第182回 島田幸典『駅程』

(くど)の火に呑まれし反故のひとつかみ白もくれんは路傍に散れり

                      島田幸典『駅程』 
 この文章を書いている本日は3月20日の春分の日であり、掲出歌として季節を映す歌を選んだ。折しも路傍の白木蓮は満開を少しく過ぎて、舗道に花弁が散り敷いている。木蓮は花弁が萎れて散るとき、縁から汚らしく茶色に変色する。その様がかまどにくべた反故が火に触れて縁から燃え上がるようだと詠んでいるのである。上句が喩で下句が叙景となっており、両者のあいだに「のごとく」を補って読むのが定石だろうが、上句と下句のわずかな段差が上句を非在の光景としているようにも見える。
 『駅程』は島田の第二歌集。第一歌集『no news』(2002年)から実に13年を経て昨年 (2015年)上梓された。私は本コラム「橄欖追放」の前身の「今週の短歌」で、2004年8月に『no news』を取り上げている。今から12年前のことである。歌集題名の「駅程」は駅と駅を隔てる距離を意味する。さまざまな駅を詠っていることからこの題名を選んだとあとがきにあるが、それだけではなく、歌集を駅になぞらえてその間の時間的懸隔を振り返っているのかもしれない。
 13年という時間は長い。その間に島田にいろいろな変化が訪れている。2011年に師の石田比呂志が泉下の人となり、島田の拠る牙短歌会が解散する。そして新たな創作の場として阿久津英を編集発行人とする八雁短歌会に加わる。同じ年に歴史的仮名遣いを用いることとしたとあるので、本歌集は新仮名遣いによる最後の歌集となるはずである。全部で605首を収録してあり、ずしりと重く読み応えがある。
 私は第一歌集『no news』の評に島田の短歌の特質として、「確かな措辞に裏付けられた端正な歌の姿と、決して荒げることのない静かな声」と書いたが、その本質は本歌集においても変わらない。大事件が詠まれることはなく、激情に流されることも決してない。島田が好んで詠うのは、卑近な日常の小さな光景である。
朝戸出の右の手に鍵かけながら(とざ)されいるはわれかもしれぬ
家出でて地の涯までもついてくるカバン獣の皮を(かず)けり
出づるとき(へや)に置き来しわが愁へ勤の路にあらはれにけり
用ありていそぐ午前の舗道(しきみち)に犬の背ひかる春の日ざしに
朝戸出の風硬くして今日のわれ昨日のわれを引き継ぎにゆく
 朝の出勤時を詠んだ歌を集めてみた。一首目では家に閉じ込めたのは自分自身かも知れないと思い、二首目では通勤用の鞄が動物の皮革でできていることに改めて想いを馳せる。三首目ではふっきって家を出たつもりの憂愁が再び頭をもたげ、四首目では犬の背を照らす春の日差しを眺める。そして五首目では仕事を昨日中断したところから今日また始めると自覚するという具合であり、いずれも微細なことに注ぐまなざしがある。
 本来、近代短歌は叙情詩であり、強い情動が歌を生むという考え方がある。たとえば俵万智は次のように述べている。
短歌は、心と言葉からできている。まず、ものごとに感じる心がなくては、歌は生まれようがない。心が揺れたとき、その「揺れ」が出発点となって、作歌はスタートする。それは、人生の大事件に接しての大きな心の揺れであるかもしれないし、日常生活のなかでのささやかな心の揺れであるかもしれない。
                     (『考える短歌』新潮新書、2004)
 まず感動があり、それを契機として歌が生まれるという考え方で、門外漢にはとてもわかりやすい。歌の出自の正当性と真摯性を担保するという意味においても、好ましい作用を及ぼしてくれる。また感動を言葉に変換することのできるプロ歌人の能力の神秘性も高めてくれるかもしれない。しかしこの考え方は本当だろうか。賞に応募するために30首とか50首の連作を呻吟しながらひねり出している短歌作者には、歌以前に30コや50コの感動があったのだろうか。仮に感動が可算名詞であるとしてだが。
 こと島田に関してはこの図式は当てはまらないように思われる。島田は次のように語っている。
 詩で生活を表現するとは、詩の言葉で生活を考えるということであって、生活の言葉で詩を書くということではない。同時代性も然り。短歌における同時代性とは、同時代の風俗を言語的に複写するということとは自ずから異なりましょう。私が文語という〈場〉に踏みとどまるとすれば、古典世界に慰藉や武器を求めてではなく、今ここに在るという自意識を忘れぬためなのです。
 「けり」や「かも」だけが文語体ではありますまい。そのつど先行作品を抵抗体としながら累積してきた、肉厚な文語のエクリチュールの歴史を私自身の抵抗体とすることで、否応なく私の現在が立ち現れてくるものと存じます。
(田村元との「往復書簡による現代短歌論 2」、「りとむ」平成14年11月号所収、『現代短歌最前線 新響十人』に再録)
 「今ここに在るという自意識を忘れぬため」に「文語という〈場〉に踏みとどまる」とは奇妙に逆説的な言挙げであるように見える。私自身の理解を加味して読み解くと次のようになるだろう。
 田村との往復書簡のテーマは、「こんにち文語短歌はいかにして現代詩たりうるか」というもので、島田の発言もこの文脈で捉えなくてはならない。短歌は今までも「旧態依然とした文語では現代に生きる私たちの心情を映した詩は作れない」という批判に曝されてきた。島田は口語の使用は、安易な同時代性のコピーを生み、「今ここに在るという自意識」をかえって滅却してしまうのではないかと危惧しているようだ。膨大な過去の文語作品と向き合い、自分も文語で歌を作ることによって、逆に自らの現在を意識することができるということではないか。
 このように島田の思想は、「感動が歌を生む」というような短歌自然発生説(あるいは短歌自生説)ではなく、短歌はある方法と意識を持って作成するという短歌人為説である。「感動が短歌を生む」のではなく、逆に「短歌に詠まれたから感動がある」と言い換えてもよい。
 『駅程』に収録された605首の歌はその方法の実践であり、意識的に彫琢された作品なのである。誰しも読んで感じるのは、歌の水準の平均値の高さであり、テキトーに作った歌が一首もないという精選ぶりである。
暑き日のこころ尖りよ消化器のひたくれないに立つ真昼かな
あぱあとの壁に凭れて笑む父母のモノクロに日の白は残りぬ
用あらぬ三条ゆけば千鳥酢に流れ矢のごと酢の香は降れり
花かげの運転席に弁当をつかうひとあり光る白飯
飛び降りの死人(しびと)のありし舗石に浄めの塩の白そそりたつ
 三首目の千鳥酢とは京都三条通りに今でも蔵を構える米酢のメーカーである。脇を通るとツンと酢の香りが漂って来る。いずれも措辞に無駄がなく、助詞に至るまで言葉が動かない歌である。
 本歌集のかなりの部分は、島田がイギリスとオーストリアで2年間遊学した海外詠が占めている。この部分がなかなか読ませる。一般に羇旅歌は、見知らぬ土地の珍しい事物に接した驚きに引きずられるせいか、驚きだけが前面に出て名歌になることが少ない。島田の場合は海外滞在が長期間に及び、旅行者ではなく生活者の眼で物を見ていることと、もともとイギリスとオーストリアを中心とする政治学が専門なので、歴史的パースペクティブを内面化しているため、羇旅歌もひと味ちがうのである。
陽にうすく灼けたる顔は昼ふけの窓に映ゆあな黄色のひと
外つ国に歩むほかなく夏時間すなわちながき黄昏にあり
戦死者は白布の淡き染みのごとイギリスの日々にありてあらずも
大戦に落命せりしおおかたの名はフランツとヨーゼフなりき
みずからの暗さに水は暮れながらエイヴォン川は船載せてあり
放たれし弾みのありしありさまに羽ばたきてのち水は残れり
 一首目は海外あるあるで、窓硝子に映った自分の顔がまわりとちがう黄色人種の顔であることに気づくという場面だ。二首目、緯度の高い国では夏時間のあいだ、日の暮れるのがほんとうに遅い。パリでも午後9時を過ぎないと日が落ちない。実感がこもっている。三首目はおそらくイラク戦争の戦死者だろう。五首目と六首目は本歌集白眉とも言える歌である。結句を「船載せてあり」とすることで、エイヴォン川だけがずっしりとした存在感を持ってあとに残る。六首目は水鳥が羽ばたいて水面から飛去る光景を詠んだ歌だが、ここでも「水は残れり」の結句が、水鳥の飛翔のあとしばらく時間が経過して、波立ちが収まり平らかになった水のみを前景化して揺るぎない。
 折しも「短歌研究」4月号の作品季評で、穂村弘と水原紫苑と吉岡太朗が本歌集を取り上げて批評しているのだが、これが滅法おもしろい。水原の「吉川宏志さんの歌の文体がそのまま哲学だとすれば、島田さんの場合は哲学がもともとあって文体が出ているという感じを持ちましたね」という言葉は鋭く本質を突いており、私が上に述べたことと符合する。
 それはよいとして、水原と穂村は旧知の間柄であるせいか、タメ口でざっくばらんに話しているのがおもしろい。「この人、外国へ行ってると自分がインテリであることを恥じていないのよ。そこが好き、私。日本だと照れるじゃない、何か。知識人は知識人でいいじゃん」と水原が言えば、「それを短歌の無意識が許さないんだよ。短歌は、金持ちであることや、都会人であることや、知識人であることを許さないから、そうでない出方を要求してくる」と穂村が応じ、「何で短歌はそう貧乏たらしくなきゃいけないの? 私それすごく嫌い。金持ちだっていいじゃん」と水原が切り返す。すると「そこの配慮がないから、水原さんは女性歌人の本流になれないわけだよね。(…)そういう短歌の無意識な共感ゾーンからはみ出す紀野恵さんや水原さんや大滝さんは本流になれない」と穂村が答えている。なかなか考えさせる指摘である。  
 それはさておき13年待ったのは無駄ではない。第一歌集『no news』は現代歌人協会賞と現代歌人集会賞を受賞したが、『駅程』は第一歌集にもまして優れた歌集である。

064:2004年8月 第2週 島田幸典
または、眼前の小さな手触りにこだわる歌

たましいを預けるように梨を置く
       冷蔵庫あさく闇をふふみて

         島田幸典 『no news』(砂子屋書房)
 掲載歌は2002年に刊行された著者の第一歌集『no news』の巻末歌である。歌集の構成に腐心する歌人は、歌の配列に工夫を凝らす。なかでも巻頭歌と巻末歌は、歌集の始まりと締めくくりを受け持つ歌だから、自信作を配することが多い。著者も掲載歌になにがしかの思い入れがあるのだろう。もっとも『現代短歌雁』56号の「わたしの代表歌」では、島田は同じ歌集の「首のべて夕べの水を突く鷺は雄ならん水のひかりを壊す」を代表歌としてあげている。

 掲載歌の「ふふむ」は古語で「含む」と書くが、木の芽がつぼみの状態である意と、現代語の「含む」の意とがある。冷蔵庫は闇をその内部に含んでいるのだが、それはたんに中に闇があるというだけに留まらない。その闇は、木の芽が春雨を浴びて膨らむように、時間の経過とともに膨張し浸食し溢れ出すのである。しかし、私は自分の魂を梨の実のように冷蔵庫の闇に預ける。それが私たちの生の有り様だからである。この歌のポイントが「あさく」にあることにも注意しよう。まだ闇は深くはないのである。このかすかな諦念と静かな表現が歌人・島田幸典の持ち味である。歌の姿に無理がなく、言葉の連なりがなめらかな点もまた特筆に値しよう。

 歌集『no news』で2004年に第47回現代歌人協会賞を受賞した島田幸典は、1972年(昭和47年)生まれで、今年32歳になる京都大学法学部の助教授である。専門は比較政治学。ホームページには、「英独両国を中心として、国家構造(国制)の形成・発展・変容を、遠く中世から現代に到るまで、比較史的に考察している」とある。私の勤務する京都大学には永田和宏その人ありと知られているが、法学部にこのような優れた歌人がいることは、ごく最近まで知らなかった。

 山口県で高校生活を送っていた島田は、すでに中学時代から短歌を作っていたらしい。高校生の時、九州で「牙」を主宰する石田比呂志が選者を務める新聞の短歌欄に次のような歌を投稿している。高校生らしからぬ、すでに短歌の結構を心得た作であり、静かな歌という体質はすでにこの頃に定着していたのか。

 海べりの駅に夜汽車は停まるらし沖の水面に漁り火見えて

 石田は山口県の柳井まで赴いた折りに、前途有望な高校生をあろうことか酒場に誘い出し、「歌人を志す男が酒がのめなくてどうする、酒と悪行なくして何の修行じゃ」と迫ったという。島田はこの無頼への誘いはやんわりと遠ざけて、京都大学法学部に無事合格し、京大短歌会に所属する。だから島田は、石田比呂志→永田和宏という一風変わった師筋を持つ歌人なのである。(このあたりのエピソードは関川夏央『現代短歌そのこころみ』による)

 島田の短歌のまず目に付く特徴は、確かな措辞に裏付けられた端正な歌の姿と、決して荒げることのない静かな声である。静かすぎる声と言ってもよい。

 冬の気をあつめ李朝の青磁あり唇うすき佳人思えり

 梅林を破線のごとく言葉継ぎ過ぎりつ花の喘ぐ重さに

 中庭を吹き惑う風花散ると見えしは風の白日夢かは

 見破ってほしい嘘あり花陰にまさりて暗き葉ざくらの影

 故郷近くなりて潰せるビール缶の麒麟のまなこ海を見るべし

 時代はちがうが、福島泰樹の「樽見、君の肩に霜降れ 眠らざる視界はるけく火群ゆらぐを」のような腹の底から噴き上げる情熱、あるいは高野公彦の「たましひを常飢ゑしめてかの冥き深き淵よりのがれむとする」のような自己のほの暗い内面への下降沈潜、はたまた阿木津英の「産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか」のような、カッコ良すぎるほどの高らかな思想宣言に類するものは、島田の短歌世界のどこを探しても見あたらない。だから人によっては島田の短歌を一読したときに、淡く薄い印象しか持ち得ないという感想もありうるだろう。事実、歌集評のなかにはそのような感想も散見される。

 一方、ニューウェーヴ短歌のプロデューサー加藤治郎は、島田の『no news』は「問題歌集だ」と言う。どこが問題歌集なのだろうか。『no news』は「底知れぬアナーキーな歌集」であり、「大正期の自我の確立から、戦後のリアリズム、前衛短歌を経て、体性感覚(篠弘)、高野公彦の闇の領域の獲得からニューウェーブの情報化された自我まで」という「短歌史のフィールドからは、手付かずの位置にあり」、島田は「短歌のサンプリングをやっているのだ」という仮説を提案している。(http://www.sweetswan.com/jiro/naruo2.cgi) 加藤の仮説は刺激的なものではあるが、具体例に基づいた分析がないので、現時点ではその妥当性を判断することができない。

 加藤は同時に、島田の短歌には「感覚的に生々しい、あるいは闇を抱えた〈私〉が、出てこない。そこがすこし物足りない」とも述べている。こちらの方はよくわかる。「闇を抱えた〈私〉」とは、若い世代で言うと、例えば「過ぐる日々に神経叢は磨り減ってまぶたの裏に白き靄立つ」と詠った生沼義朗、「いまや過去を切断すべし梅雨空の裂けて眩しき紫陽花断首」と詠う高島裕、はたまた「廃屋のアップライトを叩く雨すべてはほろぶのぞみのままに」と詠う佐藤りえあたりがすぐ頭に浮かぶ。生沼が浮上させるのは、都市的現実に囲繞された神経症的〈私〉であり、高島の押し上げるのは、自らの生きる時代と絶交した思想的流竄者としての〈私〉、また佐藤が描くのは、バブル崩壊後の大衆消費社会のなかで行き場を失った午後4時の〈私〉である。確かにこういった歌人たちの作る短歌と島田の短歌を較べてみると、「歌によって押し上げられる〈私〉」の位相が異なっていることに気づくのである。

 では島田の短歌の根底にある〈私〉とはどのようなものだろうか。

 朝夕に往き還りする舗路(しきみち)を散る山茶花はしずかに汚す

 昼ふけの踊り場ふかく蔵(しま)われし春のひかりの返されていつ

 白桜は灯火のいろに移ろえり元の花街、ちいさき稲荷

 プロセイン史に戦いの記述ひとつ終り湯を沸かす、瓦斯のかすかな匂い

 これらの歌を読んで気づくのは、歌人としての島田の眼差しが注がれるのが、毎朝起きて通勤電車に揺られる日常の〈私〉の周囲で起きる「微細な揺らぎ」「静かな移ろい」だということである。一首目、毎日の通勤で通る道路に山茶花の花が散っているという微細な日常の変化。二首目、場面は勤務先の大学か、階段の踊り場に溢れる春の光。三首目は白い桜の花びらが灯火を映して色を変えるという、これまた微少な推移。四首目、政治学の論文を書き終り、ガスを点けるとかすかにガスが匂うというだけのこと。これらの歌に不在なのは、たとえば路上に散る山茶花の花を見て私が抱いた「感慨」や「思い」である。

 認識はすべからく〈客体〉と〈主体〉との相互作用であり、短歌表現もまた〈叙景〉と〈叙情〉を軸として成立する。短歌に詠まれた情景は、その情景の表現を鏡として、それを見る〈主体〉を照らし出す。こうして否応なしに〈主体〉が照らし出されることによって、詩としての短歌的抒情が成立する。しかし島田は、日常の「微細な揺らぎ」「静かな移ろい」を描写しながら、その情景が送り返すはずの〈私〉を提示しない。だから読者は、島田の短歌は「控え目でおとなしい」「印象が淡い」という印象を抱くのである。

 私は歌集題名の『no news』を見たとき、もう少し何とかならないかと感じた。それは小池光の『日々の思い出』という題名を見た時の第一印象とよく似ている。しかし、歌集に収録された歌を読み、あとがきの「『目新しいことひとつない(ノーニューズ)』青年期であったが、そのありふれた事柄でさえ、的確にコトバで捉えたと実感できる瞬間はごく稀にしか訪れない」というくだりを読んで、得心するところがあった。

 これは小笠原賢二の次のような言葉と、遠く呼応するように思われる。

 「現代歌人たちは、のっぺらぼうに広がる時空を前に、辛うじて定型によって自らに根拠を与え続けざるを得ない。その空しさに日々耐え、充足させようのない渇きをとりあえず満たすために、強迫的に歌わざるを得なくなった。平和と豊かさのなかで爛熟した時代の、シーシュポスの神話を身をもって実践さぜるを得ないのである」(「同義反復という徒労」『終焉からの問い』所収)

 島田が日常の身の回りの「微細な推移感覚」に拘泥するのは、時代論的にはこのような背景があるのではないだろうか。このような認識を踏まえて見れば、三枝昂之の次のような評は正鵠を射ているように思われて来るのである。

「島田の歌に虚無があるのではない。むしろ逆で、眼前の小さな手触りに心を傾けることが世界へ触手を伸ばすことに繋がるといった悲観も楽観もない強い意志がそこにはある。それが文語表現の凝集力を伴った説得力になっているところに、島田の新しさがある」(三枝昂之「青春歌の風向き」『短歌年鑑』平成16年度版)

 永田和宏は島田を評して、「老成している」と述べたそうだ。青春の昂揚を歌わず、「眼前の小さな手触りに心を傾ける」のは、確かに生活圏の狭くなった老人の眼差しにどこか似ている。また加藤治郎は、「制御不能な破れたものが浸出したとき、定型との対話が始まるのではないだろうか。島田幸典を注視したいと思っている」と述べている。島田の上手すぎる定型の措辞が、制御不能になる時が来るのだろうか。それもまた楽しみなことである。

 最後に一首あげておこう。便器がこのように美しく詠われたことはかつてなかろう。これもまた「眼前の小さな手触り」の一例であることは言うまでもない。

 ひとおらぬときしも洩るる朝かげに便器は照るらんかその白たえに