盛田志保子『木曜日』書評

 二〇〇〇年(平成十二年)に『短歌研究』の八〇〇号記念として企画された「うたう」作品賞は、その後の短歌シーンの流れを作る重要な企画だった。この賞の応募者から多くの歌人が育ったが、作品賞を受賞したのは当時二十歳の大学生だった盛田志保子である。受賞作「風の庭」五〇首を含めた第一歌集『木曜日』は二〇〇三年に出版された。長らく入手困難だったこの歌集が、書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として再刊されたのは喜ばしい。本歌集を開くと、二十歳の若さでしか詠めない歌が当時の瑞々しさのまま保存されている。

藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花

 若者が抱く未来への漠然とした不安や、自分がまだ何者でもないという不全感が、藍色のポットや夢の中に降る雨や降り散る花という歌のアイテムに投影されている。

 「うたう」作品賞は、穂村弘の言葉を借りれば、「修辞の武装解除」「棒立ちのポエジー」というその後の短歌の流れの発端となったのだが、盛田の歌にはしっかりと修辞があることに注意したい。とりわけ結句の着地の仕方がうまい。右に引いた「ひとりでいけと顔に降る花」や次のような歌がそうである。

廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月

 のびやかな言葉の選択の中に清新なポエジーが滲んでいる。特に注目されるのは木漏れ日のような陰翳だろう。

 その後所属する結社「未来」の歌誌に発表した近作が「卓上カレンダー」と題して巻末に収録されているのも嬉しい。

かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光

笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる

※「しんぶん赤旗」2021年3月7日号に掲載