吉岡生夫歌集『草食獣 隠棲篇』書評 :隠棲するにはまだ早い草食獣への手紙

 吉岡生夫の『草食獣 隠棲篇』は著者の第六歌集である。第一歌集『草食獣』、第二歌集『続・草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣・第五篇』と、すべての歌集に「草食獣」という題名がつけられているのは異例なことである。著者のこだわりが透けて見えるようだが、意外なことに著者自身による命名ではない。「短歌人」の先輩にあたる小池光がとある酒の席ではからずも名づけ親となったらしい。『草食獣 隠棲篇』の異例に長いあとがきで、吉岡は「炯眼恐るべし。私は肉食獣への変身を夢見ていただけにショックだった」と述懐している。「炯眼恐るべし」とは、初めての歌集を出そうとしていた当時二十八歳の吉岡の短歌を見て、小池が「君の本質は草食獣だ」と喝破したということを意味する。そしてこれを聞いた吉岡は「逃れようのないことを知った」という。吉岡は歌人としての出発点において、しかも二十八歳という若さで、青春期の一時の情熱に曇らされない冷徹な眼をもって、自己の本質を受け入れたのである。これは珍しいことと言わねばならない。誰しも青春期には肥大した自己と過剰な自意識を抱えていて、正確な自己認識を持つことはむずかしい。膨れあがった自意識は、天空へ飛翔するがごときハイトーンの抒情を生み出すことがある。その一時の煌めきは青春の特権と言えるだろう。二十歳の頃の吉岡もこのような青春の煌めきと無縁だったわけではない。

 ちちははのいのりのごときうみなりのなかをゆくとき血こそかがやけ

 海ゆかばみづくかばねとなるものを生かされてわがのる遊覧船

 しかし吉岡は自らを草食獣と規定して歌人としての歩みを始めた。そこには自己認識と引き替えに引き受けた断念がある。第一歌集『草食獣』には年齢相応の清新な抒情を感じさせる歌が見られるかと思えば、年齢にそぐわない老成の香りの漂う歌もあり、読後の印象が散乱する感は拭えない。

 妹は尿してをりかたはらにさく竜胆の花はむらさき

 盲腸の跡がのこれる下腹部をさらす女もわれも敗者か

 吉岡が自分の短歌世界に自信を持ったのは、第三歌集から第四歌集にかけての頃だという。次のような歌が吉岡の歌境の深化を証している。 

 さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを

 かみさまも裏側ゆゑにせはしくて縫目のあとのしるき陰嚢

 その特徴を一言で言えば、生活の些事を掬い上げる目線の低さと、アンチ自己劇化であろう。この特徴はこのたび刊行された第六歌集『草食獣 隠棲篇』でも健在である。

 朝夕のわれのかひなをはなさざるテルモ電子血圧計嬢

 をのこまたをみなおなじく水泳のガッツポーズの脇に毛のなし

 ぷらすちっくの豚のそこひゆたちのぼるベープマットの夏はきにけり

 「テルモ電子血圧計」「ベープマット」という商品名から滲み出る市井の生活感、「をのこ」「をみな」の古語と「ガッツポーズ」というカタカナ語の取り合わせの生み出すズレがこれらの歌のポイントであり、この手の手法に関して吉岡は名人の域に達している。短歌の韻律が本来内蔵している「雅」と、目線低く掬い上げられた生活の些事という「俗」の巧みな結合と配分により生み出されるこれらの歌には、現代短歌において他に類を見ない手触りと味わいがある。それはひと言で言うと大人の味わいである。

 大病を経験した吉岡にとって死はすでに身近なものかもしれないが、この歌集では死は今までよりも静謐感のなかに描かれていることも注目される。

 死んでゆく最明寺川みづあまく螢とびかふ六月の夜

 たいざうかいたいざうまんだら湯に入りて荒井注氏のおもむくところ

 手にかこふほたるのひかりなかぞらに尾をひくひかり草生のひかり

 秋風にすわれば風がわたりをりこれだけの生これだけのこと

 しかし、と私はすんでの所で立ち止まって考える。これは「野仏の微笑」の境地と紙一重ではないか。吉岡の年齢でこの境地に踏み込むのはまだ早すぎる。ここはぜひとも今しばらくこちら側に踏みとどまって、「雅」と「俗」のあわいから繰り出される絶妙のユーモアのまぶされた人生の哀感を歌にしてもらいたい。そう願うのは私ひとりではないはずだ。吉岡短歌の愛読者として、草食獣の歌境のさらなる展開を待望する所以である。



「鱧と水仙」25号 (2005年)掲載