日を葬(はふ)りざぶんと蒼きゆうぐれに
この世の橋が浮かびあがりぬ
白瀧まゆみ『自然体流行』
いろいろな歌集を読んでいると、読後感をまとめて論じやすい歌人とそうでない歌人がいることを感じて不思議に思うことがある。論じやすい歌人は歌の切口がはっきりしていて個性が際立っている人で、「この人の本質は○○だ」と断定しやすい。代表歌も選びやすい。ところが論じにくい人の場合、歌のどのポイントに焦点を絞って読めばよいのかがはっきりせず、こちらの読みもふらふらと揺れてしまう。白瀧まゆみの『自然体流行』は後者の典型的な例だろう。それにしてもおもしろい歌集の題名である。
白瀧は「Bird lives ─ 鳥は生きている」30首で、平成元年(1989年)の第一回歌壇賞を受賞した。『自然体流行』は受賞作を含む第一歌集で1991年に邑書林から刊行されている。栞には所属結社の岡井隆、歌壇賞の審査員だった伊藤一彦、白瀧も属していた同人誌「かばん」の中山明、そして辰巳泰子が文章を寄せている。栞文のなかで、岡井は白瀧の「予測を許さない行動力」に触れ、伊藤は短歌定型に口語を載せる巧さや命令形の巧みさなど、主に短歌技法のコメントに終始している。辰巳は「生よりは死を描こうとする」特異な死生観を指摘し、中山は白瀧の歌にはさまざまなモチーフ・ムードが混在していて、整理仕切れないカオスだと匙を投げている。栞に寄稿した名だたる歌人がこうもまちまちな内容の文章を書いているというその事自体が、白瀧の短歌世界の捉え難さを物語っている。
あとがきには作歌を始めて4年になるとあるので、逆算すると1987年から歌を作り始めたことになる。『サラダ記念日』が一大ブームを巻き起こした年であり、白瀧はライト・ヴァースの流れの中で出発したのである。このためか歌壇賞を受賞した「Bird lives」は「ぼく」という一人称を含めて、当時のライト・ヴァース的ムードの歌が多い。
ばくぜんと死を考える朝っぱら ナポリタン・スパたのむ昼過ぎ
シースルー・エレベーターが降下する 二十五階にぼくを忘れて
飲みかけの缶コーヒーを持ち変えて右に激しくカーブを切れば
ヘイ・バード僕ら翔べない鳥だから彼は誰れどきの夢を見るのさ
残してよ真っ青な空 林檎(アップル)を砕いたような人生だけど
「バード」とはジャズ・プレーヤーのチャーリー・パーカーのことで、Big apple はジャズメンの隠語でニューヨークの別称であり、静かに流れるモダン・ジャズを背景音楽としながら、都会的で虚無的なムードの漂う歌が並んでいる。かといって白瀧の歌の世界がこのような見方の中にすっぽりと収るかというと、それはちがうのである。
前回取り上げた吉野裕之の短歌について、「世界に向けて伸ばした視線や触手を引っ込めて、自分と同じ大きさにまで収縮し、世界のなかでの〈私〉の位置を確かめる」という意味の論評をした。例えば「自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時」という秀歌がそうである。そしてこのような位置取りを「我に返る」というキーワードで表現した。吉野との対比で言うと、白瀧はまったく逆のベクトルを向いていて、「我から流れ出す」傾向が強く感じられるのであり、これを白瀧の歌の特徴と考えたい。このことは次のように歌に見ることができる。
たましいはきっと遅れてあるくからあなたの後ろの姿のはかな
この世にてこの世にあらず花影の下にいのちの春はめぐりき
来し方も行方もすでに見しが原シオン咲く野に迷い込みしを
ひとりきり天の振り子のなかにいて右に左にコーナーを切る
いくつもの風ふきぬけて「ひまわり」のネガにうつらぬ天のいきおい
もういいよ わたしという名の匂い草銀河の支点でゆっくりお立ち
降りつづく雨のむこうの弓月を間借りの地球(ほし)にみている少し
一首目に見られるように、白瀧は人から遊離する魂を何より感じるのであり、それはひるがえって二首目・三首目のように、自分の居場所を茫漠とした時間と空間のなかに観照する態度にもつながっている。ここには吉野の歌のように、正確にみずからの皮膚が包んでいる範囲にまで〈私〉を凝縮させる理知的な意志はなく、逆に〈私〉は肉体を離れて彷徨い出るかのようである。それは時に四首目や五首目のように、ある種の宇宙感覚にも通じることがある。また最後の歌の「間借りの地球」に見られるように、自分は束の間この地球にいるに過ぎないという感覚としても現れるのである。壇ノ浦に破れた平重盛のように「すでに見き」とか「もういいよ」とか低くつぶやいて、ふっとどこかへ消えて行きそうな気配が漂うのである。
そのようなスタンスからこの世を眺めると、次のようにある種の勢いがあると同時に、どこか捨て鉢な感じもする歌が生まれるのだろう。
「腑分けして」と今度会ったら言ってみよう淋しいあばら骨のいくつか
なくすなら〈女らしさ〉の方がいい男言葉で指を鳴らして
静けさを揺らさないようクラッチをつなぐ朝(あした)に正面を向き
手を広げ精一杯におちてゆく夕陽のなかのジェットコースター
洪水のあとの世界へたどりつけ ナイルにうかぶ青い馬穴(ばけつ)よ
立て膝をついて知らない街の名を教えるキリマンジャロ挽きながら
これらの歌を読んでいると、平凡な生活の些事を慈しみながら市井で暮す人というよりは、何かの拍子にすべてをあっさり手放してしまう人のような肖像が浮かんで来る。白瀧には四国八十八ケ所の巡礼を記録した著書があるようだが、それもなるほどと思えて来るのである。上の歌の言葉からは、この世との絆をふと切り離してしまうような、どこか頼りなげな〈私〉が浮かび上がって来るのであり、それが白瀧の歌の魅力のひとつになっている。
『自然体流行』にはこのような歌だけではなく、次のように短歌定型をぴしりと決めた歌も見られる。
神楽舞い夏におさめる母の町ゆらりとかつぐ風の柩を
あぎといて夜の河わたる感界にひとりの魚がひれを洗うと
わたくしは暗闇をひとつ持っている階段の下叫びを入れて
やさしさは氷菓をわけあうことに似てあやうく喉をいやして過ぎぬ
口紅(べに)のあるどの吸い殻も上を向き失語の街にかえす言葉よ
惑星にひとふり斧を下ろすときぐらりと水の匂いあふるる
人という罪ふかきもの夕ぐれの水の面に朱の耳を持つ
しかしこれらの歌にもどこか危うい幻視的な香りが感じられる。白瀧はあとがきで「私には、言葉が(心の)音符のように浮かんでくることがあります」と書いている。言葉と心のあいだを常に往復している著者にとっては、第三項としての〈世界〉が入る余地はあまりないのかも知れない。そんなふうにも思えて来るのである。