短歌における「わたし」

震えながらも春のダンスを繰り返し繰り返し君と煮豆を食べる

堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

 感性の共同性を基軸とする古典和歌から「自我の詩」である近代短歌へと移行して以来、短歌と〈私〉は切り離せないものとなった。たとえ「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径」(木下利玄)のように、表面上は〈私〉が顔を出さない歌においても、歌の背後には風景を見ている〈私〉が蟠踞している。とはいえ実際に歌に現れる〈私〉の奥行きと射程は様々である。

 〈私〉の最も直接的把握は、坂道を登って来てはあはあと息が切れている〈私〉、冷えたビールをごくごく飲んで喉を鳴らしている〈私〉のように、「たった今・現在」を生きる私である。こうして感得される〈私〉は瞬間的であり強い実感を伴う。この対極にあるのが、「薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」(岡井隆)や「首都高の行く手驟雨に濡れそぼつ今さらハコを童子を聴けば」(藤原龍一郎)などの歌に見られる〈私〉である。

 どこがちがうのだろう。この二つの〈私〉は多数の軸において対立する。まず前者の〈私〉は瞬間的で奥行きがない(瞬間性)。こうして切り出された〈私〉は過去と切断された〈私〉である(非歴史性)。まるで劇作家アヌイの主人公のように記憶すら失っているかに見える。かたや後者の〈私〉は持続的で奥行きがある(持続性)。そのため過去と繋がっており、積み重ねられた記憶を抱えている(歴史性)。岡井の歌も藤原の歌も、自分の今の状況と過去の苦い記憶が重ね合わされていることからもそれは明らかだろう。

 さて振り返って掲出歌を見ると、この歌の〈私〉は前者の奥行きと射程の短い〈私〉である。この〈私〉はダンスを踊り君と煮豆を食べる今という瞬間を生きている。現代の若手歌人の短歌に見られるのはこのような〈私〉である。この私の位相は、「イルカがとぶイルカがおちる何も言っていないのにきみが『ん?』と振り向く」(初谷むい)の、まるで瞬間の連続のように動詞が終止形に置かれている文体に現れている。現代の若手歌人は歴史性を担う持続的な〈私〉よりも、かけがえのない今という瞬間を生きる〈私〉に惹かれている。

 

『ねむらない樹』vol5, 2020に掲載

藤原龍一郎『202X』書評 パルチザンの狼煙

 本書を手に取るとまず目を惹かれるのは赤地に黒い文字とイラストという装幀である。収録された歌を読むと、それが抵抗と反逆を表す配色だと知れる。しかし黒一色の不気味なイラストの人物は、目深に帽子を被ってこちらを監視しているように見える。

 藤原の何冊目の歌集になるのだろうか。前作の『ジャダ』と較べると内容の違いは一目瞭然である。本書は抵抗と憤怒の歌集だ。藤原の抵抗はまず現代日本の監視社会化に向けられる。

夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日

詩歌書く行為といえど監視され肩越しにほら、大鴉が覗く

『夜は千の目を持つ』はウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の小説であり、大鴉はもちろんエドガー・アラン・ポーで、藤原の短歌ではお馴染みだ。

 次に藤原の憤怒が向かうのは、集団的自衛権の解釈が変更され右傾化が現在進行形なのに、五輪開催に昂揚する日本というおめでたい国である。

無花果も桃も腐りて改憲の発議の秋を荒れよ!荒れるや!

世界終末時計はすすむ酷熱の五輪寒雨の学徒出陣

「あれるや」は「ハレルヤ」のフランス語読み。こうした仕掛けがあちこちにあり、藤原の文体は晦渋で重層的である。その一方、子供時代を過ごした深川を回想する歌は柔らかく懐かしい。

夕汐の香こそ鼻孔にせつなけれ深川平久町春の宵

 藤原は本歌集によって、抵抗のパルチザンとして生きる決意を表明しているかのようだ。(六花書林・二七五○円)

 

『うた新聞』2020年8月号に掲載

照屋眞理子句集『猫も天使も』序文

 

 この度、縁あって照屋さんの遺句集の序文を書かせていただくことになり、書庫から照屋さんの歌集と句集を取り出して再読した。すると二冊の歌集の表紙裏に照屋さんから拝領した手紙が挟んであることに気づいた。私はこの手紙のことをすっかり忘れていた。一通は歌集『抽象の薔薇』に挟んであり、日付は平成一六年一二月一六日。私宛に歌集を送る送り状である。もう一通は歌集『夢の岸』にあり、日付は平成一七年一月二十日。私の方から残りの歌集と句集を購入したいと希望したのに応えての返辞である。どちらも青色インクの万年筆で綴られた達筆の手紙で、筆の運びと行き届いた文章に照屋さんのお人柄がよく表れている。肉筆の手紙を再読して、照屋さんの肉体がもうこの世にないことを改めて実感したのである。

 照屋さんが残されたのは『夢の岸』、『抽象の薔薇』、『恋』の三冊の歌集と、『月の書架』、『やよ子猫』の二冊の句集だから、本句集は第三句集となる。歌集が三冊と句集が三冊ということは、照屋さんが短歌と俳句の両方の領域で活躍された人であることを示している。短歌の生理と俳句の生理はかなりちがうので、両方で等しく活躍することはそうあることではない。照屋さんの師である塚本邦雄もまた句集を持ち俳句批評をしていたので、師に倣ったものと思われる。しかし照屋さんは自分には俳句の方が向いているとしきりにおっしゃっていた。句誌『季刊芙蓉』の代表に就かれてからは、さらに俳句の方に軸足が移っていたと思われる。

 照屋さんの作る短歌と俳句に共通して見られる特徴の第一は、「非在を視ようとする眼」であろう。これは一見すると矛盾している。「非在」とはこの世にあらぬものであり、ないものは目には見えないからである。

まだ見ぬ恋まだ咲かぬ花中空に  『やよ子猫』

切株の夢の梢に小鳥来る

目に見つつ見えぬものる滝の上

虫止んで声のまぼろし残りけり  『猫も天使も』 

もうゐない先刻さつきのわたし流れ星

月出でてきのふ牡丹の在り処わが目の置ける白のまぼろし  『夢の岸』 

 まだ咲いていない桜の花を空に見て、存在しない梢に来る小鳥を見る。滝の上にも目に見えない何かが光っている。近代俳句、近代短歌の王道は写生であり、写生とは目に見えたものを写すことなので、存在しないものを詠むというのはその精神に反している。ではどうして照屋さんは非在を視ようとするのか。その根底には「この世の姿は仮象にすぎぬ」という、照屋さんの心に深く根付いた思想があるからである。もしこの世の姿が仮象であるとしたならば、まだ咲かぬ桜も、長い年月の後に切株から成長するであろう梢も、目の前にある花や木と同じ資格において「存在するもの」となるのである。このように存在の背後に非在を視ようとするのは、短歌と俳句に一貫した照屋さんの変わらぬ姿勢である。

 「この世の姿は仮象」ということは、今ある姿を取っているものも別な姿で立ち顕われるかもしれないということであり、その筆頭は〈私〉である。

胸鰭のありし辺りに春愁  『猫も天使も』 

猫じやらしわれに微かな尾の記憶

春風や偶偶たまたま人にれしのみ  『月の書架』

人間ひとのふりして加はりぬ踊りの輪  『やよ子猫』

人間の皮猫の皮かりそめに着て夜の秋のたましひ二つ  『恋』 

 目には見えない胸鰭や尻尾を体に感じるのは、ヒトという種が魚類から進化したということではなく、神様の振る骰子の目が一つちがっていたら私は魚や猫としてこの世に生を受けていたかもしれぬということだ。だから私の膝で眠る猫も私もたまたまこの姿でこの世にいるにすぎない。こういう想いが照屋さんの心の深い処にあった。

 だとすれば今ある形を取って在るこの世と、また自分が別の形を取って生まれる別の世とは等価であり、その差分は僅かと感じられてもおかしくはない。

野遊びやさきの世の尾を戦がせて  『猫も天使も』

またの世の今はさきの世天の川

またるる日までこの世に鶴でゐる   『やよ子猫』

月明に逢はなむ人を辞めて後

夏椿ひらくかたへにそと置きてうつし身はすずしきこの世の嘘

                          『抽象の薔薇』

 現世のみが世界ではなく、この世に存在するものだけが存在ではない。この世と別の世を自在に行き来できるわけではないが、この世に在るものの傍らに別の世が色濃く感じられる。そのような感覚が照屋さんの俳句や短歌に独自の味わいと奥行きを与えている。

 現世は連綿と続く前の世と後の世に挟まれた須臾の間に過ぎないと感じるならば、「一期は夢」との想いを深くするのは当然の成り行きである。事実、照屋さんのデビュー作となった歌集の題名は『夢の岸』だったことを鑑みれば、その想いは若い頃からすでに照屋さんの胸に生まれていたと思われる。

またの名は螢この世を夢と言ふ  『猫も天使も』

前世後世この世も夢の桜かな   『月の書架』

神が見る夢がこの世よ春うらら

ああわたしたぶん誰かの春の夢   『やよ子猫』

一期の夢の途中道草して花野

美しい夢であつたよ中空ゆ振り返るときこの世といふは  『恋』 

 改めて読み返してみると初期の作品に詠まれた「夢」はどこか抽象的で観念的把握に留まっている。しかし歳を経るに従って夢の想いは体内深く沈潜し、照屋さんの日々を浸すようになって、句にも凄みが増しているように感じられる。二○一三年の『季刊芙蓉』九七号に照屋さんの句集の評を書いたときにも取り上げたのは「夢」だった。すると照屋さんから「また夢ですか!」といささか不満げなメールが届いたことがあったが、「一期は夢」は照屋さんから離れぬ想いだったのだからいたしかたない。

 照屋さんは重いこの世の肉体を脱ぎ捨て、夢の中で幾度も訪れた別の世で軽やかに遊んでいるにちがいない。そんな自分の姿を照屋さんは句や歌に繰り返し詠んでいる。残された句集・歌集の中に心を遊ばせれば、そこには形を持たなくなった照屋さんがいつもいるのである。私たちは書を開くだけでよい。

こんなに軽くなつて彼岸の野に遊ぶ  『月の書架』

もうかたち持たずともよきさきはひを告げきて秋の光の中  『恋』

 

照屋眞理子『猫も天使も』角川書店、2020年7月15日刊行

淀みが生み出す別の時間 高橋みずほ『白い田』

 加藤克巳の「個性」終刊後、結社に属さず独自の活動を続ける高橋みずほの第八歌集である。題名の『白い田』は集中の「白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり」から。老齢の父が住む北国の冬の田である。

 高橋の父君は東北大学名誉教授の植物学者高橋成人。本歌集のテーマの一つは父親の晩年とその死である。父恋の歌が胸を打つ。

すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ

父の椅子いなくなりてしばらく欅大樹の木漏れ日をのせ

  高橋の歌には字足らずなど破調の歌が多く、本歌集も例外ではない。

ときおり少年の振り返りつつ丸まる影の頭なく

白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道

 高橋が字足らずの歌に拘り定型をあえて崩すのは、ややもすれば定型の流れに乗って出来事と出来事を結ぶ時間に注がれがちな眼差しを、出来事の間に潜み奥へと沈む別の時間に導くためである。高橋はそれを「縦軸の時間」と呼ぶ。

うつくしき玉と思うまどいつつおちる面にてゆくさきざきへ雨の玉

染みわたる今日のおわりのひかりに鱗ひと片輝く形

満月にすこしかけたる白月が朝顔蔓の輪に入りつ

 あるときは歌の韻律の流れが抵抗に遭って澱み、またあるときは早い流れに思いがけず遠くまで運ばれる。そこに韻文ならではの濃密な時間と意味の広がりが立ち現れる。消費される言葉の対極にある本歌集は、とりわけじっくりと味わわれるべき歌の花園である。

 

『うた新聞』2018年8月号(第77号)に掲載

透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載

時の重量 佐久間章孔『州崎パラダイス・他』書評

 『州崎パラダイス・他』は『声だけがのこる』から三十年振りに刊行された佐久間の第二歌集である。『声だけがのこる』が出版された一九八八年は、リクルート事件が世を騒がせ、竹下内閣によって消費税が導入され、昭和天皇の重い病状が報じられた年だ。わずか一週間で終わった昭和六四年を除けば実質的に昭和最後の年と言ってよい。『州崎パラダイス・他』はそれから三十年目の今年(2018年)上梓された。奇しくも今上天皇の退位によって平成は三十年をもって幕を閉じることになる。つまり第一歌集と第二歌集を隔てる空白がぴったり平成と重なっているのだ。『州崎パラダイス・他』が平成最後の年に刊行されたことに、不思議な暗合を感じないわけにはいかない。

 本歌集は三部構成からなる。第一部「州崎パラダイス」、第二部「ニッポン」、第三部「残照」である。州崎は現在の東京都江東区東陽町一丁目の旧町名で、明治時代から遊郭が置かれていた。終戦後は州崎パラダイスという名の赤線地帯となり、一九五八年の売春防止法で姿を消した。第一部の主要なテーマはこの赤線地帯の思い出と、佐久間の故郷と思われる鬼怒川流域の村の遠い記憶である。

胸を病む出戻り女の洗い髪見知らぬ世界があやしく匂う

早熟の男子二人が月に舞う謎のあなたに手招きされて

こわごわと綱に手をかけ暗い声で「足が冷たい、おろしてやろう」

あの町は陽炎のなか バラックの低い家並みと白い埃の

鬼怒の里に月出るころ川番の小屋の戸が開く 暗く軋みつつ

自転車の錆びたチェーンを替えたくて兎を全部売ったさ ごめん

 一見すると昭和ノスタルジーと思われるかもしれないが、まもなく終わろうとする平成の世を間に挟んで眺めると、望遠鏡を逆さにして眺めたような神話的世界のように見える。本歌集の底を流れているのは『声だけがのこる』を染め上げていた「残党の抒情」(田島邦彦他編『現代の第一歌集』の「刊行のころ」)から神話世界への飛翔である。

 本歌集にも、「ぼくたちは永久反対運動装置 時代遅れのハモニカ吹いて」「綿火薬の製造法のなつかしさ額にぬるりとヤバイ汗流れ」のように、戦後という時代の殿艦たらんとする思想兵の述懐がないわけではない。しかしもはやそれは遠い残響として届くにすぎない。

 本歌集で異彩を放つのは第二部「ニッポン」である。萩原朔太郎の「日本への回帰」の引用をエピグラフとし、「舞神」「埋神」「戦神」「境神」「無言神」「鬼神」「喪神」など佐久間の想像による神を題とする歌が並ぶ。

燃ゆる火を踏みつつ踊れ荒舞を舞初めてよりはや幾年

切っ先の紅を拭きとり目を閉じる 海原千里越え来しものを

戦舟が海の向こうで燃えている押して渡れと告げたばかりに

生き恥をさらして待てどこの胸に深き御声は二度と届かぬ

神々は隠れませども歌うがごとく祈りは残る 花は菜の花

 時代を撃つ思想兵として歌集全体をひとつの喩とした『声だけがのこる』から三十年を経過すれば、さすがにもはや今は戦後ではない。佐久間がさまざまな神を招喚するのは、ある時は時代を劫火で焼き尽くし、またある時は慚愧の念を刃に変えて振り下ろし、戦後の昭和という時代に引導を渡して荘厳するためである。こうして初めて佐久間は戦後という呪縛から自由になる。

 こう考えればなぜ第三部が「残照」と題されているのか納得がいく。時代の熱はもはや灰の中の埋み火でしかない。

終焉いやはての身に降り注ぐ薄ら日よ幼年の庭にわれをかえせよ

行く先は何処か知らず 減じゆく薄ら日に白く晒されながら

光る海に散らばるさき島々の破船(ふね)は入江に打ち上げられて

 第一歌集が時に俗謡めいて剽軽な調べを帯びていたのに較べると、本歌集の調べはなべて重い。それはとりも直さず佐久間が生きて来た時間の重さである。友達どうしのおしゃべりのようなポップでライトな口語短歌が溢れる現代にあって、佐久間の歌い口の重さは異質に感じられるかもしれない。しかし本歌集を読む人は必ずや歌の底に流れる時間の重量を感じ取ることだろう。

 

『月光』2018年12月 57号掲載

紀水章生歌集『風のむすびめ』書評:光と風と時の移ろい

 歌集を手にするとき、とりわけ作品を初めてまとめて世に問う第一歌集を読むときは、作者がどのような立ち位置に身を置いて世界を眺めているのか、世界を構成する素材のうち何に着目しているのかという切り口で歌を読むと、その作者の拠って立つ世界観が見えてくることが多い。そのような目で本歌集を眺めると、作者の眼差しはとりわけ光と風と時間の移ろいに注がれていることがわかる。
水滴は濡れる春野の乳色を映し子どものやうに揺れをり
花群は蜂の羽音に開きゆくスローモーションビデオのやうに
水底の珊瑚の砂にゆらゆらと光の網が絡み揺れをり
ふるふると震ふシャボンの薄膜に空渡りゆく秋の映ろふ
 歌集冒頭近くに並んでいる歌を引いたが、これらの歌に通底する感性を感じることができる。一首目、春の雨粒か露の水滴にクローズアップする視野があり、水滴に乳色の春の野が映っている。水滴が揺れているのは微風があるからだろう。静止画でありながら、水滴の揺れによって微細な時間の経過が感じられる。二首目はもっとはっきり時間の流れがあり、蜂の羽音に促されるように花が開く様が詠まれている。ここにあるのは都市に暮らす現代人の性急な時間ではなく、ゆったりと流れる時間である。三首目にもまた揺れがあるが、今度は光である。太陽光の届く浅い海底かと思われるが、このように歌われることによって、媒体なくして存在しえない光が自立的に存在するかのようだ。四首目、子どもの遊びか、シャボン玉の球面に秋が映っている。シャボン玉の震えが表す小さな時間と、「空渡りゆく」というおおらかな措辞が示す大きな時間の両方が封じ込められており、詩的完成度が高い歌である。
みぬちなる音盤ディスクは風にほどけゆき雪ふる空のあなたへ還る
しぼんでた紙ふうせんをふくらます五月の明るい風をとらへて
あのころの風が写ってゐるやうだすぢ雲のある青い空には
 風が詠まれている歌を引いた。見てすぐわかるように、風は作者にとって肯定的価値を持つアイテムである。体を凍えさせたり、思い出を吹き飛ばしたりするような、否定的価値を持つものではない。このことは歌集に『風のむすびめ』というタイトルを付けていることからもわかる。作者にとって風は、内なる音楽をかき立てたり、紙風船を膨らませたり、懐かしい子供時代や青春期に頭上を吹いていたりするものである。
 さてここで『風のむすびめ』というタイトルについて考えてみると、詩的でありながら不思議なタイトルである。風は大気の運動であり、物理的実体を持つものではない。そんな風にむすびめがもしあるとするならば、それは風という客体側にあるものではなく、風を感じている主体側、すなわち〈私〉の側にあると推測される。感じる主体としての〈私〉の側から見れば、風は常に〈私〉に吹いている。確かに遠くの葉群が揺れていれば、「あそこに風が吹いている」と知ることはできるが、それは認識であり体験ではない。〈私〉が感じる風は常に〈私〉に向かって吹く風である。だから「風のむすびめ」とはとりもなおさず、四方八方に吹く風の結節点としての〈私〉にほかならない。そしてそれは単に風のみに留まるものではなく、作者が歌に詠む光や雨や水の流れにも言えることであり、つまるところ森羅万象が一点に収斂する焦点としての〈私〉ということになろう。作者の歌における立ち位置とはこのようなものである。
 短歌史という大きな流れの中に置いてみると、紀水の短歌は自我の詩としての近代短歌の中に位置づけられるとまずは言えよう。しかしながら明治・大正・昭和初期の近代短歌に見られる抒情の主体もしくは生活の主体としての輪郭のくっきりした〈私〉は紀水の歌には希薄なようである。
あふぎみる花梨の空の深みまでしんと冷やせりのど飴ひとつ
ゆふやみへ消ゆる鴉のフェルマータ呼ぶ声たかくとほくをはりぬ
ハクチョウは飛ぶ舟のやう散らされたひかりのなかを昇りゆきたり
 これらの歌を読んで後に残るのは、ただ残像としての喉の冷えや鴉の声や白鳥の光であり、それらを感じているはずの〈私〉は光や声の中に溶解してしまうかのようである。それは紀水が〈私〉を世界を高みから睥睨する不動の地点として捉えているのではなく、風が吹けばそこにしばらく生じてまた消えてしまう「むすびめ」と感じているからであろう。そのような把握においては、〈私〉は近代思想の根底をなすデカルト的主体ではなく、〈私〉もまたひとつの現象とみなされることになる。これが紀水の短歌に通底する認識ではないかと思われる。
 紀水が光や風や時の移ろいにとりわけ惹かれる理由もこれでわかる。これらは特に現象的特質が顕著だからである。しかしさらにもう一段階考察を進めてみれば、近代以前の古典和歌の作者たちもまた、〈私〉とは現象にすぎないと考えていたのではなかろうか。もしそうだとすれば、紀水の短歌は近代短歌を飛び越して、古典和歌の世界へと架橋するものと見ることもできる。短歌が千数百年にわたって連綿と続いてきた短詩型であることを考えれば、それも不思議なことではない。



中部短歌会『短歌』2014年8月号に掲載

加藤治郎歌集『しんきろう』書評:ニューウェーブは電気羊の夢を見続けるか

 本書は『雨の日の回顧展』に続く加藤治郎の第八歌集で、平成二〇年から二四年までの歌を収録する。一読してまず前歌集との大きな落差に驚く。
 『雨の日の回顧展』には「海底の昏さに灯るアトリエに臓器を持たぬ彫像ならぶ」「石鹸の箱の穴から流れ出た絵の具で描くJ・F・ケネディ」のように、展覧会や美術制作に想を得た歌が多くあり、歌集全体を造形的構想でまとめようとする強い意思が感じられた。ところが本書にそれに匹敵するような構成的意思は不在で、それに代わって作者の仕事の現場と直接関係する日常詠が多くあり、行間には深い疲労感と鬱傾向が滲む。
残業のざんのひびきが怖ろしい漏洩前のくぼんだまなこ
職務みな忘れろという社命あれシュークリームから噴き出すクリーム
あきらめは安らぎと死の架け橋であること夜の錠剤を呑む
見知らぬ人にフォローされてる銀色の回廊にいてつぶやく俺は
 この変化の背景には、名古屋から東京への思いがけない転勤、愛弟子笹井宏之の早世、東京で遭遇した東日本大震災などの、実人生における出来事があるにちがいない。リアリズムとは一線を画する加藤の歌には、実人生の直接の反映はほとんど見られなかった。しかしこの四年間に起きた出来事は、そんな加藤の短歌にも影を落とすほど重いものであったようだ。
 主題面に目を移すと、従来の加藤の短歌の重要なテーマに、日常に降りかかる理不尽な暴力と狂気、性愛、幼児にまで遡る意識の重層性があったが、本書ではそのいずれも影を潜めており、歌の背後に見え隠れするのは等身大の〈私〉に近い。文体面では大胆な喩と修辞やオノマトペがニューウェーブ短歌と呼ばれた加藤の歌を特徴づけていたが、それも本歌集では目立たなくなっている。いずれも大きな変化と言えよう。
 何かが起きているようだ。永田和宏は『現代短歌雁』四八号に寄せた文章で、「いやそうさ時間は無垢さ」という加藤の歌の一節を取り上げ、「時間は無垢か」と逆に問いかけた。本書では無垢への希求は、押し寄せる日常と鬱によって覆い隠されているようだ。加藤はこれからも〈無垢〉という電気羊の夢を見続けることができるのだろうか。
 とはいえ本歌集にももちろん美しい歌がある。次のような歌はおそらく現代短歌のひとつの到達点ではなかろうか。
まひるまの有平棒は回りけり静かにみちてゆける血液
あるときは青空に彫るかなしみのふかかりければ手をやすめたり
ゆめのようにからっぽだけど遊園のティーカップにふる春のあわゆき
コーンで受けるソフトクリームくねくねと世界が捩れてゆくのだ、姉よ
キャラメルの内側を押すゆびさきにほのかなひかり灯るゆうぐれ



『短歌研究』2012年9月号に掲載

鳩の影のもとに──高安国世中期短歌

 永田和宏編『高安国世アンソロジー』巻末の年譜によると、高安は昭和十七年(一九四二年)に旧制第三高等学校の教授となり、昭和二十四年(一九四九年)の学制改革による新制大学誕生とともに、京都大学教養部のドイツ語担当助教授に就任、昭和五十一年(一九七六年)に定年退官している。私事で恐縮だが、私が京都大学に入学し教養部で学んでいたときに、高安は同じ校舎でドイツ語を教えていたことになる。残念ながら私は第二外国語にフランス語を選択したので、先生に学ぶ機会は得られなかった。時は流れ、私が一九八〇年に教養部にフランス語教員として着任したときには、先生はすでに退官しておられた。先生と同じ校舎の廊下を歩き、同じ教室で授業をしたこともあったろうと思うと、人の縁とは不思議なものである。このような経緯から本来なら高安先生と書くべきなのだが、ここでは習慣に従い敬称を省かせていただくことにする。
 巻末のあとがきで、編者の永田和宏は高安の作歌活動を三期に分けている。土屋文明を師と仰いで生活の具体を写生的手法でリアルに詠った第一期、ドイツ文学や前衛短歌の影響を受けて、「日常の連続の上にではなく、非連続の刹那に詩」を求めるようになった第二期、自然の懐に溶解するようにして、自己や自然を相対化する視線を研ぎ澄ました第三期という区分である。第一期が第六歌文集『北極紀行』まで、第二期が第七歌集『街上』から第九歌集『朝から朝』、第三期がそれ以後となる。私に与えられた課題は、『北極紀行』から『朝から朝』までの歌集を読むことなので、ほぼ第二期に相当する。
 第一期の作品には、自身の病、生活上の不如意、妻との感情のすれ違い、子の障碍、人生への懐疑などが、写実的手法でリアルに詠われている。近代短歌の王道の人生のための歌であり、人生を映す歌である。
 何を求め生くる命ぞこの夕べまぼろしきこゆミサ・ソレムニス 『眞實』
 咳き込みてしたたる汗は配給のブイヨンスープの皿に落ちたり
 昭和三十五年に上梓された歌文集『北極紀行』には、三年前のドイツ旅行に題材を得た歌が収められている。当時はふつうの人が海外旅行をするのは難しかった時代で、この渡欧は高安には貴重な体験だったにちがいない。
 北極を指し限りなく飛ぶ夜空眼よりも低き星一つあり
 岩山のかこむ砂漠に塩のごとこごりて消ゆる行方なき河
 扉ひたと閉じたる石の家々に鍵一つ頼りに夜ふけを帰る
 新しい風物に接し、それまでの身めぐりの歌よりも視線が遠くに伸びたことが歌から感じられる。それと同時にドイツの石造りの家と街路の硬質性と立体性に、高安は強い印象を受けたにちがいない。リルケは『マルテの手記』でパリの建物の持つ立体性と人を拒絶する冷たい質感を詩的に描いたが、高安もドイツに滞在してこれと似た認識を得たことは想像に難くない。この体験が『街上』の骨格をなす都市詠へと発展したのではないだろうか。
 『街上』はそれまでの歌集との断絶を感じるほど歌の質が異なる。最も顕著な相違は、都市というテーマと短歌表現への新しい明確な意思である。
 鉄骨の奥深く誘うごときものすでになく明るき石の壁見ゆ
 シャボン玉街に流るるかくまでに跡をとどめぬ風の産卵
 街上の変身ひとつ窓無数に瞠きて被覆去りし建物
 わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮べり
 一首目に顕著に見られるように、都市の持つ立体性に着目した歌は、ドイツ体験が高安にもたらした変化が生み出したものであろう。三首目の「窓無数に瞠きて」に見られる窓を眼に喩える表現はリルケを思わせる。またシャボン玉を風の産卵に喩えた表現は、アララギ的なリアリズムから遠く、新たな短歌表現を求める姿勢を感じさせる。
 このような作歌傾向が第八歌集『虚像の鳩』においてひとつの頂点を極めることに大方の異論はあるまい。
 翅うすく飛ぶものとむしろ濃き影と錯綜すためらいまたすばやく
 広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車
 羽ばたきの去しりおどろきの空間よただに虚像の鳩らちりばめ
 今日よく引用されるこれらの歌は、昭和三十九年から四十年の日付を持つ「夏・楽章」「速度」「初冬のフーガ」と題された連作にあり、高安の新しい短歌言語への試みはこの短い期間にピークを迎えたと推察される。「見えるもの」を詠うのではなく、眼前の形象を通してそのかなたに暗示される非在の本質へと迫ろうとする作歌姿勢は、研究するリルケへの傾倒と深い理解に由来するものだろう。外国文学が短歌に与えた影響について論じられることは少ないが、この時期の高安の達成はその幸福な果実と見なしてよいのではなかろうか。しかし高安のこの新しい短歌言語への試みの時期は存外短かったようだ。『虚像の鳩』の前半には、地下街・都市のビル街・工事現場の鉄骨などを題材とした歌が多くあり、都市の孤独に沈潜する姿が見られ、それが右に引用した歌でピークを迎えるのだが、歌集後半になると都市を離れて自然に沈潜する歌が多くなる。この傾向は第九歌集『朝から朝』においてさらに強まるのである。
 水芭蕉葉のやわらかき明闇に谷地ひろびろと光りふる雨
 目に見えぬ船たおやかに近づくと微かにきしむ白き桟橋
 非在の影への眼差しは残るものの、都市の壁から滲み出るような孤独への思いは少なくなり、自然の中に自己を溶解させてゆく姿勢と、水面に無限に広がる波紋のごとき安らかさが感じられる。読者としては、『虚像の鳩』の中期に示された新しい表現への意思がさらに長く持続していたならば、どのような歌が生まれただろうかという想像につい駆られてしまうが、歴史に「たら・れば」が禁物であることは言うまでもない。それと同時に、人生の軌跡に沿うようにして歌の変貌と深化を達成することのできた時代の幸福を、多少の羨望を込めて眺めざるをえないのである。



「塔」2010年7月号(2010年7月15日発行)に掲載

松野志保歌集『Too Young to Die』書評:砕け散った世界に生きる二人の少年の物語

  歌人が第一歌集の出版まで漕ぎつけるのはたいへんなことだと聞く。しかしもっと重要なのは第二歌集だとも言われる。第一歌集ではまだ萌芽的であった歌人の個性が、第二歌集で確立されるからである。二〇〇二年に『モイラの裔』でデビューした松野志保がこのたび世に問うた第二歌集『Too Young to Die』は、その意味で期待を裏切らない一冊となっている。
 ワカマツカオリの描く少年のイラストが飾る表紙と、ヴィヴィアン・ウエストウッドの店の名前から採ったという歌集題名が前景化する主題は「少年」である。少年性は一人称を「ぼく」で通した『モイラの裔』にすでに胚胎していたが、『Too Young to Die』でこの主題はさらに深化され、「二人の少年」というより明確な像を結ぶに至った。
いつか色褪せることなど信じないガーゼに染みてゆくふたりの血
この夜の少しだけ先をゆく君へ列車よぼくの血を運びゆけ
ぼくたちが神の似姿であるための化粧、刺青、ピアス、傷痕
脱ぎ捨てる乳白のシャツこの胸に消えない傷をつけてほしいと
 ほのかに血とエロスの匂いのする耽美的な少年の世界が、想像力を飛翔させ、歌想を汲み出す源泉となっているのは疑いない。この世界につらなる作品には確かにツインで登場する少年が多い。ヘッセ『デミアン』のジンクレールとデミアン、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラ、萩尾望都『ポーの一族』のエドガーとアラン、荒川弘『鋼の錬金術師』のエドとアルなど、枚挙に暇がない。なぜ少年は二人でやって来るのか。その理由にはアンビバレントな要素が内在していることに注意しよう。二人という最小対の関係は、ジンクレールとデミアンのように、時に導師と弟子の二項関係を形成し、十九世紀西欧に成立した成長物語ビルトゥングス・ロマンの基盤となる。二人の少年は対関係を梃子に成長しやがて大人になる。しかし、別の斜面においては、二人という対関係は外部世界を故意に遮断し、内部に閉じこもる繭化コクーニングの危険も孕んでいる。この場合、少年は成長するのではなく、逆に成長して大人になることを頑なに拒否する。松野の短歌に登場する二人の少年は、どうやら後者のようなのだ。
創を持つ果実の甘さ鳥籠の外の世界がこわれるときも
どこへ往くことも願わぬふたりには破船のようにやさしい中庭パティオ
繭に閉じこもる甘美さと行き場のなさがむせ返るように共存している。そして『Too Young to Die』が描いてみせる繭化した二人の少年を取り巻く世界は、黙示録的終末観が色濃く漂う世界なのである。
またひとつピアスの穴をやがて聞くミック・ジャガーの訃報のために
癒されたいわけじゃなかったこの傷のほかには何も持たないぼくら
ひび割れた鏡に映る世界その欠片ひとつひとつを雨が打つ
灰の降りやまぬ世界に生まれたから灰にまみれて抱き合うぼくら
炉心隔壁シュラウドがひび割れてゆく幾千の夜をひたすらその身に溺れ
 ではなぜ松野はこの主題に拘泥するのだろう。もちろんそこには個人的嗜好が働いている。同人誌『Es空の鏡』に寄稿した「元やおい少女の憂鬱」と題された文章のなかで、松野は自分の「やおい」的傾向を率直に告白している。「やおい」とは、「ヤマなし」「オチなし」「意味なし」の頭文字を繋げたもので、元来は少年同士の恋愛を主題とする少女マンガの一ジャンルであるBL (boy’s love) をさす。「やおい」の世界は、少女たちの想像力と物語を希求する秘やかな願望の回収装置として働いてきた。
 このような個人的嗜好レベルの事情を、短歌という創作の地平に引き上げて考えると、「やおい」的世界に深源を持つ「少年性」という主題は、歌の中にひとつの仮構的世界を構築し、日常世界から失われたロマンを育む土壌となっている。それゆえに、この土壌から滋養を吸収する松野の短歌は、近代短歌のセオリーであった写実からは遠く、身辺詠も職場詠も家族詠も見られない。家族も友人も登場せず、舞台はどこであってもよく、どこでもない場所である。
 松野の短歌が描くこのような世界設定が、電脳仮想空間で展開されるRPG(ロール・プレイング・ゲーム)に酷似しているという点に注意しよう。その点に私は一抹の危惧の念を覚えざるをえないのである。
 なぜ危惧の念を覚えるかというと、RPGの世界はつまるところ「セカイ系」だからである。「セカイ系」とは、平凡な日常(近景)と世界の命運に関わる大事件(遠景)とを直結する思考様式をさし、その特徴は、家族・地域・社会といった〈中景〉がすっ飛ばされるという点にある。家族・地域・社会などの中間項は、〈私〉にストレスフルな拘束を課す鬱陶しい装置だが、本来は〈私〉と〈世界〉とを媒介する役割を果たしている。「セカイ系」はこの中間項を大胆に省略する。「セカイ系」の思考様式が出現したのは、哲学者リオタールのいう世界を解釈する「大きな物語」が二十世紀終盤に消滅したためであることは確かだろう。短歌の世代論的には、一九七〇年代始めに生まれた団塊ジュニア世代からその傾向が強く見られる。十代後半の思春期にバブル経済の崩壊を目撃した世代で、七三年生まれの松野はこの世代に属している。
 短歌がこの世を生きる〈私〉の表現であるならば ― そうではないという考え方ももちろんありうるが ―、〈私〉はどこかでこの世と切り結ばねばならない。そして、ここでいう「この世」のなかには、家族・地域・社会などのストレスフルな中間項も含まれることは言うまでもないのである。
 この歌集には次のような歌がある。
探知機をするりと通過するぼくの頭の中に爆弾がある
朝ごとのメトロ 併走する黒い馬の群その呼吸聞きつつ
わが言葉、貧しき地上に片翼の天使を繋ぐ鎖であれと
 私は次のように解釈した。平凡な日常を送る近景の〈私〉の頭の中には、遠景の世界を変革する爆弾がある。それは通勤電車に併走する黒馬の群としても形象化される。松野は想像力のなかで、このように近景と遠景をしばしば平行世界として描いている。ここに端的に松野の世界観が現れていると見たい。
 しかし私はここで次のように考えてしまうのである。遠景を変革・爆破するべき黒馬の群は、永遠に通勤電車と平行に走っているだけでは十分ではない。荒い息を吐く黒馬の群はいつかは通勤電車の線路と交差しなくてはならない。交差したところに松野の新たな歌が生まれるのではないか。そのように思えるのである。
 右に引用した最後の歌は、松野が短歌に賭ける思いを宣言した歌だろう。その志やよしである。松野がこの歌集で明確に形象化した「二人の少年」が、今後どのような方向に向かうのか、注意深く見守りたいと思う。



2009年8月『文藝月光』創刊号