都市と〈私〉が立ち現れるとき

 一九九一年に吉野の第一歌集『空間和音』が上梓されたとき、歌壇では賛否両論の声が上がったという。批判の急先鋒は藤原龍一郎で、「短歌の言葉に対する葛藤のなさへの不満」を出版記念会で吉野にぶつけている。藤原が槍玉にあげたのは、「ほくほくはやきいも ぽくぽくは木魚 ああ、ぼくたちは啄木が好き」「せっくすをしたいと思う すこしずつ水の季節がやって来るから」といった歌で、慚愧の念に裏打ちされた都会的抒情を身上とする藤原の目からすれば、吉野の歌は言葉と戯れる児戯に見えたのだろう。短歌的抒情を、恋愛・離別・生死などの人生における特別な時間に噴き上がるものと見なすならば、確かに吉野の短歌にはそのような意味での抒情は希薄である。八七年の『サラダ記念日』に始まるライトヴァース論争や、九〇年の荻原裕幸のニューウェーブ宣言を皮切りに、陸続と出版されたライトでポップな短歌の潮流という文脈に、吉野の歌集も位置づけられたのかもしれない。
 しかし、吉野は次のように述べていることに注目しよう。

「われわれはもっと大切にしなければならないと思う。日常。辞書的にいえば、つねひごろ、ふだんといった意味を持つことば。なんだかとても平凡な感じがする。とはいえ、現実の日常はけっして単純ではなく、その水準や相は多様である。この多様な水準や相をていねいに捉えようとする意志が、いま弱まっているのだと思う」
              (「日常と真向かうための」初出『合歓』二二号)

 これは吉野の生活信条であると同時に、短歌論ともなっている。平凡な日常の多様な相をていねいにすくい取ること、そこに見えて来るものがあると吉野は言いたいのである。次の歌はこのようなスタンスから生まれたものと思われる。

腐りたるトマトを捨てし昨日のことふと思い出す地下鉄に乗り  『空間和音』
冷蔵庫の上に一昨日求めたるバナナがバナナの匂いを放つ
自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時
ぼくの目の高さ、コップに注ぎたる水の高さ そろり揃える

 いずれも詠われているのは日常の瑣事である。腐ったトマトを捨てたことなど、取り立てて歌にするほどのことではない。またバナナがバナナの匂いを放つのは当たり前のことだ。しかしこのような瑣事をすくい上げて、そこに注意のダイヤルを合わせるとき、浮かび上がって来るある確かな手触りが、これらの歌には感じられる。またこの手触りと相関して、手触りを感じ取る〈私〉もまた浮上する。生態心理学の教えるごとく、自己の知覚と環境の知覚は相補的だからである。このことは三首目にとりわけよく感じられる。目覚まし時計が鳴る前に目覚めるというありふれた日常的経験に劇的なものは何もない。しかしこの経験は自分の身体の重さという自己知覚へと意識を送り返すのである。四首目は吉野の方法論をそのまま歌にしたかのようだ。目の高さとコップの水の高さを揃えることによって見えて来るものがある。吉野はそう言いたいようだ。
 『空間和音』にすでに現れているこのような作歌姿勢は、第二歌集『ざわめく卵』に至っていっそう深化の度を増したようだ。モノの形象と都市の風景という新たな要素が加わっているからである。

秋の日のかがやきの中ふかくふかく見えてくるもの東京の辺に 『ざわめく卵』
目の前の裸木の群れゆっくりとわれをあふれて風景となる
人間のかたちとなって泣いている五月もしくは下闇のなか
椅子というかたちを見せているものの影伸びている君の足元
信州ゆ来たる特急わが前にかたちとなれば静止してゆく

 最後の歌に注目しよう。特急が私の前に止まったのではない。私の前に止まったものが特急となるのである。知覚の転倒とも見えるこのような把握の理由は何か。ふだん私たちは、知識と経験により構成された参照枠によって外界を見ている。たとえば公園にはベンチや砂場や水飲み場がある。ちらっと見たものをベンチと認識するとき、私たちはモノの性質や形状を仔細に吟味しているのではなく、公園にあるものはベンチだという参照枠に依存して判断している。多忙な毎日を送る現代の都市生活者であればあるほど、モノの形の前に留まることなく、便利な参照枠による認識でことを済ませている。吉野はこのような参照枠をできるだけ取り払い、形象が立ち現れる瞬間を捉えようとしているのである。同じ態度は右に引いた三首目と四首目にも現れている。このような態度を取ってこそ、東京という都市の周辺にもふかくふかく見えてくるものがあると吉野は言いたいのだ。
 まちづくりに関わる仕事に従事している吉野は、「短詩型と都市は双子の兄弟ではないか」とセレクション歌人『吉野裕之集』のあとがきに書いている。短歌と同様に都市もまた、日常のゆらぎと重層的な時間の堆積の中に立ち現れるものと理解されているのだろう。
 『吉野裕之集』の巻末に『ざわめく卵』以後の歌を集めた「胡桃のこと II」が置かれている。その最後、すなわち『吉野裕之集』全体の掉尾を飾るのが次の歌であることは、意味深いことである。

ゆっくりとやって来るものおそらくはその名を発語せぬままに待つ

 やって来る何かを性急に名付けて参照枠に収めるのではなく、その何かがゆらぎの中を潜り抜けて自ら名を告げるまでじっくりと待つ。これが『ざわめく卵』以降にさらに深化の度を増した吉野の現在のスタンスなのだと思われるのである。


「桜狩」132号、2009年7・8月号掲載

意味は形式の階段を駆け上がり普遍の空へ(特集:短詩形文学の試み──定型とは何か)

 詩や俳句や短歌などの短詩型文学における定型とは何か。これはなかなか難しい問題である。そもそも短詩型文学はなぜ定型を必要とするのか。この問題に答えるためには、詩歌における言語の役割から考えてみなくてはならない。

 透徹した詩論を残したポール・ヴァレリーの文章のなかに、詩の発生する瞬間を捉えた美しい一節がある。あなたは煙草の火を借りるために、かたわらの人に「火をお持ちですか」Avez-vous du feu ? と言う。その人はあなたに火を貸してくれる。あなたの発した「火をお持ちですか」という短いフレーズはその命を終えて消えてしまう。言葉が行為に置換され、あなたは望んだ火を手に入れたからである。これが私たちが日頃経験している普通の言語状況である。ところがなぜか、役割を終えたにもかかわらず、私のなかにその短いフレーズをもっと聴きたいという欲求が生まれることがある。私はそのフレーズを、抑揚を変え速さを変え何度も反復する。そのフレーズは言葉の行為への置換という実用性を超えて生き延びたのだ。これがヴァレリーの描く詩の発生する機序である。

 ヴァレリーの言おうとしたことを現代言語学的に言い換えると、「詩歌の特徴はシニフィアンへの固着である」と要約できる。シニフィアンとシニフィエは現代言語学の父ソシュールの提案した用語で、言語記号を構成するふたつの面をさす。かんたんに言えば、シニフィアンは音、シニフィエは意味と考えればよい。意味の伝達を旨とする散文の世界ではシニフィエが全面的に君臨するが、詩歌の王国においてはその支配力は後退し、シニフィアンが頭をもたげ、時にシニフィエを凌駕する。

 あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか  川野里子

 この歌の魅力が下句に凝縮されていることに異論はないだろう。音数的には七・七となるべき下句が八・八と破調になっているが、「ふるさと」「ちちはは」の対句的表現と「捨てたか」のリフレインによってむしろ安定感が増し、わらべ唄のような効果を生みだしている。この下句の魅力は意味によるものではない。四音の規則的連続と「捨てたか」の反復というシニフィアンへの固着によって、呪文のような効果を生みだしている。この魔術的な下句と比較すれば、上句は下句を導き出すための導入部にすぎない。

 作者の個人的な体験や思い入れにすぎないものを定型という鋳型に流し込むと、あら不思議、それは個人的地平を離れて公共性のレベルへと浮上する。川野の短歌は老いた両親を地方に残して上京し、都会生活者となりおおせた多くの日本人の心情を代表する。意味は形式の階段を駆け上がることで、普遍の高みへと達するのである。意味の一回性を保持しつつそれを公共化するという、個的意味から普遍的意味へのこの魔術的変換に、定型が決定的役割を果たしていることは疑いない。

 同じことは消費者への訴求力を必要とするCMコピーにも当てはまる。CMコピーの要諦は耳に残り多くの人々の好意的共感を得ることにある。

 すかっとさわやかコカコーラ
 セブンイレブンいい気分
 インテルはいってる

 「すかっ」「さわやか」「コカコーラ」の無声破裂音「カ」の反復は、歯切れのよいリズムを生み出し、炭酸飲料の刺激的な爽快感とよくマッチしている。「セブンイレブンいい気分」は三音・四音・五音と漸増する各句の末尾に「ブン」が反復されることで、弾むようなリズムが生まれている。「インテルはいってる」は、英語版のコピー Intel Inside の頭韻を日本語に置き換えるときに「てる」の脚韻に変えるという工夫されたコピーだが、日本語の定型の基盤である音数リズムに乗っていないのが惜しい。「インテル○○てるはいってる」となっていれば完璧だっただろう。「○○」の部分には、たとえば「インテルイケてるはいってる」のように二音を入れる。もっともこの改作が広告コピーとして「イケてる」かどうかは別の話だが…。かくのごとく定型は私たちの日常生活の至るところに溢れている。また日本語の定型は頭韻や脚韻などの韻(rime) によるのではなく、五・七・五などの音数 (正確にはモーラ数)によって成立することを、このインテル社のコピーは教えている。

 G.M.ホプキンズは韻文を「同じ音文彩を全面的にまたは部分的に反復する発言」と定義した。これは韻を基本とする欧米の詩に当てはまることである。学者のモットー Publish or perish. 「論文を出版するか、さもなくば消えてゆけ」も -ish の反復があるから極小の韻文である。欧米の詩が強弱リズムと韻を定型の基本要素としているのにたいして、日本語の詩が音数形式を定型の基礎としたのは、日本語が「ウイーンっ子」を、「ン」も伸ばす音もつまる音も含めて六拍として発音する等拍性の言語であることと、同音語が多くて韻の効果が出ないからである。ではなぜ五・七・五(七・七)が定型として現代まで生き延びたのかという疑問については、坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)に説得的な論証が展開されているのでそちらに譲る。その骨子は、日本語の基本リズムは二音一拍であり、五音と七音を基本とする組み合わせに語彙がもっとも乗りやすいというものである。

 ここでもうひとつ難しい問題が生じる。五・七・五(七・七) の音数律を守れば定型詩ということになるのだろうか。

 枡野浩一の提唱する「かんたん短歌」の生み出したスター加藤千恵に、「あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります」という口語短歌がある。五・七・五・七・七の音数律が厳密に守られている。しかしこの歌が一行書きされていたら、誰も短歌だとは思わないだろう。それは上句と下句の切れをはじめとして、一首の内部に内的リズムを生み出す仕掛けが一切ないからである。これを次の創作都々逸と較べてみる。

 椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる 渡辺光一郎

都々逸は七・七・七・五形式だが、それさえ守ればよいというわけではない。初句の七音は調子よく始めるために「●○○○|○○○○」でなくてはならない(●は半拍の休止を表わす)。だから最初は三音の単語になる。渡辺の作品を見ると「●つばき|つやばき∥つんつら|つばき●∥●めのう|ざいくと∥みてござる●●●」と、三音と四音がリズミカルに交代して、内的リズムを作り出していることがわかる。内的リズムは語句どうしを凝集させ離反させることで、定められた音数律の内部に緩急を生み出す。この内的リズムがなければ、たとえ全体として音数を守っていても定型とは言い難い。またこうして生み出された緩急のリズムに意味をどのように乗せてゆくかが歌人の腐心するところである。

 しかし歌人とは因果なものだ。定型があればそれを逸脱しようとする力学がどこかに働く。穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ) 』には次のような歌が並んでいる。

 「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士

 『ウは宇宙船のウ』から静かに顔あげて、まみ、はらぺこあおむしよ

 この歌集に収録された歌は、若干の例外を除いて三十一音で書かれている。しかし定型感覚は無惨なまでに打ち砕かれている。戦後の第二芸術論、特に小野十三郎の「奴隷の韻律」論を受けて、塚本邦雄が句割れ・句跨りを駆使して「オリーブ油の河にマカロニを流したような」短歌の韻律を意図的に革新しようとしたように、穂村もまた新たに定型を撓める実験を試みているのだ。その試みが成功しているかどうかはまた別の話である。また逆に解釈すれば、これほどまでに撓めてもその残滓が残るほどに、伝統詩の定型は日本語の生理そのものに根ざしたものだとも言えるのではないだろうか。



「すばる」(集英社)2005年10月号掲載

吉岡生夫歌集『草食獣 隠棲篇』書評 :隠棲するにはまだ早い草食獣への手紙

 吉岡生夫の『草食獣 隠棲篇』は著者の第六歌集である。第一歌集『草食獣』、第二歌集『続・草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣・第五篇』と、すべての歌集に「草食獣」という題名がつけられているのは異例なことである。著者のこだわりが透けて見えるようだが、意外なことに著者自身による命名ではない。「短歌人」の先輩にあたる小池光がとある酒の席ではからずも名づけ親となったらしい。『草食獣 隠棲篇』の異例に長いあとがきで、吉岡は「炯眼恐るべし。私は肉食獣への変身を夢見ていただけにショックだった」と述懐している。「炯眼恐るべし」とは、初めての歌集を出そうとしていた当時二十八歳の吉岡の短歌を見て、小池が「君の本質は草食獣だ」と喝破したということを意味する。そしてこれを聞いた吉岡は「逃れようのないことを知った」という。吉岡は歌人としての出発点において、しかも二十八歳という若さで、青春期の一時の情熱に曇らされない冷徹な眼をもって、自己の本質を受け入れたのである。これは珍しいことと言わねばならない。誰しも青春期には肥大した自己と過剰な自意識を抱えていて、正確な自己認識を持つことはむずかしい。膨れあがった自意識は、天空へ飛翔するがごときハイトーンの抒情を生み出すことがある。その一時の煌めきは青春の特権と言えるだろう。二十歳の頃の吉岡もこのような青春の煌めきと無縁だったわけではない。

 ちちははのいのりのごときうみなりのなかをゆくとき血こそかがやけ

 海ゆかばみづくかばねとなるものを生かされてわがのる遊覧船

 しかし吉岡は自らを草食獣と規定して歌人としての歩みを始めた。そこには自己認識と引き替えに引き受けた断念がある。第一歌集『草食獣』には年齢相応の清新な抒情を感じさせる歌が見られるかと思えば、年齢にそぐわない老成の香りの漂う歌もあり、読後の印象が散乱する感は拭えない。

 妹は尿してをりかたはらにさく竜胆の花はむらさき

 盲腸の跡がのこれる下腹部をさらす女もわれも敗者か

 吉岡が自分の短歌世界に自信を持ったのは、第三歌集から第四歌集にかけての頃だという。次のような歌が吉岡の歌境の深化を証している。 

 さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを

 かみさまも裏側ゆゑにせはしくて縫目のあとのしるき陰嚢

 その特徴を一言で言えば、生活の些事を掬い上げる目線の低さと、アンチ自己劇化であろう。この特徴はこのたび刊行された第六歌集『草食獣 隠棲篇』でも健在である。

 朝夕のわれのかひなをはなさざるテルモ電子血圧計嬢

 をのこまたをみなおなじく水泳のガッツポーズの脇に毛のなし

 ぷらすちっくの豚のそこひゆたちのぼるベープマットの夏はきにけり

 「テルモ電子血圧計」「ベープマット」という商品名から滲み出る市井の生活感、「をのこ」「をみな」の古語と「ガッツポーズ」というカタカナ語の取り合わせの生み出すズレがこれらの歌のポイントであり、この手の手法に関して吉岡は名人の域に達している。短歌の韻律が本来内蔵している「雅」と、目線低く掬い上げられた生活の些事という「俗」の巧みな結合と配分により生み出されるこれらの歌には、現代短歌において他に類を見ない手触りと味わいがある。それはひと言で言うと大人の味わいである。

 大病を経験した吉岡にとって死はすでに身近なものかもしれないが、この歌集では死は今までよりも静謐感のなかに描かれていることも注目される。

 死んでゆく最明寺川みづあまく螢とびかふ六月の夜

 たいざうかいたいざうまんだら湯に入りて荒井注氏のおもむくところ

 手にかこふほたるのひかりなかぞらに尾をひくひかり草生のひかり

 秋風にすわれば風がわたりをりこれだけの生これだけのこと

 しかし、と私はすんでの所で立ち止まって考える。これは「野仏の微笑」の境地と紙一重ではないか。吉岡の年齢でこの境地に踏み込むのはまだ早すぎる。ここはぜひとも今しばらくこちら側に踏みとどまって、「雅」と「俗」のあわいから繰り出される絶妙のユーモアのまぶされた人生の哀感を歌にしてもらいたい。そう願うのは私ひとりではないはずだ。吉岡短歌の愛読者として、草食獣の歌境のさらなる展開を待望する所以である。



「鱧と水仙」25号 (2005年)掲載

『レ・パピエ・シアン』の歌人たち

 京都の寺町二条に三月書房という本屋がある。その古ぼけた外観といい、奥にある風呂屋の番台のような帳場といい、古本屋を思わせる風情だが、れっきとした新本書店である。その地味な外観とは裏腹に、三月書房は知る人ぞ知る伝説的な有名書店なのだ。京都に住む読書好きの人で、三月書房を知らない人はいない。世の中の流行から超然とした独自の基準による選本がその理由である。

 三月書房はまた短歌関係の本の品揃えでも知られており、短歌の同人誌も数多く店頭に置いている。『レ・パピエ・シアン』も三月書房で見つけた月刊同人誌のひとつである。ブルーの紙を使った瀟洒な雑誌で、同人誌らしく手作り感がにじみ出ている。短歌好きが集まって、ああだこうだと言いながら同人誌を作るのは、きっと楽しい遊びにちがいないと考えながら、手に取ってみた。

 結社は主宰者の短歌観に基づく求心力をその力の源泉としているため、いきおい参加者の作歌傾向が似て来る。それにたいして同人誌は気が合う仲間で作るもので、作歌傾向はばらばらでもかまわないというよい意味でのルーズさが身上である。『レ・パピエ・シアン』も同人誌らしく、堂々たる文語定型短歌からライトヴァース的口語短歌まで、さまざまな傾向の短歌が並んでいる。同人のなかでいちばん名前を知られているのは、たぶん大辻隆弘だろう。しかし、私は今まで名前を知らなかった歌人の方々をこの同人誌で知ったので、気になった短歌・惹かれた短歌を順不同で採り上げてみたい。2004年1月号~3月号からばらばらに引用する。

 この同人誌でいちばん気になった歌人は桝屋善成である。 

 底ひなき闇のごとくにわがそばを一匹の犬通りゆきたり

 悪意にも緩急あるを見せらるる厨のかげに腐る洋梨

 なかんづくこゑの粒子を納めたる莢とし風を浴びをるのみど

 紛れなく負の方角を指してゆくつまさきに射す寒禽の影

 手元の確かな文語定型と、吟味され選ばれた言葉が光る歌である。なかでも発声する前の喉を「こゑの粒子を納めたる莢」と表現する喩は美しいと思った。テーマ的には日々の鬱屈が強く感じられる歌が多い。日々の思いを文語定型という非日常的な文体に載せることで、日常卑近の地平から離陸して象徴の世界まで押し上げるという短歌の王道を行く歌群である。愛唱歌がこれでいくつか増えた。

 病む人のほとりやさしゑ枕辺を陽はしづやかに花陰はこぶ  黒田 瞳

 みなぎらふものを封じて果の熟るる子の頭ほどの固さかと思ふ

 さかしまに木を歩ませばいく千の夜世わたらむよそびら反らせて

 凍み豆腐やはらにたきて卵おとす卵はゆるゆる濁りてゆくを

 黒田も文語定型派だが、言葉遣いにたおやかさを感じさせる歌が多い。漢字とかなの配分比率、やまとことばの駆使、歌に詠み込まれた感興の風雅さが特に際立つ。今の若い人にはなかなかこういう歌は作れない。ある程度の年齢の方と想像するがいかがだろうか。「さかしまに」の歌の木が歩くというのは、マクベスのバーナムの森を思わせ、幻想的である。「夜世わたらむ」と定型七音に収めず、「夜世わたらむよ」と八音に増音処理したところに余韻を残す工夫があると思った。美しい歌である。

 母を蘇らせむと兄は左脚、弟は身体全てを捧ぐ  服部一行

 最大の禁忌〈人体錬成〉に失敗す幼き兄弟は

 哀しみに冷えゆく〈機械鎧 (オートメイル)〉とふ義肢の右腕、義肢の左脚

 なかでも異色なのは、服部一行の「鋼の錬金術師」と題された連作だろう。TVアニメ化もされた荒川弘の同名マンガに題材を採った作品だが、「人体錬成」「機械鎧」(アーマー / モビルスーツ)というテーマは、サブカルチャーと直結している。同人誌『ダーツ』2号が「短歌とサブカルチャーについて考えてみた」という特集を組んでいるが、確かに今の短歌の世界ではサブカルチャーを詠み込むことは珍しくないのかも知れない。しかし、サブカルチャーをどういうスタンスで短歌に取り入れるかは、歌人の姿勢によってずいぶん異なる。藤原龍一郎の「ああ夕陽 明日のジョーの明日さえすでにはるけき昨日とならば」には、時代と世代への強い固着があり、批評性が濃厚である。黒瀬珂瀾の「darker than darkness だと僕の目を評して君は髪を切りにゆく」には、流行の現代を生きる青年のひりひりした自己感覚がある。服部の連作は原作マンガの物語の忠実な再現に終始していて、サブカルチャーを素材とすることへのさらなる掘り下げが必要なのではないだろうか。

 渡部光一郎もなかなかの異色歌人である。

 中井英夫は江戸っ子にてしばしば指の醤油を暖簾もて拭き

 見習いは苦汁使いに巧みにて主人の女房をはやくも寝取る

 豆腐屋「言問ひ」六代目名水にこだわり続けたりと評判

 江戸落語を思わせるような威勢のいい言葉がぽんぽんと並んだ歌は、俗謡すれすれながらもおもしろい。言葉の粋とリズムが身上の短歌なのだろう。ちなみに2004年2月号は「都々逸の創作」特集だが、渡部はさすがに「椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる」と達者なものである。

 その他に惹かれた歌を順不同であげてみよう。同人誌らしく、文語定型の歌、口語の歌、文語と口語の混在する歌とさまざまである。

 わが額にうつうつとまた影生(あ)れて ふるへる朝のふゆの吐息よ 角田 純

 軋まないようにゆっくり動かして重たき今年の扉を閉じぬ  藤井靖子

 重ねたのは仮止めとしての問いの板だからだろうか神を忘れて 小林久美子

 抽出にさよならだけの文あるにまた会ふ放恣の盃満たさむと 酒向明美

 携帯を持たぬ我は今やっと時を操る力を手にする  渋田育子

 忘れゆく想ひのあはき重なりに花はうすくれなゐの山茶花 矢野佳津

 角田の「わが額に」の口中に残る苦みも短歌の味わいである。ただし、なぜ一字あけが必要なのかよくわからない。完全な定型に字あけは必要ないのではないか。右に引いた藤原龍一郎の歌では、「ああ夕陽」のあとの一字あけは必然である。

 藤井の歌は年末風景を詠んだものだが、文語と口語が混在している。結句を「閉じぬ」で終えたのは、短歌的文末を意識したからだろうが、「軋まないようにゆっくり動かして重たい今年の扉を閉じる」と完全な口語短歌にしても、その味わいはあまり変わらないように感じる。日常雑詠のような藤井の連作のなかで、この歌だけ印象に残ったのだが、その理由はひとえに「重たき今年の扉」という措辞にある。村上春樹のモットーは「小確幸」(小さくても確かな幸せ)だが、それにならえば「小さくてもハッとする発見」が短歌を活かす。

 小林の歌は「舟をおろして」という連作の一首で、手作りで舟を作っている情景を詠んだもののようだが、「仮止めとしての問いの板」という喩に面白みがあると思った。またそこから「神を忘れて」となぜ続くのか、論理的には説明できないのだが、忘れられない魅力がある。短歌は完全に解説できてしまうと興趣が半減する。どうしても謎解きで説明できないものが残る短歌がよい歌ではないだろうか。

 酒向の歌は一首のなかに、まるでドラマのようなストーリーを詠み込むことに成功している。いったんは別れた男女の恋が再び燃え上がるのだが、「放恣の盃満たさむ」という措辞にエロスが溢れている。下句が「また会ふ放恣の(八) / 盃満たさむと(九)」と十七音(盃を「はい」と読めば十五音)だが、破調を感じさせない。

 渋田の歌はいささか言葉足らずなのだが、「携帯を持たなかった私が持つようになって、やっと時間を操る力を手に入れた」と読んだ。携帯は現代生活のあらゆる場面に浸透しているが、その力を「時を操る力」と表現したところがおもしろいと思った。

 矢野の歌は連作を通読すると同僚の数学教師の死を追悼する歌だとわかる。「花はうすくれ/なゐの山茶花」と句跨りになっているが、調べの美しい歌で記憶に残った。



『レ・パピエ・シアン』2004年5月号掲載

文体はどのような〈私〉を押し上げるか──新鋭歌集の現在

 今回本号の特集で取り上げられている歌集を眺め渡すと、平成一六年現在における現代短歌の多様性をギュッと凝縮した感がある。私に与えられた役目は個々の歌集を取り上げて論じることではなく、全体の概観を示すという作業である。短歌の単なる一読者に過ぎない私にはいささか荷が重い役目なのだが,そのためには全体を貫くキーワードが必要だろう。ここでは「文体」をキーワードに選んでみたい。まず永田和宏が一九七九年に書いた『表現の吃水』のなかで提案した定義を見てみよう。

「(短歌における)文体とは、作品中に現われてくる〈私〉が、発話主体と、決して散文的・日常的な水準で重なるものではないということを保証する方程式である。あるいはそれは、日常的行為者としての〈私〉を、詩の構成要因たる〈私〉へと押し上げるための梃子である」

 日常から詩へと〈私〉を押し上げる梃子としての文体は、文体によって押し上げられる〈私〉という概念と不即不離の関係にある。日常から詩の虚空へ押し上げられた〈私〉は、短歌において日常と対立する項として機能する。同時に文体もまた、日常の言葉とは対立するものでなくてはならない。この〈対立項〉としての文体が、かつては定型であり韻律であり文語であった。このような文体の定義は、四半世紀を経た今日でもまだ有効なのだろうか。

 本誌第三号の枡野浩一と穂村弘の対談「ぼくたちのいる場所」で、枡野が強調しているのは既存の短歌のわかりにくさである。枡野は「既存の短歌のほとんどは一般の場所に来たら通じない」と断じ、「渋谷の電光掲示板に映ったときにおもしろい短歌をつくりたい」と発言している。これは短歌の文体を日常の地平に流し込んでやるということであり、ある意味で永田の掲げる〈対立〉のフラット化をめざしているのである。

 一方藤原龍一郎は『短歌の引力』で、短歌にしばしば見られる「わかりにくさ」は、言葉の意味が平板でないことに起因し、そのままの意味をたどろうとすると非日常の壁にはね返されるからだとし、「作者の真意にできるかぎり近づこうとするためには言葉の屈折率を丁寧にたどって、その詩歌としての韻律や結像力や自意識の座標を感受し、それを想像力でみずから内部に構築する」ことが必要だと述べている。的確な分析だと思うが、キャッチーな短歌を目指している枡野なら「そんな態度には愛がない」と言うだろう。

 今回の特集で取り上げられた歌人たちは、永田の〈対立〉という軸と、枡野の〈フラット化〉という軸のあいだで、さまざまに揺れ動いているように見える。

 〈対立〉の文体を最も感じさせるのは、六七年生まれの高島裕だろう。文語定型旧仮名という表現面での完全武装もさることながら、アナキスト蜂起による首都赤変を幻視するという思想レベルでの非日常性が際立っている。

 光体に目を灼かれたる夏なれどゆふぐれ重き前線を越ゆ 『旧制度』

 撃ち堕とすべきもろもろを見据ゑつつ今朝くれなゐの橋をわたらな

 錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』、目黒哲朗『CANNABIS』、横山未来子『樹下のひとりの眠りのために』なども、永田的意味での〈対立〉の文体を自らの短歌の基軸としている。これらの歌から文体を通して浮上する〈私〉は、朝起きて歯を磨く日常的行為者の私ではなく、短歌のなかで再構築された詩的主体としての非日常の〈私〉である。

 弥生町四丁目裏 純白の魚のひとたび跳ねるを見たり 錦見映理子

 薔薇の花散る無秩序が美しい町ゆゑわれの消息を問ふな 目黒哲朗 

 冬の水押す櫂おもし目を上げて離るべき岸われにあるなり 横山未来子

 しかしこのような文体を採る歌人は、八十年代の終わりから九十年代の初めくらいに短歌を作り始めた人までのようだ。年代的に言えば、横山未来子は七二年生まれで、玲はる名・佐藤真由美・佐藤りえは七三年生まれだから一歳しかちがわないが、この辺に目に見えないフォッサマグナがあるらしい。文体は急激にフラットな地平に移行している。

 3月に生まれたけれどなにひとつ欠けていないの 拍手しないで
               玲はる名『たった今覚えたものを』

 泣いたぶんキレイになれる星生まれまだ泣き方が足りないらしい
               佐藤真由美『きっと恋のせい』

 食べ終えたお皿持ち去られた後の泣きそうに広いテーブルを見て
               佐藤りえ『フラジャイル』

 この差はどこから来るのだろうか。それはたぶん「言葉にリアルを感じる」感受性が変容しつつあるのだ。文語定型という非日常的文体は、約束事による虚構の文体である。そのような非日常的文体に日常的思いを載せるには、想像力の河を遡上し、比喩という橋を渡らなくてはならない。その遡行の長い距離がもうすでに「リアルでないもの」と感じられてしまうのだろう。またこのような対立的文体によって押し上げられた非日常的〈私〉もまた、これらの歌人には「リアルでないもの」と感じられるのである。

 確かに、口語にしか載らないような思いというものもある。加藤治郎は、「四年前、原っぱだったねとうなずきあう 僕らに特に思いはなくて」という早坂類の歌を引いて、淡い空虚な感じやちょっとさみしい感じのような都市生活者の気分は、文語ガチガチの定型では引き出せないと指摘している(『現代短歌の全景』)。

 しかし、永田的意味での〈対立〉の文体と〈フラットな〉文体は、決して文語と口語の差に還元されるわけではない。口語を用いながらも〈対立〉の文体を実現することはできる。例えば次のような歌人たちはそれを十分に実現していると、私には思えるのだ。

 骨と骨つないでたどるゆるやかにともにこわれてゆく約束を 
             ひぐらしひなつ『きりんのうた。』

 膝がしら並べていたねゆるしあう術もないまま蝶をとばせて

 夕暮れの車道に空から落ちてきてその鳥の名をだれもいえない
                盛田志保子『木曜日』

 人生にあなたが見えず中心に向かって冷えてゆく御影石 

 これらの歌は口語だが、注意深く選ばれた言葉の連奏のかなたから浮上する〈私〉は、日常的行為者としての〈私〉ではなく、文体を梃子として非日常的な詩の水準へと引き上げられた〈私〉である。加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』の、「そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた」のような歌と比べれば、その〈私〉の押し上げられた水準の差は明らかだろう。

 一九七三年生まれの人が成人を迎えたのは九三年だから、思春期をバブル経済のただ中で過ごし、バブル崩壊とともに成人したことになる。この世代の歌人に特徴的なのは、短歌のあちこちに漂う「漠然とした終末感」「出口なし感覚」である。

 ピンボール月の光をはじきつつ出口はないけれど待っている 
                佐藤りえ『フラジャイル』

 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ 
                生沼義朗『水は襤褸に』

 ソ連邦解体くらいまではかろうじて命脈を保っていた〈大きな物語〉は、九十年代には完全に失効した。私たちの手に残されているのはもはや〈小さな日常〉でしかない。しかし、〈小さな日常〉は際限なく断片化するため、共有することの難しい資源である。今の若い歌人たちが〈対立の文体〉でなく、〈フラット化された文体〉を志向し、〈日常的私〉に「リアルなもの」を探そうとしているのは,ここに理由があるのではなかろうか。

 そんななかで異色と言えるのは、黒瀬珂瀾と石川美南の二人である。

 わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を 
                 黒瀬珂瀾『黒燿宮』

 茸たちの月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして 
                 石川美南『砂の降る教室』

 黒瀬の繰り広げるペダンティックな耽美的世界では、〈私〉は日常的地平に矮小化されるどころか時に誇大にすら増幅され、黒瀬の周到な戦略を感じさせる。また石川の短歌を貫く「世界を異化する視線」は、〈大きな物語〉が失効した現代にあって、世界に対して非日常的〈私〉を立ち上げるひとつの方法論を示しているようで、注目されるのである。



『短歌ヴァーサス』5号(風媒社)2004年10月8日発行

ぬばたまの鴉は生と死のあはひにて声高く啼く──大塚寅彦の短歌世界

 大塚寅彦が1982年に「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞したのは、若干21歳の時である。繊細な感受性が震えるようなその端正な文語定型短歌は、とても20歳そこそこの青年の手になるものとは思えないほどの完成度を示している。それから20年余を経て、口語ライトヴァース全盛の現在となっては、もはや遠い奇跡のようにすら感じられる。穂村弘は、大塚の「をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪」を引いて、「このような高度な文体を自由に使いこなす若者は彼らを最後に絶滅した」と述べた(『短歌ヴァーサス』2号)。ちなみにここに言う「彼ら」とは、大塚、中山明、紀野恵の三人をさす。大塚はこのように文芸において早熟の人なのである。そしてこのことは、大塚の短歌に深い刻印を残しているように思われる。

 1985年の第一歌集『刺青天使』を代表すると思われる二首がある。

 烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのちわれも大鴉を飼へるひとりか 

 翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈 

「烏羽玉の」は「黒」にかかる枕詞だから、古風に音盤と書かれたレコードは、黒光りするLPレコードか、ひょっとするとSPレコードかもしれない。「大鴉」はもちろんエドガー・アラン・ポーの長詩 Ravenで、Nevermore と陰気にリフレインを響かせたあの鴉である。「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自己の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それは自らの内に刻印された運命としての資質であり、大塚の詩想の源泉でもある。大塚には他にも鴉の歌があるが、『ガウディの月』所収の「選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て」にも明らかなように、自らを宿命によって選ばれた者であるとする密かな矜持がある。これは『刺青天使』において特に強く感じられるように思う。

 右にあげた二首目は、歌集の題名にもなった歌である。「翼痕」とあるのだから、何ゆえか天使が羽をもがれてこの地上に堕されている。浮き出す青い静脈が刺青のように見えるという歌だ。地上に堕された天使は、天上的特性と地上的特性を併せ持つ両義的存在である。天上と地上のあいだで引き裂かれている天使は、この世に生を受けて生きている不思議と不全感の喩として、歌集全体を紋章のように刻印している。それは集中の次のような歌に明らかである。

 いづくより得し夢想の血 をさなくてみどり漉す陽に瞑りてゐき

 わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを

 せいねんの肉体を持つふしぎさに 夜半の鏡裡に到るときのま

 いつの頃からか宿った夢想の血、地上にあって青年の肉体を持つ違和感、自らを堕天使と思いなす感覚、これは文芸において早熟な若者が抱きがちな魂の影である。ランボーの塔の歌を、ラディゲのペリカンを、三島由紀夫の貴種流離幻想を思い出すがよい。客観的に見れば確かに青年のナルシシズムである。しかし、このような魂の影は文芸の胚珠であり、そこから次のような美しい歌が生まれる。

 みづからの棘に傷つきたるごとし真紅の芽吹きもつ夏薔薇は

 花の屍ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて

 ところが、自らを羽をもがれた天使に仮託した青年の矜持と幻想は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。かわって目につくようになるのは、世界と自分とのかすかな違和感を詠んだ歌と、倦怠と孤独を感じさせる歌である。

 天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く

 倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり

 炙かれゐたる魚の白眼うるみつつ哀れむごとしわが独りの餉

 地上に長く暮していると、天使を思うことも少なくなる。天上的特性が薄れて、地上的特性が優位を占めるようになる。天使といえどもこの汚濁の世に生きれば、否応なく日々の塵埃にまみれるのである。かわって表に顔を出すのは、早熟の代償としての老成である。次のような歌に注目しよう。

 モニターにきみは映れり 微笑をみえない走査線に割かれて

 秋のあめふいにやさしも街なかをレプリカントのごとく歩めば

 育ちたるクローンに脳を移植して二十一世紀の終り見たし

 モデルハウス群しんかんと人間の滅びしのちの清らかさ見す

 SF界の鬼才フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を映画化した『ブレード・ランナー』に登場する人造人間レプリカントのように街を歩く私。ハウジングセンターに人間が滅亡した未来を幻視し、恋人はもはやモニターに映し出されるヴァーチャルな存在にすぎない。『現代短歌最前線』(北溟社)上巻の自選100首に添えられた文章は「2033年トラヒコ72歳」と題されている。AIに生活全般を世話されている72歳の老人になったトラヒコの物語である。この設定は意味深長と言わねばならない。

 この短文を読んで、小松左京の『オルガ』というSF短編を思い出した。舞台は人間がサイボーグ化により200歳もの長命を獲得した未来社会である。しかし人間はその代償として生殖能力を喪失している。主人公の老人は公園で思い切って見知らぬ婦人にいっしょにオルガを飲まないかと誘う。婦人は顔を赤らめるが承知し、ふたりは喫茶店でオルガを飲む。オルガとは長命の代償として失った性的快感の代替品なのである。喫茶店の外を見ると、そこにはヒトという種が迎えた晩秋の荒涼とした風景が広がっているという、なぜか心に残る物語である。

 文芸の世界で早熟は栄光であると同時に災厄でもある。穂村弘が「高度な文体を使いこなす若者たち」の一人として名をあげた中山明は、第二歌集『愛の挨拶』以後短歌の世界から距離を置き沈黙して久しい。最後の歌集『ラスト・トレイン』は中山のホームページ翡翠通信で読めるのみであり、そこに収められた歌には透明な惜別感が充満していて、胸が痛いほどである。これにたいして大塚は、第一歌集を見事に刻印した早熟の代償として、早すぎる老成を自ら選択したように思えるのである。

 第四歌集『ガウディの月』には、それまでの歌集にはあまり見られなかった作者の日常の出来事に題材をとった日常詠・機会詠が多く収められている。

 独りの荷解く夜の部屋の新畳にほへば旅のやうな静けさ

 職場出て芝に憩へばくちなはの陽の沁みとほる蛻のわれは

 うすべににこころ疾む日やひいやりと弥生の医師の触診を受く

 親の死、姉の入院と手術、また自分自身の手術、先輩歌人永井陽子の死、転居と、人生の節目となるような出来事が続いて起きたことがここに作用しているのは明らかである。しかし、それだけがこのような歌風の変化の原因とは思えないような気がするのである。私はここで「方法として選択された老成」という言葉を使ってみたくなる。その意味するところは、より日常の些事に拘泥することで、地上的特性が優位を占めこの世に生きる自分の身辺のなかに静かに抒情を歌うというほどのことである。『ガウディの月』に収められた歌の中にしばしば顔を出す諦観と疲労感は、このような短歌に対する態度と無縁ではないだろう。もちろんこのような態度からも美しい歌は生まれる。それは次のような歌であり、これらを読むとき私たちのなかには、静かだが深く心に刺さるものが残されるのである。

 蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに

 わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり

 湖にみづ倦みをらむ明るさをめぐりてあればいのち淡かり



『短歌』(中部短歌会)2004年7月号掲載

黒瀬珂瀾歌集『黒燿宮』書評:〈絶対的不可能〉を希求する悲劇性

 まず表紙のデザインが目を引く。黒一色で、蔓植物に首を絡まれた長髪の美青年の絵がある。蔓植物は青年の首を絞めようとしているのだが、青年は抗うどころか恍惚として迫り来る死を受け入れている。この表紙絵の青年は、黒い服、とりわけJ.P. ゴルティエを好んで着るという黒瀬本人だろう。いや、このように言うことは著者が周到に張り巡らした陥穽に陥っていることになる。表紙絵の青年は、著者が「他者からこのように見られたい」と望む自己像であり、黒瀬が入念に作り上げた「歌人黒瀬珂瀾」という〈虚構の私〉に他ならない。歌会に化粧をして現われ、NHKの番組にスカートをはいて登場したという黒瀬は、髪型や服装もまた歌人の構成要素であると考える演劇的歌人であり、黒瀬の作り上げた短歌宇宙はひとつの劇場なのだ。表紙の絵はそのことを教えてくれる。

 表紙絵には作品世界のテーマの主音も現われている。青年特有のナルシシズムと死への誘惑と官能である。

 The world is mine とひくく呟けばはるけき空は迫りぬ吾に

 わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を

 からみあふぼくらを常に抱く死とは絶巓にして意外と近し

 「巴里は燃えてゐるか」と聞けば「激しく」と答へる君の緋き心音

 復活の前に死がある昼下がり王は世界をご所望である

 「世界は我が物」と呟くのは青年の倨傲である。これを声高に叫んだらヒトラーになってしまう。しかし青年は低く呟く。世界が我が物であるのは、自らの主観の中でしかないことを知っているからである。青年は「わがために塔を」と叫ぶ。塔は世界を統べる権力の象徴である。しかし、その塔が建つのは打ち捨てられた廃園の中なのである。これらの歌は、黒瀬の作品世界を貫くひとつのベクトルを示している。それは「あらかじめ失われた愛」であり、「瓦解するべく建てられた塔」である。これは〈絶対的不可能の希求〉と言えよう。絡み合う二人が死を間近に感じるのは、快楽の頂点が死と触れ合うように、プラスの頂点がいきなりマイナスに転じるという逆説的構造がそこにあるからである。世界を支配する権力への渇望が、全世界を焼き払う破壊衝動に転じるのもまた、同じ理屈による。同性愛のモチーフが頻出するのも、それが結婚というゴールのない〈不可能な愛〉だからに他ならない。黒瀬が縦横に引用する三島由紀夫、ジル・ド・レ、サド、バタイユらの文学もまた、〈絶対的不可能の希求〉を重要な縦糸としたことを想起すればよい。

 黒瀬の描く短歌世界には、パゾリーニやヴィスコンティの映画、マーラーの音楽、バルテュスの絵画と並んで、若者のサブカルチャーがよく登場することも特筆に値する。

 エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとに我が八月終る

 June よ June、君が日本に一文化なる世を生きてわが声かすむ

 darker than darkness だと僕の目を評して君は髪を切りにゆく

 エドガーとアランは、萩尾望都の少女マンガ『ポーの一族』に登場する不死を運命づけられた吸血鬼の少年。Juneは1978年創刊の雑誌で、美少年同性愛もの(いわゆる「やおい」)の舞台となった。darker than darknessはヴィジュアル系バンド BUCK-TICHが1993年にリリースしたアルバムのタイトルである。このようにハイカルチャーとサブカルチャーが同じ地平で扱われていることに、世界で最も大衆化された消費社会である現代日本の典型的な光景を見る思いがする。

 ではこのような世界に住む歌人にとって抒情とは何か。ここにもアンビバレントが顔をのぞかせる。絶対的不可能を希求する矜持と、自らの営為の不毛性の自覚が背中合せに同居することになるからである。ここに歌集の主調低音である悲劇のトーンが生まれる。

 穢れ、時にきらびやかなり。汝は傷を受け燔祭におもむきたまふ

 血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ

 ふと気付く受胎告知日 受胎せぬ精をおまへに放ちし後に

 砂漠なる雨のごとしも指の間ゆ自涜の果ては落ちて冷めゆく

 『黒燿宮』の代表歌として「地下街を廃神殿と思ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ」を挙げた菱川善夫に、硬派の批評家である山田富士郎は激しく反発した(季刊『現代短歌雁』五六号)。いかにも黒瀬が意図した劇場的で耽美的意匠を施したこのような歌ではなく、山田は歌集後半に多い「少女らは光の粒をふりまきぬクラミジアなど話題にしつつ」のようなおとなしい歌を代表歌としている。では黒瀬本人はどうかといえば、同じ号の特集「わたしの代表歌」では意外なことに、「明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ」を挙げている。華麗な耽美的意匠の少ない静かな歌である。黒瀬の短歌に溢れる演技性と耽美的装飾は、おそらくは計画的にデザインされた意匠なのであり、その背後には等身大の二十代の青年の清新な抒情が隠されているのではないだろうか。私が集中で最も心に沁みると感じるのもまた、このような歌なのである。

 ピアノひとつ海に沈むる映画見し夜明けのわれの棺を思ふ

 線路にも終わりがあると知りしより少年の日は漕ぎいだしたり

 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ

 

『短歌』(中部短歌会) 2004年2月号掲載