181:2006年12月 第1週 岩田眞光
または、俳句的意味の圧縮と衝突によって現出する詩的世界

「ひかりは森をなしつつ滅ぶ」
   窓際に置かれしものは冬の鉄球
        岩田眞光『百合懐胎』

 作者の岩田は1954年(昭和29年)生まれ。塚本邦雄に師事し、「玲瓏」創刊時からの会員である。『百合懐胎』は1991年(平成3年)に書肆季節社から玲瓏叢書第10巻として刊行された。ちなみに前年の1990年には穂村弘の『シンジケート』と山田富士郎の『アビー・ロードを夢見て』が、同年の1991年には吉野裕之の『空間和音』、大田美和の『きらい』、池田はるみの『奇譚集』、照屋眞理子の『夢の岸』、島田修三の『晴朗悲歌集』、内藤明の『壺中の空』、林和清の『ゆるがるれ』が世に出ており、実力派歌人の歌集が陸続と上梓された稀に見る豊饒の年ミレズィームだったことがわかる。第一歌集出版時の年齢が仮に30歳だったとして、2006年の現在では45歳を迎えていることになるから、この世代は今脂の乗り切った年齢となってるわけである。

 『百合懐胎』は政田岑生の瀟洒な装丁で、表紙にはウフィッツィ美術館所蔵のレオナルドの「受胎告知」の一部、大天使ガブリエルが百合の花を抱えてマリアにお告げを宣告しようとしている姿が銅版画風のモノクロで印刷されており、巻末には塚本邦雄の解題がある。岩田には『芍薬言語』という句集もあり、師の塚本同様に俳句と短歌の両方をこなす人のようだ。俳句と短歌の間を自由に往還する人の場合、作る短歌には独特の風合いがあり、時に歌意の解釈を困難にするという事態が見られる。掲出歌にも同じことが言える。前半の「ひかりは森をなしつつ滅ぶ」は14音で破調で、カギ括弧に括られているので、誰かの発言とも書物の一節とも解することができ、その未決定性の中にたゆたうことになる。また意味内容も謎めいており、明確な意味像を形成しない。後半は一転して窓際に置かれた鉄球という具体的情景が描かれているのだが、砲丸投げの鉄球かペタンクの球かは不明ながら、いずれにせよ日常的風景の中では唐突な存在である。この歌では前半の形式上の破調と意味像の未決定と、後半のくきやかな光景の衝突が眼目なのであり、その衝突から日常を超えた詩情が浮上するという仕掛けになっている。春日井建と並んで「生活は詠わない」と宣言した塚本の弟子のことだから、歌の意味を現実の地平に求めるのは方向ちがいであり、言葉の選択と結合のみによって生まれ出る詩空間において歌を玩味するのが正しい受け止め方なのである。20世紀言語学の泰斗ロマン・ヤーコブソンは、現実に言及する言語の機能を関説的機能 referential functionと呼び、それとは別に言語にはメッセージすなわち言連鎖そのものを前景化する詩的機能 poetic functionがあるとしたが、岩田の短歌はまさにそのような文脈の中において読むことを要請する類の歌である。

 塚本が選者をつとめる週刊誌の俳句欄に岩田が投稿した句が塚本の解題に引かれている。

 晩年へ夜の胡桃が割られゆく
 冬の家族鴨流麗に漂へり
 鶴歩む聖降誕祭植物園
 致死量の時雨のひかり硝子屑
 失楽の獨樂澄み果てし禽獣店

これらの句と『百合懐胎』所収の短歌を比較してみるのも一興である。

 修辞学修めしごとく石榴の実食べつつ秋の街に住みけり

 地下宮にわれが描きし向日葵の花くろぐろと立ち枯れてをり

 宮柊二のどもと太し驟雨来ていま盛んなる芍薬の花

 おく霜の展翅の板に恋眠るこころはぐれてかささぎ鳴けり

 オートバイひそかに薫る六月の硝子のなかに病める馬あり

 翡翠をはらみつつある少年の脇腹痛し 陽炎の時

 くれなゐの巨き魚あり悠然と通れば冬の町に雨降る

これらの歌にもどこか俳句的な香りと語法がある。四首目の上句「おく霜の展翅の板に恋眠る」を例に取ると、これで独立の俳句として成立するほど強い詩的圧縮がかかっている。短歌では上句の下句の照応によって詩的空間を浮上させるのが通例であるから、ふつうは上句だけでこれほどの圧縮はかけない。

 あきかぜの中のきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり  高野公彦
 夏至の日の夕餉おはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして  小池 光

現代短歌ではこれくらいの圧縮率がふつうである。高野の歌では、「あきかぜの中のきりんを見て立てば」では意味が完結せず、下句に接続して照応することにより一首の意味と情景が成立する。小池の歌では「夏至の日の夕餉おはりぬ」の二句切れで意味は完結しているが、その内容は平易な日常的風景であり、三句以下の意味と重合することによって初めて日常のなかに潜む小さな戦慄が浮上する。これを見てもわかるとおり岩田の歌は詩的圧縮率が高いのだが、それが裏目に出ると歌の残りの部分が余分な付け足しのようになることもある。例えば上の六首目では「翡翠をはらみつつある少年の脇腹痛し」だけで凝集は完結しており、残りの「陽炎の時」は浮いてしまうだろう。俳句における言葉の圧縮を短歌でいかに31文字のなかに希釈しつつ歌として成立させるかというのは、なかなか難しい問題なのである。

 もう少し注目した歌を引いてみよう。

 西行の骨はいづこに埋もれしや瓦礫を踏まば楽鳴り出でよ

 やはらかな秋の内臓触(さや)りつつ不思議の町にひとり立ちをり

 少女は肉のうちに籠もらふなにもかも押し流しゆく夏の濁り水

 夏生きむためカミソリを買ふ銅版画のなかの魚にはがねのうろこ

 冬深き椎の木立を通るべきわれといふもの不意の百合の香

 透き徹るビー玉の芯にうすき膜あれば時雨のころとはなれり

 時の終りにたたずむものもあるならむ薄桃色のみづすましゐて

『俳句という遊び』〔岩波新書〕を書いた小林恭二は高橋睦郎の俳句に触れて、高橋が句作をするときそこにあらかじめモチーフというものはなく言葉だけがあるのであり、上質の言葉を発見してそれをいかに輝かせるかがすべてであると評した。これは一見すると現実遊離の芸術至上主義的態度のように見えるかもしれないが、それはちがう。ここにはおそらく「言葉こそが世界である」という信念がある。もう少し言い換えると「新しい言葉の発見が私たちの世界像を更新する」という信念があるのだ。太陽の惑星の資格を失っても冥王星が消失するわけではない。しかし「惑星」という名称を失うことによって、私たちは9つの惑星を従えた太陽系の替わりに8つの惑星を持つ世界に暮すことになり、私たちの世界像は変更されたのである。同じように上に引いた歌で、「やはらかな秋の内臓」や「ビー玉の芯にうすき膜」と表現されたとき、そこに立ち顕われる世界はふだん私たちが見て親しんでいる世界とは面目を一新したものとなるのだ。

 岩田の短歌の中に近代短歌を支えてきた一人称の〈私〉を探しても無駄である。そんなものはどこにもない。しかし〈私〉とは現実に生活者として暮す〈私〉であるに止まらない。言葉を選り抜き組み合わせて表現を作り出す〈私〉もまた、異なる位相においてではあるが〈私〉であることにちがいはない。岩田の短歌はそのような位相において成立しているのである。