第217回 西田政史『スウィート・ホーム』

世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり
西田政史『スウィート・ホーム』』

 思い立って先週東京まで展覧会を見に行った。国立新美術館で開かれている「ジャコメッティ展」である。ジャコメッティと言えばわが青春のアイドル。これは見に行かないわけにはいかない。フランス留学仲間の東大の小林康夫がNHKの日曜美術館に出演したとき、「自分の青春を刻印した本」として、矢内原伊作の『ジャコメッティとともに』を挙げていた。やはり時代というものはあるのだ。
 今回の展覧会では彫刻作品と並んで、デッサンが多く展示されていて、興味深く見た。モデルを前にして描くとき、目を向ける度毎に見え方が異なるため、デッサンの線は何重にも重ねて引かれ、ついには蜘蛛の巣のごとき観を呈する。その線の錯綜を見て、戦後画壇の寵児となったベルナール・ビュッフェの描く線と似ていると思った。また人物の顔の描き方はどことなくフランシス・ベーコンにも通じるところがある。やはり時代というものがあるのだろう。

 ジャコメッティの作品には「完成」というものがない。「見えるままに描く」のは不可能な目標だからだ。「不可能な目標をめざすプロセス自体が芸術の本質だ」というのは極めて現代的な芸術観で、その源流はまちがいなくモネにある。
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 前回の勺禰子『月に射されたままのからだで』評を書き上げた直後に郵便が届き、開けて驚いた。あの西田政史の第二歌集『スウィート・ホーム』ではないか! 第一歌集『ストロベリー・カレンダー』(1993年)から数えて実に24年振りの第二歌集である。版元は書肆侃侃房で、叢書ユニヴェールの4巻目に当たる。
 西田は荻原裕幸と並んでかつて「玲瓏」に所属し、塚本邦雄に師事していた。1989年に「The Strawberry Calendar」で第32回短歌研究新人賞次席(ちなみにこの年に新人賞は久木田眞記)。翌年「ようこそ! 猫の星へ」で見事第33回の新人賞を受賞している。それを受けての第一歌集『ストロベリー・カレンダー』刊行だが、西田はその後歌から離れる。その経緯は加藤治郎の手になる『スウィート・ホーム』の巻末解説に語られている。それによると西田は「妹、一九七二年夏」(「短歌」2000年2月号)をもって作歌を休止したという。いわゆる「歌のわかれ」である。歌と別れた動機は詳らかではない。本歌集あとがきによると、西田は2013年春頃に再び作歌を始めている。きっかけは書店で偶然手に取った穂村弘『短歌の友人』と加藤治郎『短歌のドア』だったらしい。主にブログで歌を発表していたが、2015年に加藤と再会。加藤から「歌集を出しませんか」と誘いを受け本歌集の刊行に至ったという。短歌総合誌に以前発表した歌と、作歌を再開してからブログに掲載していた歌を手直しし再構成して一巻を編んだとある。
 加藤の解説は短歌史的に見て興味深いもので、今日ニュー・ウェーブ短歌というと、荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘の3人の名が挙げられることが多い。しかし加藤によるとそれは正しい把握ではなく、作品世界も近く歳も同じ荻原裕幸と西田政史がニュー・ウェーブを牽引し、加藤と穂村がその流れに巻き込まれていったというのが実情らしい。ニュー・ウェーブ短歌をめぐる短歌史を少し修正する必要があるようだ。西田はニュー・ウェーブを語る上で欠かすことができない名前なのである。
 第一歌集『ストロベリー・カレンダー』は2部構成になっている。第I部は記号を駆使したニュー・ウェーブ短歌のオンバレードで、第II部は打って変わって端正な叙情的短歌が並んでいる。両方から3首ずつ引いてみよう。

この街のすべてがぼくのC#mの音にとざされている
WOWOWが「忠臣蔵」の放送をやめないつまりレのあとのファラ
恋人と**失踪のパサウェイのためのパックのミルク**のむ

われの知らぬ空いくつ経てしづまれる戸棚の中の模型飛行機
ワイシャツの襟やはらかきゆふぐれのわれの内なるかれ目覚めたり
水彩の尽きたる空の色買ひにゆかむ睡りの熟るる時刻に

 『ストロベリー・カレンダー』の跋文で師の塚本は西田の才気を愛で、「この歌集は、五線紙に印刷した方が生きるのではないか、と思ふくらゐだが、次はサティに曲をつけて貰つて歌ひたくなるに決つてゐる」と書いた。しかしアンソロジー『現代短歌の新しい風』の西田の欄にノートを書いた栗木京子は、「IIの抒情性だけで一冊をまとめれば文句のつけようのない第一歌集が出来上がったのだろうが、そこにおさまりきれなかったところにこそ『ストロベリー・カレンダー』の栄光を読み取るべきであろう」と評している。
 さてでは『スウィート・ホーム』はどうかというと、掲出歌一首からなる序章に続き、第一章「漸近線のヴィジョン」、第二章「亜細亜の底の形而上学」、第三章「父国」、第四章「スウィート・ホーム」、最後に終章という構成である。全体を通じてかつての才気溢れる実験的な記号短歌は影を潜め、旧仮名表記による文語と口語の混じった落ち着いた歌が多いという印象を受ける。
 序章は連作「もう何も起きない部屋で」ひとつからなる。

もう何も起きない部屋にもう誰も起きないアラーム・クロックがある
もう何も起きない部屋にかぐはしく腐る洋梨ほどの異変を
「もう何も起きない部屋」と君は言ふクリネックスに火をつけながら

 加藤は「もう何も起きない部屋」とは、西田と文学との関わりのメタファーだと読む。もしそれが正しいとするならば、歌のわかれを経て「もう何も起きない部屋」と化していた詩魂に異変が起きてドアが開き燃え上がったということで、序章はいわば作者の決意表明ということだろう。
 第一章「漸近線のヴィジョン」にはかつての『ストロベリー・カレンダー』の基調をなしていた若者の倦怠と憂愁を漂わせる歌がある。

雨の日の仔犬みたいについて来る遊びぢやないんだろうな憂鬱
ぼくを立ち止まらせ淡く抒情する春には春のセブン・イレブン
恐ろしくリアルな夢を抜け出してあるいは夢のままの桜桃
失はれさうなDNAとして生きる世界が終はるときまで
わけもなく狂ふ時代の優しさの明るいガラス越しの蜜蜂

 第二章「亜細亜の底の形而上学」には「一度も存在したことがない姉さんのうた」という連作がある。実在しない肉親を仮構するのは前衛短歌の常套手段で、新作のこの連作にはほのかなエロスが感じられる。

春の夜の姉はほほゑむゆびさきでレモンひときれ搾りつくして
姉さんの名前を呼んだりはしない湿度みたいな姉さんの髪
姉さんに触れることばを話せないぜつたい死んでしまふぼくには

 かと思えば「アンドロギュヌスの微睡」には「玲瓏」調の語彙を駆使したテンションの高い歌が並んでいる。こちらは旧作か。

緑陰のごとく少女期かげりつつはつか羞恥の草を纏ひき
童貞は鋼の匂ひたたしめてなまぬるき夜の腋下に沈む
掌に零す精液の熱あはあはと冷めれば雨のさなかなる夏至

 第四章「スウィート・ホーム」の「一九七二年・妹」は歌のわかれの直前に発表された「妹、一九七二年夏」だと思われる。

一九七二年いもうとの眉から碧い夏がはじまる
夢のごとく写されてゐるいもうとの膝から下の海のしづけさ
立つたまま泣き出すときのいもうとの右手の中にある夏の繭

 このように『スウィート・ホーム』は、第I部と第II部が截然と分かれていた『ストロベリー・カレンダー』ほどではないが、硬質の語彙を駆使した技巧的な前衛短歌と、ニュー・ウェーヴをくぐり抜けたポップで軽快なライト・ヴァース風の歌とが混在している。どちらが歌人西田の本質なのかと問われれば、「どちらも西田である」と答えるしかないとは思うのだが、私は個人的に『ストロベリー・カレンダー』の西田政史、大塚寅彦、『青夕焼』の喜多昭夫が現代歌人の最も優れた抒情だと思っているので、西田の抒情的な歌により多く引かれるのである。

Tシャツの文字あをあをと残りゐる箪笥の中に輝けり夏   西田政史
わがうちに満ちわたる虚を知るゆゑかけふ故郷より着きたる林檎

死者として素足のままに歩みたきゼブラゾーンの白き音階   大塚寅彦
秋のあめふいにやさしも街なかをレプリカントのごとく歩めば

日照雨そばえふる夏の埠頭に花殻はながらのごとき自転車は倒れてゆけり  喜多昭夫
ためらひてとぶ鳥ありや南風にいだかれてわがおくつきは建つ

 今改めて『ストロベリー・カレンダー』の跋文を読むと感慨深いものがある。その中で塚本は「『夢を売る仕事に従事するあなた!薔薇色申告で節税を!』」という西田の歌を引いて、「やられた」と思ったと述懐している。『魔王』巻末の「おしてるやなにはともあれ『月光の曲』を聴きつつ青色申告」という塚本の歌の本歌取りならぬ「本歌ゆすり」だというのである。そして塚本は西田の第二歌集の題名は『薔薇色申告』とすべしと命じている。この師の諧謔を含む期待は裏切られ、第二歌集の題名ははるかに散文的な『スウィート・ホーム』となった。
 塚本はこうも書いている。「そして彼(=西田)が知命に達する頃は、苺も猫も古典に列して、四半世紀後の若者に月旦されてゐるはずだ。そしてその時、君はいかなる文體で、君の生きる二十一世紀の短歌を拓くつもりなのか、私に訓へてほしい。その頃、私は白壽で、『神變』を準備してゐるかも知れない」と。
 1962年生まれの西田は今年55歳、まさに塚本が前望した知命を越えている。しかしその後「歌のわかれ」をした西田の第一歌集『ストロベリー・カレンダー』は、塚本の期待に反して古典とはならず、ニュー・ウェーブ短歌の記念碑となった。そして塚本は白壽を迎えることなく『神變』も幻と化した。塚本の忌日である神變忌にその名を留めるのみだ。『スウィート・ホーム』を読むとそのようなさまざまな事が脳裏を去来するのである。
 掲出歌「世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり」は紙の色まで変えた巻頭頁に一首のみ置かれている。次の巻末の一首も同じ扱いである。

この国に朽ちるわたしのかけらからそれもいい草花が咲いたら

 あとがきに、自分の肉体的生命よりも自分が作った短歌の方がこの世界に長く残留しそうだと気づいたとある。巻頭歌と巻末歌はこの思いを表しており、また第二歌集出版に至った動機だろう。「わたしのかけら」とは西田の歌に他ならない。どこか白鳥の歌のようにも聞こえるのである。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げて稿を閉じることにしよう。

睫毛伏せて珈琲店にゐるあひだふいにすべてをひらくひるがほ
ながいながい休符のやうな蒼穹をだれかのセスナ機が飛んでゆく
浴槽にひらく手のひら無をにぎりしめて生まれたはずのてのひら
匿名の指が行きかふ自販機にすこしうつむきながらふる雪
きのふよりやや優美なる鬱のジャムもつと明るい銀のスプーンを
この国にしたたる雨を聴きながらしづかに瞼閉ぢる鳥たち
十一歳、祝福されてゐるきみの膝のかさぶたから欠ける夏

 

 

第4回 西田政史『ストロベリー・カレンダー』

珈琲にミルク注ぎて「毎日がモカとキリマンジャロのほどの差ね」

         西田政史『ストロベリー・カレンダー』
 西田政史は「The Strawberry Calendar」で第32回短歌研究新人賞(1989年)の次席に選ばれている。同時の次席は林和清の「未来歳時記」。西田は再度挑戦した翌年「ようこそ!猫の星へ」で短歌研究新人賞を受賞を果たした。この年の同時受賞は「ラジオ・デイズ」の藤原龍一郎。今から振り返るとため息の出るような顔ぶれである。この受賞を受けて、西田の第一歌集『ストロベリー・カレンダー』は1993年に刊行された。西田は玲瓏所属で師の塚本邦雄が跋文を寄せている。
 掲出歌は〈私〉と恋人の朝食の場面だろう。毎日の暮らしの起伏がモカとキリマンジャロというコーヒー豆の味の差くらいしかないという淡い虚無感が、上2句の文語と下3句の口語の文体的落差の中に落とし込まれている。いつの時代の若者も倦怠感や虚無感を抱きがちで、それは若者の特権と言ってもよいほどだが、この歌のポイントは虚無感がお洒落なコーヒーに譬えられて、明るくポップに表現されているという点にある。歌集の刊行年を考慮すると、これは基本的には80年代(後半)の歌であり、糸井重里が西部百貨店のために制作した「おいしい生活」という名コピーが渋谷の街に溢れた時代の歌だという感を今更ながら深くする。バブル経済崩壊後の「失われた10年」を通過した現在から眺めると眩しいくらいだ。あれから20年近く経った現在(2008年)の若者は次のような「不景気な歌」(by荻原裕幸)を作っているのである。歌に込められた若者の虚無感の総量は変わらないとしても(そう信じるとしても)、両者の表現手法の差は驚くほどである。
最高に君の輝く時が来た脳内の「負」をファブリーズして
          嵯峨直樹 『短歌研究』2008年5月号
「半身のない猫を抱く彫像」の画像に上書きされた告白
          吉岡太朗 『短歌研究』2008年5月号
僕はいくつになっても夏を待っている 北蠅座というほろびた星座
          土岐友浩 Web歌集「Blueberry Field」
 ここでちょっと短歌史を回顧しておくと、『岩波現代短歌辞典』巻末の20世紀短歌史年表には、1985年に「ライトバースをめぐる議論が徐々に盛んになる」という記述がある。1984年には中山明の『猫、1・2・3・4』が、1985年には仙波龍英の『わたしは可愛い三月兎』が刊行され、俵万智の「野球ゲーム」が角川短歌賞次席に選ばれたという事実を踏まえての記述である。ライトバースがバブル経済で頂点を迎えることになる大衆消費社会の到来を背景としていたことはまちがいない。1987年には『サラダ記念日』の刊行を受けて「ライトバースの是非をめぐる議論が白熱」、1990年は「ライトバース以降の現代短歌の動きを見定める議論が白熱」とある。
 西田の第一歌集『ストロベリー・カレンダー』はこのように、80年代中頃から90年代前期にかけて出現した現代短歌の新しい流れの中にある。それだけにとどまらず西田は「ニューウェーブ短歌」の担い手の一人だったのだ。1988年に荻原裕幸、加藤治郎、西田政史が同人誌『フォルテ』を創刊し、荻原が朝日新聞に連載していた短歌コラムで、自分たちの短歌の新しい傾向を「ニューウェーブ」と命名したのがそもそもこの呼称の起源だという。
 『ストロベリー・カレンダー』からニューウェーブ的傾向の歌を引いてみよう。
WOWOWが「忠臣蔵」の放送をやめないつまりレのあとのファラ
コカコーラの自動販売機のまへでF♯mがふるへる
ひらがなののとゐが全て猫に見ゆもう漱石の本は読めない
恋人と**失踪のパサウェイのためのパックのミルク**のむ
見たことがないけどきみのギリシア式の欠伸のときも涙はでるの?
 唐突に挿入される「ドレミ」の音階名、「F♯m」のコード記号、「**」のように意味のない印刷記号はニューウェーブが好んだ手法で、後に「記号短歌」と呼ばれた。旧仮名の文語と新仮名の口語の混在や、語りかけるような日常的話し言葉の多用も特徴的である。
 加藤治郎はこの時代の短歌の傾向を「修辞ルネサンス」と呼んだ。それは意味よりも表現を重視するということである。それはソシュールの用語を用いると、シニフィエよりシニフィアンを前景化するということである。だからどうして「レのあとのファラ」なのか考えても無意味であり、そこに醸し出されるポップな感覚を受け取ればよいことになる。しかしニューウェーブ短歌の志向したシニフィアンの前景化は、ある意味で先祖返りとも言えることに注意すべきだろう。
を初瀬の花の盛りを見渡せば霞にまがふ峰の白雲  藤原重家
 古典和歌には近代短歌が前提とした歌の背後に盤踞する〈私〉は不在であるため、歌を構成する言語記号は〈私〉を指示するのではなく〈美の共同性〉を指向する。宮廷文化の「美のプール」に蓄積された語彙を入念に選び組み合わせることで古典和歌は成立する。だから古典和歌ではシニフィアンの結合こそが重要であり、裏に張り付いたシニフィエは当時の宮廷文化が許容した美の範囲内に留まっていればよいのだ。ニューウェーブ短歌の担い手であった荻原裕幸と西田政史の二人までもが塚本邦雄の門下から出たことは、一見すると不思議な現象のように見えるのだが、ニューウェーブ短歌の先祖返りという文脈に置いて考えてみると、実はそれほど奇異なことではないとも思えるのである。
 『ストロベリー・カレンダー』でおもしろいと思ったのは、一首の中で発話主体が交代する次のような歌群である。
シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は――ボクデスヲハリ
少年よEvergreenを知ったのは――雨ダ! 雨デスザブザブザザブ
 会話体の引用は「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」のように『サラダ記念日』でも多用されているが、俵の歌は〈私〉に視点が固定されている。発話主体の交代はなく、意外なほどに近代短歌の語法を守っている。それに対して西田の歌では、最初の発話主体の言葉が途中で唐突に切断されており、第二の主体(ここでは子供の頃の自分) の発話が出現する。このような発話主体の分裂は、近代短歌の鉄則である〈私〉の一貫性に対する挑戦であり、加藤治郎が試みる「複数の意識に言葉を与える」手法と呼応する。記号やオノマトペの多用よりもはるかに短歌の根幹に関わる変容と言わなくてはならない。これはやがて90年代中期頃からの短歌に顕著な〈私〉の溶解へとつながってゆくのである。
 では西田がこのような歌ばかり作っていたのかというと、まったくそんなことはない。
われの知らぬ空いくつ経てしづまれる戸棚の中の模型飛行機
Tシャツの文字あをあをと残りゐる箪笥の中に輝けり夏
自涜さへ知らざりし日のかたむきをたもてり天体望遠鏡は
放りたる檸檬また掌に戻るまでそのときの間を「青春」と呼ぶ
ワイシャツの襟やはらかきゆふぐれのわれの内なるかれ目覚めたり
水彩の尽きたる空の色買ひにゆかむ睡りの熟るる時刻に
わがうちに満ちわたる虚を知るゆゑかけふ故郷より着きたる林檎
 この輝かしいまでの青春歌はどうだろう。喜多昭夫の『青夕焼』(1989年)と並んで、80年代を代表するような青春歌と言えよう。ちなみに喜多も西田も巧みに本歌取りと換骨奪胎を駆使している点も共通している。喜多の「青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつつも吾を統ぶ、夏」は、寺山修司の「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」の本歌取りだし、西田の「かき氷食みゐるきみの右手にも秋はしづかに訪れむとす」は、後京極良経の「手にならす夏の扇とおもへどもただ秋風のすみかなりけり」の換骨奪胎である。このように歌の共同財産を踏まえた作歌態度もまた、ある意味で古典和歌への先祖返りと言えるのである。
 西田は「物語なんて始まりさうにないいまこの空を飛びうるとしても」や「舌の上を昼のチーズの味去りていま巨いなる午後もてあます」のように繰り返し倦怠と虚無を語るが、その一方で青春の輝きをこのように煌めく言葉で表現できたのである。塚本が跋文で書いているように、西田はこれらの歌によって永遠に記憶されるだろう。
 私は歌壇に詳しくないので調べてみた限りでのことだが、西田はついに第二歌集は出さなかったようだ。『玲瓏』の最近の号を見てもその名は見あたらない。西田もまた「歌のわかれ」をしたということか。これを残念に思うのは私だけではあるまい。私たちに残されているのは『ストロベリー・カレンダー』の素晴らしい歌を玩味しながら、モカの苦みとキリマンジャロの酸味の差を味わうことしかあるまい。