ガーゼ切り刻みたるごと散るさくら
わがてのひらのまほろばに来よ
杉森多佳子『忍冬(ハネーサックル)』
今年は桜が開花してから低温傾向が続いたので、花が長持ちして例年よりも長く花を楽しむことができた。いつもならソメイヨシノが散ってから、4月中旬頃に開花する京都の御室の桜も、あまり時間差なく満開を迎えた。掲出歌は桜を詠んで「ガーゼ切り刻みたるごと」と形容していて美しい。ガーゼというと、小池光の「いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は」という歌が思い浮かぶが、繊細さと傷付きやすさの記号として短歌で用いられることがある。しかしガーゼを切り刻むという表現に痛ましさと残酷さが感じられ、作者が心に深い傷を抱えていることを思わせる。切り刻まれたガーゼのような桜の花びらに「わがてのひらのまほろばに来よ」と呼びかけている所に、作者の思いの深さが感じられる歌である。
杉森は1962年生まれで、中部短歌会に所属し春日井建に師事し作歌を始めている。春日井が泉下の人となったのを機に、中部短歌会をやめて「未来」に移り、加藤治郎の指導を受けているという。『忍冬(ハネーサックル)』は2007年に出版された第一歌集で、跋文を加藤が書いている。歌集題名の「忍冬」は、「ニンドウ」または「スイカズラ」という和名の植物から採られている。花に蜜があり和名の「スイカズラ」(吸い葛)も英名の honeysuckleもそこに由来する。「身動きのとれない辛さに耐えながら過ごした日々」への思いを常緑で冬を越す植物に託した題名だという。
現代短歌の貴公子・春日井建の逝去は多くの人に悲しみを残した。杉森も例外ではなく、この歌集には師であった春日井に寄せた歌が多く収録されており、さながら挽歌集の趣すらある。その思いは真摯で悲しい。
一滴のしずくとなりてつばめ翔ぶ青の密度の深まる五月
少年が白球を追う空の果て 圏外という表示が点る
コクトーの阿片に溺れる人生を疼痛として受けとめる夜
悲しみをこの夕空にに放つなら紫陽花色に変わる日輪
この連作は師へのオマージュであり、跋文で加藤が指摘しているように、1首目は春日井の「青海原に浮寝をすれど危ふからず燕よわれらかたみに若し」を、2首目は「白球を追ふ少年がのめりこむつめたき空のはてに風鳴る」を踏まえている。白球を追う少年は春日井であり、春日井が空のかなたに去って、後に残された弟子の携帯電話には圏外の表示が無情に点るのである。阿片はモルヒネとして末期癌患者の苦痛緩和に医療的に用いられている。また4首目が春日井のどの歌を踏まえているかは言うまでもない。
作者は30代の半ばに、夫君が病を得て入院を繰り返すという辛い経験をした。夫を看病する自分を正岡子規を看病する妹の律に重ねて生まれたのが次のような連作である。
入院の夫の付きおり病む子規を看取り続けし妹のように
うっすらと色の褪せたる病衣干す せつなしわれと子規の妹
鶏頭の赤さが零す黒き種子そのこまかさを心に蒔けり
獺祭忌に妹としてささげよう拙き歌とあたたかきココア
庭眺め眺めつくして死を待てり百年前の子規のまなざし
3首目の鶏頭は、当然ながら子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句につながる。4首目の「獺祭忌」は子規の忌日の名称。獺はカワウソである。作者は自分と夫の関係を子規と妹の関係に重ねることにより、期せずしてアララギ派の源流へと思いを馳せたことになる。もちろんここでは自らの境涯を律のそれと二重写しにすることが眼目なので、「写実」という短歌技法が焦点化されているわけではないが、病床の子規とその歌業に思いを馳せることで、作者と短歌の関係にもまた微妙な変化が生じたにちがいない。跋文で加藤も書いているように、そこに結社の磁力があるのだろう。春日井という直接の師、また子規という100年前の短詩形文学の改革者へのまなざしは、とりもなおさず過去へのまなざしである。「師に学ぶ」ことを通じて「過去に学ぶ」のであり、ひいては「過去に連なる」という感覚が生じる。杉森の歌集を読んでいると、作者が必死でその糸をたぐり寄せているように感じられる。
この感覚は近年登場した若い歌人には希薄なものだ。若い歌人の大部分は、〈私〉と短歌形式とが直接に向き合うという構図が一般的であり、〈私〉がひとりで一行の歌に向かいあっているような心細さがある。これは短歌における一種の原理主義であり、教会と司祭の仲介を否定し、私が直接に神と向き合うとしたプロテスタントの考え方と似ている。しかし、杉森はそうではなく、泉下の師を呼び、また100年前の子規に思いを馳せることにより、自らの立ち位置の次元を拡大しえていると言えるだろう。歌集を一読して次に引くような歌が印象に残った。
読み上げる死者の名と名は繋がれて鎖となりぬ九月の空に
秋冷を運び来る雨見上げれば刃こぼれのごと身にかかりたり
湯の中にさくら漬浮くしずけさに薄暮ひろがる人から人へ
ゆうぐれに結語を書きて発ちゆかんブロンズレッドに染まりゆく文字
捨て印のごとき口づけ交わしおり水没の街を記憶するため
「捨て印のごとき口づけ」や「湯の中にさくら漬浮くしずけさ」のような喩も魅力的で、言葉の堅さ(抽象度)と柔らかさ(感情度)のバランスがほどよく、やや前者が勝っている歌である。文体的には倒置法が効果的に用いられ、また言葉の堅さを調整するため漢字と平仮名の配分も意図的に勘案してある。
しかし杉森のほんとうに作りたかったのは次のような歌ではないだろうかと思う。
見下ろせばオープンセットのごとき街役を降りたい一日始まる
いつかしら この雨音を聴いたのは わたくしを消す降り方をする
足首から冷えてせり上がる悲しみをたたえてわれは水のレプリカ
水のなき夏の池めく駐車場ひとり降ろされ風になるわれ
春の空突き上げてゆくさびしさの尾にとどくまで香水振れり
すぐ上にあげた歌群と比較して、〈私〉と私の感情がより直接的に言及されている。ここでは短歌は〈私〉を表現するための手段であり、〈私〉を盛る器である。しかしひとつ前にあげたような歌群においては逆に、短歌という短詩形式が〈私〉という場を通過することで実現されているように見える。前者の場合、短歌は〈私〉の道具であり、後者の場合は〈私〉が短歌の道具なのだ。このどちらの回路に重点を置くかによって、歌人の歩む道は大きく異なるだろう。「手にならす夏の扇とおもへどもたゞ秋かぜのすみかなりけり」という後京極良経の名歌を口ずさむと、私の中では軍配は後者に大きく上がる。
『忍冬』を読む限りでは、杉森のなかではこの両方の道が鬩ぎ合っているようだ。第一歌集の上梓が呼び水となって作者の歩む道に変化が生じるのかどうか。気になるところである。