131:2005年11月 第4週 高木 孝
または、文体の模索者はどの井戸を掘るか

茹で加減よろしきパスタ半分こ
      模様のちがふ皿に移しぬ

           高木孝『地下水脈』
 アルデンテに茹で上げたパスタを盛りつけているのだが,自分と妻の皿は模様がちがう。新婚で持ち寄った食器がばらばらなためか,それとも二人の趣味が異なるためか,理由はわからないがとにかく二人の皿の模様がちがう。模様の異なる皿からパスタを食べていても二人の心は通い合っていると読むこともできる。共に暮らしていても深いところで好みがちがうと読むこともできる。文語脈に「半分こ」という親愛関係を共示する口語を混入して作られたこの歌は,文語と口語の混在の中に男女の関係性の淡さのようなものを流し込んでいて,今の短歌界の空気感をほどよく反映しているように見える。

 高木孝は1968年 (昭和43年) 生まれで,同人誌「ぱにあ」同人。『地下水脈』は2004年に刊行された第一歌集である。564首の歌が収録されており,歌集としてはかなり大部の本である。歌集を刊行するときには,ふつうは作り溜めた歌のなかから取捨選択し,編年体なり逆編年体なりテーマ別構成なりのなんらかの編集作業を施して出版する。そのなかで最も難しい作業は歌の取捨選択だろう。どれを採りどれを落とすかに歌人は頭を悩ませる。聞くところによると,編集者から「もう少し歌を刈り込んだらどうか」と勧められたとき,高木はそれを拒んだそうだ。それは作者の意志であるが,そのためにこの歌集にはさまざまな文体が並列され,通読したときに一人の作家のイメージに収斂することなく逆に拡散する結果になっている。それを瑕疵と見るか豊饒と見るかは人によって異なるだろう。

 高木の文体の振幅は有り得ないほど大きい。それは「アララギに前衛にライトヴァースに間に合はずほのぼのと遅刻者」という,歌人としての出発点で直面した時代的状況の認識に基づいているのだろう。明治以来の近代短歌の作歌法と,それを前提とする感受性に寄り添うようにして作られた歌がある。これらを「旧短歌回路」の歌群と呼んでおこう。

 海浪は無へ急き立つる底知れぬ習ひありとて両肩冷ゆる

 妻はわが腕に縋りてウェディングドレスの裾が見ゆと船尾に

 白じろと骨明かりする珊瑚礁むれ行くうをの衣装かなしき

 濡れそぼつ白樺木立いちめんに尾根越えかねしむら雲の霧

 手あつれば水面となりて奔流の奥処に目覚めたるいのちあり

 最初の3首はモルジブへの新婚旅行の折りの歌,残りは上高地旅行に際に詠まれた歌である。どうも高木は旅行詠になると「旧短歌回路」の感受性が発現するらしく,このタイプの歌が多く見られる。特に4首目の「濡れそぼつ」などはアララギばりの叙景歌であり,レーモン・クノー風の文体練習かあるいはパスティーシュを試みているのではないかという疑念を払拭することができない。

 かと思えばずっと口語脈に接近した次のような歌もある。

 あの,思ひ出すと少しく胸傷むホットケーキさおいしかつたね

 たづたづし林檎剥く手に成されゆくでこぼこ道をきみとあるかう

 ぼくたちは何思ひ出し夕渚をかしなくらゐ泣きじやくつたね

 ポケットから林檎の芯が そんな目で俺を見るなよ仕方ないんだ

 栞文を書いた荻原裕幸は「1990年代以降のある種の傾向をまねてみせた,という印象がある」と評しているが,そのような感想を抱くのは無理からぬところである。このような傾向を「新短歌回路」と呼んでおこう。歌集を通読すると,高木の歌は「旧短歌回路」と「新短歌回路」とに分裂しているように見える。ふたつの回路を意識的に転轍あるいは架橋しようと意図は,この歌集を読む限り見えてこないのである。

 さらに「ブルレスケ」と題された歌群がある。こちらはマンガばりのユーモアと諧謔が満載で狂歌に近い。

 缶詰そのものの味して起ちあがるそれでもいいが何この値段

 コロンビア豆の挽きたてよりあなた最後に風呂に入つたのいつ

 舗装したばかり山茶花散らしては相撲取り集団でジョギング

 クリスマスライト華やぐ家見れば電気コードは延びる隣家へ

 なぜ高木の歌の文体はこのように多面体を成しているのだろうか。思うにそれは,歌を生み出す感性の核となるべき〈私〉の位置を,高木がまだ定めかねているためだろう。上に引用した歌にもあるように,高木には「ほのぼのと遅刻者」の自覚がある。近代短歌,前衛短歌,内向の世代,体性感覚,ライトヴァース,記号短歌など,さまざまな歌の意匠が出尽くした後に高木は作歌を始めた世代である。この世代の歌人には,自分たちは廃墟から出発せざるを得なかったという思いがあるのかもしれない。

 このような状況に置かれたとき,人はさまざまな態度を採りうる。「過去なんか知らないもんネ」と尻を捲るならば,歴史性とは完全に断絶した短歌を作り始めるだろう。このような「超・新短歌回路」にのみ通電して歌を作っている人たちもいる。しかし高木はどうやらそうではないらしい。図書館に通って短歌総合誌や歌集などを読み耽っては,ひとりで短歌を作ってきたという。またあとがきでは,「歌作は孤独な行為だが,自分の井戸を掘り下げることで他に井戸を掘っている人たちとつながりたい」という意味のことが書かれている。だから高木は決して歴史性と断絶した「自分だけの回路」を作ろうとしているのではない。これはある意味で実に正統的な態度なのだが,このような方略を採用することで高木のなかに「旧短歌回路」と「新短歌回路」が併存するという状態が帰結したと思われる。そして「もう少し歌を刈り込んだら」という編集者のアドバイスを拒んだということは,高木は「現時点においてはこの状態でよい」という選択をしたのだろう。それは作家の責任においてであるからそれでよい。しかしいつまでもそのような状態を続けて行くわけにもゆくまい。いずれはどの井戸を掘るのかを選ばなくてはならない。そのとき初めて他の誰のものでもない高木の〈私〉が多様性の中から立ち上がるはずである。

 高木の「旧短歌回路」への歴史意識は,選択された定型文語形式と頻出する古語・枕詞に見てとれる。

 さねさし相模のまこもかる大野かはらぬひとに会ふ心地する

 あしきひの猟夫(さつを)がむかし踏みき妻も胎にゐる子も視よ深き山

 あまつかぜ親の都合といふ櫂が宿命的に子を振り回す

このような古語の意識的再生(リサイクル)は,現代短歌の若手歌人に散見される現象で,沢田英史江田浩司らがその代表格だろう。

 たまかぎるゆふべの雨の水たまり秘話のごとくに草蔭を占む 沢田英史

 夕空の櫂漕ぎゆくは月草のかりなる命曳きゆくわれら  江田浩司

 沢田の場合は意識的に古語・枕詞を使用することで,現代を描く一首のなかに遙か時間を遡る時代を透かし彫りにすることで,意味の重層性を増そうとする意図が見られる。また江田の場合は現代詩をも視野に入れた様々な文学的試行の一環として古語・枕詞の使用がある。ひるがえって高木の場合はどのような意図のもとになされているのかというと,今ひとつわからないというのが実状である。この面においても高木の歌には,文体練習あるいはパスティーシュの感がつきまとうのである。

 さあれここまで振幅の大きな文体で書き分けるというのは,並々ならぬ膂力と勉強の蓄積のなせる業であることはまちがいない。今度は統一感のある自分の文体で登場してもらいたいものだ。文体の発見とは〈私〉の発見に他ならない。『地下水脈』のなかでは次のような歌に最良の部分があると思う。

 古代メソポタミアの廃墟に吹く風か会話の少女降りし車両に

 張り初めし氷のうへを行くわれの耳たぶうすき生と思はむ

 ものがたり明日には消えむ時じくの雪ふる肌に肌を重ねつ

 名くはしき青葉区青葉台まこと銀紙貼りしごときさみしさ

 またきみと巡り合ふため眉しろきメリーゴーランドの馬に乗る

 蔵出づればたそがれ回し読みしたる雑誌と指に沁みるひぐらし

 差異はつかなれど一滴づつ落ちる雨のよろこび全身に受く