090:2005年2月 第2週 吉野亜矢
または、骨太の短歌技法は静かに世界を希求する

仄暗き骨のあいだを子は駆ける
    窓に桜の揺らす日を踏み

         吉野亜矢『滴る木』
 吉野は1974年生まれで、「未来」「レ・パピエ・シアン」所属。『滴る木』は2004年刊行の第一歌集である。「滴る木」とは不思議な題名だが、集中の次の歌に由来している。

 地中ふかく根を張るものへ憧れを抱き樹形図の先に滴る

 この木とは現実の樹木ではなく、生物の進化を表わす系統樹であると知れる。祖先が上で子孫が下に配置された系統樹は、ドライフラワーを作るために逆さに吊り下げられた薔薇の花束のように、上がすぼんで下が広がる形状をとっているにちがいない。上句の「地中ふかく根を張るもの」まで読むと、ふつうの樹木のように地下に根を張って立つ木が想像されるが、実はこの歌のなかでは木は天地が逆転していて、一瞬眩暈を覚える。問題は「滴る」の主語なのだが、頭から読んで行くと「憧れを抱き」の主語は表現されていない〈私〉なので、順当に読めば「滴る」の主語もまた〈私〉である。つまり、今ここに存在している〈私〉は、地球に生物が誕生してから何億年にもわたる進化の過程を背景として、樹形図の先端にわずかに「滴る」存在であるとの認識が表明されている。とてもスケール感の大きな歌だと言えるだろう。

 「処女作にはその作家のすべてが顕れる」というのは文学研究の定説 (俗説) であるが、横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』や石川美南『砂の降る教室』のように、第一歌集から文体と個性が際立つという例は確かにある。しかし吉野の場合、歌集を一読した読後に歌人としての統一した印象を持つことが難しい。その理由はおそらく吉野の文体と主題の多様性にある。どうやら吉野は引き出しをたくさん隠し持っている人のようで、その多様性に幻惑されるのである。

 上にあげた樹形図の歌のように、大きなスケールでの時間認識を詠み込んだ歌や、次のようにこれまた大きなスケールでの地理的認識を詠った歌がある。自らの位置を俯瞰して把握することのできる理知的な眼差しが勝った歌である。

 美しきかたちと思う忠敬の結びあげたる海岸線を

 かと思えば肌触りのまったくちがう歌もある。異なる趣向の歌を一首ずつ列挙してみよう。

 庭の木の蜘蛛の巣に蜘蛛おさまりて黄色き腹のまるまると見ゆ

 風呂上り自分で作るこおり水 人生を統べてるって感じ

 半世紀穿かれつづけて延びきったパンツのゴムを九条と言え

 とりあえずありがとうって言ってみる一人になってまた考える

 ひらけない手のひらの中冷えてゆく噛みしめていた赤い毛糸が

 一首目はまるで写生のお手本のような歌で、一瞬アララギかと思ってしまうほどの端正な定型歌である。特に「蜘蛛の巣に蜘蛛おさまりて」の部分は技術が光る。吉野が近代短歌の伝統的定型を十分学んでいることがわかる。一方、二首目の下句の口語的締め方は、一転してまるで「未来」の先輩に当たる加藤治郎のようだ。集中には三首目のように鋭い社会批評を含んだ歌もあり、「憎まれるほど輪郭のあるくにに壊されるべき塔として立つ」のように9.11テロに寄せた時事詠も散見され、岡井隆からの流れを感じさせる。かと思えば四首目は定型意識をゆるめて口語性を全面に出した歌で、加藤千恵と書名があっても驚かない。五首目は穂村流に表現すれば「5WH1を隠した歌」であり、ひらがなを生かして余韻を残す作り方は東直子小林久美子が得意とする歌風に極めて近い。

 ひょっとして吉野は短歌のサンプリングをしているのではないかと思えるほどに多様な文体である。吉野の所属している「レ・パピエ・シアン」は、2004年8月号で『滴る木』の特集を組み、8人の同人がそれぞれ批評を寄稿しているのだが、いずれも吉野の全体像を描き出すのに難渋している。曰く、「理性的な思考」「日常の側に居場所を求める」「率直で、謎めいている」「ドライで冷静沈着な視線」「人文地理的想念」などなどの批評的言辞は、外れてはいないものの吉野の一面だけを捉えたものにすぎない。

 吉野は若い頃から短歌を作って来たらしい。「レ・パピエ・シアン」と淀川歌会を経て「未来」に入会し活動する過程で、さまざまな技法と発想を貪欲に吸収してきたのだろう。その痕跡が上にあげたような歌の文体の多様性に見て取れる。「レ・パピエ・シアン」の特集で小林久美子が、佐藤りえ生沼義朗・冨樫由美子ら1973年から76年生まれの歌人たちと、同世代の吉野の歌を比較検討している。この世代は成人した頃にバブル経済が破綻し、「失われた10年」を迎えた世代である。文芸批評家ガートルード・スタインがヘミングウェイやフィッツジェラルドなど、第一次大戦後の信じるものをなくした世代を評して名付けた「ロスト・ジェネレーション」という表現が、新たな意味のもとに当てはまる世代と言えるだろう。「自分が短歌を作る根拠はどこにあるか」という問題は、近代短歌のあらゆる世代に課せられる問であり、いずれかの世代に特有のものとは言えない。しかし、「失われた10年世代」特有の問題は、「自分と世界の関係を再測定する所から始めなくてはならない」という課題を抱え込んでしまった点にある。これは古い世界を計測していた物差しは、もう通用しないということを意味する。

 「失われた10年世代」の歌人たちがこの課題に対処している方法はさまざまであるが、吉野はこの問に性急に答えを出すのではなく、最小限信じることのできる主体 (それすらも幻想かもしれないが) を核として、自らの外部にさまざまな触手を伸ばして手触りを確かめるという冷静な戦略で立ち向かっているように見える。それがまるで短歌のサンプリングをしているように見える理由ではないだろうか。一方、次のような歌にはなかなか骨太な吉野の個性を感じるのである。

 あるだろう 虹の根ふとく突き刺さるあたり制度の届かない地が

 賜りしものに足らいし日の終わりアルバムのこの辺りなるらし

 今日一日(ひとひ)生きた証のレシートを入力しゆく夕餉を終えて

 帰り道にシュークリーム店がまた一つ増えた日双子のビルは崩れた

 草色のコートの外にあるものをたくさん排斥しながら歩く

 一首目、虹の根方に制度の外部を幻視する想像力は、現実に埋没することを拒否する意志であり、吉野の人文地理的想像力をよく表わしている。ちなみに寺山修司の地理的遁走の想像力と、吉野の人文地理的想像力は、似ているようでかなり異なる。二首目、アルバムをめくりながら父母から与えられたもののみで満たされていた日々を思う歌には、自らの来歴を俯瞰する視点がある。三首目は日常に身を沿わせた歌であり、生きた証がスーパーやコンビニのレシートであるという所に現代の自覚がある。四首めは9.11テロの歌だが、時事詠を身近な日常の文脈に落して捉えるという態度とならんで、シュークリーム店がまた一つ増えるという日本の無意味な過剰との対比にポイントがあろう。五首目は非常に感覚的な歌だが、情緒に流れない吉野の強い意志を感じさせる歌である。

 これとはまた肌触りの違う次のような歌群もあり、吉野の歌風は幅が広いのである。

 背中だけ見せて寝ている村の井戸を汚したせいで帰れぬ人が

 これがほら手紙に書いた桜の木お医者の角に花びらが降る

 父の血を吸いしタオルを搾りつつひたに満ちゆく母の器は

 これらの歌には非常に強い物語性がある。歌だけからは背景と状況が読みとれない所があるが、そのため逆に背後の物語の膨らみを感じさせ、とても魅力的な歌になっている。このような方向性の歌をもっと読んでみたいと感じさせる一群である。これを見ても吉野がすでに並々ならぬ作歌技法を自分のものにしていることがわかる。自分の周囲に触手を伸ばすという冷静沈着な方略から一歩踏み出して、世界に対して流れるある回路を見いだしたとき、その技法は炸裂するにちがいない。

 最後にもう少し印象に残った歌をあげておこう。

 習いごとが三つあっても吐くんだね卯の花浸す雨を聞きつつ

 風呂の湯は素数に設定されていて私は1℃上げてから出る

 今日よりは五月卓布に置かれたる薬袋にあわき影棲む

 色薄き頬に手を寄せ我が系(すじ)とのたまう母の遠き紫陽花

 こうやって日々を過ごしていることの谷間に小さな鍵の鳴る音