2013年の第一回目は新年らしくめでたい雰囲気の明るい歌集を取り上げようかと考えたのだが、考えてみると近頃あまりめでたく明るい歌集が見あたらない。短歌が本来持っていたはずの呪的機能が失われてきたのかとも思う。年末・正月と少し時間の余裕があったので、積ん読状態に陥っていた川本千栄の評論集『深層との対話』(青磁社 2012)を一気読みした。
川本は1963年生まれで「塔」所属。『青い猫』(2005)、『ひざかり』(2009)の二冊の歌集があり、2002年に本書にも収録されている「時間を超える視線」で現代短歌評論賞を受賞している。同じ「塔」所属の松村正直らと同人評論誌「ダーツ」を発行していたこともあり、短歌実作だけでなく評論にも力を入れている歌人である。
川本については忘れがたい記憶がある。2010年11月7日に開かれた青磁社創立10周年記念シンポジウムで、パネリストとして登壇した川本が同じくパネリストの穂村弘に向かって、「現代短歌がこんなにフラット化してつまらなくなったのはあなたのせいではないか」という意味のことを威勢の良い関西弁で述べ立てて穂村を詰問したのである。私は歌人・評論家・文章家としての穂村をそれなりに評価しており、また現代短歌のフラット化がひとり穂村のせいというわけではないと思うが、川本の威勢の良さは印象に残った。
『深層との対話』は川本が今まで「ダーツ」「歌壇」「短歌往来」などに書いた文章をまとめたもので、第一章「短歌にとっての近代とは」と第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」からなる。一読して驚くのは、第一章で扱われているのが一貫して短歌と戦争の問題だということである。川本はまず明治時代に「国民」という意識を醸成するために文部省唱歌が作られ、多くの歌人たちが歌詞を書いたことから筆を起こし、先の大戦で戦死した兵士が残した辞世の歌、近代短歌に詠まれたサクラの考察、歌人の戦地体験、前田透・渡辺直己ら戦争を詠んだ歌人などを次々に論じている。
とりわけ興味深く読んだのは「前田透 その追憶と贖罪の日々」という文章である。前田は東北大学在学中に召集され、オランダ領チモール島に経理担当将校として赴任した。そこでは大きな戦闘はなく、前田の任務が現地人の宣撫工作であったため、土地の人と親しく交わることとなったという。第一歌集『漂流の季節』には次のような歌がある。
川本は歌人にまつわるこのようなドラマを、資料を渉猟し丹念に読み解くことで浮かび上がらせるのだが、川本が一貫して採る態度は、このようにして明らかにした史実を短歌の読みと結びつけるということである。つまり史実自体を明るみに出すことが目的ではなく、ましてや過去の歌人の戦争責任を云々するためでもなく、残された短歌の読みをいっそう豊かにし、意味の陰翳を付与することによって、歌の背後にまで至ろうとしているのである。
このような川本の姿勢は第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」でも基本的には変わらない。第二章では、流行歌の歌詞と短歌の関係、加藤治郎のオノマトペ、仙波龍英、渡辺松男、河野裕子、社会詠などが論じられている。なかでは健康的な身体性の観点から取り上げられることの多い河野裕子の歌に、実は死や暗さを志向するものが多いことを明らかにした章や、ライトヴァースとひとくくりにされることのある仙波龍英の歌には重い主題が隠されていることを論じた章には、意味の表層に満足せず深層まで測鉛を降ろそうとする川本の態度がよく表れていると言えよう。
それにしてもなぜなのだろうと思うことがある。同じ「塔」に所属する松村正直の評論集『短歌は記憶する』(六花書林 2010年)も「戦争の記憶をめぐって」という章を設けて、短歌と戦争の関わりを論じている。完全な戦後世代で戦争の記憶などない川本と松村が、そろって短歌と先の大戦を中心的なテーマとするのはどうしてだろうか。
それはおそらく川本も松村も近代短歌を自己の創作基盤として選んだからではないだろうか。現代短歌ではなく近代短歌をである。この点が2001年の『短歌研究』創刊800号記念「うたう作品賞」や『短歌ヴァーサス』を舞台として登場した現代短歌の歌人たちとの分水嶺なのだ。後者の歌人たちは歴史意識を持たない。必然的に「時間を超える視線」もない。「今」があるだけだ。一方、近代短歌を出発点とした川本や松村は、その選択の結果として時間を遡行する視点を内在化せざるをえない。時間を遡行するとは歴史意識を持つことと同義であり、その先には先の大戦が控えているのである。
『深層との対話』をこのような文脈に置いてもう一度眺めてみると、新しい光が当たるように思う。
川本は1963年生まれで「塔」所属。『青い猫』(2005)、『ひざかり』(2009)の二冊の歌集があり、2002年に本書にも収録されている「時間を超える視線」で現代短歌評論賞を受賞している。同じ「塔」所属の松村正直らと同人評論誌「ダーツ」を発行していたこともあり、短歌実作だけでなく評論にも力を入れている歌人である。
川本については忘れがたい記憶がある。2010年11月7日に開かれた青磁社創立10周年記念シンポジウムで、パネリストとして登壇した川本が同じくパネリストの穂村弘に向かって、「現代短歌がこんなにフラット化してつまらなくなったのはあなたのせいではないか」という意味のことを威勢の良い関西弁で述べ立てて穂村を詰問したのである。私は歌人・評論家・文章家としての穂村をそれなりに評価しており、また現代短歌のフラット化がひとり穂村のせいというわけではないと思うが、川本の威勢の良さは印象に残った。
『深層との対話』は川本が今まで「ダーツ」「歌壇」「短歌往来」などに書いた文章をまとめたもので、第一章「短歌にとっての近代とは」と第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」からなる。一読して驚くのは、第一章で扱われているのが一貫して短歌と戦争の問題だということである。川本はまず明治時代に「国民」という意識を醸成するために文部省唱歌が作られ、多くの歌人たちが歌詞を書いたことから筆を起こし、先の大戦で戦死した兵士が残した辞世の歌、近代短歌に詠まれたサクラの考察、歌人の戦地体験、前田透・渡辺直己ら戦争を詠んだ歌人などを次々に論じている。
とりわけ興味深く読んだのは「前田透 その追憶と贖罪の日々」という文章である。前田は東北大学在学中に召集され、オランダ領チモール島に経理担当将校として赴任した。そこでは大きな戦闘はなく、前田の任務が現地人の宣撫工作であったため、土地の人と親しく交わることとなったという。第一歌集『漂流の季節』には次のような歌がある。
少年はあをきサロンをたくしあげかち渡り行く日向の河をジュオンとは特に前田が寵愛した現地の少年の名で、いずれも熱帯地方の色彩豊かな風景とけだるい雰囲気が横溢する歌である。ただし、前田がこれらの歌を作ったのは現地で敗戦を迎え日本に復員して数年後なので、歌の中のチモールは追憶で美化されたチモールである。前田らの宣撫工作が実を結び、チモール人たちは日本軍に加担したが、やがて日本の敗戦とともに現地の王は敵軍協力の咎で捕縛され、前田が愛した人たちも行方不明になった。前田は昭和48年にチモール再訪を果たし、捕縛された王の後継者ガスパルの口から「日本軍に対して怒らない」という言葉を聞いて、積年の胸のつかえが取れたという。いずれも知らないことばかりで興味深く読んだ。
ジャスミンの花の小枝をささげ来てジュオン稚くわれを慕へり
川本は歌人にまつわるこのようなドラマを、資料を渉猟し丹念に読み解くことで浮かび上がらせるのだが、川本が一貫して採る態度は、このようにして明らかにした史実を短歌の読みと結びつけるということである。つまり史実自体を明るみに出すことが目的ではなく、ましてや過去の歌人の戦争責任を云々するためでもなく、残された短歌の読みをいっそう豊かにし、意味の陰翳を付与することによって、歌の背後にまで至ろうとしているのである。
このような川本の姿勢は第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」でも基本的には変わらない。第二章では、流行歌の歌詞と短歌の関係、加藤治郎のオノマトペ、仙波龍英、渡辺松男、河野裕子、社会詠などが論じられている。なかでは健康的な身体性の観点から取り上げられることの多い河野裕子の歌に、実は死や暗さを志向するものが多いことを明らかにした章や、ライトヴァースとひとくくりにされることのある仙波龍英の歌には重い主題が隠されていることを論じた章には、意味の表層に満足せず深層まで測鉛を降ろそうとする川本の態度がよく表れていると言えよう。
それにしてもなぜなのだろうと思うことがある。同じ「塔」に所属する松村正直の評論集『短歌は記憶する』(六花書林 2010年)も「戦争の記憶をめぐって」という章を設けて、短歌と戦争の関わりを論じている。完全な戦後世代で戦争の記憶などない川本と松村が、そろって短歌と先の大戦を中心的なテーマとするのはどうしてだろうか。
それはおそらく川本も松村も近代短歌を自己の創作基盤として選んだからではないだろうか。現代短歌ではなく近代短歌をである。この点が2001年の『短歌研究』創刊800号記念「うたう作品賞」や『短歌ヴァーサス』を舞台として登場した現代短歌の歌人たちとの分水嶺なのだ。後者の歌人たちは歴史意識を持たない。必然的に「時間を超える視線」もない。「今」があるだけだ。一方、近代短歌を出発点とした川本や松村は、その選択の結果として時間を遡行する視点を内在化せざるをえない。時間を遡行するとは歴史意識を持つことと同義であり、その先には先の大戦が控えているのである。
『深層との対話』をこのような文脈に置いてもう一度眺めてみると、新しい光が当たるように思う。