第115回 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

思い出を持たないうさぎにかけてやるトマトジュースをしぶきを立てて
               永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
 兎の記憶力がよいのかどうか私は知らない。しかし兎の顔を眺めていると、確かに思い出を持たないようにも思えて来る。「思い出を持たない」とは、永遠の現在を生きるということだ。瞬間を生きて、通過した瞬間は過去へと振り捨てるということである。兎にトマトジュースをかけるという行為に特に象徴的意味はない。白い兎の毛皮に真っ赤なトマトジュースが飛び散る視覚的映像が鮮烈だ。意味の深読みを拒絶する、もしくは深読みできないように歌を作る永井にしては、いろいろな意味を読み込める歌である。曰く、瞬間を生きる兎はバブル崩壊後の失われた20年を生きる低成長・省エネ若者の喩である、とか。しかしそれは永井の本意ではあるまい。ここではちゃんと修辞が用いられ、短歌として立派に成立しており、詩的世界の構築に成功していることだけを指摘しておこう。
 永井は1981年生まれだから、10歳でバブル経済が崩壊した1991年を迎え、2000年前後から作歌を始めている。まさにゼロ年代歌人である。学生短歌会の名門ワセタンこと早稲田短歌会の出身。2002年に北溟短歌賞の次席に選ばれている。正賞は今橋愛、もう一人の次席は石川美南。2005年の第3回歌葉新人賞では最終候補に残る。この年の受賞者は「卓球短歌カットマン」のしんくわ。『日本の中でたのしく暮らす』は永井の第一歌集で、Book Parkから歌葉叢書として刊行されている。北溟短歌賞の審査員は穂村弘と水原紫苑で、歌葉新人賞の審査員は加藤治郎・穂村弘・荻原裕幸だから、永井は一世代上のニューウエーヴ短歌世代に選ばれ見いだされた歌人と言える。しかしその歌風はニューウエーヴ短歌とは似ても似つかぬもので、そこに永井の独自性を見る。
 2000年の短歌研究社「うたう作品賞」以後、ゼロ年代の短歌シーンは、「棒立ちのポエジー」「修辞の武装解除」「一周回った修辞のリアリティー」という穂村の巧みな言い回しを一つの参照点として議論されることが多くなった。棒立ち短歌の代表格として永井の次のような歌が引かれることが多い。
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
 おおむね否定的な文脈で議論の対象になるのだが、方向性は大きく分けて2種類見られる。一つは作歌技法という観点から修辞の不在、もしくは稚拙さを批判する意見である。もう一つは低体温で内向きの世界観を批判する論調だ。どちらにせよ上の世代からは「トホホな歌」(島田修三)、「ゆるい歌」の代表格として否定的に見られがちな永井の短歌であるが、「レ・パピエ・シアン II」の2012年9月号が組んだ特集「若手歌人を読む」で大辻隆弘が永井を高く評価する論陣を張っていて注目される。
 大辻が評価する点は二つある。一つは永井の口語の選択である。あるシンボジウムで永井は自分が完全口語を用いて歌を作る理由を明快に説明したという。曰く、自分は口語・文語・外来語といった様々な言語をツールとして自由に選び取るという言語観を否定する。自分にとって言語とは自己の存在を規定している身体の延長であり、口語は「自分の生まれた国」であるという。また永井の作歌の原点には、ニューウエーヴ短歌の不自然な口語と文語の混在があるとも述べている。つまり永井の短歌のフラットともとれる口語表現は意識的に選択されたものなのである。
 大辻が永井を評価するもう一つのポイントは、助詞の「てにをは」を駆使する「てにをは派」だという側面である。大辻は「たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のままわたす」という歌を取り上げ、「君のために」ではなく「君のための」とするところに修辞を見て、それが微妙な解釈の揺らぎを生み出していると評価する。
 大辻のこのような指摘には頷くところもあるのだが、いささか「てにをは」に拘りすぎて、贔屓の引き倒しの観もなくはない。しかし永井の短歌は「修辞の武装解除」などではなく、短歌的修辞が用いられているという見方には同意したい。ではそれはどのような修辞なのだろうか。そしてなぜ上の世代から「ゆるい歌」と見られてしまうのだろうか。
終電を降りてきれいな思い出を抜けて気付けばああ積もりそう
日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち
コーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光
 品詞を体言と用言に分けると、永井の短歌には用言が多い。たとえば一首目には「降りる」「抜ける」「気付く」「積もる」と動詞が4つもある。また用言の連接も独特である。「降りて」「抜けて」や「ひろく」のように、テ形や連用形で次と繋いでいる。この語法から二つのことが帰結する。まず動詞は基本的に動作・行為を表し、時間的展開をその意味の中核とする。「降りて」「抜けて」「気付けば」の連続で時間が推移している。つまりここで表現されているのは「流れる時間の中を生きている〈私〉」であり、それは日々を暮らす私たちの基本的経験である。一般に動詞が多い短歌は批判される。動詞に内在する時間性が叙景を一幅の絵のように定着することを阻害するからである。永井が嫌うのは、まさにこの「一幅の絵のように定着する」無時間性の不自然さなのではなかろうか。そこに揺曳する「きめポーズ」、TV番組の表現を借りれば「ドヤ顔」を嫌っているのではないだろうか。ゼロ年代歌人の等身大の「リアル」感と相容れないのであろう。
 同じことは三首目にも言える。「コーヒーショップ」で始まり、私たちの視線は2階へと誘導される。するとそこには広い客席があり、次に窓へと導かれ、窓の外の駅の光へと誘われる。ここには動詞は一つもないが、視線誘導による時間の推移がやはり見られる。読者が感じるのは時間の中の移動の感覚であり、最終的に叙景として定着する風景は存在しない。永井の歌に修辞があるとすれば、それは用言の多用や巧みな視線の誘導によって、時間の中を生きている今の〈私〉を描いていることではないだろうか。
 用言の連接から帰結するもう一つの点は、知的再構築による因果の否定である。たとえば上に引いた一首目、「終電を降りて」と「きれいな思い出を抜けて」はテ形で繋がれているが、テ形は隣接関係を表すだけで因果関係を示さない。たとえば「私は朝食を食べて、家を出た」は単に二つの行為を並べただけである。従って次の「気付けば」も単に隣接しているだけである。「気付けば」自体もくせ者だ。「気付けばもう12時になっていた」では、気付いたことと12時であることに何の関係もない。だから次の「ああ積もりそう」は因果の連鎖から遊離した感慨なのである。同じように二首目の「日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち」でも、「日曜の夕方吉祥寺でおりて」までとそれ以下との間には、ただ隣り合って存在しているという隣接関係しかない。おまけにここには修辞の捻れまである。「日曜の夕方吉祥寺でおりて」と来れば、次には「○○した」と同一主語の行為が続くのが定石である。ところが実際には「そこにいるたくさんの若い人たち」という連体修飾句付きの体言が控えていてうまく連接しない。この修辞の捻れこそが永井の意図的な工夫なのである。
 なぜこのような作り方をするのか。それは上に述べた一つ目のポイントと同じように、「今を生きる〈私〉のリアル」を表現するためだろう。私たちがAという事象とBという事象に因果関係を認めるのは、コトが済んでから世界を知的に再構築するからである。たとえば、昨日私が寝坊していつも乗る電車に乗り損ね、会社に遅刻したとする。ホームへの階段を駆け上がっているときは、「どうか間に合ってくれ」ということしか考えていない。私たちの頭の中は、その時その時の時点で切実なことで一杯に占められているのがふつうだ。「寝坊したので遅刻した」という因果関係を考えるのは、後ほど時間の余裕ができて、世界のあり方を知的に再構築したときである。しかしそうやって再構築された世界は知的処理を経たものであり、その時点で私が生きていた世界ではない。このようなことではなかろうか。
 永井の歌集を通読していて気付く語法の一つに次のようなものがある。
バスタブに座って九九を覚えてる 遠くにデルタブルースが聞こえる
明け方の布団の中で息を吐く部屋の空気がわずかに動く
電車の音で電話の声が聞こえない 鉄橋の下、マンガをつかむ
 どれも上句と下句が「覚えてる」「聞こえる」のように動詞の終止形で終わっている。ここにも事象の並列があり、因果による世界の構造化は拒否されている。なぜか。事後の知的処理を拒否することによって、まさに私たちが生きる一瞬一瞬の生の有り様である「世界に投げ出された〈私〉」を表現することができるからではないか。そのように思われる。もしこの解釈が正しいとするならば、永井の歌は「棒立ち」などではなく、周到に作り込まれた歌だということになるだろう。
 修辞に関しては、多くの歌に微妙な歪みが施されていることにも注意したい。
春雨は窓を打ちつつこの本に何かがきっと書かれるだろう
まあまあと言い合いながら映画館を出てからしばらくして桜ある
水のりの匂いのようなものがする秋をスーツの人しかいない
 一首目では「春雨は窓を打ちつつ」で断絶があり、この後に続くべき句はどこかへ消えてしまっている。二首目は「桜ある」までは通常の話し言葉のつながり方で、その後が「喫茶店に入る」(字余りだが)ならわかるが、「桜ある」が異常である。三首目の「水のりの匂いのようなものがする」の最後を連体形と取ると、次の「秋を」まではうまくつながるが、その後で断絶している。これもおそらく意図的であり、永井の考えるリアルの一部なのだろう。
 永井の短歌には確かに修辞がある。その修辞のめざしているものが、近代短歌のセオリーとは方向が異なっているというだけだ。それにしてもそんなに有効射程の短いリアルでよいのかという疑問は残るだろう。その疑問に答えることができるのは作者だけしかいるまい。

第32回 『風通し』の歌人たち

 最近、若い歌人による同人誌が盛んに創刊されている。すでに6号を迎える「pool」は別として、「豊作」「[sai]」「町」「風通し」など目白押しである。共通する特徴は、結社・流派などにこだわらず、横断的に若い人たちが寄り集まって作っているところか。同人誌は若い人たちの切磋琢磨に格好の場であり、歓迎すべき傾向だろう。今回はその中から2008年11月創刊の「風通し」を取り上げてみたい。1号の同人は、我妻俊樹、石川美南、宇都宮敦、斎藤、故・笹井宏之、棚木恒寿、永井祐、西之原一貴、野口あや子。最年長の我妻が41歳、最年少の野口が22歳と年齢に幅があり、世代論で輪切りにできる構成ではない。あとがきの「説明しよう」によれば、「風通し」は1号ごとのメンバーで1号ごとに企画を立ち上げる「そのつど誌」とある。つまり固定メンバーによる同人誌ではなく、演劇の世界でいうブロジェクト方式なのだ。ということは次号の同人はがらりと顔ぶれが変わることもあり、縁起でもないことを言って恐縮だが、次号はもう出ないという可能性だってあるということだ。若人ならではの大胆さとエネルギーに脱帽しよう。おまけに創刊号の企画はなんと連作歌会なのだ。同人は30首の連作を提出し、インターネット掲示板で一ヶ月にわたる相互批評をしている。「みなさんもやってみるといいが、想像以上のやるんじゃなかったである」とあとがきにあるように、心身ともに相当大変だったことは想像に難くない。各人の個性が光る連作もおもしろいが、それ以上に興味深いのは相互批評の書き込みで、各人の短歌観とともに現在の短歌シーンが置かれている状況が如実にあぶり出されている。
 意欲的構成の連作という点で特筆に値するのは、何と言っても石川美南の「大熊猫夜間歩行」と斉斎藤の「人体の不思議展 (Ver.4.1)」だろう。両方とも大量の詞書を駆使した作品で、ここで何首か抜き出して批評することが不可能な構成になっている。石川の作品は、「四月三十日、上野動物園最後のジァイアント・パンダ、リンリンが死んだ。」という書き出しで始まり、一昨年の7月に起きたリンリン脱走事件という架空の物語を、詞書と短歌で織り上げたものである。短歌だけを部分的に抜き出してみる。
異界より取り寄せたきは氷いちご氷いかづち氷よいづこ
目を閉ぢて開ければ宙に浮かびゐる正岡子規記念球場しづか
枝豆のさや愛でながら〈パンダの尾は白か黒か〉についての議論
夏の夜のわれらうつくし目の下に隈をたたへてほほえみあへば
街灯の赤きを浴びて思ひ出す懐かしいメキシコの友だち
手を振つてもらへたんだね良かつたねもう仰向きに眠れるんだね
真夜中の桟橋に立ちやさしげな獣に顔を噛まれたること
 上野公園を脱走してから、アメ横を通り御徒町を過ぎて、ヨドバシカメラの角を曲がり、万世橋から竹芝桟橋までの夜間歩行の行程を、石川は自分で歩いて確かめてみたそうだ。目撃証言を詞書として挟み、連作もこの行程をたどって進行する。最初は新聞報道のように始まり、酔漢の証言や学生のコンパの場面によって徐々に情景が具体性を増し、終盤に至って作中の〈私〉がパンダに優しく顔を噛まれるという場面で、一連の事件の意味を自ら引き受けるという構成は圧巻で、不覚にも涙したほどだ。最後の歌を除いて歌にパンダが登場せず、目撃証言とそれに遠く近く寄り添う歌という構成を取り、終始パンダを不在の対象として描くことによって、連作全体に神話的雰囲気を漂わせることに成功している。思えばすでに第一歌集『砂の降る教室』所収の快作「完全茸狩りマニュアル」などで、「世界を異化する視線」を駆使していた石川であるが、ここへ来てその才能はますます発揮されているようだ。
 連作批評では2点に議論が集まっている。歌の背後に想定される発話主体が、リンリンなのか目撃者なのか、それとも最後に登場する作中の〈私〉なのかよくわからないという点と、詞書が多すぎて「歌をストーリーに捧げてしまっている」(野口)という意見である。前者については、発話主体の未分化な感じは、「近代的リアリズムとべっこ(ママ)のより始原的なリアリズムを立ち上げようとしている」という宇都宮の分析はやや先走り過ぎの感があるが、確かに近代短歌の〈私〉ではない発話主体として読んで抵抗を感じない。後者については、「『プライベートな個別な私』の感情からの離脱」であり、「一首の背景に『特殊な顔の私』を代入しない」ことが物語のなかに歌を作る意義だとする棚木の意見が、発話主体の未分化性の議論とからむ形で印象に残る。棚木の意見にたいして、「『プライベートな個別な私』しか書けない私にとっては、そんな姿勢に歯がゆさを感じてしまう」という野口の反論に、はしなくも野口の作歌姿勢が露呈しているところが興味深い。
 我妻の指摘するように、物語作家としての作者の資質が存分に発揮された作品であることはまちがいないが、心配な点もある。この作品の延長で石川が散文の世界に行ってしまうのではないかという心配である。もしそうすると「みんな散文に行っちまう。」(大辻隆弘『時の基底』)ということになり、困った事態となる。ぜひ短歌の世界に留まってほしい。
 斉斎藤の「人体の不思議展 (Ver.4.1)」は、本物の死体を様々に標本展示して話題になった展覧会の見聞記という体裁を取っており、石川作品以上に大量の詞書を用いている。こうなると詞書の方が作品の骨格で、歌はその所々に挿入されている感すらある。詞書は、「いらっしゃいませ(カチカチ)」のような現場レポート風のもの、「プラストミック標本の作製法」という展覧会の目録からの引用、「悪いことして死んだヤツとかじゃない」「な」という観覧者の会話などから成る。特におもしろいのは、次のように詞書と歌とが連続して地続きになっている構成である。
 「おそらくこれは、標本になってからの凹みでしょう、
中国から来たものでわかりませんが、立ててたんでしょう針金か何かで」

また一歩記憶になってゆく道にわたしは見たいものを見ていた
 のだろうか。
 (詞書さらに続く)
 斉藤は極めて自覚的な演出者なので、歌と詞書のこのような関係性を意図的に構成したものと考えられる。歌をいくつか引く。
「アセトンに漬けたろか」的なツッコミが嫁とのあいだで流行る四、五日
たましいの抜けきらぬ今しばらくは人目に触れる旅をかさねる
腹が立つ、臆面もなく腹は立ちわたしを駆けめぐるぬるい水
死因の一位が老衰になる夕暮れにイチローが打つきれいな当たり
どのレジに並ぼうかいいえ眠りに落ちるのは順番ではない
 さらにいまひとつの仕掛けは、〈私〉が見た新生児の輪切り標本をもう一度見に行くと会場に見あたらず、係員にたずねてもそんな展示はないと言われ、嫁にたずねてもよく覚えていないと言われたというエビソードである。これまた作品中に虚空間を作るべく斉藤が連作に施した周到な仕掛けであることは言うまでもない。
 批評では、詞書が主になり歌が従になっている構成への疑問や、人体をここまで見せ物にしてよいのかという倫理観や死生観の反省といった主題性の突出をどう評価するかに議論が集中している。「いろんなことを考えるいいきっかけにしたいぼくらはよいこに並ぶ」という連作冒頭の歌からして、「展示方法にご批判もありましょうが、これを生死や献体の問題などを考えるきっかけにしていただければ」的な主催者側の理屈を逆手に取っているのだから、斉藤のスタンスは二重三重に捻れていて一筋縄ではいかない。同人たちもこの点をどう評価してよいのか決めあぐねている感がある。方法論的には、「斉藤さんの作品の特徴として、すでに世の中にカタマリ化して流通している言葉を定型の中に頻繁に引用する」というのがあり、そうすることで「定型のはたらきを失調させる」とする我妻の指摘にうなずく。同時にカタマリ化して流通している言葉を嵌め込むことで、定型の存在をいっそう意識させる点に斉藤の戦略があるのではないかとも思う。斉藤は近代短歌という制度をあぶり出したいのである。
 斉斎藤は一度本格的に論じてみたくなる歌人だが、まだ誰もその本質を剔抉することに成功していないように思える。それは斉藤と短歌の関係が、すぐさま見極められないように周到に韜晦の煙幕に隠されているからである。「人体の不思議展 (Ver.4.1)」もそのうな地点から放たれた変化球なので、評価は様々だろうが問題作であることはまちがいない。同人たちによる掲示板への書き込みの量が、それを雄弁に語っている。
 残りの連作については短評に留める。
けむりにも目鼻がある春の或る日のくだものかごに混ぜた地球儀 
                       我妻俊樹「案山子!」
歯みがきは過去のどこかに始まっていつかは消える 人より早く
片方のサンダルだけがリボンになってほどけて終わる花道をゆく

さびしさの音の粒さえみえそうな夜もわたしはどうせまるがお
              宇都宮敦「昨晩、君は夜釣りへいった」
はなうたをきかせてくれるあおむけの心に降るのは真夏の光
まちがった明るさのなか 冬 君が君の笑顔を恥じないように

手品師が手に品をのせやってくる 冬の日曜日の午後三時
                  笹井宏之「ななしがはら遊民」
太刀魚を夜のシンクに横たえてなんだかよくわからないが泣いた
みぞれ みぞれ みずから鳥を吐く夜にひとときの祭りがおとずれる

こころのことを語れぬほどに暗かった二次会の店 朝に思えば
                       棚木恒寿「秋の深度」
わが内を流るる河に沈みしは鉄の斧なりすでに光らず
近道、裏道ふやしてゆけぬわが性質(たち)をふかく感じて今朝の通勤

一年は六月のまだ一日でパスタのあとにパイの実を食う
                永井祐「ぼくの人生はおもしろい」
コーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光
去年の花見のこと覚えてるスニーカーの土の踏み心地を覚えてる

海を見ぬ日々が私を造りゆく缶のキリンを凹ませながら
                      西之原一貫「夏の嵩」
にわか雨過ぎたる昼のデスクにて加へられし朱の嵩を見てをり
来ぬものをあの日のわれは待ちながら埃の雨のなかに立ちけり

くろぶちのめがねのおとこともてあそぶテニスボールのけばけばの昼 
               野口あや子「学籍番号は20109BRU」
野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
小説を見せろとじりじり詰め寄れば燕のごとく飛び立つおとこ
 我妻と宇都宮はともに無所属の歌人で、宇都宮は第4回歌葉新人賞次席になっている。早稲田短歌会出身の永井祐も加えてこの三人は、完璧にニューウェーブ以後の短歌シーンの空気を当然のものとして呼吸している人たちである。そんななかに、「音」「京大短歌会」出身で第一歌集『天の腕』を持つ棚木と、「京大短歌会」「塔」の西之原が混ざると非常に奇異な感じを与える。棚木と西之原は文語定型に則り、近代短歌の作りと読みのコードを前提としている歌人で、手堅い作りの抒情歌は安心して読める。一方、我妻・宇都宮・永井の作品は、いったいどのようなコードで読んだらよいのかわからない。そもそもコードの存在自体を否定しているのかもしれない。もしそうなら究極の一回性の文芸ということになる。
 我妻が棚木の作品について次のように評している。「作中人物が歌に収まる姿勢のようなものが気になる」、「カメラ目線とまでは行かなくても、カメラ=短歌のフレームを作中人物が意識している」、「そのような向き合い方でフレームに接していることへの疑いのなさ」が問題だというのである。我妻も宇都宮もなかなかの論客であることを相互批評で示しているが、ここは斉藤に解説をお願いしよう。斉藤は『短歌ヴァーサス』11号に、「生きるは人生とちがう」という文章を書いている。そのなかで、「私は身長178cmである」というときの「私」を客体用法、「私は歯が痛い」というときの用法を主体用法と区別し、短歌の〈私〉は両者の複合体であるという。この事情を次の歌を引いて分析している。
飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井隆
 上句は〈私〉、下句は「岡井隆」であるという。敷延すれば、「飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆく」は主体用法の〈私〉の目に映った風景である。一方、「いま紛れなき男のこころ」は自分を客体視した客体用法である。このように近代短歌の手法は、「作中主体が見ている風景を、作中主体の(人生の翳りを帯びた)背中をも構図にふくめ、ななめうしろから撮る」ことだと斉藤は言う。つまり〈私〉が映り込んだ情景を、〈私〉込みで斜め上方から切り取る視線が近代短歌の視線なのである。我妻の「カメラ=短歌のフレーム」はこのことを指している。そして〈私〉がいけしゃあしゃあと映り込んでいる風景が我慢ならないと言っているのである。我妻の発言は近代短歌の作歌と読みのコードをまるごと否定することに他ならない。
 では我妻らが肯定するコードとは何か。ここでもまた斉藤に頼ることになるが、同じ「生きるは人生とちがう」のなかで宇都宮の発言が紹介されている。
「『ふつう』の反対って『特別』とかじゃないですか。で、なんていうのかな、『特別』っていうことを声高に叫んでも、特別にならないような気がしてて。(…) そういう風の特別さって感じじゃ特別にならないと思うんです。ふつうに存在してるていうことの特別さっていう。自分のいる空間に他の人は立てないわけじゃないですか、ぜったい。っていう風な意味での特別さっていうものを書いてるんで」(宇都宮敦ロングインタビュー、永井祐HPより)
 異常だとか特殊な能力があるとか特異な体験をしたという「特別さ」を排除し、ここにふつうに生きているという「かけがえのなさ」をこそ「特別」と見なすわけだ。これはひとつの価値観なので、それはそれでよい。問題はその価値観からどのような作歌と読みのコードが導かれるかである。実作を読む限り、そこに近代短歌のコードに取って代わるコードを見いだすことは難しい。しかし、「『短歌のひと』特有のポーズの決め方に私も長々と葛藤していた」という野口の発言や、「短歌的な『私』がア・プリオリには成立しないという理屈、というよりは感覚が、『風通し』に参加されている皆さんの世代では身体化されているのだろうということもひしひしと感じています」という近代短歌サイドの西之原の発言を見ると、近代短歌の「斜め後方からの視線」は若い人たちには嘘くさいポーズと感じられているようだ。近代短歌側としては、これは是非考えなくてはならない問題だろう。もしこの感覚が燎原の火のごとく広まれば、近代短歌は死滅するからである。
 永井らの歌の読み方について、「永井さんの歌はロックだなあと思いながら僕は読んでいます (あるいはロックだなあと思いながら読むとおもしろいと思っている)」と宇都宮は発言している。ロックだなあというのは、「本当のことを歌いに来たんだぜ」とか「負けねえよ」とかいう意味だ。忌野清志郎とか尾崎豊を思い浮かべておけばそう遠くはなかろう。そうか、そう言われてみれば、「噴水の音がうるさくなってくる 話していると夕方になる」(永井祐)という歌なんて、音を当てればそのままロックの歌詞になりそうだ。しかしそれは短歌とは別物である。
 相互批評を読んでいて仰天したのは、「私は自分が歌人であるはずがないと思っている」という野口の発言である。というのも4月20日付の橄欖追放で、「青春の心拍として一粒のカシスドロップ白地図に置く」という野口の歌を引き、「カシスドロップは短歌の喩で、この歌は歌人としての野口の覚悟の表明と読みたい」と私は書いたのだが、これでは完全な読み違いということになってしまうからだ。これは困る。だから野口の発言を、「自分はまだ歌人だと胸を張って言えるほどのレベルには達していない」という自己認識の表明と勝手に解釈しておくことにしよう。野口の歌についての「短歌は気合いだ」という発言にうなずく。また歌ではなくその背後にいる作者に感情移入して読んでしまうことを「作者萌え」と同人たちは表現しているが、なかなか便利な言葉である。どこかで使わせてもらうことにしよう。
 「風通し」はこのように気鋭の若手歌人たちによる刺激的な同人誌である。通読するのにものすごく時間がかかったが、それは内包されている問題量の嵩の多さに由来する。近いうちにぜひ2号の刊行を期待したい。