白色のスーザフォーンを先立てて行進すれば風の不意打ち
杉崎恒夫『食卓の音楽』
杉崎恒夫『食卓の音楽』
街を楽隊が行進している。先頭には大きなスーザフォーンを抱えた奏者が歩いている。スーザフォーンは低音部を受け持つ大きな楽器なので、軽量化のために白いプラスチックで作られている。そこに突風が吹くと、大きく開いた朝顔を持つスーザフォーンが風に煽られて、奏者は大きくよろめくかのけぞってしまい、周囲の奏者もそれをよけようとして、隊列は算を乱した状態に陥る。掲出歌はその一瞬を捉えたもので、情景が目に見えるようだ。
この歌には作者杉崎の特徴がよく現れている。まるで世界から額縁に囲まれた一幅の絵を切り取って来たかのようなフレーム感覚に溢れていて、まっさらなフレームの中には作者が入ることを許可したものだけが収まっている。その完結感と清潔感は比類がない。こうして浮揚する小世界は、メルヘンか絵本の1ページのようで、外部を持たない。テレマンの食卓の音楽のように、小品ながら明るく楽しく完結している。短歌を読む喜びをしみじみと味わわせてくれる逸品と言えよう。
杉崎の第2歌集『パン屋のパンセ』は、昨年4月に本コラムの49回目で取り上げた。確か歌集が届いて一週間後くらいにアップしたので、おそらく日本でいちばん早く出た書評だと密かに自負している。その後、『パン屋のパンセ』は多くのメディアで取り上げられ、現在までに4刷を重ねているという。自費出版で印刷部数は500部程度、刷り増しなしというのが常識の歌集の世界では異例のことである。しばらくして湧き起こった第1歌集『食卓の音楽』を読みたいという声に押されるように、本書はこのたび同じ六花書林から新装版として出版された。嬉しいのは、前田雪子(前田透夫人)、永井陽子、井辻朱美、中山明による初版の栞文が巻末に再録されていることである。それに加えて、杉崎本人の撮影した写真が各章の扉に配されている。写真はなかなかの腕前で、歌集の空気感をさらに高めている。
作者杉崎の紹介は本コラムの49回目に譲るとして、さっそくこの歌集の世界に入ることにしよう。一読して改めて思うのは、杉崎が短歌に向かう基本的なスタンスは、短歌を通してこの世界に「神の指跡」を発見することだったということである。ここで言う神とは特定の宗教の神ではなく、この宇宙と自然界を作った造物主 (prime mover)というほどの意味である。この点において杉崎の眼差しは、自然の法則を発見せんと務める自然科学者と変わりがない。異なるのは杉崎の場合、発見はポエジーの発生へと昇華されるところにある。
このように神の指跡は、紅茶茶碗に浮かぶレモンにも、道に散らばったサクランボにも、食パンの切り口にもある。私たちの日常世界の至る所に隠れているのである。それをひとつひとつていねいに拾い集めて歌に仕立ててゆくのが杉崎の得意な作業であった。このために単純な写実は少なく、また短歌にありがちな自然への自己投影もない。杉崎が切り取った情景は額縁に中に収められて、どこか重力を感じさせない浮遊する詩的世界へと昇華されるのである。
『食卓の音楽』が刊行されたのは1987年(昭和62年)で、奇しくも『サラダ記念日』と同年である。同じ年には加藤治郎『サニー・サイド・アップ』が、翌年には荻原裕幸『日本人霊歌』が刊行され、折りしもライト・ヴァースをめぐる論争が歌壇を賑わせた頃だ。杉崎の所属していた「かばん」は、『猫、1・2・3・4』(1984年)の中山明と、『水族』(1986年)の井辻朱美がリードしており、穂村弘の『シンジケート』(1990年)はまだ出ていない。そんな時代の中に次のような杉崎の歌を置いてみると、その感覚の新しさがよくわかる。
本歌集を一読して次のような歌が目に留まった。
栞文の中で杉崎と親交の深かった中山明は、杉崎は「歌人」というより「詩人」のイメージだったと述べている。確かに杉崎の短歌は近代短歌が背負ったある種の重荷から自由である。そのことが杉崎の短歌に風のような自由さと軽さを与えているのだろう。
この歌には作者杉崎の特徴がよく現れている。まるで世界から額縁に囲まれた一幅の絵を切り取って来たかのようなフレーム感覚に溢れていて、まっさらなフレームの中には作者が入ることを許可したものだけが収まっている。その完結感と清潔感は比類がない。こうして浮揚する小世界は、メルヘンか絵本の1ページのようで、外部を持たない。テレマンの食卓の音楽のように、小品ながら明るく楽しく完結している。短歌を読む喜びをしみじみと味わわせてくれる逸品と言えよう。
杉崎の第2歌集『パン屋のパンセ』は、昨年4月に本コラムの49回目で取り上げた。確か歌集が届いて一週間後くらいにアップしたので、おそらく日本でいちばん早く出た書評だと密かに自負している。その後、『パン屋のパンセ』は多くのメディアで取り上げられ、現在までに4刷を重ねているという。自費出版で印刷部数は500部程度、刷り増しなしというのが常識の歌集の世界では異例のことである。しばらくして湧き起こった第1歌集『食卓の音楽』を読みたいという声に押されるように、本書はこのたび同じ六花書林から新装版として出版された。嬉しいのは、前田雪子(前田透夫人)、永井陽子、井辻朱美、中山明による初版の栞文が巻末に再録されていることである。それに加えて、杉崎本人の撮影した写真が各章の扉に配されている。写真はなかなかの腕前で、歌集の空気感をさらに高めている。
作者杉崎の紹介は本コラムの49回目に譲るとして、さっそくこの歌集の世界に入ることにしよう。一読して改めて思うのは、杉崎が短歌に向かう基本的なスタンスは、短歌を通してこの世界に「神の指跡」を発見することだったということである。ここで言う神とは特定の宗教の神ではなく、この宇宙と自然界を作った造物主 (prime mover)というほどの意味である。この点において杉崎の眼差しは、自然の法則を発見せんと務める自然科学者と変わりがない。異なるのは杉崎の場合、発見はポエジーの発生へと昇華されるところにある。
ティ・カップに内接円をなすレモン占星術をかつて信ぜず杉崎は三鷹の国立天文台に勤務していた。天体の運行はかつて数学を発達させたと同時に、宇宙の幾何学的神秘を最も感じさせてくれる現象でもある。短歌に「内接円」のような数学用語をさりげなく、そして詩的に用いることができるのは、杉崎の仕事と無関係ではあるまい。一首目、「占星術をかつて信ぜず」とあるので、現在では信じていることになるわけだが、古代において占星術と天文学とはほぼ同義であった。天体の運行は最も規模の大きな神の指跡と言えよう。二首目は動と静が逆転されている歌。地下鉄駅に列車が停車して、壁に貼られた広告が見えるのである。これも情景がくっきりと見える歌だ。三首目の素材は秋の空を渡る雁の群れという古典和歌の素材だが、雁をマッチの軸を「へ」の字の形に折ったものと見立てたところがミソ。四首目の「メリジェーヌ」は西洋中世に伝わる下半身が蛇の女性神話。メリジェーヌの尾の曲がりと洋傘の柄の曲がりとが同期している。この傘はもちろん黒のこうもり傘で、柄は昔風の竹を火であぶって曲げた柄がふさわしい。「ゆううつな」と詠っても作品世界のフレームから出ることなく、あくまで物語世界に留まっているのが杉崎の特長だろう。五首目は、食パンの切り口を前方後円墳に見立てたもので、「あっ、こんなところに前方後円墳が!」という発見の楽しさが伝わって来るようだ。六首目は地面に散らばったサクランボを楽譜の音符に見立てた歌。ポイントは「ピアノぎらいの」にあり、嫌いだから乱雑にピアノを弾くので、あちこちにでたらめに散らばっているのである。
地下鉄の窓いっぱいにきて停るコマーシャルフォトの大きな唇
江東の空わたりくる雁の列遠ければマッチ折りたるほどに
メリジェーヌの尻っぽの先とゆううつな洋傘の柄となぜにか曲る
簡潔なるあしたの図形 食パンに前方後円墳の切り口
漆黒のさくらんぼ地にこぼれいてピアノぎらいの子供の音符
このように神の指跡は、紅茶茶碗に浮かぶレモンにも、道に散らばったサクランボにも、食パンの切り口にもある。私たちの日常世界の至る所に隠れているのである。それをひとつひとつていねいに拾い集めて歌に仕立ててゆくのが杉崎の得意な作業であった。このために単純な写実は少なく、また短歌にありがちな自然への自己投影もない。杉崎が切り取った情景は額縁に中に収められて、どこか重力を感じさせない浮遊する詩的世界へと昇華されるのである。
『食卓の音楽』が刊行されたのは1987年(昭和62年)で、奇しくも『サラダ記念日』と同年である。同じ年には加藤治郎『サニー・サイド・アップ』が、翌年には荻原裕幸『日本人霊歌』が刊行され、折りしもライト・ヴァースをめぐる論争が歌壇を賑わせた頃だ。杉崎の所属していた「かばん」は、『猫、1・2・3・4』(1984年)の中山明と、『水族』(1986年)の井辻朱美がリードしており、穂村弘の『シンジケート』(1990年)はまだ出ていない。そんな時代の中に次のような杉崎の歌を置いてみると、その感覚の新しさがよくわかる。
ミスター・フライドチキンの立っている角まがりきて午後のたいくつ「午後のたいくつ」や「五月の疲れ」は、当時のバブル景気を背景とする一過性の気分と捉えられてしまうかもしれないが、実はそうではなく、杉崎ワールドの語彙である。またパウル・クレーの詩情溢れる絵画の世界はよく杉崎とマッチする。
一度だけ自分勝手がしてみたいメトロノームの五月の疲れ
躁鬱を疾む春の街いずこにかパウル・クレーの矢印描かれ
本歌集を一読して次のような歌が目に留まった。
さくらんぼ彩る街となりゆけばガラスの筒に透くエレベーター思わず微笑したくなる歌を挙げておこう。
核家族と呼ばれて住めば緩慢に匙をしたたる冬の蜂蜜
とべらの果赤く爆ぜおり海光のまぶしさすぎてふと昏むとき
猫の腹に移りし金魚けんらんと透視されつつ夕日の刻を
横向きのエジプト文字の鷹をひとつ留らせておく死角の肩に
毒のないぼくの短歌とよくなじむ信仰心のうすいマシュマロ杉崎は自分の歌に毒がないということをよく自覚していたことがわかる。杉崎の短歌世界は、近代短歌の駆動装置のひとつであった貧乏とも恨みとも無縁であり、また現代短歌のキーワードになってしまった感のある痛みや生き難さとも縁がない。そんな杉崎の短歌と、口の中で溶けて手応えのないマシュマロはよく似合うというのである。マシュマロが信仰心が薄いと言われると、思わずそうかなと思ってしまう。
かなしみよりもっとも無縁のところにてりんごの芯が蜜を貯めいるこの歌も杉崎の立ち位置をよく表しているように思う。日々を生きる者として杉崎にも悲しみがないわけではない。しかし、自然は私の悲しみとは無関係なところで営為を続け、リンゴを実らせている。その無関心さに杉崎は深い慰藉と喜びを見いだしているのである。これもまた世界が私に見せてくれる印のひとつである。
栞文の中で杉崎と親交の深かった中山明は、杉崎は「歌人」というより「詩人」のイメージだったと述べている。確かに杉崎の短歌は近代短歌が背負ったある種の重荷から自由である。そのことが杉崎の短歌に風のような自由さと軽さを与えているのだろう。