195:2007年3月 第5週 森本 平
または、悪意というモラルで世界に向かう歌

ルサンチマンのかわりに夜空へ放ちやる
      ぼくらのように美しい蛾を
            森本平『モラル』

 森本のような歌人の場合、「代表歌」という概念があまり意味を持たないので、掲出歌を選ぶのに困る。しかし、それを裏返せば、どの歌を選んでもかまわないということになり、気が楽になる。2003年の『短歌WAVE』で森本は、掲出歌と並んで「手を伸ばせども指の透き間をすり抜けるあの夏色の空を忘れず」と「丹頂の白きのみどを持つひとよ天啓として声あらしめよ」の2首を自分の代表歌として挙げている。また2004年の『現代短歌雁』の特集では、「倦怠は揺り籠である まぎれなく水平線のエッジが光る」という歌集『橋を渡る』からの一首を挙げている。これらの歌だけを見ると、森本という歌人は何て抒情的な作風の人だろうと思うかもしれないが、それはまったく誤った印象なのである。なにしろ現役の高校教員でありながら、「口答えばかりしやがるあのコムスメ今度宿直室で犯そう」などというトンデモない歌を堂々と作る人なのである。

 森本自身も自分の歌のトンデモなさをよく意識していて、第3歌集『モラル』を出版したときも、「こんなものは歌じゃない」「おまえなど歌をやめろ」「草葉の陰で祖父が泣いているぞ」などの「暖かい励ましのお手紙を多数頂戴した」と自分で書いている。ちなみに、森本の祖父は万葉学者・歌人で駒澤大学教授であった森本治吉、母は槇弥生子だから、三代続く歌人の家系なのである。どんな分野でもそうだが、三代目というのは辛い立場だろう。第1歌集『空を忘れず』(1989年)、第2歌集『橋を渡る』(1994年)、第3歌集『モラル』(1997年)、第4歌集『個人的な生活』(1999年)に続いて、セレクション歌人『森本平集』(2004年)に第5歌集となる『ハードラック』を収録、第6歌集の『町田コーリング』が2006年に刊行されたばかりである。『森本平集』の略歴欄に、第6歌集は逝去したジョー・ストラマーの追悼歌集『クラッシュ(仮題)』になるはずだと書いていたが、見事に外れたわけだ。

 セレクション歌人『森本平集』を責任編集した谷岡亜紀が、「悪意というモラル」と題された森本平論を巻末に寄稿している。私などよりもはるかに森本のよき理解者である谷岡ならではの行き届いた歌人論である。「いかに時代と向き合い、時代を反映するか」という一点に絞られるのが森本の創作意識であり、森本の認識する世界の現実とは、「日常化、矮小化、俗化、個別化したリアルな悪意の現実性」に他ならないとする論旨である。それがしばしば「残酷だ」「汚い」「差別的だ」との悪評を被る歌作につながるというわけである。実際のところ、『森本平集』から比較的穏当なものを選んでみても次のような歌が並んでいる。

 かく愛は夕餉の中で頽れる手乗り猫の串焼き味噌付き

 横たわる姿勢のままで裂きしゆえ立ち上がらねば腸はこぼれず

 どことなくくさやを思わす匂いにて一夜干しせし少女を食めり

 公園で乳房をさらしキューピーをあやす女の口よりよだれ

 「現代の社会が病んでいて残酷である」というのがリアルな真実であるのなら、それを包み隠さず短歌に反映させるのが誠実さであり、時代の狂気をそのまますくい取る作品があるべきだというのが森本の信念なのである。いかなる信念を持つことも個人の自由に属するので、この信念に文句をつけるのは不当というものだろう。言うまでもないことだが、森本の作る短歌を好むかどうかもまた個人の自由である。

 そんなことより、『森本平集』を読んでいて「おや」と感じたことに触れてみたい。2001年に死去した仙波龍英の死を悼む「三月兎の死 ― 先駆性への墓標」と題された文章の中で森本は、80年代の後半に話題になったライト・ヴァースの代表的作家として加藤治郎と俵万智の名ばかりがあげられることに異義を唱えて、仙波こそ日本におけるライト・ヴァースの嚆矢として再評価されるべきだと論じている。短歌に何を盛るかという主題意識と、現実を見据える目線において、森本と仙波には確かに共通する点がある。仙波の『わたしは可愛い三月兎』を今読むと、ライト・ヴァースと呼ぶには余りに重い文体と主題に驚くが、それより目に付くのは付された夥しい註と詞書きである。たとえば、「ヨット上にらみをきかすここのつがファンキー族の姉とをとこに」の中の「ファンキー族」には、「昭和35年にあらはれた軽薄な若者達の呼称」という註が付されており、その他にも「メリナ・メルクーリ」「赤木圭一郎」「渡邊マリ」「草加次郎」など昭和30年代の風俗と事件に関するたくさんの註がある。夥しい註で話題になった作品といえばすぐ頭に浮かぶのが、田中康夫のデビュー作『なんとなくクリスタル』(1980年)、略称「なんクリ」だ。仙波がこだわるのが歌集刊行時の1985年ではなく、自分が少年時代を送った昭和30年代の風俗であり、一方、田中は大衆消費社会を迎えた70年代後半の進行中現在の風俗だというちがいはあるものの、なぜたくさんの註が必要なのかという理由は共通している。それは「短命ですぐ消え去る運命にあるもの」(ephemeral)を作品に取り込んだからである。

 しかしながら、仙波と森本には決定的なちがいがある。『わたしは可愛い三月兎』の跋文で小池光は、なぜ仙波が「ぺらぺらのかんなくづのような、今日流行り明日には滅亡する、はなはだ『俗悪な』ものたち」を短歌に詠むのかと問いかける。そして、仙波の思い出は流行とともにあり、流行を思い出すことなくワタシを思い出すことができないのであり、自分とまわりに明確な一線を引けず、両者が互いに滲み合っているというのがその理由だと断じている。言い換えれば、現代の大衆消費社会を先取りするような例外的境遇に育ち、仙波の〈ワタシ〉が〈ephemeralなもの〉に支えられ、それと不可分なかたちでしか形成されなかったということであり、仙波の短歌に漂う悲劇性はそこに由来する。仙波の唐突な死はその悲劇性を完成させたようにすら見える。しかし今日仙波の短歌を改めて再読すると、〈ephemeralなもの〉と不分離であるという〈ワタシ〉のかたちを内的に生きたという点において、読者である私たちはある感動を覚えるのであり、またそこに現代を先取りする先駆性を見ずにはいられないのだ。森本は「ライト・ヴァースの先駆者」として仙波を再評価することが目的で小論を書いたのだが、実は仙波が先駆者であったのは、上に述べたような「〈ワタシ〉のあり方」においてである。

 一方、森本はどのようなスタンスで〈ephemeralなもの〉に向かっているのだろうか。

 太陽に手紙を出そうバカボンのパパよりもっとこれでいいのだ

 ゼラチンは揺れつつ崩れ 生涯を現役のまま馬場の逝きにき

 ほされいるTシャツ蒼く揺れており岡田有希子の十三回忌

 明日よりは晴耕雨読で過ごさんとさらば哀愁のエリマキトカゲ

 ほほえみは何も救いはしないのだから松田聖子なんて嫌いだ

 森本が〈ephemeralなもの〉を扱う手つきは軽いようでいて、実は軽くはない。言葉から滲み出る悪意と呪詛と攻撃性は、作者が「醜悪な現実」と見なすものに立ち向かう姿勢をことさらに露わにしてしまう。振り上げたこぶしばかりが見えてしまう。そして逆説的ながらも、向こう側に見えるはずの「醜悪な現実」が、作者の振り上げるこぶしの陰に隠れてしまうことがある。なぜこうなるのだろう。仙波とのちがいはどこにあるのか。

 それは仙波が〈ephemeralなもの〉や時代の「醜悪な現実」を一方で厭悪しながらも、それと不可分なかたちで自分を形成したものとして、愛おしく思わずにはいられなかったからではないか。仙波は「醜悪な現実」を憎むと同時に愛したのである。そのとき、ephemeralなぺらぺらの現実を詠うことは、自分の半身を詠うことに他ならない。「ぺらぺらの現実が自分の血となり肉と化している」という自覚がそこにある。

 ナナ、つばき、菊水、のり子と続く路ゆけば秋風この身から立つ

 並んだ固有名は新宿ゴールデン街の飲み屋で、「どの店も狭い」となくてもよいような註が付されている。このどうでもよい細部がぺらぺらの現実を担保している。そして秋風はゴールデン街から吹いて来るのではなく、仙波自身から立ち上がるのだ。これが仙波が獲得したスタンスである。そして森本と仙波のちがいもここにあると思われる。

 森本の歌は谷岡が明快に分析してみせた方法的意識に基づいて作られているので、連作意識が強く一首の独立性が低い。そんななかでも読んでいて、「あっ、これはいい」と思う歌がないわけではない。

 反抗すゆえにわれある黄昏(こうこん)のこうこんなるは空のたまゆら 『空を忘れず』

 ジェラス・ガイ 暑さで閉ざす眼裏に光まみれの燕が見える  『森本平集』

 ゼラチンは揺れつつ崩れ 生涯を現役のまま馬場の逝きにき

 窓ごしに棕櫚を見ておりカフェオレを飲む間に消える淡き性欲

 鼻唄はなぜかパヴァーヌ ドライ・ジン越しに眺める世界は揺れて

 役立たずな気分の夜はコンビニでしあわせ印の桃缶を買う

 これらの歌は、自分の内部にある「ぺらぺらの現実」を静かに見つめるスタイルの歌であり、そんなときには私も共感できるのである。