135:2005年12月 第3週 山下 泉
または、ゆるやかに詩へと接続する硬質の抒情

モルヒネに触れたる手紙読むときに
        窓の湛える水仙光よ

         山下泉『光の引用』
 新しく出た歌集を取り寄せて繙くのは,実に楽しいひと時だ。どんな世界が私を迎えてくれるかという期待に胸が膨らむ。いつでもそうだが,読み始めて歌の世界に入るには,いささかの時間を要する。最初はどの波長で歌を読み解けばよいかがわからず,頭のなかの周波数を調整するダイヤルをあちこち回す。そのうちこの波長で受け取ればよいのだとわかる。ここまでに要する時間は,歌人によって,また歌集によって大きく異なる。山下泉の『光の引用』の場合は,やや長くかかる方だろう。それは山下の歌の世界が実に静かな世界であり,声高に叫んだりこれ見よがしに旗を振ったりしないからである。喩えて言えば,がらんとした部屋のなかに椅子が一脚と壁に立てかけた梯子があり,窓から光が射し込んでいる,そんな感じだ。私の好きな画家の有元利夫の静謐な世界とどこか通じるところがある。

 さて掲出歌だが,冒頭の「モルヒネに触れたる手紙」には相当な詩的圧縮がかかっている。モルヒネは阿片から抽出される麻薬だが,現在では末期ガンなどの激痛緩和に医療用として用いられている。この文脈で読み解けば,「末期ガンに冒されている人からの手紙」と解することができる。しかしただそれだけではなく,手紙がモルヒネに触れたという認識が膨らんで,手紙自体がふつうの日常を送る人が触ってはならないものという禁忌の意識もかすかに感じられる。一方,「水仙光」という詩的造語からは,水仙の湛える光,または水仙に降り注ぐ光という透明で明るいイメージが立ち昇る。その光は明るいながらも沈痛な影を宿しているようにも見える。

 作者の山下泉については,歌集あとがきに書いてある以上のことは知らない。中学生の頃から短歌を作っていたが,リルケの詩に惹かれて大学ではドイツ文学科に学び,高安国世氏に出会って「塔」に入会している。収録された歌のなかには浜田到の名がある。高安国世,リルケ,浜田到と並べてみると,山下が青春期にどのような文学に傾倒していたかがよくわかる。『光の引用』は山下の第一歌集であり,今年2005年の現代歌人集会賞を受賞している。朝日新聞の文芸欄で,高橋睦郎が今年度の収穫として池田澄子の句集『たましいの話』と並べて『光の引用』をあげていた。この歌集についての反響はまだ少ないが,硬質な抒情を湛えたその短歌世界と修辞の冴えによって高く評価される歌集として人々の記憶に残るだろう。

 山下の短歌世界をひと言で表現するのは難しいが,「現代詩と短歌の融合を夢見る人は多いが,うまくいった例は多くない。『光の引用』にはその幸福な例がいくつもある」という山田富士郎の栞に寄せた文章が手掛かりになるだろう。自身詩人であり短歌も俳句も作る高橋睦郎が今年度の収穫として評価したのも,その点に着目してのことにちがいない。山下の歌は基本的には文語と口語を取り混ぜた定型なのだが,定型短歌という形式そのものに限界まで負荷をかけることによって,伝統的詩型としての短歌を新たな表現の器として生まれ変わらせようとした前衛短歌のような志向はなく,むしろ定型意識の手綱を緩めることで現代詩とのなだらかな接続を試みようとする位置取りが感じられる。例えば次のような歌である。

 耳はただ水音もとめ透きとおる斜めに海に抱かれるごとく

 遠き夜を手繰れば揺れる魚と蝶くぐりきし水まとえる光

 日ざしにねむる明るい葡萄の内側をしずかにくだる車輪になりて

 夕闇を少し砕きて呑みこめば尾に光浮き撫でる掌がある

 明るい病室のような秋の日に町じゅうの金木犀銀木犀が散る

 日常の〈現実〉からの素材の借用は最低限にまで縮減され,選び抜かれたコトバがクリスタルグラスが密やかに触れ合うような静かな音を立てている。おそらく山下のなかには短歌によって自己の〈現実〉を逆照射するというような意図はない。コトバが作者の〈現実〉と〈世界〉を暴くためにそれらへと送り返されることなく,隣り合った別のコトバと触れ合って涼やかな響きを立てる。その音が響くのは現実の空間ではなく,永田和宏が言うところの「虚の空間」であり,山下はその虚の空間に詩的な軌跡を描くことをひたすら目差していると思えるのである。

 このようなスタンスを採るとき,歌はどのような構造として立ち顕れるか。一首目の上句「耳はただ水音もとめ透きとおる」は,歌の背後の〈私〉が水の音を求める飢餓感を堤喩表現により表わしているが,下句「斜めに海に抱かれるごとく」はその希求を直喩的に表現したものでありながら,上句の表わす欲求をそれ以上具体化する作用をほとんど持たない。一首は海の波にたゆたうように流れ,読後にはただ澄んだ印象だけが残される。そのような作りになっている。

 吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』において,「短歌的喩」という概念を提案したことはよく知られている。

 たちまちにして君の姿を霧とざし 或る楽章をわれは思ひき  近藤芳美

 この歌では上句が「像的な喩」として下句の意味を導くイメージを喚起し,同時に下句は「意味的喩」として上句の心像を支えている。上句と下句の互いに照らし合う反照関係が一首のなかに緊張感を生み出すとともに,読者のなかに像的イメージと意味とを有機的に関連するものとして送り届ける,そのような構造になっている。しかるに,山下の短歌はこのような構造を持たない。上にあげた四首目を例に取ると,上句「夕闇を少し砕きて呑みこめば」をすでに詩的圧縮はあるが何かの現実的動作と解釈しても,下句「尾に光浮き撫でる掌がある」が果して何かの喩なのかそれとも上句に喚起された幻想なのか判然としない。だから「扉を閉じて眸も閉じてあなたから輪郭を消す炎(ひ)を消すように」という歌を次のように改行して書くと,それとほとんど現代詩なのである。

 扉を閉じて
 眸も閉じて
 あなたから輪郭を消す
 炎を消すように

 上句と下句とが「短歌的喩」によって反照し合う構造は,鋭い緊張関係によって一首の意味を屹立させようとする表現意図に対応する。たとえば三枝昂之の『水の覇権』の次のような歌をその例として見ることもできよう。一首から立ち上がる心像とそれに支えられた意味は鮮烈である。

 誰れの志(こころ)を裁ちてひかりて落ちたるとあした畳に咲く冬の針

 山下の短歌に「短歌的喩」を弾機として上句と下句の反照関係を押し上げる構造がないということは,作者自身が一首の〈意味の屹立〉を目差していないということなのである。このようなスタンスは山下をもう一歩現代詩の地平へと接続させることになる。

 山下の短歌を読んでいて他に気づくことは,三句切れの歌が多く,二句切れがほとんどないことである。塚本邦雄は自分の歌の特徴として,初句に字余りが多いこと,二句切れが多いこと,結句に字足らずが多いことをあげたことがある。これは「俳句から逃れたい」という思いと,「上句への付け句に過ぎない下句を避けたい」という思いから出たものだとも述べている。塚本発言の文脈で眺めてみると,山下の上三句は俳句として読むことができるものが少なくない。

 1) 病廊は病巣のごとく野にうねる
 2) 水の髪そぞろに長き渡し舟
 3) 海に向くテーブルを恋う姉妹いて
 4) 裏梅を見にゆく旅の春の縁
 5) 胸の樹の小枝にかかる巣箱あり

 1) 羽曳野という古き解剖台
 2) 積み荷なる吾が髪はこび去る
 3) 一人はリュート一人は木霊
 4) 父やわらかく物を問う声
 5) 青葉の笛の鳥の音ぞする

 上の1)~5)が上句,下の1)~5)がそれに続く下句である。もちろんこれは,下句が上句への単なる付け句になっているという意味ではない。山下の修辞が,倒置法・転倒法・句割れ・句跨りなどの技法を駆使して短歌文体の革新へと向かうベクトルを内包するものではなく,むしろ叙法自体は古典的と言ってもよく,その修辞の苦心が主として語彙の連接と詩的圧縮によるイメージの喚起へと向かっていることを述べたいだけである。現代の短歌シーンでこのようなスタンスで作歌している人はあまり多くない。かつての中山明小林久美子松原未知子,それから早坂類あたりにわずかに似た傾向を感じるのみである。

 山下の詩的圧縮が遺憾なく発揮された歌をあげてみよう。

 夏の家の水栓とざし帰るとき魚鱗もつ水息ひとつ吐く

 やわらかき朴の木片削る子の手暗がり過ぐ夏の夜の櫨は

 雨を飼う白き部屋なりいまきみの舟形の靴が帰りつきしは

 兄の死の細き夕ぐれ街すべて鐘楼となる水の倒影

 ひらくほどに黙(もだ)ふかくなる梅園の光の底に足は届かず

 三つ編みは昏き蔓草 昼を編みほのかに垂れる夜のうちがわ

 一首目の「魚鱗もつ水」,二首目の「夏の夜の櫨」,三首目の「雨を飼う白き部屋」,四首目の「兄の死の細き夕ぐれ」といった語法に従来の短歌とは少し趣の異なる圧縮の掛け方があり,この辺りにいわゆる短歌的抒情とは微妙に質の異なる詩精神を感じてしまうのである。また五首目の「梅園の光の底」,六首目の「ほのかに垂れる夜のうちがわ」などには遠くリルケが感じられる。もっともリルケでは梅園ではなく薔薇園だが。

 栞に文章を寄せた河野裕子によれば,山下は寡黙な人だという。そうだろうと納得できる。饒舌からほど遠いこの歌集の啓く世界には静かな光が満ち満ちている。その光を浴びて歌集の世界の中を歩くとき,静かな喜びに充たされる。この歌集と出会えた人は喜ぶべきである。