107:2005年6月 第2週 吉川宏志
または、微分された喩的照応は微細撮影のなかに

アヌビスはわがたましいを狩りに来よ
      トマトを囓る夜のふかさに

吉川宏志『青蝉』
 
 アヌビスは古代エジプトの神で死を司り、黒犬の姿で描かれることが多い。この歌で〈私〉はアヌビス神に「わがたましいを狩りに来よ」と呼び掛けている。つまり自ら死を願っていることになる。下句は一転して〈私〉がトマトを囓っているという日常的風景が歌われているがそれは表面的なことで、「夜のふかさに」の結句に沈み込むような沈思の世界が開けている。アヌビス神は真っ赤な首輪をしていて、それは歌の中の「トマト」の赤さと呼応する。黒犬の赤い首輪と、漆黒の夜にトマトの赤さ、上句と下句はともに、「黒・赤」という色彩のコントラストを基本に作られていて、なかなか技巧的な作品なのである。そして吉川宏志が技巧派であることは、誰もが知っていることだ。

 吉川は1969年 (昭和44年)生まれ。故郷宮崎の高校の先生に志垣澄幸がいて、吉川が京都大学文学部に進学するにあたり、永田和宏への紹介状を書いてもらったという。これを機に休眠中であった京大短歌会が復活し、梅内美華子・林和清島田幸典・前田康子らが参加して、京大短歌会のひとつの黄金時代を迎えることになる。当然のことながら「塔」短歌会に入会し、現在も編集委員を務めている。第一歌集『青蝉』(1995年、現代歌人協会賞)、第二歌集『夜光』(2000年、ながらみ現代短歌賞)、第三歌集『海雨』(2005年)がある。

 私が初めて吉川の短歌を読んだのは『新星十人』(立風書房1998年)という10人の歌人を集めたアンソロジーだった。短歌を読み始めたばかりの私には、吉川の短歌は正直言って「とても地味」なものとしか映らなかった。それもそのはずである。『新星十人』には、荻原裕幸(1962生)、加藤治郎(1959生)、紀野恵(1965生)、坂井修一(1958生)、辰巳泰子(1966生)、林あまり(1963生)、穂村弘(1962生)、水原紫苑(1959生)、米川千嘉子(1959生)といった個性豊かな面々が顔を揃えていたのである。この顔ぶれの中で目立つのは容易なことではない。しかも吉川は最年少で第一歌集を出したばかりである。『新星十人』には「現代短歌ニューウェイブ」という副題が冠せられていて、ライトヴァースや記号短歌など表現上の新しさを感じさせる他の歌人と並んだとき、吉川の一見地味な短歌はあまり「ニューウェイブ」という印象を与えない。むしろ古風な近代短歌と言ってもいいくらいである。しかし第三歌集『海雨』と前後して、邑書林のセレクション歌人シリーズから『吉川宏志集』が刊行されたのを期に、今回すべてを通読して吉川の歌人としての実力を改めて感じることができた。

 「塔」短歌会は1954年に高安国世を中心に発足した結社であり、高安はもともとアララギ派の歌人であったから、「塔」短歌会も写実を作歌の基本とするアララギの流れを汲んでいる。この意味でも吉川は「塔」の本流を行く歌人と言ってよい。吉川のように手堅く隙のない短歌を作る人は、とても批評しにくい。こういう時にはキーワードで攻めるにかぎる。私が考えたのは「一字空けの人」というキーワードである。

 セレクション歌人シリーズ『吉川宏志集』に谷岡亜紀が吉川宏志論を書いているが、谷岡がまず注目したのは吉川の初期作品である。

 伯林(ベルリン)にルビふるごとき夜の雪 教室にまだきみは残れり

 ガリレオの鉄球木球ふたすじにわれと落ちゆくひとの欲しかり

 サルビアに埋もれた如雨露 二番目に好きな人へと君は変われり

 谷岡が着目しているのは上句と下句とがたがいに「像的喩」または「意味的喩」として機能する歌の姿である。叙景と叙情、事物と人事を上句と下句に配置し、そのあいだに喩的関係を組み立てるのは、吉川の師である永田和宏の「問と答の合わせ鏡」論のヴァリエーションであり、和歌・短歌の王道と言ってもよい。加えて「伯林にルビふるごとき」という直喩、「ガリレオの鉄球木球ふたすじに」というやや舌足らずな比喩は、直喩を作歌の基本に据える吉川の資質をすでによく示している。吉川が直喩をよく使うことはたびたび指摘されていることである。

 死亡者名簿の漢字の凹凸が噛みあうように隣り合いたり

 ガラス壺の砂糖粒子に埋もれゆくスプーンのごとく椅子にもたれる

 しばらくの静謐ののち裏返るミュージックテープは魚のごとしも

 炭酸のごとくさわだち梅が散るこの夕ぐれをきみもひとりか

 なぜ吉川は直喩を多用するのか。それは写実を基本とする作歌方法において、直喩は読者をハッとさせる一首の核となる発見を導くからである。永田和宏は評論集『喩と読者』で比喩論を展開し、「能動的喩」という概念を提唱している。「能動的喩」とは、すでにある比喩関係をなぞるものではなく、「世界が秘めている意味、潜在性として蔵している価値、それらを一回性のものとして剔抉してくれるような喩」である。要するに、それまで考えられなかったAとBの結びつきにより、読者が新しい発見をし、世界の認識を更新するような比喩ということだ。喩が成立するためには、「喩えるもの」と「喩えられるもの」とが分離されて提示される必要がある。そしてそのあいだに喩的緊張関係を作り出すために「一字空け」が効果的なのである。第一歌集『青蝉』には一字空けがかなり見られる。一字空けは句切れを作り出し、喩的関係を強調する。ただし吉川においては一字空けのない歌においても、句切れの鮮明さは際立っている。だから「一字空けの人」というキーワードは、「句切れの鮮明な人」というほどの意味と取っていただきたい。

 句切れのない文体を三枝昂之は「流れの文体」と呼んだことがある。吉田弥寿夫によると、句切れのない文体はモノローグ的であり、「集団から疎外された単独者の文体」なのだそうだ(『雁』4号)。たとえばすぐ頭に浮かぶのは次のような文体である。

 目のまえに浮くカナブンが虹をだし動かなくなるまでをみていた  伴風花

 ゆれているうすむらさきがこんなにもすべてのことをゆるしてくれる  今橋愛

 ここには何かを見て何かを感じ、また何かを感じては何かを見るという〈私〉と世界の往復運動がない。〈私〉と世界とがお互いを照らし出すという相互関係がない。それにかわって言いしれぬ孤独だけがある。このような文体から紡ぎ出される歌の世界には〈私〉だけがいて他に何もいない風景が広がっている。それは私たちの認識が、外的事物 (=世界)と知覚者 (=私) のあいだで展開する相互行為の織物としてできあがっているということを忘れているからだ。〈私〉とはその相互行為の織物の肌理として析出される何物かである。だから〈私〉と無関係な世界はなく、世界と無関係な〈私〉もない。それはどちらも語義矛盾である。このようなことを念頭に置きつつ「一字空けの人」吉川の歌を眺めると、「流れの文体」の歌の世界とのちがいが際立って感得される。

 ガラス戸にやもりの腹を押しつけて闇は水圧のごときを持ちぬ   『青蝉』

 似ていると思うは恋のはじめかなボート置場の春の雷(いかづち)

 夕闇にわずか遅れて灯りゆくひとつひとつが窓であること

 ひのくれは死者の挟みし栞紐いくすじも垂れ古書店しずか    『夜光』

 ふるさとで日ごとに出遭う夕まぐれ林のなかに縄梯子垂る

 あみだくじ描(か)かれし路地にあゆみ入る旅の土産の葡萄を提げて

 一首目、上句は室内からヤモリの白い腹を見た「叙景」であり、下句は外の闇に水圧のようなものを感じた観察者の〈私〉の想念である。景物の観察を契機として〈私〉の想念が生み出される。その機序を「問と答の合わせ鏡」の枠組みのなかに収めたこのような歌の短歌的完成度は極めて高いものと言わなくてはならない。二首目、今度は想念が先に来て叙景が下句に付けられており、全体として恋の予感を暗示する青春の歌となっている。三首目、上句「夕闇にわずか遅れて灯りゆく」に吉川らしい微細な発見が表現されていることに注意しよう。私たちは日暮れと同時に電灯を点すのではない。いつのまにかあたりが暗くなったことに気がついてから電灯を点すのだ。だから点灯は闇の訪れにわずかに遅れるのである。この「わずかな遅れ」を発見し表現するところに吉川の真骨頂がある。四首目、古本から栞紐が垂れているのは単なる観察であるが、それを「死者の挟みし」と感じたのは作者の主観である。それを薄暮の世界に配置したこの歌の静謐感は深い。五首目、吉川は故郷の宮崎に帰郷したときの歌をたくさん詠んでいるが、これはちょっと不思議な味わいの歌。林の中に垂れる縄梯子というのが不思議で忘れ難い。六首目、句切れは明確だがこの歌には上句・下句の喩的緊張関係はない。全体が〈私〉の行為の描写として描かれているのだが、ピントの合い方に手際が冴える。路地に子供が描いたものと思われるあみだくじが残っている。この狭い路地で幸運と不運との決定が偶然によって下されたのである。だからこの路地はもうふつうの路地ではない。〈私〉はそこに葡萄を下げて歩み入る。このごく日常的な光景のなかに神話的香りすらただよっている。

 吉川の歌を読んでいるとときどき、特殊なカメラを用いた微細撮影を見ているように感じられることがある。

 傘立ては竹刀置場に使われて同じ高さに鍔は触れあう    『青蝉』

 バグダッド夜襲を終えし機の窓に白人なれば顔のほの浮く

 中途より川に没する石段の、水面までは雪つもりおり

 円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる

 くだもの屋の台はかすかにかたむけり旅のゆうべの懶きときを  『夜光』

 竹刀の鍔が同じ高さに触れ合うというのは当たり前だが、言われてみてそうかと気づく。二首目は米軍空爆の模様を夜間撮影したTV映像を見て作ったものだろうが、ほの浮く白い顔に焦点が当たっている。三首目は水面までは雪が積もっているという小さな発見、四首目は金魚が水から出てはじめて濡れるという発見が歌の核となっている。五首目はもっと精妙で、旅行先で見た青果店の陳列台がわずかに傾いているというだけなのだが、この歌では「かすかに」がポイントであることは言うまでもない。

 『短歌研究』2005年4月号の作品季評で穂村弘が吉川の歌に触れ、「必ずどの歌にもポイントがあり、そういう詩的なポイントを作ろうという意識が高い」と述べている。穂村はさらに言い進んで、「どこかにポイントを作れば歌が成立すると思っているふしがあり」、「パーツを持って来て作るやり方にどこかニヒルな感じがする」と述べている。同席した一ノ関忠人と日高堯子は穂村の見方に賛成していない。私もあまりニヒルな感じはしないのだが、「どの歌にもポイントがある」というのはその通りであり、ポイント制で採点すると吉川の打率はかなりの高率になるだろう。

 さて、最新歌集の『海雨』だが、第一歌集・第二歌集で見られた鮮明な句切れは、『海雨』に至って逆に目立たなくなる。しかしそれは後退ではなく前進であり、喩的照応をさらに一層歌のなかに巧みに溶け込ませている。

 五階より見れば大きな日なたかな墓の透き間を人はあゆめり

 水のあるほうに曲がっていきやすい秋のひかりよ野紺菊咲く

 冬の日は器ばかりが目立つかな茶碗に藍の草なびくなり

 木のまわりだけが昨日の感じして合歓の花咲く川の向こうに

 うすあかきゆうぞらのなか引き算を繰り返しつつ消えてゆく鳥

 このような歌を読むと、吉川はもうピシッと決まる像的喩を組み立てることにあまり興味はなく、むしろ喩的照応をさらに微分して日常的叙景のなかに溶解させようとしているかのようである。ここまで来ると短歌の初心者にはその味わいを読み取ることがなかなか難しいかもしれない。その安定感と破綻のない文体にはますます磨きがかかっていて、おそらくプロのあいだでは評価の高い歌集になることはまちがいあるまい。