084:2004年12月 第5週 江畑實とレモンの歌
または、青春の光芒はレモンの果皮の輝きのなかに

下宿までいだく袋の底にして
     發火點いま過ぎたり檸檬

         江畑 實『檸檬列島』
 江畑の短歌を論じるとき、歌集題にもなったこの歌をどうしても外すわけにはいくまい。季刊現代短歌『雁』55号の「わたしの代表歌」でも、歌人本人がこの一首を自らの代表歌としている。この歌はもちろん、梶井基次郎が大正12年に発表した短編小説『檸檬』の本歌取りである。小説の主人公は、京都は寺町通りに現在も営業を続ける果実店八百卯で檸檬一顆を購い、当時は寺町通りにあった丸善の本の上に密かに置き、立ち去った後にその爆発を夢想するという小説である。江畑の歌はその骨格と精神を継承してはいるが、発火点を過ぎた時限爆弾のように抱える檸檬は爆発せず、若者の不全感が色濃くなっている。塚本邦雄はこの歌を『現代百歌園』で取り上げて、「いつ突然爆発して、彼を、あるいは世界を変貌させるか、あるいは半永久的に、「不発」のまま、可能性を保留し続けるか、予断を許さない」と書いた。それはこの歌に込められた青春の夢想と鬱屈の行く先のことであると同時に、第一歌集『檸檬列島』でデビューした若き歌人江畑の未来のことでもあっただろう。

 江畑は1954年(昭和29年)生まれ。1983年(昭和58年)に「血統樹林」で角川短歌賞を受賞し、第一歌集『檸檬列島』はその翌年の刊行である。巻末の後記によれば、作歌を始めた23歳から29歳までの短歌を収録しているという。もともと詩を書いていたが、塚本邦雄の前衛短歌に傾倒し短歌を作り始めたようだ。高安国世の主宰する「塔」に所属したのち、1986年の歌誌「玲瓏」創刊から6年間編集長を務めている。「塔」は遠くアララギの流れをくむ歌派なので、「塔」から「玲瓏」へという経歴はちょっと不思議な気もする。

 塚本の短歌に傾倒して作歌を始めたとあって、『檸檬列島』が圧倒的な塚本の影響下にあるのは当然のことである。例えば次のような歌がある。

 うつむきし瞬時踏繪のイエス見ゆ色盲檢査紙の極彩に

 冩さるるときはカメラの暗闇に笑みつつわれの逆磔

 公園の眞晝縄跳びせる圓のなかに老婆とならむ少女は

 一首目の「踏繪」「色盲檢査紙」や、二首目の「逆磔」はいかにも塚本好みの語彙であり、三首目は言うまでもなく「少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ」と呼応している。縄跳びの円から出られない少女は、やがて老婆となるのであろう。塚本という巨人の発する磁場はかくも強力で、そばに近づく人を自らの磁性に染め上げるのだ。考えて見れば怖ろしいことである。塚本に引き寄せられた人の永遠の課題は、その引力圏からいかにして脱出するかである。

 この歌集は青春歌集であり、いかにも青春の光と影の揺曳する次のような歌がある。

 かがまりて澤の水飮むわかものの背に夭折の翼透き見ゆ

 友の名を呼びあやまりて眞二つに切らるる林檎ほどの含羞

 霜月の風にみだるる韻律をもてわれは詩の友をうらぎる

 ほほゑみに死の影させり青年がふいに繪日傘さしかけられて

 夭折へのほのかな憧れ、同世代の友人との微妙な関係、死への畏れと表裏一体をなす憧憬、これらは誰しも青春期に通過する心の波風であり、こういう主題が文語旧字体の端正な定型で詠われるとき、あらためて短歌という韻文は青春と相性がよい形式であることを痛感する。青春の光芒が一瞬のことであればこそ、このような歌はその短い時期にしか作ることができない歌であり、後に残されたときにもう手の届かない光を放つ。失われたものはなべて美しい。錯覚もまた青春の一属性として許される。江畑が第一歌集を上梓した80年代前半は、まだ「青春歌」という形容が実質を伴って生きていた時代なのだ。現代の若い歌人たちは、このような「青春歌」を作ることができるだろうか。この問は言わずと知れた修辞的疑問文であり、答は明らかである。

 江畑は塚本から句割れ・句跨りの前衛短歌語法を受け継いだに留まらず、主題の選択措定においても前衛短歌の手法を採用している。

 消息立ちし父ありいまも薄氷(うすらひ)をわたるあらうら熱きたびびと

 春晝の母の逐電まないたに水母(くらげ)がなかばまできざまれて

 一首めの「消息立ちし父」を必ずしも〈私〉の父と解釈する必要はないが、仮にそう取ったとしても作者自身の父親が蒸発したわけではない。二首目の逐電した母についても同じことである。これは寺山修司が当時の歌壇からさんざん批判された〈虚構の私〉の措定による「私性の拡大」の一例であり、この手法により江畑の主題選択は矮小化された生活者の〈私〉の視界に映るものに留まらず、想像・観念の世界に遊んで自在である。

 終末へ世界は熟るる鮮烈に割れて石榴のごとし地球儀

 食卓の銀器するどしわが父は転生せしや冬のローマに

 江畑の拡大された〈私〉が万物形象にいかなるものを視て、歌を立ち上げるか。それをよく示しているのが次のような歌だと思われる。

 摩滅せしきのふの音盤(デイスク)厭きはててただにめぐれる渦に薔薇おく

 鋭きひかり射し入る眞夏わが部屋の死假面(デス・マスク)一塊の殘雪

 炎天下よりさしのぞく氷柱の心(しん)に幽閉されゐたる百合

 一首目、レコードに聴き飽きるというのは日常の出来事だが、江畑は空しく回転するレコードに薔薇を置くのである。もちろんこれは現実の薔薇ではなく、中井英夫が「虚空を一閃して薔薇を掴み出す」と言った薔薇であり、これが江畑の美学の象徴と言ってよい。これを「キザだ」「わざとらしい」と感じるか、それとも「カッコいい」と感じるかで感性が二種類に分かれる。現代の短歌は日常化傾向が著しいので、前者の受け取りかたをする方が多いかもしれない。二首目、真夏の部屋に残雪があるというのもいかにも非現実的な設定だが、それを自分のデス・マスクと捉える眼差しに、目に見える日常現実を超える幻視のまなざしがある。三首目の氷柱の百合もまた同様であり、豪華な結婚披露宴に飾られそうなオブジェだが、もちろん江畑が詠んでいるのは非在の百合なのである。

 生活者の平板な現実から歌の世界に飛翔するにはどうすればよいか。江畑が後記で記しているように、それは「言葉のもつ力」による他はないと感じるところに、「コトバ派」歌人の面目がある。言葉で世界を立ち上げるには、剛腕の修辞が必要である。江畑が、そして前衛短歌の多くの歌人が拠ったのは、修辞学で言うところの撞着語法(oxymoron オクシモロン) である。撞着語法とは修辞学の技法のひとつで、「熱い氷」「輝く闇」のように、語義的に相反する語を組み合わせることをいう。

 天の底群青に澄み若武者の凧がはらめる寒の熱風

 舌頭(ぜつとう)に炎(ほむら)だちたり削り氷(ひ)のにがみ清少納言に捧ぐ

 沸點の水の眞中にひえびえとニクロム線の眞紅の螺旋

 一首目の「寒の熱風」、二首目の「炎だち」と「氷」、三首目の「沸點の水」と「ひえびえと」がこれに相当する。撞着語法は俳句でいう「二物衝撃」とよく似た効果を生む。「熱い氷」や「輝く闇」は語義矛盾であり、この世に存在しないものである。存在しえないものを敢て言い立てるのは、そこに現実には有り得ない虚構世界を浮上させるために他ならない。「炎だつ氷」はその内包する矛盾を弾機として、現実世界の対象を指向する記号であることを停止し、虚空間を指し示す記号へと転化するのである。こうして立ち上げられた虚空間は、作者の美学と観念を存分に投影する暗幕として働くのである。

 江畑はその後、第二歌集『梨の形の詩学』(1988年)、第三歌集『デッド・フォーカス』(1998年)を上梓しており、近々「セレクション歌人」シリーズから「江畑實集」が刊行予定である。私は古書店で『檸檬列島』を見つけて読んだだけで、第二歌集・第三歌集は未読であるので、第一歌集以後の江畑の歩みを知らない。

 『現代短歌200人20首』(邑書林)に江畑は、すべて未収録の歌を寄せている。ちなみに村木道彦も同じ態度を取った。そこには自己模倣に陥るまいとする果敢な試みが看取される。

 高層のビジネス街と呼ばれゐし廃墟のあたり蜃気楼顕つ

 ゆふぞらに思ひゑがけりきらきらとひとを轢くうつくしき車輪

 二十一世紀廃品処理場のすみに累(かさ)なるクローンの死屍

 一見してわかるように、第一歌集に濃厚だった耽美的傾向はずいぶん薄らいでいる。どうやらこの世界は自己の美学だけで塗りつぶすには、あまりに世紀末的様相を深めているようでもある。また角川『短歌』2004年10月号の特集「角川短歌賞50年のすべて」には、「時の泡」と題した次のような近作を寄せている。テーマは三島由紀夫事件と仏教にいう唯識のようだが、私にはよくわからない。

 逡巡の足許くきやかに映す月のいづこに豊饒の海

 血まなこに殿上人を競はせし皇位 めくらむばかりの虚構

 壮大なる虚無の肌(はだへ)に触れさしめ唯識は人を行為へ誘(おび)く

 さて、「レモンの歌」である。江畑は掲出歌以外にも、次のようなレモンの歌を詠んでいる。

  陽溜りに重ねし書物そこに置くわが曝涼の不発の檸檬

  檸檬切るしづくたちまち傷に沁む指より生命(いのち)かけめぐる戀

 レモンは果物のなかでもとりわけ象徴性が高い。その紡錘形の形状、手の中に収まる大きさ、ポスターカラーで塗ったような鮮やかな黄色、強い香気と鮮烈な酸味などがその理由であり、また昔から輸入果物である点もモダンな雰囲気を醸し出している。小池光は『現代歌まくら』(五柳書院)の「レモン」の項では、次の歌を引用している。

 泥濘にレモン沈める夕ぐれの心のなかに塔は直(すぐ)立つ  百々登美子

 催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり  道浦母都子

 竪穴に落ちたのか俺が穴なのかレモンの皮をここに捨てるな  吉川宏志

 百々の歌では、泥濘に沈んでもその鮮やかな色を失わないレモンが、汚れることのないものの象徴である。その昔、機動隊の催涙ガスを浴びたとき、レモン汁が効果的だと信じられていた。たとえそれが俗信に過ぎないとしても、レモンの青春性は学生運動に相応しい小道具だったのである。吉川の歌では、レモンの皮が突然頭上から降って来た情景が詠まれている。とぼけたような諧謔味があると同時に、深遠な問も潜んでいそうな奇妙な味わいの歌である。この他にもレモンは多く歌に詠まれている。

 檸檬搾り終えんとしつつ、轟きてちかき戦前・遙けき戦後  岡井隆

 わが指の触れしレモンはいく時もなくて腐りぬ円卓のうえ  佐伯裕子

 あばかれてゆくかも知れぬ愛ゆえにレモン一顆を掌にのせており  江田浩司

 早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ  葛原妙子

 一顆のレモン滴るを受くる玻璃の皿てのひらにあるは薄ら氷に似る  同

 裁られたるレモンの香り明るめばしばらくののち戻り来る夜  横山未来子

 あるときは明るさと青春性の象徴であり、またあるときは悔恨と腐食の象徴である。このようにさまざまな意味を読み込むことができるという点が、まさにレモンの象徴性の高さの所以なのだろう。ちなみにレモンは南イタリアに行くと街路樹になっていて、日本のものより二回りほど大きなゴツゴツした実がその辺にいくらでも実っている。ヨーロッパ人にとってレモンは、太陽と南国と情熱の代名詞である。短歌においてあまりそのような意味づけが見られないのは、やはり日本人にとって実っているところを見たことのない輸入果物であり、その由来ではなく視覚・味覚の印象のみが鮮烈に訴えかけたからだろう。