第27回 澤村斉美『夏鴉』

かはきゆくみづのかたちを見てゐれば敷石の上ひかりうしなふ
                  澤村斉美『夏鴉』
 「黙秘の庭」で平成18年(2006年)に第52回角川短歌賞を受賞した澤村斉美の第一歌集が出版された。本欄「橄欖追放」の前身「今週の短歌」では、2006年11月に「黙秘の庭」と同人誌「豊作」に発表された歌を取り上げて論評している。その末尾に私は、「まだ歌集を持たない若い作者だが、これからの自分を『歌人』と規定する決意があるか否かが今後を決める。心のなかの名刺に『歌人』と肩書きをつけるかどうかである」と書いた。澤村はどうやら心の名刺に「歌人」と書く道を選択したようである。歩き始めたばかりの若い歌人に、米川千嘉子と「塔」の先輩の島田幸典と花山多佳子が栞文を寄稿している。いずれも若い歌人に向ける眼差しは温かい。
 それにしても青春の第一歌集の題名が『夏鴉』というのは異色である。米川によると「夏鴉」は俳句の季語で、灼熱の夏の暑さと鴉の旺盛な生命力が俳句に詠まれて来たという。『岩波現代短歌辞典』には、近代短歌で鴉は「死と再生のシンボル、幸福と不幸、希望と不安」の両義性を持つものとして描かれて来たとある。現代短歌で鴉と言えば、すぐに大塚寅彦の名が頭に浮かぶ。大塚の鴉は投影された〈私〉が十分に染み渡った対象で、本来の意味での客体とはもはや呼べない存在と化している。
烏羽玉の音盤ディスクめぐれりひと無きのちわれも大鴉を飼へるひとりか
らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なるはしを冬空に向け
選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て
 これに対して澤村の描く鴉はまったく異なる位相に位置する。
逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ
帰らないつもりの家へ帰りゆく鴉のからだ黒いだらうか
顔痺れ薄き複写を読み返すからす鳴いてるこんな時間に
美しき友を見送りこの町はわれを住まはす 鴉降りる路地
あをあをと天の映れる水の弧にずり落ちさうに夏鴉立つ
 澤村の描く鴉は自己投影の対象ではなく、迷いつつ送る日々の折節に姿を見せる点景であり、どこか自分を見ている存在でもあるかのようだ。一首目は歌集冒頭の歌で、青春の光と影が鮮やかで、これが歌集の基調低音となっている。迷いつつ送る日々に浮き沈みがあるのは常で、歌の中に「浮く」「沈む」という語が多く含まれていることに気づく。
ばか欲望が降つてくるわけないだらう麦茶のパック湯に沈まずに
深い深い倦怠感のプールへと投げる花束浮いたではないか
白犀は心の水の深きまで沈みつ水の春は熟れゆく
雑踏にあるときの人の肩の線ふかく沈みゆきそののちに浮く
 眼差しの先にある対象の浮き沈みは、日々を送る心の動きと微妙に共振しつつ描かれており、純粋な叙景でも叙情でもなく、そのあわいを行く近代短歌のメインストリートを作者は歩いている。
 『短歌研究』2009年5月号の作品季評で黒瀬珂瀾が、嵯峨直樹が「ペールグレーの海と空」で短歌研究新人賞を受賞したときの評価に言及している。黒瀬は「髪の毛をしきりにいじる空を見る 生まれたらもう傷ついていた」という嵯峨の歌を取り上げて、「あまりにも『世界の中心で愛を叫ぶ』の冒頭の『朝、目が覚めると泣いていた』という、既にイメージとして世間で成立してしまっている抒情のサンプルみたいなものにそのまま乗っかってしまっているのではないか」という批判をしたことがある。この黒瀬の批判は、「それぞれの作者はそれぞれに個性を抱え、違った味わいを持っているはずなのだが、あるときシャッフルしてみるとみな一様に同じ抒情に繋がっている、という風景になる」という川野里子の危惧へと接続しているだろう(『短歌ヴァーサス』5号)。
 この「生まれたらもう傷ついていた」という感覚もしくは気分を共有する若手歌人は今日少なくない。澤村の歌集を通読して、この感覚が微塵も見られないことにむしろ驚く。この差は、横浜に住みWebデザイナーという時代の先端の職業に就いている嵯峨と、学生が大事にされる古都京都で大学生活を送った澤村の生活環境の違いも影響してはいるだろうが、基本的には本人の感覚の差と歌の把握の違いに帰着しよう。「生まれたらもう傷ついていた」派は、ややもすれば〈私〉と歌の間に垂直の関係を立てる傾向があり、〈私〉を座標軸の原点として「近景=〈私〉」と「遠景=〈世界〉」が無媒介的に直結する世界を構築することがままある。その極端な形はRPGゲームにも似た「セカイ系」短歌だろう。澤村はこのような傾向からはほど遠く、この歌集にも家族・大学・職場・友人といった「中景=〈世間〉」が細やかに描かれている。この中景が近代短歌の主戦場だったことは言うまでもない。
喪主として立つ日のあらむ弟と一つの皿にいちごを分ける
夏が来る頃にはここを去つてゐる 未来完了で関はる職場
噴水のひらいてとぢる歌ありき二十五歳の君のWordに
さくら湯の休みの札に遭ひしのち工場前の銀の湯へ行く
一月に病みしかばそこでとどまりし研究ノート 日付は火曜
 今回歌集を通読して特に優れていると感じたのは、貿易センタービルを崩落させた9.11テロの後にNYを訪問した折の連作「視界のアメリカ」である。羈旅歌はややもすれば外国で目にした景物の物珍しさに引きずられがちだが、美術史の学徒であった作者はNYの美術館に所蔵された日本美術を見て回り、彼我の文化の間に横たわる溝に深く想いを沈めている。
長針がことりと9に持ち上がりヴェセイ通りストリート影は踏み出す
アメリカにとりて日本はうす暗し見えぬところで水が流れる
やはらかくナショナリズムをやり過ごす窓から雲は見上げられたり
視界は雨でぐづぐづビルもぐづぐづの写真に黒き筋が流れる
足首を避けつつ流れゆく水のごとしmuseumのなかの日本は
蜻蛉はあらはれよ ゐよ なだらかに夏の思ひのくづれるみづに
ひつたりと血を落としゐるわが身体昨夜更くるまでアメリカにあり
 9.11テロへの想いも含めて全体が「水」の印象を軸に構成されている。この連作で作者は、自分の歌の基調である「中景=〈世間〉」を少しはみ出して「遠景=〈世界〉」に踏み込んでいる。しかしその領野は既存の道標がなく茫漠とした空間である。そこで歌の意識が散乱しないためのアリアドネの糸として「水」のイメージを用いたのだろう。結果としてその試みは成功しており、非常に構成意識の高い連作として結実している。栞文で島田も、身近に接して来たそれまでの澤村の短歌の印象を強く揺さぶった連作だったと回想している。
 「中景=〈世間〉」に属する題材を詠む澤村の修辞は手堅いが、特に突出したところがなく印象はおとなしい。日々の想いを寄せる歌としてはそれでよいかもしれない。しかし心の名刺に「歌人」と記したからには、その殻を破る世界をこれから作り出さねばならないだろう。「視界のアメリカ」はその端緒を開く試みとして受け取り、これからを見守りたい。