服部崇は1967年生まれ。「心の花」所属の歌人で、『ドードー鳥の骨』は今年 (2017年)の9月にながらみ書房から上梓されたばかりの第一歌集である。帯文は佐佐木幸綱、解説は谷岡亜紀、装幀は間村俊一。美麗な箱入りで、著者の意気込みが感じられる。
異色なのは著者の経歴である。東大を出て経済産業省に入省、ハーバード大学修士、東京工業大学博士、経済産業省大臣官房所属。2005年から2008年までシンガポールのAPECに出向し、2013年から2016年までパリのIEA(国際エネルギー機関)で勤務。COP21の締結に向けての仕事をしている。要するにバリバリのキャリア組のエリート官僚である。
実社会の最前線で働いている人にとって最も大事なのは、損得、生き死、出世など現実世界での勝ち負けであり、文学、なかでもいちばん実益とは縁がない短歌などに興味を抱くのは稀だ。メーカーに長く勤務し、部長で定年退職して、時間ができたので短歌を始めるという例はよくある。しかし服部のように多忙な官僚が短歌に手を染めるのはあまり聞いたことがない。お役所というとちんたら働いている暇な職場というイメージがあるかもしれないが、実際は霞ヶ関は明かりが消えることのない不夜城で、官僚の残業時間はブラック企業も裸足で逃げ出すほどである。
本歌集には「巴里歌篇」という副題が付されており、2013年から2016年までのパリ滞在期間に制作された歌が中心となっている。題名は集中の「こんな日は博物館を訪ひてドードー鳥の骨かぞへたし」という歌から採られている。
一般的に言って海外詠は難しい。特に羇旅歌の場合、海外旅行で目にした名所旧跡や珍しい事物にスポットを当てて詠むと、通り一遍の観光案内パンフレットのようになってしまう。おまけに短歌や俳句などの短詩型文学は、温暖・湿潤で四季のはっきりした温帯モンスーン気候の日本で発達したものなので、湿り気と季節感を必要とする。ヨーロッパは大陸性気候で、地中海周辺を除けば乾燥・低温である。パリの年間降雨量は500ミリで、1500ミリある大阪の三分の一しかない。煎餅を放置してもしけることがなく、パンは一晩で乾燥してかちかちになる。
さてそんなパリで服部はどのように短歌を詠んでいるのだろうか。街を歩いているのである。解説を書いた谷岡は服部に「路地裏の散歩者」という異名を進呈しているほどだ。この歌集には観光客が訪れるエッフェル塔もノートルダム大聖堂もサクレ・クール寺院もほとんど登場しない。描かれているのは市井の暮らしと街角で出会った風景である。
路地裏の蔦の館に道化師の白き化粧の絵の掲げあり
助手席のドア外れたる自動車の置き捨てられて朝の始まる
胴体を切り離されしメルルーサ氷のうへにかしらをさらす
きみを待つ広場に落ちて桐の花うすむらさきの雨に濡れをり
サンマルタン運河は夏のきらめきを注ぎて白き船を持ち上ぐ
一首目、蔦の絡まる館というと何か物語を秘めているようだ。そこに白塗りの道化師の絵があることで、いっそう謎めいて見える。二首目、ドアの外れた自動車が放置されているのだから、そこは観光客が行く繁華な界隈ではなく、庶民が暮らす街角である。三首目は市場の風景。日本では魚は頭を左にして横に並べるが、フランスでは頭を上にして縦に並べる。四首目は珍しく雨の風景で、日本の風景と言っても通るだろう。薄紫なのは雨ではなく桐の花である。五首目、サンマルタン運河はセーヌ右岸の庶民的な界隈を流れている。船を持ちあげるのは水位を調整するための閘門である。
とりわけ面白いのは街角の人々を描いた歌だ。
白く顔を塗りたる男ふたり来て薄暮に去りぬ白きその顔
夏の日のバスのをとこはてのひらに水晶玉を回し続ける
もの乞ひの男乗りきてなめらかに四か国語を駆使してみせる
ヒナギクの花を背負ひて老婦人駅の扉を押しひらき去る
上半身裸となりて裸婦像に少年しきりにみづをかけをり
我を向き通りすがりに青年は井戸の在り処を教へむとせり
ヨーロッパで暮らしていると、日本ではついぞ見かけない光景を目にすることがよくある。地下鉄の通路で楽器を演奏している人。バスに乗り込んで来て物乞いをする人。舗道に色チョークで絵を描く人。路上で彫像のように動かない芸をする人。公園で箱に乗って大声で演説する人、等々。服部も目にした人々を歌にしている。一首目は何だかよくわからないが、フランスでは2月の謝肉祭に顔に色を塗りたくり、出会った人に小麦粉をかけるという馬鹿騒ぎをするので、そんな光景かもしれない。二首目も不思議な歌だが、たぶんバスの中で芸を見せて小銭を稼いでいるのだろう。三首目は物乞いなのに四カ国語を駆使するというのがミソ。四首目も謎めいた歌で、ヒナギクを手に持つのならふつうだが、背負っているというのが変だ。五首目は明るい歌で、少年の上半身の裸と裸婦とが呼応している。六首目は一葉の井戸のようないわくつきの有名な井戸を探していたのだろうか。それならわかるのだが、そういう知識がないと唐突に井戸の場所を教えるというのは変だ。
このように服部の歌にはどこか謎めいたものがあり、その謎が明かされない不満も残らないではないが、歌の味わいとなっているのもまた事実である。このように街を歩いて街角で目にしたものを切り取り活写することによって、服部の短歌は通常の羇旅歌が陥りがちな観光案内のパンフレットとなることを免れているのである。
行きつけのカフェの給仕と初めての握手を交はすテロの翌朝
服部のパリ滞在中に2015年11月の同時多発テロが起きており、この歌はその翌朝を詠んだものである。不幸な出来事は人の距離を縮めて結びつけることがある。顔なじみの給仕と握手するのは、お互いに無事であることを喜びあっているからだ。
その他、心に残った歌を引いておこう。
アンニュイの多義性について語るとき君は苺が好きとつぶやく
朱鷺色のピアノの音が聞こえくる夕べの椅子にひかりは待ちぬ
バス停に夏のバス待つゆふまぐれ樹々のなかより鳩の羽音す
神森より流れきたれるせせらぎに鈴の音を聞く夏のふるさと
南国の喜怒哀楽を見下ろして黄金の仏陀雨に立ちをり
かすかなる笑みを残して隣席の男が降りる〈霧の底〉駅
赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
ちなみに服部は滞在中の2014年に「パリ短歌会」を立ち上げて、会誌『パリ短歌』を発行している。パリ周辺に定住している人が主なメンバーだが、短期間パリや地方に在住する人も参加している。2017年号には守中章子(未来)や、鈴木晴香(塔)らに加えて、リヨンに留学中の安田百合絵(本郷短歌会、心の花)も参加していて、なかなか多才な顔ぶれである。パリに短歌が根付くか楽しみなことだ。