阪森郁代『ボーラといふ北風』
『ボーラといふ北風』は平成23年に刊行された著者の第六歌集である。歌集題名は須賀敦子の著書『トリエステの坂道』に由来する。あとがきに阪森が須賀作品に深く傾倒していることが書かれている。『トリエステの坂道』は、『ミラノ 霧の風景』で一躍脚光を浴びた後、『ヴェネチアの宿』に続いて須賀が刊行した三冊目の著書である。トリエステは詩人ウンベルト・サバゆかりの街で、冬になるとボーラと呼ばれる強い北風が吹くという。集中の次のような歌は須賀の作品世界に触発されたものだという。
選択肢のひとつに数へ愉しまむアドリア海に向くトリエステ「野の異類」で1984年に角川短歌賞を受賞した阪森が第一歌集『ランボオ連れて風の中』を刊行したのは1988年のことである。田島邦彦他編『現代の第一歌集』は注目すべき第一歌集の抜粋を編年体で編集しているが、阪森の二人前は加藤治郎、五人前は俵万智、阪森の次は荻原裕幸という並びになっている。しかしそのような台頭するニューウェーヴの潮流などどこ吹く風と言わんばかりに、『ランボオ連れて風の中』にはスタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が多く見られる。
捲られてブリキ色なる冬空はボーラと呼ばれし北風の所為
透明の振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝年月が流れるにつれ阪森は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだ歌は減る。それに代わって増えるのは、第五歌集『パピルス』の帯に岡井隆が書いたように「作風は自由、発想は奔放」な歌である。本歌集を読んでいても、ときどき不思議な歌に出会うことがある。たとえば次のような歌である。
枯野来てたつたひとつの記憶かな背のみづのやさしく湧ける
いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある
宛先のラベルのゆがみ何でもないことの続きにひらく旧約聖書一首目、「何でもないこと」がラベルのゆがみを指しているのかそれとも別のことなのかわからないが、いずれにせよ旧約聖書を開くという行為との連続性が不明である。二首目では燕の小さな顔が借り物のようだと言っているのだが、これまた奇想のたぐいで、そんなことを考える人がいることに驚く。三首目、おそらく「一寸の虫にも五分の魂」という諺が電車の中でふと頭に浮かび、「五分の魂」とはどのくらいの大きさなのだろうと考えたということなのだろう。四首目、関東ならば芦ノ湖か東京湾、関西ならば琵琶湖に遊覧船が運航している。それはよいとして「我に返る」とは何のことか。「どうして自分は遊覧船などに乗っているのだろう」と我に返るのだろうか。五首目は蜻蛉の飛び方を詠んだものだが、蜻蛉が蜻蛉らしい飛び方をするのは当たり前である。しかしときおり怪しい飛び方をするとは不思議である。
急ぎゆく道すがらなる夏燕ちひさき顔は借り物に見ゆ
難波行き電車に揺られ五分といふたましひの嵩を思ひき
遊覧船といふものありて人は乗る我に返るはどのあたりなる
ときをりは怪しげなれど蜻蛉は蜻蛉らしきふるまひに飛ぶ
このような歌を見るにつけ、阪森の短歌の根底には「存在論的思弁」が横たわっているように思えてならない。存在論的思弁とは、この世界と自分とがなぜこのようにあるのかを問う深い思考だが、それは思弁なので、ふと湧き出すこともあり、まま誤作動することもある。上に引いた歌は、そのようにふと湧き出した思弁が生んだ歌であり、だからこそ岡井をして「発想は奔放」と言わしめたのではないだろうか。
日常よく目にしながら気がつかないことをずばりと詠む発見の歌というのがあり、そのような歌に出会うと私たちははたと膝を打つ。しかし阪森の歌はそういう類の歌とも肌合いがちがう。発見をどうだとばかり提示するのではなく、湧き出した思弁をひとり楽しんでいるような様子が見られるのである。
わが知らぬしづけさを知るオニヤンマうつつもどきの夕暮れを飛ぶ付箋のついた歌を引いたが、これらの歌にも不思議な雰囲気がまとわりついている。一首目の「うつつもどき」は「まるで現実のような」を意味するが、そうするとオニヤンマが飛ぶ夕暮れは幻想ということになる。実と虚が突然反転するような不思議な感覚に襲われる。二首目のスクランブル交差点は、同時にありとあらゆる方向に歩行者が横断するので、その中には昨日に向かって時間を遡行する人もいるのではないかということだろう。三首目、死者は日に灼けることはない。それはよいとして、日盛りを死者が生者に混じって歩いているというのは空想か幻視である。四首目、スーパーで購入した卵のパッケージの中にひびの入った卵がひとつあったのだろう。しかしそれを卵が自分の意思で割れたのだと見るのは奇想である。五首目、写真はやがて遺影となるというのは人物を写した写真に言えることである。その事実と、今日はハロウィンだから南瓜を写すということに論理的関係はないはずだ。
スクランブル交差点を行くときのあるいはきのふへ向かふ足どり
日に灼けることの無ければ日盛りを何人よりもいきいきと死者
パッケージにかるく触れつつそのひとつ卵の意思としてのひび割れ
写されしすべては遺影となるものをハロウィンなれば南瓜を写す
このように阪森の短歌の持つ独特の顔つきは、存在論的思弁がふと湧き出して来たり、あらぬ方角へと暴走したりすることによって生まれた奇想がもたらしたものだと思われる。第五歌集『バピルス』にもその傾向が見られたが、『ボーラといふ北風』に至ってその傾向が強くなっているのは、存在論的思弁は年齢を重ねるにつれて深まるからである。若い人たちは、年齢を重ねると今はわからないことがだんだんわかるようになるのではないかと思うかもしれない。社会の仕組みや人情の機微についてはそうだろう。しかし存在論に関しては、歳を取るにつれて謎はいっそう深まるばかりである。
重ねあふ空あるのみに揚げ雲雀声はたちまちかき消されゆく美しい歌群である。これがなぜ美しいかを説明するのは私の手に余る。ひとつだけ言えるのは、言葉を扱う確かな修辞力が作品世界を支えているということである。練達の歌集と言えるだろう。
夕べには夕べの速さの瀬の音す月射せば月を砕く瀬の音
はじめなく終わりも見せず蜆蝶のみを残して秋は過ぎたり
ひとつぶは房より椀がる八月の雨のち薄日の淡さの中に
音もなく射しくるものをひかりとも影とも言ひて小公園に