は結婚届けを出した日の歌だ。七首目にあるように、作者は就職して働き出す。あとがきに「この時期、わたしの生活にはさまざまな変化がありました」と率直に書かれているが、確かに大きな変化である。実生活の変化と連動するように、藤島の歌風にも変化が見られる。

 いささかの自虐を含む目線の低い歌は、前歌集や前々歌集と連続している。

足の爪あすは切らんと寝る前に思えり明日の夜も思うべし

三分のたちたるチキンラーメンに箸をさしても母を思えり

「自由業ねえ」と小首をかしげつつコーヒーはまだわれに出されず

わが腰の湿布は燃えるゴミにして日曜に貼り火曜に剥がす

納豆をかき混ぜながら この低くひびける音を母も聞きしか

 足の爪を切ろうと決めてもすぐに忘れてしまう〈私〉、一人淋しくカップ麺のチキンラーメンを食べる〈私〉、就職面接に持参した履歴書の職歴欄に書いた、父親を介護していた期間に当たる「自由業」に小首をかしげられる〈私〉は、等身大より少し小さく描かれた〈私〉だ。

 しかし藤島は『二丁目通信』で次のように詠んだ父親の介護とその死という辛い現実から解放された。望む望まずにかかわらず、何事にも終わりがあるのだ。

家じゅうに鍵かけ父を閉じ込めてわれは出掛ける防犯パトロール 『二丁目通信』

たばこ屋のおばさんがもう泣いている路地より父が運び出される

二年後に父のお骨を取りに来んわたしは二歳老いた私は

 父親が建て自分が売却した親の家という濃密な意味空間から離れた作者は、何に生の根拠を求めるのかしばらく迷っているようにも見える。

越してきて五ヶ月過ぎぬ思いつつ知らせぬままにあの人もあの人も

駅から五分の町にわが住みまだ知らぬ六分の町七分の町

早春の庭をの子は駆けていん昔わが家でありたる家の

 引っ越して来た町にまだ馴染めず、知人に引っ越し通知も出していない。頭を過ぎるのは住み慣れた昔の家の楽しそうな光景である。しかし後に妻となる人との出逢いを分水嶺として、藤島の歌には冬の陽のごとく明るさが増す。

にぎやかな冬のすずめを聞きながら君と歩めりわが住む町を

それぞれの五十五年を生きて来て今日おにぎりを半分こ、、、する 

少年を追い白球は海に入り港にはもう弾むものなし

はじめての教会なれば名前のみカードに書きぬローマ字綴りで

足裏あなうらを汚さずわれは暮らしきて父の聖書をこの冬ひらく

朝の湯にさくらの香り満たしおり耳鳴りを連れて身をしずめおり

 父親の蔵書だった書き込みのある聖書を繙き、それに誘われるように初めて教会に足を運ぶという新しい経験もしている。それは母親を亡くし父親を看取った藤島の心の最奥には、死への想いが蟠踞しているからである。

引き出せば二百枚目のティッシュかな死ぬことがまだ残されている

床屋にて顔蒸されおり死んでから数ミリ伸びる髭われにあり

はるのゆきふればこごえる木々の花ふりかえりふりかえりしてわれも死を待つ

 作者の人生が滲み出るような歌も心に響くが、本歌集の中で私が注目したのは次のような歌である。

食べこぼす和菓子の栗のほろほろと木の長椅子にもみじちる秋

まなぶたを二つ持てるを幸いに日にいくたびも閉じるまなぶた

手のひらに打ち込まれたる釘の影ななめに伸びんイエスの腹を

降る花はみるみるうちに君に積むいよよ手に持つのり弁に積む

 「食べこぼす」で少し崩してはいるものの、一首目はまるで古典和歌のような正調ぶりの歌である。二首目は瞼が上下二つあり、瞼は時折閉じるという実に当たり前のことを詠んだ歌だが、当たり前のことを詠めば詠むほど藤島の歌の上手さが際立つ。ここまで来るともう何でも歌の素材になるのだ。『すずめ』のあとがきに、「もう今までのような歌は作れない」と書いた作者だが、大きな試練を乗り越えて歌の水脈を保っているのが喜ばしい。三首目は聖書を詠んだ一連の中にある歌で、倒置法を用いて「イエスの腹を」を結句に配したところが上手い。四首目も一首目と同様に「のり弁」で少し崩しているが正調の歌である。

 最後に集中で最も美しいと感じた歌を挙げておこう。

噴水を噴き出て白を得たる水白を失うまでのたまゆら

 水は本来透明である。しかし噴水から噴き上がる水が白い噴流に見えるのは、空気を取り込んだことと光が当たったことによる。水は自ら白いわけではなく、空気と光という外部の要因によって白という色を帯びるのだ。またここには時間の流れもある。噴き上がった水はやがて重力の作用で水盤に落ちて、元の透明な水に戻る。白い色を帯びるのはほんの一瞬のことだ。噴水は現代の歌人の好む素材でよく歌に詠まれるが、この歌はその中でも屈指の秀歌と言えるだろう。

 作者五十代の充実を示す歌集である。


 

第133回 藤島秀憲『すずめ』

置時計よりも静かに父がいる春のみぞれのふるゆうまぐれ
                  藤島秀憲『すずめ』
 『すずめ』は第一歌集『二丁目通信』で現代歌人協会賞を受賞した藤島秀憲の第二歌集である。『二丁目通信』という町内会紙のような題名も散文的だが、こんどは「すずめ」だ。ありふれて色も地味な鳥である。岩手医科大学の三上修くらいしか研究者がおらず、寿命もよくわかっていないという。表紙には「す」と「ず」の横棒に一羽ずつすずめが止まっている。すずめに代表される日常卑近な小さきものに向ける藤島の愛情がぎっしり詰まった歌集である。
もうみんな大人の顔つき体つき冬のすずめに子供はおらず
 歌集巻頭の歌である。よくすずめを観察していることがわかる。すずめは晩春から夏にかけて何度か産卵する。わが家のベランダにもよくすずめが来るが、巣立った子供を連れた親鳥が来ると、もうそんな季節かと感じる。巣立ったばかりのヒナは羽毛がボサボサですぐわかる。自分で餌をついばむことができないので、羽根をバタバタさせて親鳥に餌をねだる。やがて羽毛も生え替わり、冬になるともう一人前である。確かに冬のすずめに子供はいない。
 『二丁目通信』の出版時には父親の介護をしていた作者の身に大きな変化が訪れる。19年にわたった父親の介護が父の死をもって終了し、作者は住み慣れた家を離れて新しい町に住む。そこは団地が多くすずめがいない町だという。あとがきで作者はもう今までのような歌は作れないと書いている。今までの自分に別れを告げる歌集となっている。
 目線低く小さなものに目を向け、また自分を実際よりも少し小さく描く歌の詠み方は第一歌集と変わらないが、通読して第一歌集よりも切実なものを感じた。それはこの歌集が失われて行くものを丹念に描いているからだろう。それは「濃密な空間」である。
 私は散歩が唯一と言ってよい運動なので、家の近所をよく歩き回る。好んで歩くのは大きな道路ではなく、民家が建ち並ぶ狭い道で、なかでも路地・袋小路・切り通し・階段を好む。街路樹の根方に花が植えられていたり、民家の玄関先にプランターが置かれて葱が栽培されていたりする場所を見ると、そこが濃密な空間だとわかる。生活臭が漂い、人が長く暮らして来た跡があちこちにある。灯点し頃には外で遊んでいる子供を呼ぶ母親の声が聞こえ、あたりに味噌汁の匂いが漂う。
水仙の薫る小路を抜けてゆく朝の焼きたてコッペパンまで
かすみ草の種はいずこに蒔かんかなここ百日草ここ金魚草
焦げているとなりの煮物春の夜の窓と窓とが細目にひらく
青梅雨のひかる路地裏すれ違うたびに左の肩先は濡れ
あついあついと隣の家族帰り来て、となりはこれがいいという声
父の匂い、わが家の匂い、わが匂い、分かちがたくて蝉しぐれ聞く
 作者が40年暮らしたという家もやはり濃密な空間に囲まれている場所である。植物の好きな作者はとりわけ庭に愛情を注いでいたようで、上に引いた二首目のように花の種を蒔いていた。そこは三首目が示すように、隣家の煮物の匂いがわかるくらい家と家とが寄り添うように建てられている町内である。まさに濃密な空間なのである。
 濃密という意味は単に狭い空間に暮らしているということではなく、空間の隅々までが意味化されているということである。まだ人が住んでいない新築のマンションを思い浮かべてみよう。建築家の設計によって、玄関・台所・トイレ・浴室などはあらかじめ用途が決められた空間なので、最低限の意味化を受けてはいる。しかしそれ以外の空間は、住む人が「ここは居間」「ここは夫婦の寝室」「ここは子供部屋」と決め、新聞やTVのリモコンや財布などの置き場所が決められることで、細かく意味化されてゆく。空間に住み手にとっての意味が生じ、他の場所と差別化されるのである。高齢者が長く住んだ住宅は怖ろしいほどに意味化されている。これに対して郊外の団地は、室内もそうだが建物周囲の空間も意味化が希薄である。そんな場所にあまり住みたいとは思わない。上に引いた藤島の歌が描いているのはまぎれもなく濃密な空間なのである。
 作者はそこで認知症の父親の介護をして最後を看取る。
鳥籠に小鳥のいない十二年 父の記憶を母は去りたり
今朝からは冬場のコース「ふじさん」と父が何度も立ち止まる道
家じゅうに鍵かけ父を閉じ込めてわれは出掛ける防犯パトロール
たばこ屋のおばさんがもう泣いている路地より父が運び出される
太田光に似ている医師の腕時計正確ならん父は死したり
二年後に父のお骨を取りに来んわたしは二歳老いた私は
 自宅で心停止して救急車で病院に運ばれた父親は病院で死亡が確認される。遺体の献体を申し出たらしく、最後の歌はそのことを述べているのだが、献体が二年後に遺骨となって返還されるとは知らなかった。父親の死とその後を描く歌は冷静ながらも慟哭に満ちていて心を打つ。
 藤島が描く濃密な空間は自宅とその周辺に留まらない。
西洋人ふたりだけいる仲見世の猿がしゃかしゃかシンバルを打つ
権太郎坂ののぼりの日面で赤いバイクに三度抜かれつ
道のほとりのほたるぶくろをのぞきこみ谷中に合った時間を歩く
ゆうがおの咲きても暮れぬ墨東に賀茂茄子田楽あつあつが来る
名の由来聞けばなるほど炭団坂五十二段を並ばずおりる
 仲見世、権太郎坂、谷中、墨東、炭団坂など、これらの歌に詠まれた地名は単なる地名に留まらず、歴史や関わりのある人名を連想させる意味の塊でもある。若手歌人の現代短歌には地名や固有名が少なく、それがしばしば具体性のあるイメージ喚起力の欠如となっているように感じることが多い。藤島の短歌はその逆で、地名や固有名を詠み込むことで具体性を出していると言えるだろう。
 『すずめ』は濃密な空間とそれに結び付いた意味性への挽歌のように立ち現れるのである。

第50回 藤島秀憲『二丁目通信』

金柑は小鳥のために捥がずにおく ひよどり、君は遠慮せよ
                藤島秀憲『二丁目通信』
 この歌集でいちばん受けた歌がこれである。私はマンション住まいだが、幸いかなり広いテラスがあり、家人がプランターでいろいろな植物を育てている。冬になると食料の乏しくなった山からヒヨドリとメジロが餌を求めて飛来する。リンゴやミカンの切れ端を木に刺しておくと、目ざとく見つけて寄って来る。わが家では声も姿も愛らしいメジロが人気なのだが、メジロが食べていると決まって乱暴者のヒヨドリがやって来てメジロを追い散らす。ヒヨドリは食いが荒いので、立ち去った後には何も残らない。だからヒヨドリには少し遠慮してほしいのである。誰しも同じ思いなのだと感得した。
 藤島秀憲は「心の花」所属。2005年に「二丁目通信」で短歌研究新人賞候補になり(その年の受賞者は奥田亡羊)、2007年に第25回現代短歌評論賞を「日本語の変容と短歌 ─ オノマトペからの一考察」により受賞している。第一歌集『二丁目通信』は2009年の出版で、さいたま文芸賞短歌部門で準賞を受賞。藤島は「短歌研究」の時評欄も書いており、短歌実作と評論の両方ができる歌人である。
 本歌集を繙くと、例えば次のように母親の介護と死、認知症の父親の世話、自身の失業と離婚など、重いテーマの歌がずらりと並んでいる。
介護用トイレに母の残しいし尿を捨てたり葬儀の後を
風呂場にて裏返しして洗うなり父の下着という現実を
ロッカーとデスクの抽斗空にする作業をまたもしているわれは
ピータンの好きな女になっていた 前妻もいる赤い円卓
 ここから跋文を寄せた佐々木幸綱のように、この歌集は読みようによっては介護歌集とも読めるという感想が生まれる。確かにそのような読み方も可能であり、また年老いた親の介護という現実が厳しいものであるのは疑いない。しかしその一方で、この歌集を単純なリアリズムに基づいて人生の不如意を詠ったものと取るのは危険だろう。そのヒントはあとがきにある。あとがきで藤島は、自分は三丁目に住んでおり、二丁目に住んでいる〈われ〉は三丁目の私とそっくりであると書いている。そっくりではあるが同じではない。二丁目と三丁目のちがいが現実と虚構の間の虚実皮膜であり、藤島の文芸の核心はそこにある。また藤島はこの点について極めて意識的な歌人なのではないかと思うのである。
 この歌集には夥しい固有名が登場するのだが、藤島の文芸を理解する手かがりになる人名が二つある。
コーヒー代節約二ヶ月ついにわが開く『山崎方代全歌集』
一生を晩年として過ごしたる小中英之を読んでいる 秋
 山崎は先の大戦で負傷して右目はを失明、左目の視力もほとんどなくなり、復員してからも定職と家庭を持たず、無用者として生涯を過ごした。「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」などの山崎方代の歌と藤島の歌の親和性は明らかである。また小中英之は若い頃から宿痾を抱え、死神と同道するがごとき生を送った歌人である。「雨期の花舗『末期の眼』にて眺むれば赤道直下航く船の見ゆ」のように、自らの死を見据えた透徹した文体を持つ。小中にとって自分の生は常に晩年であり、「俗世から退いて身を持する者のもつ頑なさとはかなさを、鎧のように身にまとっていた」(『過客』の辺見じゅんによる追い書き)という。山崎も小中も自ら選んだものではない事情によって人生から降りた人である。藤島は山崎と小中の二人の境涯に親しいものを感じ、自分を同類の者に擬することによって歌の根拠を確かめようとしているのではないか。介護や失業などの厳しい現実を歌に詠みながら、過度に深刻に陥らない軽みを感じさせるのは、この藤島の立ち位置に理由があるものと思われる。
ライオンズマンション脇の舗装路の止まれの〈まれ〉に雪凍てており
何百回夢に訪れくる母か納豆に醤油をかけすぎと言う
仏壇に苺六粒供えしが一時間後は三粒になりぬ
縁側の日差しの中に椎茸と父仰向けに乾きつつあり
あおむけの蝉のごとくにもがきおり今宵のわれはこむらがえりに
 藤島が好んで歌に詠むのは大事件ではなく、例えば一首目にある道路のペイントの止まれの〈まれ〉に雪が凍結しているというような、徹底して日常のどうでもよいような些事である。目線を低くし、日々のトリビアルな出来事に拡大鏡を当てるようにして、ペーソスとユーモアをまぶしながら詠むのが藤島の手法なのだ。だからこれらの歌の〈われ〉は等身大かそれよりやや小さめに描かれているが、決して現実の藤島ではない。
 藤島の短歌のもう一つの特徴は、歌の中に物語が塗り込められていることである。跋文で佐々木は啄木の手法を継承・発展させようとしていると指摘しているが、直近の手本は寺山修司だろう。
老婆ふたり暮らす家より泣き声と笑い声どっと起こる春宵
漢文の教師の家の日の丸がのたりと垂れてしずかな旗日
傘立てに三本の杖 おじいさん二人が「きょうの料理」見ている
首のない男女が金を受け渡すシャッター半分下ろされた店
 これらの歌に詠われている光景は妙に具体的で、まるで掌編小説のようなドラマを内包している。例えば一首目で老婆二人が暮らす隣家から泣き声と笑い声が起きるとは、一体いかなる事件が起きたのかと考えてしまう。また三首目では、老人二人に杖が三本と数が合わないところがミソで、残りの一本の持ち主はどこへ行ったのか。見ている番組が「きょうの料理」というところに不穏な気配がある。四首目でシャッターを半分下ろした店で金を受け渡ししている男女はただならぬ関係だろう。いくらでも想像が膨らむのである。歌に物語を織り込むのは、例えば福島泰樹や笹公人のように、ふつう浪漫の回復を目的とするのだが、藤島の場合はちょっと違っていて、虚実皮膜の異空間である非在の二丁目を立ち上げるためではないかと思われる。このことは固有名を詠み込んだ歌にも言えることである。
ああ行ってしまったバスに揺られていんマルヤマ人形店の広告
綱吉は出るか出ないか話し合うカーブ・ミラーの下の女生徒
お祭りの日だけ近所の人になる二軒となりの大泉さん
肩こりを叩くにちょうど手ごろなり かどや純正ごま油の壜
 ラッセルの指示理論によれば固有名は記述の束であり、背後に大量の意味を内包している。固有名には意味がずるずると付いて来る。「マルヤマ人形店」や「かどや」がどんな店か読者にはわからなくても、そこには意味を含んだ空間が形成され、物語が誘因されるのである。
 藤島が好んで数字を詠み込むのも他の理由からではない。
駐車場まで四十七歩なり五十二キロの父を背負えば
二本立て映画に二回斬られたる浪人は二度「おのれ」と言えり
伊右衛門のペットボトルとともに浮く鴨の三羽と白鷺の二羽
白鳥はあまり遠くを見ずに飛び年金手帳の厚みは二ミリ
銀行の二十五日の列の中十秒ごとに二歩ずつ進む
 数字は具体性を帯び、地を這うようなリアリティーを生む。しかしながら偏執的とも思える具体性への嗜好は、アララギ的生活即歌のリアリズムをめざしたものではない。現代絵画のハイパーリアリズムがかえって魔術的夢幻性を実現するのと同様に、これらの数字もまた虚実皮膜の異空間である非在の二丁目を作り上げているのである。
 一読してすっと意味の通じる平易な口語短歌の見かけの裏に、周到に仕掛けられた文芸装置がある。見かけに騙されてはいけないのである。