115:2005年8月 第1週 吉田 純
または、前衛短歌の私生児は蝙蝠傘に何を身籠もるか

ずぶ濡れの俺の背中に夕星が
     輝くという嘘を悲しむ

       吉田純『形状記憶ヤマトシダ類』(北冬社)
 吉田純 (あつし) は1976年 (昭和51年) 生まれ。『形状記憶ヤマトシダ類』は2004年に刊行された第一歌集である。1976年生まれといえば、生沼義朗(1975年生)、笹公人(1975年生)、永田紅(1975年生)、黒瀬珂瀾(1977年生)らと同世代の歌人である。この世代にとって1987年のサラダ現象のときはまだ10歳ほどだから短歌に意識はなく、18歳を人生の最初のメルクマールとすれば、1992年はまさにバブル経済崩壊の年である。この世代の若い人たちが短歌という伝統定型詩を志した時、当時の短歌シーンがどのような時代背景のもとにひとりひとりの目に映っていたか、これはとても興味のある問題である。

 歌集巻末の著者略歴によれば、大学院の日本文化研究科 (実質的には国文科と思われる) に学び、菱川善夫に師事するとある。菱川といえば、戦後の前衛短歌運動の最も熱心な伴走者として知られる批評家である。だから吉田が前衛短歌の遺産を出発点としたことは疑いない。

 前衛短歌もはや還暦近し 炬燵に眠る蝙蝠傘(こうもり)ひとつ

 ぬばたまの官衙の街へみごもれる蝙蝠傘(こうもり)さげてゆく男あり

 これらの歌に登場する蝙蝠傘は、塚本邦雄の「われの戦後の伴侶の一つ陰険に内部にしづくする蝙蝠傘も」という歌を下敷きとしている。だから「炬燵に眠る蝙蝠傘」は、かつての鋭い問いかけと革新的態度を失ってしまった前衛短歌への挽歌である。吉田は年老いた前衛短歌の旗手たちに代わって、自分がその松明を継承しようと決意する。だから「みごもれる蝙蝠傘」は、これから何を生み出すかはわからないがとにかく胎動し始めている胞衣であり、吉田はそれをひっさげて官衙の街へ突入しようとしているのである。みずからを「前衛短歌の私生児」と規定する吉田の決意の歌だろう。

 実際に歌集を読むと、視覚的喩、句割れ・句跨りの多用などの、いかにも塚本風の前衛短歌の語法と語彙を用いた歌がある。

 裕仁忌 精肉店の青年の咽喉(のみど)巻く鴇色の手拭

 侵略史の顔ぶれのみが愛されて ― 日本銀行券収集家

 銃口のごと颱風の眼が狙う嗜眠症なる盲目の蛇

 だが「炬燵に眠る蝙蝠傘」に挽歌を送る吉田が、前衛短歌そのままの語法を用いることに、今日的な意義が果してあるのだろうか。もしこれがオマージュまたはパスティーシュならば別なのだが、そうとは思えない以上、疑問を持たざるを得ない。

 みずからを「前衛短歌の私生児」と規定するとはどういうことだろうか。吉田の歌集の直前に高柳蕗子の『短歌の生命反応』を読んでいたので、どうしても高柳の本の影響が後を引いていた。そのせいでいささか偏った読み方になったかもしれない。高柳は『短歌の生命反応』所収の「めでさたの終わり」という文章の中で、「メデタム」という造語を提案している。「メデタム」とは「めでたさ」を喚起するアイテムのことをいう。では「めでたさ」とは何か。私たちの命は短くはかない。遠からず何の痕跡も残さずにこの世から消えてしまうと考えると怖ろしい。しかし、私の命は子供に継承されるとか、私がいなくなっても家系は脈々と存続するとか、国破れても山河ありとか、ちっぽけな「私」を超えるもっと大きなものに包まれると考えるとき、その怖ろしさはやわらぐ。私たちという「部分」がより大きな「全体」の一部であると感じることで慰められる。毎年正月が来るとなぜ「めでたい」か。それは自然が変わることのない周期でめぐってくるという不変性が保証されるからである。私たちはその不変性に癒されるのである。

 高柳はこの「めでたさ」の感覚は短歌に深く浸透しており、「メデタム」は短歌を自立させる必須アイテムだとする。

 春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり  佐佐木信綱

 これは「メデタム」だらけの歌である。「春」「朝」「日」「山河」「草木」「光」これすべて「メデタム」だと高柳は言う。新年の宮中歌会始めなどは、その儀式的性格から言って「メデタム」を折り込んだ歌を作ることを状況的に拘束されていると言えるかもしれない。

 はるかなる撒水車よりくるごとく雪舞うわれらも宇宙の微塵  井辻朱美

 人間は宇宙のチリにすぎないとするこのような歌は、一見すると人間の卑小さや無常観を強調しているように見えるかも知れないが、これもまた「メデタム」によって最終的には人間を慰撫する歌である。なぜならわれら人間もまた、宇宙という巨大な摂理の一部として把握されており、なかんずく「雪」は高度の「メデタム」だからである。このような高柳の短歌観はとてもおもしろい。

 吉田の歌集に話を戻すと、吉田はみずからを「前衛短歌の私生児」と規定するくらいであるから、歴史意識を強く持っているはずである。吉田の歌のなかで過去の短歌の遺産はどのように扱われているのだろうか。

 蛍火を部屋にて放ちやる気分 ミュートしたまま空爆中継

 蹴り上げる空き缶 青に吸い込まれ自転周期に乗るまでの夢

 何かしら力持ちたき気分して飴玉ひとつ口中の月

 いつまでも俺を睨んでいる月の欠けた部分の暗い苛立ち

 朝の陽に空の埃は映されてまじりけのない始まりがない

 太陽のかげり堕ちつつゆくさまに群れる向日葵蒼ざめゆけり

 古来「蛍」は恋の象徴とされ、近代短歌では魂とのダブルイメージでよく詠われた。一首目は中東戦争におけるアメリカ軍の空爆のTV中継を描いている。TVが消音されているという点に「鳴かぬ蛍」の伝統的イメージとの連続性があり、爆撃で死ぬ人の魂を蛍火の明滅に喩えるのは近代短歌の継承だと言える。二首目、空き缶を青空に向かって蹴り上げるというのは、この上ない青春のイメージである。「青」も軌道を周回する「月」も近代短歌の「メデタム」であり、吉田は意外にも近代短歌が築き上げた「メデタム」銀行の預金をよく使っているのである。同じことは三首目にも言える。口に入れた飴玉は「月」に喩えられる。「丸さ」を機縁とする隠喩のみならず、ここには人間を見守る天体としての「月」が強力な「メデタム」として働いている。四首目になると趣はいささか異なる。この歌にも月は登場するが、クローズアップされているのは月の欠けた部分であり、それが私を優しく見守るどころか睨んでいる。五首目の「朝の陽」もこれと似ており、本来はご破算による世界の更新であるはずの朝の陽が、始まりを予告しないものとして否定的に捉えられている。六首目の「メデタム」は「太陽」と「向日葵」で、ヒマワリは天における太陽の地上における相関物として把握される。太陽が翳るのと同時に向日葵も蒼ざめるのだから、本来生命や希望のシンボルである「太陽」と「向日葵」はここでも否定的に捉えられている。

 やや詳しく見たように、短歌史の積み上げてきた歴史的厚みに対峙する吉田の戦略は、いささか足元がふらついていると言わざるを得ない。歌集の栞文で谷岡亜紀は、「否定の力を武器として、いま、この第一歌集をもって短歌という城塞に参入しようとする」と吉田の姿勢を評価した。「否定の力」というとき、そのベクトルの向く方向はふたつある。ひとつは近代短歌の「メデタム」のプラスをすべてマイナスに変えるという戦略である。上の引用歌でいうと四首目・五首目・六首目あたりがこれに該当するだろう。従来の近代短歌で「メデタム」として利用され、短歌に母のごとき安心感と慰藉作用を付与してきたアイテムを使いながらもその価値を反転する操作を通じて、近代短歌の遺産に「否定の力」を突きつける。このような戦略を描くことができる。

 しかしこれは成功するだろうか。ドンキホーテは敵に見立てた風車があってこそ、ドンキホーテたりえる。その意味でドンキホーテにとって、風車は自らの存在意義のために必要欠くべからざるものである。いくら槍を突き立てようとも、本当に相手が死んでしまっては困るのだ。吉田が採用した戦略はこのような根元的矛盾を孕んでいる。

 「否定の力」というとき、そのベクトルの向くもうひとつの可能性は、近代短歌の「メデタム」のプラスをマイナスに変えるのではなく、「メデタム」自体を中性化する作業を通じて、「メデタム」なしでも屹立することのできる新しい歌を志向する道である。吉田のこの歌集に収録された歌には、残念ながらこのような戦略の可能性を感じさせる歌は見ることができなかった。

 どっぷりとオリーブオイルに漬けられて沈む鰯のようだお前は

 わが意志に似て密かなる朝焼けの微熱の匂い坂上りゆく

 僕達の首に掲げる勲章 evian かたむけてみるとき naive 

 古着屋のコートの中に釘ひとつ誰(た)が握りしか錆びゆくまでに

 いずれも完成度の高い歌だと思う。しかし、愚かな人民を缶詰の鰯に喩えるのは常套の比喩であり、錆びた釘も歌謡曲にまで利用された挫折の比喩である。また「倦怠と怒りの向かう処知らず檸檬爆弾試したくなる」のような直球を放られると、バッターボックスにいるこっちがのけぞってしまう。

 「メデタムなしでも屹立する新しい歌を志向する」と言うことはたやすい。しかし高柳も言っているように、「メデタム」は日本語の隅々まで深く浸透している。歌人のなかにはこれを「日本語の貴重な遺産」として活用すべきと考える人も多いだろう。そんななかで「前衛短歌の私生児」として、過去の短歌との対決を主要な弾機として短歌世界に立ち向かうのならば、「否定の力」によるだけではなく戦略的に「メデタム」を中和する道を探るべきだろう。

 歌集題名『形状記憶ヤマトシダ類』は次の歌による。

 湿りたる昭和初年の闇を恋う形状記憶ヤマトシダ類

 ヤマトシダという植物名はもちろん創作である。現代の世にあってヤマトシダ類は本来の形をなくしてひっそりと棲息しているが、何かの折りに形状記憶機能が働き、昭和初年の闇の時代に持っていた本来のおぞましい形状を回復しようとする。ヤマトは日本であり、それは日本的心情と日本語とがないまぜになったものとして把握されている。そのような認識の地平に吉田は立っているのだろう。このような地平からどんな歌が繰り出されて来るのか。第二歌集に期待したい。