175:2006年10月 第3週 ハルシオンの歌

ハルシオン 今亡き君はわれを待つ 
    その百錠の果ての花園
         
大津仁昭『霊人』

 今回はお題シリーズの「ハルシオン」である。ハルシオンは向精神薬トリアゾラムの商品名で、その響きのよい名のせいか、睡眠導入剤の代名詞的存在になりつつある。人気ロックバンドのsophiaが「黒いブーツ」という歌のなかで「どこからかくすねた春四音」と歌い、劇作家鴻上尚史は『ハルシオン・デイズ』という題名の劇を書くほどよく知られているのである。かねてから響きのよい名に惹かれていたが、ハルシオンが詠み込まれている歌を集めるのにずいぶん時間がかかった。たぶんどんな短歌集成でも項目として立項されていないだろう。

 睡眠導入剤は使い方によっては危険な薬であり、昔から自殺の手段として用いられてきた。芥川龍之介はパルビタール系のベロナールを服用したし、岸上大作はブロバリンで自殺している。大津の歌はそのような背景を踏まえたものである。自殺した「君」が私がそちら側に行くのを待っているというのだが、「百錠の果ての花園」は死の向う側にある涅槃だろう。この世の向う側を見つめる大津らしい歌だが、実はハルシオン百錠では死ねないのである。ハルシオンは安全性の高い睡眠導入剤で、代表的な0.25mg錠剤だと150万錠くらい摂取しないと致死量に達しないそうだ。

 しかしそんなことは歌の瑕疵でも何でもない。「ハルシオン」の音の響きが「花園」を導き出すにはどうしてもこの薬名でなくてはならないからである。「ハル」は「春」に通じて花園のイメージを呼び出すし、なにより「ハルジョオン」という花の名とよく似ているのである。「ハルジョオン」(春女苑)は「ハルシオン」(春紫苑)と呼ばれることもあり、当てられる漢字も美しい。またなぜか「ハルシオン」は競馬馬の名前にありそうでもある。このような事情と5音という座りのよさも手伝って、短歌には比較的よく詠まれるのだろう。

 じんじんと初夏深みゆきハルシオン効かずなりしと人は訴う  三井 修

 ハルシオンの無味、デパスのほのかな甘み、ブロムワレリル尿素の苦み  松木 秀

 ずばり睡眠導入剤としてのハルシオンが詠まれた歌。三井の歌はたぶん病床に長くある人で睡眠障害のためハルシオンを処方されているが、耐性のため効かなくなってきたのだめろう。初夏の深まりという季節のなかに人を配する古典的手法であるが、「初夏」と「ハルシオン」が喚起する「春」とが衝突していることに注目しよう。松木の歌は薬剤名が列記されているところがミソで、韻律に合わない破調は無視されている。デパスは向うつ剤で催眠効果もある薬、ブロムワレリル尿素はブロバリンのことである。薬剤に依存しなくてはならない境涯を薬物の味で表現しているところにこの歌の凄みがある。

 言えなかった言葉の数だけ流し込むハルシオンの白病みし者射る  伊津野重美

 地中へと埋めてやれば何か出てくるかも知れぬ千のハルシオン  生沼義朗

 これらの歌ではハルシオンは単に睡眠導入剤というだけではなく、別の何ものかを暗示する記号として用いられている。伊津野の歌ではそれは人との関係のなかで我が身に受けた傷だろう。「言えなかった言葉」の数だけハルシオンを流し込むというところに自傷的傾向が見られる。ちなみにハルシオンの0.125mg錠剤は薄い紫色、0.25mg錠剤は薄い青色だそうで、白ではないようだ。生沼の歌ではハルシオンという名と植物名との類似が連想の元にあると思われる。「千」という尋常ではない数が効果的である。ちなみにハルシオンには健忘症の副作用があるというから、「忘却」という連想関係もここには隠れているかもしれない。

 そのときはかのハルシオン・ローレライ歌わせてくれあなたの島で  正岡 豊

 あづさ弓春ハルシオン依存症指から花にかはつていくよ  西橋美保

 だんだんに睡眠導入剤という実質から遠く離れて、これらの歌ではハルシオンはほとんど記号的価値のみになっている。正岡の歌では「ハルシオン・ローレライ」と中黒でふたつの名が結合されて呼びかけの対象となっているのだが、もっぱら音の美しさとローレライと結びつく「忘却」という潜在的意味から選ばれたものと思われる(注)。西橋の歌では「あづさ弓」は「春」にかかる枕詞であり、「春」が「ハルシオン」を呼び出し、「ハルシオン」の花のイメージが指から花に変わる連想を呼び出すという関係になっている。「ハルシオン」が喚起する音の連鎖とイメージの連鎖から成り立っている歌である。

 単なるひとつの薬剤の固有名でしかないハルシオンが短歌のなかに配されたとき、このように豊かな記号作用を生み出すというところにもまた、言葉のおもしろさがあるのだろう。

 (注)「ハルシオン・ローレライ」はB.M.ステイブルフォード作のSF小説の題名だった。この小説ではハルシオンは暗黒星雲の名前として用いられている。これは黒瀬珂瀾氏の指摘による。