第108回 山下泉『海の額と夜の頬』

ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
              山下泉『海の額と夜の頬』
 世評高かった『光の引用』に続く山下の第二歌集が今月ようやく出版された。『光の引用』が2005年だから7年間の歌が収録されている。版元は同じ砂子屋書房で体裁や造本はほぼ同じなのだが、違いが2点ある。第一歌集では縦書きだった歌集題名が横書きになっている。また第一歌集では1行を20字に固定した版組なので、長い歌は改行されて2行になる。ところが本書はその方式をやめて、すべての歌を1行に収めるように組まれている。これで読むときの印象がずいぶん違ってくる。個人の好みの問題かもしれないが、私には第一歌集の版組の方が好ましく感じられる。1行20字なので字間が空いており、行の高さが揃っているので整然とした印象がある。また読んでいて一首の読字時間にも差が出るように感じるのである。
 山下の歌人としての資質については『光の引用』を取り上げたコラムで述べたので、ここでは繰り返さない。第二歌集を読んで受ける印象も同じであり、大きな変化はない。しかし小さな変化はある。それについて述べようと考えているのだが、どうも考えがうまくまとまらない。その原因は那辺にありやと愚考するに、どうもそれは山下の短歌の捉えにくさに由来するのではないかと思い当たった。山下の短歌を論じた文章を私はあまり知らないが、山田航の「トナカイ語研究日誌129」では、山下の短歌は「残酷な童話」のようであり、「終わらない子供時代への憧れ」ゆえに「奇想的な世界観」を展開しているとされている。また山下は病院と画廊をよく歌に登場させるが、それをつなぐキーワードは「廊」であり、うねうねと続く無時間的な廊の迷路に読者を誘っていると続く。山田の文章を読んで、同じ短歌でも人によって受け取り方がずいぶん違うものだと驚いた。
 前のコラムにも書いたことだが、山下の歌の特質は、ドイツ文学、特にリルケへの傾倒に由来する選ばれた言葉による硬質な抒情と、現代詩へのゆるやかな接続を意識した語法にある。それが「遠き夜を手繰れば揺れる魚と蝶くぐりきし水まとえる光」のように高度に象徴的で詩的圧縮を伴う歌となって現れる。
 第一歌集との違いは、この象徴主義的語法がやや薄れ、それに比例して第一歌集ではほとんど姿を見せなかった〈私〉が顔を出す歌が増えているという点である。象徴主義的語法が薄れたせいで歌はわかりやすくなったが、その反面、第一歌集のどのページにも漲っていた浜田到ばりの天上的もしくは天使的な高踏性が薄れている。たとえば次のような風である。
うすやみに鬱金の大きな葉が揺れて、ずっと怒っていたと気づけり
鮮明に声をつかえばいつまでも父の微笑のただよう木陰
弟と話がしたい昼の底の白パンの影にさわったときは
 意図して選んだ訳ではないが、前歌集よりも口語性の強い歌が増えているようだ。〈私〉だけではなく家族も歌に登場する。そして歌の中では父君は歯科医師であったこと、弟はヘビの研究のためにインドに行く学者らしいことなども語られている。父君が病を得て亡くなられたことも、母君が介護が必要なことも、淡彩画のように描かれる。作者の歌風の変化にはこのような実生活上の大きな出来事が反映しているのかもしれない。
父の遺品にピンセット欲る人ありぬ入り日を受けて光るであろう
仏壇にあいさつをして弟はケーララへ行く蛇を調べに
父の骨は母屋をいでて墓に入り墓は宇宙の家居となりつ
茶臼山まで歩かんと誘いしがみなし子のごと母はほの昏し
目蓋から煙のように逃げてゆくかなしみは朝の奥の夕暮れ
 とはいえ伝統的な近代短歌よりは現代詩に近い言語感覚が随所に見られることは前歌集と変わらない。それは語彙の選択に表れていて、私が殊に感じ入ったのは「プルキニェ現象」と「単舎利別」という言葉である。プルキニェ現象とは、チェコの生理学者ヤン・プルキニェが発見した現象で、日中は赤色が目立って見え、夕暮れになると青色が目立つという視覚感度のずれを言う。連作の題名で歌に詠まれてはいないが、「身の粉を混ぜてつくった彫像はゆうぐれ青く目があくだろう」という連作中の歌に木霊している。単舎利別は薬剤師の用語で、白砂糖の水溶液のことらしい。「シロップよ単舎利別よ消すものは悪ではなくて悪意の欠片」という歌に登場する。いずれも色に関係しており、青と白と透明は山下の歌にはよく登場する色であり、山下の短歌世界の重要な構成要素である。
 歌集からいくつか歌を引いてみよう。
松原のとがる夜更けをわたりゆく月の光にひらく腐刻画
細密な光を浴びているのだろう子供の声のなかの地下鉄
貝寄せの風にととのう砂浜の海の額をつつしみ踏めり
迎えにゆく舟のありなん栴檀の花咲き出でて深き目蔭に
ひとりずつ暮らしていたりマグノリアの花のすきまの夜の青さに
ひったりと田に水が入り月に灯が入りて明るき夕べとなりぬ
 山下の短歌には季語があるわけではないが季節が感じられるものが多い。一首目、松原に月なら月が冴える秋が相応しかろう。腐刻画はエッチングのことだから色はなく、明度の異なる黒のみの風景である。二首目、「細密な光」というのも山下語のひとつ。晩夏になり夏の湿度が下がると、物が細部までくっきり見える魔術的な時間が訪れることがあるが、そんな光を思わせる。「子供の声のなかの地下鉄」という表現に詩的転倒がある。三首目、「貝寄せの風」とは3月下旬に吹く西風。大阪の住吉海岸に吹く風で浜辺に吹き寄せられた貝殻を集めて造花を作って四天王寺に献納したという。これは立派に俳句の春の季語となっている。四首目、栴檀の花は春に咲くのでこれも春の光景。なぜ上句に舟が登場するのかはわからないが、この歌は美しい歌である。五首目、マグノリアは木蓮のことだから、これも花が咲くのは春である。三句以下に注目しよう。「マグノリアの花のすきまの夜の青さに」には「名詞+の」が4回出て来る。これは山下の好みの語法のようで、よく使われている。助詞の「の」で結ばれた名詞から名詞へと移るのは、啄木の「東海の小島の磯の白砂に」のように焦点を絞り込んでゆく効果があるのだが、山下の場合必ずしもそうではなく、用いられる名詞の意味の位相が異なるため、名詞を辿って行くといつのまにか具体から抽象へ、現実から思念へと誘われるかのごとくである。
 ここでもう一度掲出歌に戻ってみよう。
ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
 ホネガイとはまるで魚の骨のような棘条の突起を持つ貝で、古代フェニキアでは貝紫の原料として用いられた。形が美しいので置物として窓辺に置かれているのだろう。「ホネガイの影ひらきゆく」は日が暮れて貝の影が伸びる様で、時間の経過を表している。その様が水差しを傾けて零れた水が広がる様子に喩えられている。ホネガイは貝紫の原料なので、この歌の裏側には紫色が潜んでおり、それは迫り来る夕闇の紫と見事に呼応している。色彩と時間とが緊密な語法で詠み込まれていて美しい。山下の真骨頂はこのような歌にあると思われる。

135:2005年12月 第3週 山下 泉
または、ゆるやかに詩へと接続する硬質の抒情

モルヒネに触れたる手紙読むときに
        窓の湛える水仙光よ

         山下泉『光の引用』
 新しく出た歌集を取り寄せて繙くのは,実に楽しいひと時だ。どんな世界が私を迎えてくれるかという期待に胸が膨らむ。いつでもそうだが,読み始めて歌の世界に入るには,いささかの時間を要する。最初はどの波長で歌を読み解けばよいかがわからず,頭のなかの周波数を調整するダイヤルをあちこち回す。そのうちこの波長で受け取ればよいのだとわかる。ここまでに要する時間は,歌人によって,また歌集によって大きく異なる。山下泉の『光の引用』の場合は,やや長くかかる方だろう。それは山下の歌の世界が実に静かな世界であり,声高に叫んだりこれ見よがしに旗を振ったりしないからである。喩えて言えば,がらんとした部屋のなかに椅子が一脚と壁に立てかけた梯子があり,窓から光が射し込んでいる,そんな感じだ。私の好きな画家の有元利夫の静謐な世界とどこか通じるところがある。

 さて掲出歌だが,冒頭の「モルヒネに触れたる手紙」には相当な詩的圧縮がかかっている。モルヒネは阿片から抽出される麻薬だが,現在では末期ガンなどの激痛緩和に医療用として用いられている。この文脈で読み解けば,「末期ガンに冒されている人からの手紙」と解することができる。しかしただそれだけではなく,手紙がモルヒネに触れたという認識が膨らんで,手紙自体がふつうの日常を送る人が触ってはならないものという禁忌の意識もかすかに感じられる。一方,「水仙光」という詩的造語からは,水仙の湛える光,または水仙に降り注ぐ光という透明で明るいイメージが立ち昇る。その光は明るいながらも沈痛な影を宿しているようにも見える。

 作者の山下泉については,歌集あとがきに書いてある以上のことは知らない。中学生の頃から短歌を作っていたが,リルケの詩に惹かれて大学ではドイツ文学科に学び,高安国世氏に出会って「塔」に入会している。収録された歌のなかには浜田到の名がある。高安国世,リルケ,浜田到と並べてみると,山下が青春期にどのような文学に傾倒していたかがよくわかる。『光の引用』は山下の第一歌集であり,今年2005年の現代歌人集会賞を受賞している。朝日新聞の文芸欄で,高橋睦郎が今年度の収穫として池田澄子の句集『たましいの話』と並べて『光の引用』をあげていた。この歌集についての反響はまだ少ないが,硬質な抒情を湛えたその短歌世界と修辞の冴えによって高く評価される歌集として人々の記憶に残るだろう。

 山下の短歌世界をひと言で表現するのは難しいが,「現代詩と短歌の融合を夢見る人は多いが,うまくいった例は多くない。『光の引用』にはその幸福な例がいくつもある」という山田富士郎の栞に寄せた文章が手掛かりになるだろう。自身詩人であり短歌も俳句も作る高橋睦郎が今年度の収穫として評価したのも,その点に着目してのことにちがいない。山下の歌は基本的には文語と口語を取り混ぜた定型なのだが,定型短歌という形式そのものに限界まで負荷をかけることによって,伝統的詩型としての短歌を新たな表現の器として生まれ変わらせようとした前衛短歌のような志向はなく,むしろ定型意識の手綱を緩めることで現代詩とのなだらかな接続を試みようとする位置取りが感じられる。例えば次のような歌である。

 耳はただ水音もとめ透きとおる斜めに海に抱かれるごとく

 遠き夜を手繰れば揺れる魚と蝶くぐりきし水まとえる光

 日ざしにねむる明るい葡萄の内側をしずかにくだる車輪になりて

 夕闇を少し砕きて呑みこめば尾に光浮き撫でる掌がある

 明るい病室のような秋の日に町じゅうの金木犀銀木犀が散る

 日常の〈現実〉からの素材の借用は最低限にまで縮減され,選び抜かれたコトバがクリスタルグラスが密やかに触れ合うような静かな音を立てている。おそらく山下のなかには短歌によって自己の〈現実〉を逆照射するというような意図はない。コトバが作者の〈現実〉と〈世界〉を暴くためにそれらへと送り返されることなく,隣り合った別のコトバと触れ合って涼やかな響きを立てる。その音が響くのは現実の空間ではなく,永田和宏が言うところの「虚の空間」であり,山下はその虚の空間に詩的な軌跡を描くことをひたすら目差していると思えるのである。

 このようなスタンスを採るとき,歌はどのような構造として立ち顕れるか。一首目の上句「耳はただ水音もとめ透きとおる」は,歌の背後の〈私〉が水の音を求める飢餓感を堤喩表現により表わしているが,下句「斜めに海に抱かれるごとく」はその希求を直喩的に表現したものでありながら,上句の表わす欲求をそれ以上具体化する作用をほとんど持たない。一首は海の波にたゆたうように流れ,読後にはただ澄んだ印象だけが残される。そのような作りになっている。

 吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』において,「短歌的喩」という概念を提案したことはよく知られている。

 たちまちにして君の姿を霧とざし 或る楽章をわれは思ひき  近藤芳美

 この歌では上句が「像的な喩」として下句の意味を導くイメージを喚起し,同時に下句は「意味的喩」として上句の心像を支えている。上句と下句の互いに照らし合う反照関係が一首のなかに緊張感を生み出すとともに,読者のなかに像的イメージと意味とを有機的に関連するものとして送り届ける,そのような構造になっている。しかるに,山下の短歌はこのような構造を持たない。上にあげた四首目を例に取ると,上句「夕闇を少し砕きて呑みこめば」をすでに詩的圧縮はあるが何かの現実的動作と解釈しても,下句「尾に光浮き撫でる掌がある」が果して何かの喩なのかそれとも上句に喚起された幻想なのか判然としない。だから「扉を閉じて眸も閉じてあなたから輪郭を消す炎(ひ)を消すように」という歌を次のように改行して書くと,それとほとんど現代詩なのである。

 扉を閉じて
 眸も閉じて
 あなたから輪郭を消す
 炎を消すように

 上句と下句とが「短歌的喩」によって反照し合う構造は,鋭い緊張関係によって一首の意味を屹立させようとする表現意図に対応する。たとえば三枝昂之の『水の覇権』の次のような歌をその例として見ることもできよう。一首から立ち上がる心像とそれに支えられた意味は鮮烈である。

 誰れの志(こころ)を裁ちてひかりて落ちたるとあした畳に咲く冬の針

 山下の短歌に「短歌的喩」を弾機として上句と下句の反照関係を押し上げる構造がないということは,作者自身が一首の〈意味の屹立〉を目差していないということなのである。このようなスタンスは山下をもう一歩現代詩の地平へと接続させることになる。

 山下の短歌を読んでいて他に気づくことは,三句切れの歌が多く,二句切れがほとんどないことである。塚本邦雄は自分の歌の特徴として,初句に字余りが多いこと,二句切れが多いこと,結句に字足らずが多いことをあげたことがある。これは「俳句から逃れたい」という思いと,「上句への付け句に過ぎない下句を避けたい」という思いから出たものだとも述べている。塚本発言の文脈で眺めてみると,山下の上三句は俳句として読むことができるものが少なくない。

 1) 病廊は病巣のごとく野にうねる
 2) 水の髪そぞろに長き渡し舟
 3) 海に向くテーブルを恋う姉妹いて
 4) 裏梅を見にゆく旅の春の縁
 5) 胸の樹の小枝にかかる巣箱あり

 1) 羽曳野という古き解剖台
 2) 積み荷なる吾が髪はこび去る
 3) 一人はリュート一人は木霊
 4) 父やわらかく物を問う声
 5) 青葉の笛の鳥の音ぞする

 上の1)~5)が上句,下の1)~5)がそれに続く下句である。もちろんこれは,下句が上句への単なる付け句になっているという意味ではない。山下の修辞が,倒置法・転倒法・句割れ・句跨りなどの技法を駆使して短歌文体の革新へと向かうベクトルを内包するものではなく,むしろ叙法自体は古典的と言ってもよく,その修辞の苦心が主として語彙の連接と詩的圧縮によるイメージの喚起へと向かっていることを述べたいだけである。現代の短歌シーンでこのようなスタンスで作歌している人はあまり多くない。かつての中山明小林久美子松原未知子,それから早坂類あたりにわずかに似た傾向を感じるのみである。

 山下の詩的圧縮が遺憾なく発揮された歌をあげてみよう。

 夏の家の水栓とざし帰るとき魚鱗もつ水息ひとつ吐く

 やわらかき朴の木片削る子の手暗がり過ぐ夏の夜の櫨は

 雨を飼う白き部屋なりいまきみの舟形の靴が帰りつきしは

 兄の死の細き夕ぐれ街すべて鐘楼となる水の倒影

 ひらくほどに黙(もだ)ふかくなる梅園の光の底に足は届かず

 三つ編みは昏き蔓草 昼を編みほのかに垂れる夜のうちがわ

 一首目の「魚鱗もつ水」,二首目の「夏の夜の櫨」,三首目の「雨を飼う白き部屋」,四首目の「兄の死の細き夕ぐれ」といった語法に従来の短歌とは少し趣の異なる圧縮の掛け方があり,この辺りにいわゆる短歌的抒情とは微妙に質の異なる詩精神を感じてしまうのである。また五首目の「梅園の光の底」,六首目の「ほのかに垂れる夜のうちがわ」などには遠くリルケが感じられる。もっともリルケでは梅園ではなく薔薇園だが。

 栞に文章を寄せた河野裕子によれば,山下は寡黙な人だという。そうだろうと納得できる。饒舌からほど遠いこの歌集の啓く世界には静かな光が満ち満ちている。その光を浴びて歌集の世界の中を歩くとき,静かな喜びに充たされる。この歌集と出会えた人は喜ぶべきである。