058:2004年6月 第5週 寺井 淳
または、短歌的技巧を駆使して〈私〉への収斂を拒む方法論

死者はうたふあかときの窓むらさきの
       そのむらさきの葡萄のしづく

          寺井淳『聖なるものへ』(短歌研究社)
 6音の初句切れ「死者はうたふ」に続いて、「あかときの窓むらさきの」とくれば、窓の外に広がっている赤紫色の明け方の空の色が目に浮かぶ。しかし作者は上句で喚起されたそのイメージを下句で継承することなく、「そのむらさきの葡萄のしづく」と、色彩の共通性を梃子に、喩の橋を渡って葡萄のイメージへと着地する。現代短歌で葡萄は、青春性と生命のみずみずしさの象徴として詠われることが多い。

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井建

 さしのぶるをさな子の掌にわれは与ふみづ霧らふ紺の葡萄のひとふさ 小池光

 従って掲載歌では、死者→むらさき→むらさき→葡萄 (生命) という構図が成立していることになる。死者がうたう紫の空は死の匂いに満ちて不吉な紫だが、葡萄の紫は生命の象徴でありみずみずしい。つまりこの一首では、句の途中で「むらさき」の位相の転換が起きているのである。紫の位相の変化を転轍機のように中央に配することで、死と生とを一首のなかで結びつけた歌であり、一見素直な言葉の配置に見えるその外見とは裏腹に、なかなか技巧的な歌であることに注意すべきだろう。

 寺井は1957年生まれで、「かりん」会員。1993年に「陸封魚 – Island fish」により、第36回短歌研究新人賞を受賞している。『聖なるものへ』は第一歌集であり、栞には香川ヒサ、加藤治郎、小高賢が文章を寄せている。

 寺井は高校の国語教員で、大学の国文科での専攻は中世和歌史であったらしい。ということは和歌・短歌は専門中の専門であり、古典・古語の知識は尋常なものではない。古語や枕詞を駆使して作り上げるその短歌世界が一筋縄でいかないのは当然なのである。栞文で小高が、「歌人にはことば派と人生派がいる。寺井淳はいうまでもなく前者である。西行よりも定家、宮柊二よりも塚本邦雄である」と述べているが、寺井の短歌の特質をうまく言い当てている。だから寺井の短歌には、日々の思いや日常的出来事をそのままに詠う歌がない。多くは言葉を素材として入念に組み上げられた巧緻な世界である。

 悪友が美人局(デコイゲーム)の経緯(ゆくたて)を語りつつ割く落ち鮎の腹

 貴妃の喉縊らば洩れむ緋の吐息無花果の実をもぎていましも

 神よりの前借りならむ夏麻引(なつそび)く命をかたに馬券(うま)買へわが夫(せ)

 蕭々と降れる紅葉よわれのうちの小暗き湖をゆくうつほ舟

 どの花に恋を擬(なぞ)へむ曼珠沙華さながら子等に首を折られて

 美人局を英語でデコイゲームと呼ぶ悪友は、人生をなめてかかっている軽い人間である。しかしそんな悪友が箸をつけているのは秋の季語である落ち鮎であり、秋という季節と落ち鮎の腸の苦みは、悪友の髪にも白いものが混じり始めていることを暗示する。歌意を標語風に要約すれば、「何人にも公平に人生の秋は訪れる」となり身も蓋もないが、寺井はこれを「悪友」「美人局」「落ち鮎」などの言葉が醸し出すイメージを重層的に一首のなかに配置することで、あたかも芝居の一場面のように生き生きと表現している。ため息が出るほどの技巧である。

 三首目「神よりの」にある「夏麻引く」は、古語辞典を引いて「命」にかかる枕詞であることを初めて知った。この命は神からの前借りであるという認識は、いつかは返済を迫られるということを暗示している。命をかたに馬券を買うというのは、いかにも破滅型人間の振る舞いのようにも見えながら、限りある生を一心に生きる者のいさぎよい爽快感も漂っている。

 五首目「どの花を」に登場する曼珠沙華はいかにも塚本邦雄好みの花である。「さながら子等に首を折られて」という下句は、曼珠沙華の花が盛りを過ぎて首を落した状態を描写しているのだが、「どの花に恋を擬へむ」などと言っておきながら、結局目が行くのは首を落した彼岸花なのだから、もちろん始めから成就する恋ではない。

 注目したいのは四首目「蕭々と降れる紅葉よ」に描かれた湖と舟のイメージである。自分の内部には湖がありそこに空の舟が漂っているという空虚な自己像は、寺井一人のものではなく、現代に生きる多くの人が共有する感覚であろう。この感覚を形象化したのが、短歌研究新人賞の対象となった「陸封魚」の連作である。

 水面よりたまゆら跳ねて陸封魚海の匂いを恋ふる日あらむ

 閉ぢられし世界に卵生みながら海にひかるる陸封魚われ

 水面より無数の指(および)たつといふたつべし或は北斗をささむ

 さざなみはつひにさざなみ 極彩の愛(は)しき疑似餌に釣られてゆかな

 軋みつつ人々はまた墓碑のごとこの夕暮れのオールを立てる

 湾の一部や汽水域が閉ざされて内陸に取り残された陸封魚のイメージは、大海原に出ることができないという不全感と、陸封されることで海の弱肉強食から守られているという生温い安逸の日常の両方を象徴する両義的喩であり、栞文で加藤治郎も指摘しているように、現代短歌が生み出したとりわけ美しい像と言えるだろう。

 陸封された湖に立つ波は、しょせんはさざ波程度のものでしかなく、刹那的快楽に身を委ねて疑似餌に釣られるというのは自嘲である。しかし、そんな波風の立たない日常にも、水面から無数の指が立ち、雄々しく北斗七星を指すこともあろうというのは幻視であり祈りである。とりわけ五首目「軋みつつ」は、現代に生きる私たちへの挽歌のように耳に響き心に残る。

 しかしながら寺井の短歌の紡ぐ世界は、上に引用した歌群のような短歌的技巧を凝らした歌や、現代人の置かれた状況を内省的に詠んだ歌だけではなく、社会を見つめる歌も含んでいる。

 神の贄なる鮑の太るわたつみは温排水の美しきたまもの

 ウツクシイニホンニ死せり日の丸の翩翻と予後不良の通知

 海風に揚がる奴凧(やつこ)の足にせる新聞の記事 たとへば「サカグチ」

 寸分も違はぬさまに礼(ゐや)なせる童顔の父子死者に何告ぐ

 一首目は原子力発電所を詠んだ歌、二首目は説明不要だろう。高校教員であれば日の丸は棘のように刺さる課題である。三首目の「サカグチ」はおそらく、連合赤軍浅間山荘事件と同時に起きた同志リンチ殺人事件で死刑を宣告された坂口弘だろう。四首目の「童顔の父子」とは昭和天皇と今上天皇をさす。戦没者慰霊碑にまったく同じ姿勢で礼をするふたりの天皇は、死者に何を語りかけているのかという批評性の強い歌である。

 あとがきで寺井は次のように書いている。「短歌 (和歌) という形式が、みえざる空虚にむけて矛盾をなしくずしに解消してしまう物語性を持つが故に」「一貫した〈私〉へと収斂することへの誘惑を断って、矛盾や違和が明晰に定着させられているか」を自問する。この言葉からもわかるように、寺井にとって短歌は「感情を吐露する手段」ではなく、「世界を認識する手段」なのである。虚構の物語性を拒絶して、短歌的抒情にたやすく回収されない短歌を作る、このような作歌態度から浮上する〈私〉は、なかなかしぶとい〈私〉であり、多様性の海のなかに埋没しかねない現代短歌のなかで、貴重な「方法論を携えた〈私〉」ということができるだろう。現代においてはもう誰も「無垢な裸の〈私〉」でいることはできないからである。