ゆうぐれ赤い鳥居を渡る
松村正直『駅へ』
処女歌集『駅へ』(ながらみ書房,2001年)の「あとがき」によれば、作者は22歳のときに「いろいろな町に住んでみたい」と思い、東京を離れて北海道から九州までフリーターをしながら転々と移り住んだという。放浪歌人の種田山頭火は乞食坊主となって各地を流浪したが、現代版の一所不住はフリーターという生き方を選ぶのである。収録された歌のなかには、しがらみのない一人暮しの自由さと淋しさが詠われている。しかし、ここには山頭火のような壮絶さや悲愴感はなく、あくまで淡々としている。
二年間暮らした町を出ていこう来た時と同じくらい他人か
温かな缶コーヒーも飲み終えてしまえば一度きりの関係
天井の広さすなわちこの部屋の広さ どこに何を置こうが
波音に眠れないのだ街灯が照らす私も私の影も
この歌集のいちばんの特徴は、ほぼ制作順に歌が並べられている点である。だから歌集を繙く読者は、作者の作歌態度と短歌技法の深化と同時に、作者をとりまく人間関係の変化もまた感じ取る仕掛けになっている。初めのうちは孤独の影が深かった歌の世界にも、少しずつ「他者」の匂いがするようになる。
君の手の形を残すおにぎりを頬張りたいと思う青空
ああ君の手はこんなに小さくてしゃけが二つとおかかが三つ
君がもうそこにはいないことだけを確かに告げて絵葉書が着く
やがて作者は「結婚しない・就職しない・定住しない」という誓いを破り、結婚することになる。ただし同居はしない結婚のようだ。まだ他者のいる世界に踏み込むことができないのである。
君の住む町の夜明けへ十二時間かけてフェリーで運ばれて行く
主食にはなりそうもない品々がままごとのように並ぶ食卓
ぼくたちやがて一緒に暮らすだろうそれがいつかと君は聞くけど
歌集の最後に近くなって、作者がなぜ意図的に一所不住の人生を選択したかが明かされるのだが、推理小説のネタばらしのようになるので、ここには書かない。一見すると気楽なフリーターという生き方を選んだ現代のどこにでもいる青年のように見えるが、実は心に重いものを抱えていたのだということが最後にわかる。
もういくつか気になった歌をあげておこう。
自転車が魚のように流れると町は不思議なゆうやみでした
ゆうぐれは行方不明の道ばたのくぼみに残る昼間の光
大地深く降り沈む雪軽さとは軽い重さのことでしかなく
夢かたり終えれば妙に寒々と梅酒の梅が露出している
歌集のなかには「ゆうぐれ」「ゆうやみ」の歌が目につく。孤独と寂寥を一日のうちで最も身に染みて感じる時間だからか。しかし、作者はそれもあくまでライトに淡々と詠うのである。平井弘、村木道彦らに始まり、俵万智の成功で燎原の火のごとく短歌界に拡がったライト・ヴァースは、放浪歌人の歌にもその影を落としているのである。