第300回 橘夏生『セルロイドの夜』

雑沓を怖るる象よゆらゆらと影のみてる夏のサーカス

橘夏生『セルロイドの夜』

 歌に詠まれている象は曲馬団で飼われていて、集まった観客の前で芸をする象だろう。しかし雑踏を怖れるようでは、大勢の観客の前に出ることはできない。しかたなくバックヤードの檻の中でひっそりと飼われている。忍び込んだ子供が象を見つけて驚くこともあったかもしれない。しかしそれもこれもはるか昔のこと。曲馬団はいつしか消滅し、檻の中の象もとうに死んでいる。昔、曲馬団が町にやって来てテントを張った空き地には夏草が生い茂り、照りつける陽射しに草いきれがする。そこに陽炎のようにゆらゆらと立ち上がるのは昔の曲馬団の幻影である。

 久々に異色の歌集を読んだ心地がする。橘夏生の『セルロイドの夜』(2020年、六花書林)である。橘夏生なつおは新しい筆名で、旧名は山中晴代という。短歌人会所属の歌人で、本歌集は第一歌集『天然の美』(1992年)、第二歌集『大阪ジュリエット』(2016年)に続く第三歌集である。巻末に長いあとがきと経歴が添えられている。それによると、アングラ劇団天上桟敷の女優になるべく上京するもオーディションに落ち、寺山修司に短歌を進められて作歌を始める。塚本邦雄を紹介されて師事することになり、『サンデー毎日』の塚本選に何度も入賞。のちに『小説JUNE』で藤原月彦(龍一郎)が連載していた黄昏詩歌館入門にも俳句を投稿する。玲瓏ではなく短歌人会に入会したため、塚本から破門されるとある(本当だろうか)。短歌のビッグネームが続々登場する経歴に驚く。「言葉は綺羅、言葉は鴉片、言葉は美貌のリビングデッド。現実など日常など、想像力の前には、卑しい下僕に過ぎない」という藤原龍一郎の帯文は、塚本ばりの唯美主義宣言である。小口が金の装幀も目を引く。

 本歌集は著者が長年詠み続けて来た「デカダンスとイノセント」の集大成だとあとがきにある。その言葉に寄せるようにして読後の印象を述べれば「猥雑にして高雅」となろうか。しかし何といっても本歌集を繙く人がまず驚くのは固有名詞の奔流である。固有名詞詠みの達人である藤原龍一郎でさえここまでの量ではない。

イミテーションぢやなきや愛せない まぼろしの東京の歌姫戸川純

サリエリがわからぬと云ふ萩尾望都 百合はみづからの重みにかたむく

苦艾酒アプサン片手にアントナン・アルトーは問ひかける「あなたはあなたの関係者ですか」

シュザンヌ・ヴァランドンのことおもふたびなまなまとわが目にひらく変化朝顔

蔵書印のしゆの懐かしもアスタルテ書房に遇へる『月下の一群』

数学者チャールズ・ドジソン撮りたるは死のにほひする少女の和毛にこげ゛

回転ドアのむかうがはには永遠に辿りつけざりノーマ・ジーンは

 一首目の戸川純はロック歌手。ボヤ騒ぎ起こしてからとんと見かけない。二首目のサリエリは映画『アマデウス』でモーツアルトへの嫉妬に狂う人物として描かれていた同時代の音楽家。萩尾望都はいうまでもなく『ポーの一族』の漫画家である。三首目のアルトーはフランスの小説家・演劇人。四首目のヴァランドンはユトリロの母親で、独学で当時珍しかった女性画家になった人。五首目のアスタルテ書房はかつて京都の三条にあった幻想文学の古書店。この店を開いたのはジョルジュ・バタイユなどの翻訳で知られた生田耕作である。私は大学一年の時、フランス語の初級文法を生田耕作に習った。『月下の一群』は堀口大学の訳詩集。六首目のチャールズ・ドジソンは『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルの本名。七首目のノーマ・ジーンはマリリン・モンローの本名である。もっと珍しい名前もある。

舞台ここで死ねいま蘇生して明日も死ねわがパフォーマー首くくり栲象たくざう

落ちし椿のあとを辿りて甲斐庄楠音かひのしやうただおと展へゆく弥生かな

〈水無月〉と書かれし箱より人形の天野可淡の少女取り出す

 首くくり栲象とは、長年自宅の前の庭で首を括るパフォーマンスを続けた人だそうだ。甲斐庄楠音は日本画家で、土田麦僊に「汚い絵」と酷評され、その後映画美術に転じた人。天野可淡は耽美的な球体関節人形を作った人形作家である。

 このように奔流のように固有名詞を詠み込んだ歌は、叙景歌や叙情歌といった従来の歌の分類には収まりにくい。強いて言うならば、何かに想いを寄せた歌ということになろうか。ということは作者の胸中には様々な想いが湧いているということで、短歌はその想いを表現する手段ということになる。

 天井桟敷の女優をめざしていたからなのか、その手つきはどこか演劇的であり、「露悪というこころのうごき 曼珠沙華くきまつすぐに花を支へて」という歌にもあるように露悪的でもある。

ごみ溜めの隅にいちりんのすみれ咲きそれはマチェクとわたしのお墓

マラー最期の浴槽とおもひ溶かすかな淡紅のざくろ温泉の素

 マチェクはアンジェイ・ワイダ監督の名作『灰とダイアモンド』の主人公で、マラーは浴槽で暗殺されたフランス革命の大立て者。自らをマチェクやマラーになぞらえているところが演劇的である。作者はこのように非業の死を遂げた人物に共感するところがあるようだ。

 作者はイタリアを旅しても上海を訪れても、目に映った景物よりも土地の霊に促されるように過去の人物に想いを馳せるのである。

ゆつくりと闇おしわける白き馬チェザーレ・ボルジアその死の前夜

メディチ家はいまガリレオの頭上過ぐ新星といふつひのかがやき

金子光晴上海ゆ巴里にわたる船いまし虹の輪くぐりてゆかむ

故宮にてロイド眼鏡は涼やかに愛新覚羅溥儀と名乗りつ

 そんな作者もたまさか現実に目を向けて、次のような歌を詠むこともある。

国家として節会せちえごとに唱ふなら『海ゆかば』こそ斉唱すべし

鶴彬の碑をたづねあぐねたり大阪城公園は濃き樹の匂ひ

すべての電波が途絶える夜にまぼろしの業平橋駅のホームが灯る

無人なる座席に坐るひかりあり三陸鉄道復活のまへ

給付金はユニセフにとふつまに目を瞠る受胎告知のマリアのやうに

 三首目は東京電力福島第一原発が苛酷事故を起こし、計画停電により首都を暗闇が支配した折りの歌である。業平橋駅という歌枕を思わせる優雅な駅名が東京スカイツリー駅という味気ない駅名に改名されたことに作者は憤り、幻視によって旧業平橋駅を浮上させているのである。五首目は2020年に新型コロナウィルスが流行した時に、政府が全国民に支給した一人10万円の給付金を詠んだ歌。

 このように才気溢れる歌が並ぶが、それを外連味と感じて嫌う人もいるかもしれない。私はたいへん面白く読んだ。作者の生年は不明だが、たぶん藤原龍一郎や私と同年代か少し下と推測される。若い頃に吸収したカルチャーがほぼ同じなので、同時代的共感と郷愁を感じつつ読んだ。

白魚を食めばかなしき咽喉のみどかな襟たかくしてみ冬を歩む

はつなつは氷砂糖の燦めきにりりたる四肢の少女たしむ

桐の花サドルにはらり散りかかりここ過ぎてゆくむらさきの神

下京区天使突抜てんしつきぬけ 雪晴れのさんぽはクノップフの豹をおともに

れんげはちみつひとり嘗めたり窓ごしにしみこんでゆく夜のけだるさ

バックミラーにゆふべのひかり灯るころ倒されてゐる放置自転車

鶏つぶす伯父のかひなのむらむらと黄砂の春に猛けるを見つ

トルソーに不在の首のかがよひをおもふまで碧き海に出でたり

薔薇園につゆ降りるころ交配の果てのさびしき一輪ひらく

 立ち止まった歌を引いたが、このような歌には外連味も露悪趣味もなく、ただ心に沁みてゆくばかりである。なぜか歌集後半にこのような歌が多く配されている。四首目の天使突抜は、作者のかつての師の塚本邦雄が最も美しいと愛でた町名で、京都市下京区に実在する。クノップフはベルギー象徴派の画家で、この絵はオイディプスに頬を寄せる下半身が豹のスフィンクスを描いたもの。

 この歌集を繙く読者は、猥雑にして高雅な幻視の世界を楽しまれたい。

 

第299回 高野岬『海に鳴る骨』

もの割るる音してのちに上がるべき悲鳴を聞かず春のゆふぐれ

高野岬『海に鳴る骨』

 自宅のリビングにいると、同じマンションの別の家から「ガチャン」と何かが割れる音が響く。うっかり茶碗か皿を落として割ったのだろう。ふつうなら「アアッー!」というような悲鳴が聞こえて来るはずなのに、なぜか聞こえてこない。聞こえてこないことが不穏な気配を一層強めている。結句はその雰囲気にそぐわないうららかな「春のゆふぐれ」である。この歌は、一見穏やかに暮らしているように映る日常に潜む不穏さを掬い取っている。本歌集にはこのように、波の下に隠れて見えない岩礁のような危うさが立ち籠めているのである。

 先日、送られて来た歌誌「まいだーん」第3号を見ていたら、巻末近くに同人歌評があり、その中で紹介されていた歌に心引かれるものがあった。さっそく取り寄せたのが高野岬『海に鳴る骨』(2018年、角川文化振興財団)である。例によってまったく未知の歌人なのだが、短いプロフィールによると、2011年に「塔」に入会。2017年に第7回塔短歌会新人賞を受賞している。『海に鳴る骨』は塔21世紀叢書の一巻として上梓されているので、結社期待の新人なのだろう。栞文は、加藤治郎、川野里子、三井修。三井の栞文によると、2008年頃に三井が横浜のNHK文化センターで開いていた短歌教室に高野が参加したのが始まりだという。歌歴は10年ほどということになるが、すでに自分の文体と短歌世界を持っている人である。「塔」の優秀欄の常連というのも頷ける。

 本歌集に収録された歌を読んでいると、作者がどのような日常を送っているかがよくわかる。夫婦二人暮らしで子供はおらず、犬を飼っている。以前は東京の都心に住んでいたが、思うところあって夫は会社を辞め、数年前に葉山に引っ越して、目の前に海の見えるマンションの4階に暮らしている。夫はネクタイを締めて出勤する勤め人で、絵を描くのが趣味である。本人は専業主婦のようで仕事はしていない。料理が得意なようだ。

瑠璃色と藍に分かるる湾の水波はありつつ混じらずにをり

対岸の街のガラスの一枚が今のぼりたる朝の日に燃ゆ

ひとり掛けのソファをそれぞれ持ち寄つて海ある町に二人で暮らす

真夜中の海のおもてに満月がひかりの道を我にのばせり

海見つつ我等は日々に物を食む木の椅子ふたつ横に並べて

 本歌集のベースを成すのは、上に引いたような海の見える日常を詠んだ穏やかな歌である。海は暮らしの中で大きな位置を占めていて、ダイニングの椅子を対面に置かず横に並べるのも、二人が平等に海を眺めるためである。二人掛けではなく一人掛けのソファーを持ち寄って暮らしているというところにも、相手を尊重する夫婦の関係性がよく表れている。こうして引いた歌を見ると、何と言うこともない日常詠のように見える。しかしそういうわけではない。それは集中に次のような歌が散見されるからである。

「裏駅」と呼ばるる鎌倉西口で夫待つ我は故郷もなく

春の花抱へて待てば病院のエレベーターが深き口

よその家の味噌汁飲めぬことなども我が眷属のくらさと思ふ

いさなとり浜辺にをれば老人の失踪告ぐる放送流れ来

何に効く錠剤ならむ早朝の道に落ちゐるピンクの一粒

幸福であるんだらうなと思ふとき水平に飛ぶあしたのかもめ

本来は脱落してゆく一羽かも空ゆく鳥の群れから我は

 一首目、勤め帰りの夫との待ち合わせの場面だが、〈私〉は故郷喪失者だという思いが胸の奥深くにある。二首目は入院した父親の見舞いの場面で、エレベーターの入口はどこか地中の深い所に続いている。三首目、よその家の味噌汁が飲めないのは味覚に強いこだわりがあるからか、いずれにせよそれを眷属の暗さと感じている。四首目の浜辺に流れる失踪を告げる放送や、五首目の道に落ちているピンク色の錠剤は、何気ない日常にふと顔を出す闇である。六首目では、自分はたぶん幸福なのだという思いを横切るように鷗が飛ぶ。七首目は自己の孤独を自覚する歌である。どうやら傍目には平穏な日々の暮らしを送っているように見える作者の心の奥底には、ひと筋の暗い水が流れているようだ。それは決して珍しいことではなく、心の闇や毒は文芸にとって必要な原材料でもある。フランスの作家・批評家のモーリス・ブランショはかつて「文学は欠如(manque)から生まれる」と喝破したほどだ。

 それを除いても本歌集を読んだ時の独特の感覚を言い尽くしている気がしない。加藤治郎は栞文で、「何かを喪ってゆく感じの滲む歌集である」と述べ、喪ってゆくのは未来であるとしている。そういう見方も成り立つかもしれないが、私にはちょっとちがう印象もある。堅実に日々を暮らしながらも、ふとこの世から離脱するような感じというか、終焉の日から逆算して今を眺めているような印象すらある。たとえば次のような歌にそれを感じるのである。

珈琲にさらさら砂糖を入れながら幾つの季節が過ぎただらうか

君の亡きあとも浜辺を歩くだらうその日も鷗が飛び立つだらう

遺言を書くつまけ春のうた口ずさみつつ掃除す我は

いづれわれが君を撒くとふ湾は今朝釣り舟多し秋晴れにして

真夜の卓に二人の椅子の向き合ふをごく新しき遺跡と思ふ

オットマンに読みかけの本伏せたままぽろりと死んだりしさうで男は

縁石をつよく打つ雨見つつゐて明日あすには忘るる時を重ぬる

 一首目は単に時の流れの速さを詠んだ歌と取ってもよい。しかし二首目は夫が死んだ後に視点を置いて詠んだものである。作者の夫の年齢は知らないが、遺言を書くほどの高齢ではあるまい。ここにも未来の先取りが見られる。四首目にあるように、夫が死んだら目の前の海に散骨するという約束がある。五首目は二人が暮らすリビングを新しい遺跡と見ているのだから、これも視線を遠く未来に飛ばした歌である。六首目や七首目を見ても、この世は仮初めの宿と観ずる永遠の旅人のようだ。その感覚が本歌集に独特の味わいを与えている。そのような眼で読むと、たとえば「ひとつだけ飛び出たテトラポッドがある その頂にいつも鳥がいる」というような叙景歌も、にわかに新たな意味を帯電するようにも感じられるのである。

地下道に硬貨の落つる音のして行き交ふ人の目の光り合ふ

どの季節のどの時刻にも日の射さぬ床の間の隅にこけしが二躰

照り渡る冬の日のもと我に向く犬の耳殻の赤く透きゐる

烏賊の内臓わたごふつと流しに引き出しぬ墨の袋はみづかねの色

ネクタイは太刀魚のごとひらめきて夫の灼けたる頸に巻きつく

鳶たちが旋回しつつ昇りつつ空の底へと消えてゆくまで

眩むほど水かがやきぬ街を縫ふ細き流れを朝越ゆるとき

あるあした冷えた空気の浜に満つ ずつと叫んでゐたやうな夏

 特に心に残った歌を引いた。日常の些細な光景を掬い取る視線の確かさと、それを歌の言葉に乗せる技量が感じられる。四首目のような厨歌もいくつか収録されていて、この歌では「ごふっ」という擬態語がはまっている。ここには引かなかったが、愛犬を詠んだ歌には深い愛情が感じられる。

 「まいだーん」第3号に歌集評を書いた同人の為永憲司は、「昼下がりの静かな街で、昨日の雨をもう忘れている空を眺めているような、ここちよい空漠」と歌集の読後感を表現したが、なかなかに言い得て妙である。歌集には栞文の一部を引用した半透明の幅広の帯がかけられている。それをめくると表紙に描かれた絵が見えるのだが、描かれているのはオキーフばりの動物の骨である。歌集巻末近くに次のような歌がある。

犬のねむる海がこの夜鳴り止まずベランダに出て「おやすみ」と言ふ

の海に白く筋立て波の寄す いづれ我らの帰りゆく国

 愛犬は寿命を迎え、目の前の海に散骨されたのだろう。そこは時が満ちれば自分も帰って行く場所である。やはり本書はメメント・モリの歌集なのだ。

 「まいだーん」第3号の高野の近作とエッセイを読んで驚いた。どうやら葉山の住まいを引き払って、今度は信濃の山に転居したらしい。次のような歌を寄せている。

朝の日が毛を透かすから枝を走る栗鼠の体のほそさが分かる

山雀がぺこりぺこりと水を飲むどこかにあつたそんな玩具が

 どこかに漂白の想いがあるのか、一所不住と決めているのか。それはわからないが、海に代わって山の歌がたくさんできることはまちがいあるまい。


 

第298回 永田淳『竜骨もて』

由比の海に対える如月朔日に身は乾きゆく午後をしずかに

永田淳『竜骨キールもて』

 本歌集は『1/125秒』(2009年)、『湖をさがす』(2011年)に続く第三歌集なのだが、あとがきによれば『湖をさがす』はふらんす堂の求めに応じて書いた1年間の短歌日記をまとめたものなので、本人の意識としては本書は第二歌集に当たるという。2007年から2014年の間に作った歌から499首を選んで編まれた大部の歌集である。作歌と出版の間にタイムラグがあり、直近の歌は収録されていない。前二作の版元はふらんす堂だったが、今回は砂子屋書房から出版されている。

 私が永田淳に会ったというより見かけたのは、今から10数年前のことだ。当時短歌を読み始めた私は、二ヶ月に一度くらいの割で、寺町二条にあった三月書房に歌集を買いに出かけていた。歌集の棚は勘定場にいる店主の背後にあるので、店主の斜め正面に立って眺めることになる。ある日のこと、そうして棚を見ていたら、ジーンズ姿の青年がふらりと現れて店主と親しげに話し始めた。店主は青年に「お父さん、テレビに出てたで。小泉今日子の隣でうれしそうにしてはったわ」と言ったので、私はすぐにわかった。確か小泉今日子が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、永田和宏も受賞して並んで登壇する姿がテレビに映っていた。すると横に居るのは子息の永田淳さんにちがいないと気づいたのである。今はなき三月書房が歌人の聖地だった頃の話だ。

 ほぼ編年体で編まれていると思しき本歌集の題名は、「極北を目指す逸りの竜骨キールもて70mphマイルに水をわけゆく」という歌から採られている。竜骨とは、船の先か船尾までいちばん下を支えている部材で、その形状が竜の骨を思わせるところから命名されたものである。元は釣り雑誌の記者をしていて、オートバイや自動車や船が好きな作者らしい題名である。本歌集に収録された歌は、大きく分けて「人事」「景物」「日常」「家族」「述志」に分類することができる。あとがきによれば本歌集の前半の時期に永田は佐藤佐太郎に傾倒していて、叙景歌しか作らないと公言していたという。しかしその方針を変更せざるを得なかったのは、主に「人事」と「家族」の故である。そしてその多くが死に関係している。

 まず本歌集には家族を詠んだ歌が多く見られる。

降りしきる雪の大原越え行きて腫瘍見つかりし祖母に見えき

「お母さん」の母の呼びかけに口を開けわずかに「あ、あ」と漏らしたりけり

死をも孕んでしまった肉叢が自らの死に呻くが聞こゆ

死の後に死の影とうはなくなりぬ実家の庭に転がる青柿

母の居ぬこの世の川面に風の吹きこの世の時間が流れるばかり

遠き日にわが使いいしグローブが子の手にありて軟球を受く

 この時期に作者は母方の祖母、父方の祖父、そして母親の河野裕子を亡くしている。一首目と二首目は歌人であった祖母を詠んだ歌で、三首目から五首目は母の死を詠んだものである。歌数としては多くはないものの、河野裕子の逝去は作者のみならず、永田家の家族全員にとって大きな出来事であったにちがいない。作者には四人の子がいるので、六首目のように子供を詠んだ歌も少なくない。歌の素材を近景、中景、遠景に分けるならば、家族は典型的な近景であり、永田にとって歌はまず身めぐりから発するものであることがわかる。

 人事にも人の死が関わるものが少なからずある。

歌会にて母の引きえぬブルタブを常に空けくれし真中朋久

あごひげをちょぼちょぼはやし無口なり冬でもサンダル藪内亮輔

釣り仲間亡くしたことは二回目で 十二歳ひとまわりうえの遺影を見上ぐ

死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき

ひとたびを会いたるのみにて訃に触れぬ母と同年美しき人なりき

 一首目は塔短歌会の重鎮の真中朋久で、二首目は同じく塔の若手の藪内亮輔を詠んだ歌。ふだんは歌集を通してしか知らない歌人がこのように描かれると、急に人間臭く見えるものでおもしろい。三首目は年上の釣り仲間の死、四首目は小高賢の訃報に接して詠んだ歌である。〈私〉が生きる「今」が際だって表れていた第一歌集『1/125秒』から年月を経て、作者も年齢を重ね人との別れが増えることは避けられない。人生に降り積もる歳月の嵩である。

 たいていの人がそうであるように、永田にとっての日常はほぼ家族と仕事で埋められる。何気ない暮らしのひとコマがていねいに掬い取られて詠われている。

妻と子の家に寝ぬるが力なり夜のローソンにビールを買いつ

灯を点すごとくにゲラに朱を入れつ沫雪の降る午の窓辺に

わが妻をかばうがごとき物言いの息子とおでんの鍋をつつきぬ

ひと日とて同じはなきを子に夏の一日過ぎゆく川風の中

夜の卓に自我についてを訥々と話す息子に付き合う半刻

 数こそ少ないものの、次のような述志の歌にも注目される。

「死刑」とは記号なれども彼の前に置かれし時の意味をや知らね

クレームをうまくさばけてはいけないと切り泥みおり午後の電話を

勝つたびに万歳唱うる国に生れわが両腕の重たき晩夏

今だからまだ言えるはず 日本に巨き五つの鎖来るな

交戦権と呼ばざることのそしてまた明らに交戦権であることの

 一首目は山口県光市親子殺人事件の判決に触れた歌で、四首目は東京五輪の開催が決まった時の歌である。コロナ禍がいっこうに終息の気配を見せない今から振り返って見ると、この歌には予言のような趣すらある。二首目のような歌を見ると、仕事をルーティーンとしてこなしているのではなく、心に熱いものを抱えていることがわかる。

 本歌集を読んで最も注目されるのは何と言っても叙景歌である。付箋を付けた歌には叙景歌が多い。

川の面に映れる月のゆたゆたと流されずして少し欠けいる

萩の穂の枯れいる空き地のひとところ冬日のながく四角く射しぬ

草紅葉まじる賀茂川土手の上を冬の日しろく渡りつつあり

満開といえど疎にして山ざくら海松茶の枝の骨格の見ゆ

おちこちの下草のなか紫のアサマフウロは時を揺らして

浅間岳その稜線のながながといずれいずべに線の果つべし

稲架の上に二重にかかる稲の穂の数本は揺る雀のかろ

由比ヶ浜に兆しそめたる春潮の波待つ頭の黒く浮く見ゆ

 叙景歌の鑑賞と批評は難しい。古代歌謡以来、叙景歌は日本の韻文詩の伝統であるが、いくら叙景といってもそこに叙情の影がゆらめくことは避けられないからである。上に引いた歌でもそのことは言える。一首目は水面に映った月を詠んだものであるが、「ゆたゆたと」というオノマトペが穏やかな波を表しており、「流されずして少し欠けいる」に微量の心情を読み取ることができる。ちなみにオノマトペは主観的表現である。一方、二首目や三首目はほぼ純粋な叙景で、二首目では「四角く」に発見があり、三首目では「渡りつつあり」に時間の経過が感じられる。四首目は「といえど」という逆接表現が主観に属する。逆接と判断した主体が想定されるためである。六首目の「時を揺らして」は本来は叙景歌に場所を持たない叙情的表現だろう。七首目は浅間山の雄大な稜線を詠んだ柄の大きな歌だが、「いずれいずべに」と推量の助動詞「べし」に主観が見られる。というように叙景歌にも叙情は付きものであり、その配合によって歌の言葉が立ち上がることが肝要なのだろう。

 読んでいて私が立ち止まったのは次の歌である。

繰り返し歌うべきものとして我に近しき死者たちはあり

 あとがきに永田は「歌い続ける決意」のようなものが固まったと述べているが、そのような決意を導いた要因のひとつはこの歌に表されているものかもしれない。

 

第297回 高木佳子『玄牝』

生けるもの皆みずからを負ひながら歩まむとするこの砂のうへ

高木佳子『玄牝』

  この歌集を一読して、言葉には浮き上がる言葉と沈む言葉があることをあらためて知った。浮き上がる言葉とは、例えば主体の生の横溢の余りに口から弾け出す勢いのある言葉である。浮き上がる言葉は天を目指して上昇する。一方、沈む言葉とは、その重さゆえ受け取る側の心の中にどこまでも沈んでゆく言葉である。言葉には重さがある。本歌集を特徴づけているのは他ならぬ言葉の重さであろう。

 『玄牝』は『片翅の蝶』(2007年)、『青雨記』(2012年)に続く第三歌集である。歌集題名は「げんぴん」と読む。あとがきによれば、玄牝とは『老子』に登場する原初の世界であり、万物を生み出す混沌だという。このようなタイトルを付ける動機は二つ考えられる。一つは万物の根源へと遡行したいという内的欲求、いま一つは現在の世界が原初の混沌のように見えるという感慨で、高木の場合は後者にちがいない。

 第一歌集『片翅の蝶』には妻として母として「悩める〈私〉」の私的感情が色濃く投影されており、第二歌集『青雨記』は〈私〉を離れ対象を見つめる眼から、それを超えて幻視に到る過程が見られたが、第三歌集『玄牝』に到って著者はさらに作風を変化させて歌境を深めた感がある。それは次のような歌に表れている。

舗道いしみちはしまし光を折らしめて影を濃くするけふの暑さに

たちまちに黒の土嚢が充ちゆけり負はむとしたる人間の荷が

しかたなく此処にゐる女どうしても此処にゐる我が同じ土掻く

荒れし野の繋がりながらひとしきり叫ぶごとしも磐城平は

にくきほど海は光ぬ忘却のうすくれなゐの浜のひるがほ

 高木は2011年に発生した東日本大震災と、それによる東京電力福島原発の苛酷事故に見舞われた福島県に住んでいる。現在の住所はいわき市である。福島原発事故は前作の『青雨記』の後半部にすでに影を落としていたが、その影はいっそう濃さを増して本歌集の全体を覆っている。その影は、上に引いた一首目の陽光が作り出す影にも投影されている。二首目の土嚢は放射能に汚染された土を取り除いて入れるためのものである。それは人間が負わなくてはならない荷なのだ。三首目、汚染された土地にしかたなく住み続ける者もいれば、著者のようにその土地に住み続ける決意をした人もいる。海の光が憎いのは、もちろん全てを流し去った津波を思い出すからである。いずれの歌も、住む土地をこんなにした者を声高に糾弾するのではなく、この土地に住み続けなくてはならない人間の姿を重い言葉で描いている。

 高木が言葉の軽さを嫌っていることは、次の「合歓」と題された連作の歌を見てもわかるだろう。

花びらの流るるやうな示威列をとほく眺めつ手を翳しつつ

みづからもパノブティコンの中にゐて歩みてゐるを知らぬ稚なさ

このくにと叫ばるるときわが痛む罅荒れはあり このくにとは何

連帯と思ひてやまぬ人群れへ合歓はしきりに睫毛を揺らす

 示威列とはデモ行進のことである。おそらくは東京電力の責任を糾弾し、被災した人達への連帯を叫ぶデモなのだろう。しかしデモ隊のシュプレヒコールの言葉は高木にはあまりに軽く聞こえるのである。二首目のパノブティコンとは、一望監視システムと訳される。獄舎が放射状に配されていて、中央の監視所から全体が見渡せる監獄の配置をいう。日本でも旧網走監獄で採用されていた。これを国家の監視システムの喩として用いたのはミッシェル・フーコーである。高木の目にはデモ隊の若者たちはあまりに稚なく見える。それは自らが目には見えないパノブティコンの中にいることに気づかないからである。

 そのように土地に留まる作者は、周囲から好奇の目で見られたり、あからさまに疎外されることがある。これもまたある決意をした人間が、苦い水のように甘受しなくてはならない宿命である。

戸の表に刻みつけくる×のあり「われわれではない」と頷きあひて

あなたのいふ「人の住めない処」に住みをれば何やらわれは物の怪のやう

佳子ちやんはつよいのねえと言ふときに鈍く歪みゆく口角

揺るるなく蔑みのこゑ受けゆかむ声の向かうの木斛見つつ

 一首目の×記号は何のために付けているのかわからないが、周囲と同調しない者、まつろわぬ者の印なのだろう。二首目の「人の住めない処」は、いまだに放射能の影響が残っている地域である。一説では、高濃度の放射能が残留する立ち入り禁止区域は動物が跋扈すると聞くが、それも考えさせられる話である。三首目、知人が意志の強さを指摘するとき、その口角は歪んでいる。四首目は他人の侮蔑に負けないという意志の表明である。

 高木の歌が、大震災の余波と原発事故の影響がいまだ残る土地に暮らす人を描くとき、それはある特定の災害や特定の土地の話ではなく、すべての人が負うべき宿命という普遍的地平に昇華される瞬間がある。

剥がれたる土にねぢれてくちなはは皮脱がむとす声をもたずに

砂の原みづを含みてをりしかば発ちゆくものの跡は遺りぬ

くるしみは澱のごとくに沈みたり木斛の樹は疾く暮れゆけり

生きて在る人らのうへに陽は白し眩しみにつつまなこは閉ぢらる

夕光を目陰して見る人間はもはや明日の見ゆると言はず

 歌を作るきっかけはある特定の出来事であるかもしれないが、その出来事を起点として人間の負う宿命へと昇華させるのは言葉の力である。このような歌を読むとき、私の脳裏にしきりに浮かぶのは聖書の黙示録である。同じような印象を抱く人は多いのではないかと思う。

 

左右なき軍手に土は浸みゆきて炙り出さるる両の手のひら

此の岸と彼の岸とにまふたつに人は裂かれて河は膨らむ

桐の実のくらくりたる夕のへよ少年は言ふそのくらきこと

炎の輪さかのぼりゆき煙草を挟む指の股にぞにじりよりたる

瞠きて何をかを見む目のまへを甘納豆の糖はこぼれる

冬の田に倒れふしゐる鍬のあり在るそのことに冷えまさりつつ

握りゆく土われにあり握りかへすごとく手にある ただ今をある

 

 一首目、軍手に左右はないが、作業してゆくと土の汚れによって左右が炙り出されるようにわかるようになる。二首目此の岸と彼の岸は此岸と彼岸、つまりこの世とあの世の喩であることは言を待たない。四首目と五首目は葛原妙子を彷彿とさせる微細描写が光る。六首目は鋤き終えた田に鍬が残されていて、鍬の存在が寒さを一層感じさせるという歌。七首目は解説の必要がない決意表明である。

 いずれも心の奥底に染み入るような歌だが、最後に次の巻頭歌を挙げておきたい。本歌集の基調を示す歌と思うからである。

うるほへる花群のごと人をりて揺れなまぬなり夏の朝を

 私が思い浮かべるのはcondition humaineというフランス語の表現である。これを「人間の条件」と訳したのは誤訳である。ほんとうは、人としてこの世に生まれたからには、異土の乞食であれ王侯貴族であれ等し並みに負わねばならぬ宿命・定めを意味する。夏の朝に吹く風に揺れているのは、福島に暮らす人ばかりではない。それはこの世に生を受けた者すべてなのである。

 

第296回 古川順子『四月の窓』

うつつならうつつのものとして触れる花あわあわとけぶる栴檀

古川順子『四月の窓』

 栴檀は別名アウチまたはオウチともいい、高さ30mになることもある樹種である。五月初旬に紫色の花を咲かせる。掲出歌では栴檀の花があわあわと咲いているのだから季節は五月だ。うつつのもの、つまり現実に存在するものとして触れるとわざわざ述べているということは、作者の眼は現実ならぬものにも向かっているということである。近代短歌は写実、すなわち現実に存在するものをしっかり見つめることを基本の作法としたことを踏まえると、作者は少しくその本道から逸れた道を歩んでいることになる。

 プロフィールもなく、作中にもほとんど本人に関する情報がないのだが、あとがきによれば古川順子は2007年に未来短歌会に入会して岡井隆に師事している。『四月の窓』は昨年(2020年)の10月に砂子屋書房より刊行された第一歌集である。栞文は井上法子、上田信治、錦見映理子。錦見は未来短歌会の先輩だから栞文を依頼するのはわかるが、井上は一面識もないのに依頼を受けたそうだ。ましてや上田は俳句の人である。次のような句がある。

うつくしさ上から下へ秋の雨  『リボン』

ゆつくりと金魚の口を出る小石

すひがらの今日の形へ西日差す

 井上法子は歌集『永遠でないほうの火』の歌評でも書いたが、現代詩と踵を接するような作風の若手歌人である。どうやら古川は伝統的な短歌の枠に収まるつもりはなく、現代詩や俳句と通底する何かを追究しているようだ。それは端的に言ってジャンルの違いを超えたポエジーではなかろうか。事実、本歌集には短歌以外に三行書きの詩も収録されているのである。歌集のタイトルは「花のある四月の窓のあかるさのようにきみに会いきみと別れ来」という歌から採られている。「窓」は古川の歌によく登場するアイテムで、キーワードのひとつかもしれない。古川の作風を最もよく示すのは次のような歌だろう。

降るものを予感と名づけ春昼を降りゆくものの影を見ている

春のひかり充ちれば重い荷のように流すよ笹の舟を浮かべて

その部屋に眺めておりぬ遠心のちからと止まらんとするちからとを

水滴はしのびて来るよ砂利道をふむつま先にしらじらとうろ

くるぶしを水の記憶に浸しつつ待つひとのいて橋しずかなり

 一首目、空から降るものと言えば雨か雪か光であるが、この歌からはどれなのかわからない。春昼はうららかな陽気を思わせるので日光かもしれない。それは「予感」と名付けられている。そして歌中の〈私〉が見ているのは降るものではなくその影だという。なぜ予感と名付けられているのか、なぜ〈私〉は実体ではなく影を見ていのかは明かされることがない。それはわざと伏せられている。

 二首目、春の光が充ちると重い荷物のようだという。ふつう春の光は喜ばしいものなのだが、作者には人に知られぬ鬱屈があるのだろうか。笹舟に乗せて流し雛のように流すという。三首目、まず「その部屋」がどこかわからない。ぐるぐると回転しているものを眺めているという。私が思い浮かべたのは独楽だが、それが正しいかどうかは歌の情報からはわからない。四首目、水滴が忍んで来るとは何だろう。またつま先にある空虚も何だかわからない。漂うのは不穏な気配である。五首目はもう少しわかる。小橋から足を垂らして水につけて、過去を回想しているのだろう。

 このように古川の歌には、何か言い足りないもの、言い忘れたものがある感が必ず付着している。言葉にしようとして言葉になり切れない何かがあるように感じられる。これはどうしてだろうか。

 古川の歌を次のような歌と較べてみよう。

夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして  小池光

採血の終りしウサギが量感のほのぼのとして窓辺にありし  永田和宏

大ばさみのの刃との刃すれちがひしろたへの紙いまし断たれつ  栗木京子

 上に引いたような近代短歌のOSを使った歌と古川の歌の違いは、歌の「外部」の有無である。上の歌には意味の外部がない。三首とも言葉として表現された歌の内部のみで意味が完結している。たとえ短歌的喩の発条の作用によって、読んだ後に歌全体が何かの喩へと飛翔するとしても、その前段階においては意味の輪は閉じている。外から何かを補填しなくとも読む人はその意味を十全に理解することができる。しかるに古川の歌ではそうではない。ほとんどすべての歌に外部がある。意味が一首の中で完結していないために、言われていないもの、言い忘れたものが歌の外部にあるように感じられる。歌が一首の内部に留まっておらず、外部へと流出して触手を伸ばすような印象を受ける。これはいかなる骨法によるものだろうか。

 それはおそらく古川が短歌だけではなく、現代詩や俳句と通底するポエジーを探究していることと無関係ではあるまい。言うまでもなく現代詩や俳句では、すべてを言葉で表現するということをしない。現代詩では言葉を遠くへ飛ばすことによって、日常的な意味の連関を断ち切って新しい美を現出させようとする。また俳句はその極端な短さゆえにすべてを言葉で言うことができず、余白や余韻の占める比重が大きい。古川は同じようなことを短歌で目指しているのではなかろうかと思えるのである。

 テーマ批評的に目に付くのは「水」に関連する語彙の頻度が高いことである。

春を呼ぶ雨には違いなく細く長く垂れ来たような線なり

また雨にふりこめられてくらがりにみちるみずうみ 印刷室へ

降りつづくみずのゆくえを思うとき可能性とはさみしいことば

雨はいつ雨から水になるのだろう 名のないものにひとはなれない

いつだって遅れてやって来た人としてここにおりやわらかな雨

栗の実のあおく内攻するちから一号館に長く雨降る

 まだまだあるが実によく雨が降っている。藤原龍一郎の短歌の雨はハードボイルドのアイテムとして降っているが、古川の歌ではそうではない。どうやら雨は歌の〈私〉を包むように、降り込めるように降っているので、作者の世界の捉え方の癖のようなものかもしれない。

沈黙のなかに古びてゆくものへまあるく架かる屋根の空いろ

葡萄の実しずかに太る三校時 昇降口にならびおり靴

見えている色の世界がちがうこと 芙蓉の香つよくはみ出る花壇

ほろびゆくことばをいくつ集めては七月ゆれている姫女苑

日本語はやさしいことば そのあとはないという「さよなら」はなく

白き殻パチンと割ってくろがねにめだま焼く朝みつめられつつ

 立ち止まった歌を引いた。一首目は原爆ドームを詠んだ歌ではないかと思う。原爆ドームの丸屋根は骨組みだけになっているので青空が透けて見える。二首目は「昇降口」に引っ掛かったのでちょっと調べてみると、地方によっては学校で児童たちが上履きに履き替える校舎の入口を昇降口と呼ぶらしい。私は聞いたことがなかった。昇降口と言われると、貨物用エレベータの荷物を搬入する場所かと思ってしまう。三首目には「色のシミュレータを教えてもらった」という詞書がある。色のシミュレータとは、いろいろな視覚特性を持つ人に世界がどのように見えているかを再現してみせるソフトウェアだという。四首目と五首目は日本語についての歌。ヒメジョオンはハルジオンと並んでよく見かける花なのに、その呼び名で呼ぶ人は少ない。五首目はちょっと解説が必要だろう。フランス語やイタリア語には何種類かの別れの挨拶がある。フランス語でいちばんよく使われるのはAu revoir.(オールヴォアール)で、「また会う時まで」を意味する。これにたいしてAdieu. (アデュー)はもう二度と会うことのない人に言う言葉で、もともとはà dieu「神の手に」を意味する。引用した歌ではこのAdieu.に当たるような言葉は日本語にはないと言っているのである。六首目はいわゆる厨歌で、朝食に目玉焼きを作っている場面である。ここに引いた歌では歌の「外部」はなく、歌の内部のみで意味をとれるように作ってある。だから古川はこういう作り方もできるので、歌に「外部」を作るのは意図的な操作なのだろう。

 

そこのみに夏のひかりはあふれおり厨にふたつ残れる檸檬

こんなにも世界は音に満ちていてかばんのなかに散るロキソニン

あわあわと夕闇は落ち大陸の地図はどこかが燃えてる今日も

こんぺいとう ちいさき冬のかたちして放られているあかるさのなか

映写機の光を浴びて溶けだしたあなたとすこしまじり合う午後

目守られてわたくしもまた沈むだろう海の底いに閉づるまなぶた

たましいを引きあげる手の静けさで記憶以前の場所に燃える火

闇にたたずみ咲くさくらばなみつみつとそうだったあれはあらがう力

 

 印象に残った歌を引いた。どれもうつつのものをうつつとしては描いておらず、現実の中にふと夢が入り交じるように、実と虚、闇と光、存在と非在が反転して照らし合うような煌めきを放つ歌である。

 栞文で錦見は古川のことを、たぶん自分よりひと回り若い人だろうと推測するのみで、個人的なことは何も知らないと書いている。おそらく自分のことはあまり話さず、内省的でanonymityにいることを好む人なのだろう。あとがきに山梨県立文学館館長の三枝昻之と山梨歌人協会会長の三枝浩樹にいつも背中を押されていたとあり、集中に「いまはもう消えてしまった町の名を待ち合わせ場所としるす手子町」という歌があって、手子町は甲府市にあった町名だから、作者は山梨在住か山梨にゆかりのある人と思われる。また「救命講習」という連作の「〈たすけて〉の五十のくちが横たわる救命講習こだまする風」という歌と先の「昇降口」とを考え合わせると学校関係者かとも思う。とはいえ本歌集に実人生における〈私〉を思わせるものはほとんどなく、また歌の理想は詠み人知らずであることを思えば、余計な詮索というものだろう。

 

第295回 浦上和子『根府川』

西の方角かたへ一滴ひかるあれは海にひとかけらトパズのせゐて

浦上和子『根府川』

 西の方角を遠望すると、かなたにきらりと光るものがある。それは朝の光に輝く海である。しかし海はここから遠くにあり、丘陵が眺望を遮っているのでほんの少ししか見えない。しかし確かにあれは海である。そして手のひらを目の高さに上げて見ると、まるでトパーズの欠片を乗せているように見えるという歌と読んだ。トパーズを海の喩と捉えれば、この歌は近代短歌のコードで読むことができる。しかし次のような歌はどうだろう。

かくながくふかくつめたく落ちゆけるときの狭間へ充つ 鳥の歌

 冒頭の「かく」「ながく」「ふかく」「つめたく」と「く」で終わる言葉が二音・三音・三音・四音とだんだん長くなり、落下のイメージを形成している。これは短歌の技法ではない。また誰がどこに落ちているのか皆目わからない。また「落ちゆけるときの狭間」は、「落ちゆけるとき」という時間副詞なのか、それとも「落ちゆける」は「時」にかかる連体修飾節なのかも判然としない。仮に後者と取ると、落下のイメージから始まり、「時間の狭間」に落ちるという謎のようなイメージが続く。そして一字空けて「鳥の歌」である。これは近代短歌のコードで読める歌ではない。しかしこの歌には魅惑的なイメージがあり、一読して魅了される。これは詩の技法である。確かに作者は現代詩を書いている人なのだ。

 プロフィールによれば、浦上和子は1946年生まれ。1984年に『夢処分』という詩集を出しているので、最初は詩人として出発したのだろう。「桜狩」にしばらく所属し、その後二人誌『Orphée』を拠点として活動している。『根府川』は今年 (2020年)の11月に上梓された第一歌集である。帯文は版元の書肆侃侃房の社主で詩人の田島安江」。歌集題名の根府川は小田原市の南部を流れ駿河湾に注ぐ川だという。歌集は5章からなり、5年ごとに区切った逆編年体という珍しい構成になっている。

 歌集を一読して、久々に「非在の美」を詠う歌人に出会ったという想いを深くした。「非在の美」とは、今ここにないものに美を認める審美的態度であり、リアリズムの対極にある立場と言える。それは時に始原への憧憬に充ちたロマンチシズムの形を取ることもあり、またこの世は洞窟に映った影と断ずるプラトン主義へと傾斜することも、また観念と想像力が生み出す美を至上とする唯美主義へと到ることもある。「非在の美」の代表選手は言うまでもなく塚本邦雄である。

 しかし浦上の短歌の肌合いが塚本と大きく異なるのは、やはり浦上の出発点が現代詩であることが大きいように感じられる。たとえば次のような歌がある。

ほそくふかく陸へ切りこむいりうみの 告げうる刻はとうに過ぎたり

森閑と了りし人のにありて遠く熟れゐむ黒葡萄見ゆ

駝鳥の檻に鳥影なくて白昼のたまごのやうな雲うすみどり

 一首目、三句までは陸へと切り込む狭い湾のイメージが展開し、まるで序詞のように進むが、一字空けが断絶を生み、序詞が掛かる語がないため宙吊りになる。一字空けの後の下句はまったく関係なくある喪失感が詠われている。近代短歌の「問いと答の合わせ鏡」(永田和宏)の緊張関係はどこにもない。二首目、「森閑と了りし人」とは、ひっそりと亡くなった人という意味だろうか。歌中の〈私〉はその人のそばに居るのだが、どこか遠くで熟れている黒葡萄を脳裏に浮かべている。この歌でも上句と下句を繋ぐ糸が意図的にほぐされている。三首目、獣園のダチョウの檻だろうか。檻の中にはダチョウはおらず空っぽである。空には卵のような雲がかかっている。ダチョウと卵には縁語の関係はあるが、これも上句と下句の連接が緩く作られている。このような作歌法は意図的なものと考えられる。

 近代短歌の技法とどこがちがうのだろうか。それを収斂と拡散という言葉で捉えてみたい。佐伯裕子の『あした、また』の次の歌を見てみよう。

なお人を恋うるちからの残りいる秋と知るとき葡萄熟れゆく  

 初句から「知るとき」までが歌中の〈私〉の想い(叙情)で、結句が叙景である。近代短歌はこのように、一首の内部の叙情の部分と叙景の部分とが、互いを照応し合い緊密な関係を結ぶことによって意味的なまとまりを作りだしている。その根本は「収斂」であり「緊張」である。初句から始まる〈私〉の想いが高まりつつ「葡萄」という物へと反転し収斂してゆく。熟れた葡萄は豊かな秋の実りであり、豊穣の象徴でもある。読み終わった読者の脳裏には、色濃く熟れたブドウのイメージがくきやかに残り、その背後に身内に人を恋う力がまだ残っていたのを感じている〈私〉の想いが揺曳する。近代短歌のお手本のような作り方である。

 これに対して浦上の作歌法は、言葉をできるだけ遠くへと拡散するというものだと思われる。たとえば次の歌を見てみよう。

ひとを拒むそびらへ梢の翳ゆらし陽はかたぶけり 長きつかのま

 「ひとを拒む背」とは、何かを拒否して〈私〉に背中を向けている人がいるのだろうか。何をなぜ拒んでいるのかは明かされない。ただ硬い背中のイメージだけが残る。日が西に傾いて木の影がその背中にかかる。「長きつかのま」という語義矛盾の形容は、ほんの束の間が長く感じられたということだろう。その情景はなんとかイメージすることはできるが、イメージはちらちらと拡散するばかりで、明確な像を結ばない。このように言葉の意味的な連接をわざと緩めて、ひとつの意味に収斂することを避けて、言葉をなるべく遠くへ飛ばすのは現代詩と前衛俳句の手法である。読む人の脳裏では、束の間のイメージの煌めきが浮かんでは消え、そのあわいからポエジーが立ち上がる、そのような作りになっている。

 そのことは、一首の中でふと遠い何かと繋がるという歌が多いことがよく示しているだろう。上に引いた「森閑と」もそうなのだが次のような歌がある。

 

ここにあらざるこころの飛行ひぎょう冬麗の盆地の縁に立つ妣の家

春雲のむかう透けゆく飛機ありてふと召命といふ言の葉

錆噴けるアラジンにともす青き火よ頽れゆく街のこゑふと聴こゆ

金雀枝の黄零れゐる白昼をジャン・ジュネの欲望ぜつぼうあはくよぎれる

 

 一首目では心が安曇野の故郷に飛び亡き母の家を幻視する。二首目では薄雲のかなたに飛ぶ飛行機を見て神の呼び声を思う。三首目のアラジンは昔懐かしい灯油ストーブで、青い炎を見て遠くの廃市の声を聞く。四首目では初夏に咲く金雀児の花を見て、泥棒詩人ジュネに想いを馳せるという具合である。作者はこのように、一点に凝集し収斂する意味の核を追い求めるのではなく、想いを飛ばして遠くにあるものが共鳴し合い、かすかに呼応するところにポエジーを見出しているように思われる。その糸は細くとも美しい。

 もうひとつの特徴は歌に内包された物語性である。たとえばそれは次のような歌に濃厚に感じられる。

語るだらう見しらぬ島の水没を翡翠青玉失しし表情かほ

一閃となり墜ちゆける飛行士の脳ゆめみむ人著くまでを

こばこより溢るるリボンのきんいろの渦はうたへり在りし刻のま

よみがへる記憶懼るる兵士あり美しき記憶引き出しし夜を

 一首目の遠い島の水没、二首目の飛行士の墜落、三首目のリボンが歌う在りし日の歌、四首目の兵士の記憶は、それぞれどのような物語を隠しているのだろうか。これらの歌は一首で意味が完結することなく、まるでシェラザードの夜咄のように歌の外にある非在の物語へと読者を誘うのである。

父の遺品の水盤へさす月明かりたましひといぬ痕跡に似て

ほの昏き花舗ダフォディルこれきりに不在のものを去らむ汐どき

フランス組曲さはさは流れ花いろの夕光ながれ埒なくなりぬ

いのちの際のイソシギの目へ凝らしゐて霜天に満つというべきひぐれ

死者宛てに届きし絵葉書のピエタの上うつすら乱るる生者の指紋

伽羅匂ふエレヴェータに昇り訪ひし家族よあをき空蝉

ブーゲンヴィレア悼みのごとく垂れゐたりその扉までの階さざなみ

なんびととも分かてぬ死者の夜をあらふかそけく洗ふ冬の葡萄を

 付箋の付いた歌は数え切れないほどあり挙げると切りがない。また作者の言葉と文字への拘りは相当なもので、読んでいて幾度漢和辞典を引いたか知れないほどである。通常とは異なる読みのルビも多い。この言葉へのフェティシズムに近い執着もまた塚本と同質のものがある。とはいへそのような言葉へのフェティシズムは文語とともにすでに失われた文化であり、口語を使ってフラットな日常を詠う若い歌人の目から見れば、すでに歴史の彼方に消えたものかもしれない。そのような意味でも近年出会うことの少ないタイプの歌集と言えるだろう。本歌集を繙けば、作者の繰り出す言葉の海にしばし陶然となることはまちがいない。


 

第294回 清水あかね『白線のカモメ』

冬木立高くそびゆる傍らに人はゆっくり時計のネジを巻く

清水あかね『白線のカモメ』

 冬枯れの景色の中、葉を落とした木の傍らで、今では珍しくなった手動式の腕時計の竜頭をゆっくりと巻いている。時計のネジを巻くのは、これから流れる時間を計るためである。ただそれだけの光景なのだが、この歌が病を得て死の床にある弟を詠んだ「ホスピス」という連作の中に置かれていると、歌の相貌は一変する。この前には「ホスピスに転院する朝 弟は新しき腕時計欲しがる」という歌がある。だから掲出歌の中で時計のネジを巻いているのは、まだ自分には流れる時間があると信じている弟であり、また同時に有限の生を生きる私たちでもあるのだ。この歌には典型的な「短歌的喩」がある。歌に詠まれているのは木の傍らで腕時計のネジを巻く一人の人という具体的映像なのだが、一首を読み終えた瞬間に、歌の字義的意味は跳躍して喩的意味へと変貌する。歌に詠まれた映像は字義的意味を保持しつつ、生の有限性を知りつつもまだまだ時間があると思っている私たちという喩的意味を獲得するのである。ここに短歌の意味作用の二重性がある。注意すべきは、字義的意味から喩的意味への変化には、個の水準から普遍の地平への跳躍が伴っていることである。描かれているのは一人の人であるにもかかわらず、そこから滲み出る喩的意味は私たち全員に当てはまる普遍的なものである。

 本歌集には今野寿美の解説と著者のあとがきはあるのだが、プロフィールが添えられていない。しかし解説とあとがきと収録された歌の内容から推測すると、作者は1960年代後半の生まれで、御茶ノ水女子大学教育学部の国文科に学んでいる。そう知れるのは集中に「緑濃き真夏の比叡にされわれた友は今でも二四歳」という歌があるからである。読んだ瞬間にこれは安藤美保のことだとわかった。安藤は1967年生まれで、平成3年に御茶ノ水女子大学教育学部国文科の大学院ゼミ旅行で比叡山に行った折りに事故死している。享年24歳で、死後に歌集『水の粒子』が刊行されている。清水は安藤のゼミ友達だったのだ。あとがきを読むと今野もそのことに触れている。清水は大学に入学した頃に、俵万智が大学に招かれて短歌について語ったのを聞いたのがきっかけで歌を作り始めて「心の花」に入会したという。学生時代は歌を作っていたが、卒業して湘南にある女子校の教員になってからは長く作歌を中断し、10年前から再開したとあとがきにある。『白線のカモメ』は長い中断を挟んで30数年にわたる期間に作られた歌を収録したというちょっと珍しい歌集である。帯文は佐佐木幸綱。歌集題名は「わやわやと着席をする四十の襟元に飛ぶ白線のカモメ」という歌から採られている。セーラー服の衿の白線が翼を拡げたカモメに見えるという見立である。

 歌集の最初の方には大学に入学して短歌を作り始めた頃の初々しい歌が並んでいる。

やつでの葉に朝のしずくが光りおり知らぬということ眩しかりけり

変わらずにいること父に望まれて滴るような緑を駆ける

淡き淡きみどりの中にたたずめば母に秘密をもたぬ悔しさ

耐えきれず電話すれども発信音きけばとっさに不在を祈る

やわらかきポプラの葉かげに再会し女友達という汚名着る

 一首目、「知らぬ」ということが眩しいということは、もう少し知ってしまったということである。二首目、父親にとっては子供であるという関係性は、安心であることも圧力であることもあろう。三首目、母に言えない秘密とはもちろん恋のことである。四首目は密かに心を寄せている男性に思い切って電話する場面である。携帯電話ではなく、たぶん公衆電話からだろう。胸がどきどきするあまり、相手がいなくて繋がらないことを祈るのだ。五首目、再会したのは昔の彼氏か密かに慕っていた男性である。連れの女性にだだの女友達と紹介されて内心憤激しているという場面である。まぶしいほどに初々しい青春歌だ。特に光りと色が鮮やかである。

水色のガラスのバスが雪道にぽっと最後のひとり吐き出す

陽に透けてうすももいろの猫の耳春へ春へとひらかれている

哀しみに沈み込むのを許さない樹々のみどりもわれの若さも

画材屋の陳列棚から選び取る無限の青と永遠の白

もう二度と 夏の絵の具がチューブから絞り出されて海を染めても

 これらの歌に詠まれた「水色」「うすももいろ」「みどり」「青」「白」や、チューブから絞り出される夏の絵の具は、一点のくすみもなく鮮やかに輝いている。青春の特権だろう。

 第二章には2010年からの歌が収録されている。いきなり作者四十代の歌である。作者は湘南にある女子校の教員になっている。青春時代の歌にはなかった陰影が時折混じり影を落とすが、歌の基調はいまだ明るいままである。

青春は曖昧に過ぎ猫じゃらし青きまま揺れる中央分離帯

まといつく雨を逃れて地下駅に紫紺の薔薇の襞折りたたむ

少女おとめらよわたしを越えて 透明な立夏の空へつづく階段

 ぐっと歌の陰影が増すのは弟の病と死の歌あたりからである。

弟がまだ弟でいてくれる蜂蜜色に流れる時間

夜が朝に変わる時刻は黒き手があらわれ君を連れ去らんとす

鳥の渡り想いつつ聴く弟の部屋に残されたサティのCD

アルバムに君の笑顔は散らばりてこの世を離れ一年の過ぐ

撮った父は知らずに逝った たんぽぽのような笑顔の息子の夭折を

山吹のきいが目に沁む亡きひとのまだ新しき革靴捨てて

 作者と弟は一歳ちがいの年子で、どちらも未婚で子供がいなかったようだ。父親はすでに亡くなっていて、作者と母親だけがこの世に残されたことになる。

 勤務する学校の様子を詠んだ歌も多くありおもしろい。

教室の二つの時計それぞれに少し違った時間指しおり

夏だけの校舎の清掃深緑の山懐やまふところに抱かれてわれら

数式を解きゆく少女のくびすじがほそく傾き夏は終わりぬ

集まって廊下の隅に笑い合うセーラーカラーはそよがない鰭

プリズムが分かたぬ前の透明な光の中に旅立ってゆく

 一首目、たぶん教室の後ろと前に時計があるのだろう。前の時計は生徒が見て、後ろの時計は教員が見る。少しちがう時間を指しているのは、両者の立場が異なるからである。二首目、どうやらこの学校には夏期のみ使う校舎が天城山の近いにあるらしい。三首目は夏期補習の最終日か。ポイントは「細く傾き」。四首目はいかにも女子校らしい風景である。五首目、プリズムは透明な光をいろいろな色の光りに分ける。卒業する女子学生らはまだ色がついていない透明な光である。

ばらの花、ゆすらうめの実、郵便受け、赤いものみな闇に呑まれる

どこから来てどこへ行くのか橋渡るひととき列になる人の群れ

遠き星に咲く花のごと一群れのアガパンサスが薄明に浮く

蓮の花あまく香りてさきの世と細くつながるホテルのロビー

朝ごとに同じ車両に乗り合わせ名乗ることなく老いゆくわれら

 より陰影が深まった歌を引いた。一首目、赤く光る薔薇の花もゆすらうめの実も、夕闇が迫れば色を失いやがて闇に呑まれる。赤は鮮やかな色だけにその変化は激しい。二首目、橋の歩道は狭いので、それまでばらけて歩いていた人も自然と列をなす。しかし橋は時として現世と異界を繋ぐものである。そう思って見ると少し光景がちがって見えて来る。三首目、アガパンサスは青紫の鮮やかな花で、確かにちょっとちがう世界から来た花のようにも見える。そんな花が薄明に浮いていると、どこか涅槃の風景のようだ。四首目、古いホテルのロビーは時間が堆積したような趣がある。廊下を行くと前世に行けるような気持ちになる。五首目、通勤電車でたまゆら同じ時間を共有しても、お互いに名も知ることなくまた分かれて行くのが人の宿命である。

 三十数年という長い期間に作られた歌を時間軸に沿って辿ると、作者の人生の軌跡をそのときどきの生々しい実感を伴って辿ることができる。歌の功徳と言うべきだろう。鮮やかに切り取った景色を適切な言葉に載せる手つきは確かなものがある。

われを待つ青年の影 六月のポブラの葉影よりも淡くて

明るければいよいよ暗む液晶を手のひらに持ち冬のバス待つ

傍らに船やすませて石橋のやわらかき弧は真夜の鐘聴く

権力が疎むのは「意志」チューリップ咲き終えて残る茎の直線

粛清という語の浮かぶ夕ぐれに甘く匂える藤のむらさき

標的へ急降下する瞬間ときのまま第二理科室に冷えゆく翼

封印を解かれた夏の朝空にたちまち高まる青の濃度は

 その他に印象に残った歌を引いた。四首目は少し肌合いの違う歌で、花が散った後のチューリップの垂直の茎に人間の強い意志を見ている。五首目の「粛清」と藤の甘い香りの対比も鮮やかである。最後の歌にも詠まれているように、作者の好む色は青のようだ。陽性の明るさが基調となっている歌集である。

 

第293回 大橋弘『既視感製造機械』

どの線路が薔薇へ向かうか知っている今日も火口に雨の降る朝

大橋弘『既視感製造機械』

 歌集巻末のプロフィールによれば、大橋は1966年生まれ。歌誌『桜狩』を拠点として活動しており、歌集『からまり』(2003年)、『used』(2013年)、歌文集『東京湾岸 歌日記』(2018年)がある。『既視感製造機械』は2020年刊行の第三歌集ということになる。

 本歌集を繙く人がもし伝統的な短歌の愛好者ならばおそらく面食らうだろう。なにしろ次のような歌が並んでいるのである。

総武線、一部車両はゆでたまごのとりわけ寒いあたりに止まる

今にして思えば遅い遅すぎるドアを開けたら朝焼けなんて

箱ばかりたくさんあっていれるべき階段がないまひるにひとり

後悔はいつもこんにゃくばかりなりお前のなまくら刀で切れるか

 ゆでたまごが寒いとはどういう意味だろう。遅すぎるとは何をするのに遅いのか。箱に階段を入れるってどういうこと? 後悔がこんにゃくとは何? と頭の中が疑問符だらけになる。形式はきちんと定型を守っているので、短歌の顔をしてはいるが、脈絡を付けようとするとするりとすり抜けてしまう。

 このような歌を目の前にしたとき、人はどのように反応するか。次のような可能性がすぐ頭に浮かぶ。

〔その1〕ばかばかしいと歌集を投げ捨ててしまう。拒否反応で、これが案外多いかもしれない。

〔その2〕なんとか苦労しつつも文面から意味を読み取ろうとする。「ゆでたまごが寒い」とは何かの喩ではないだろうか。「箱ばかりがある」とは通販全盛で世の中に箱が溢れていることへの批評ではないか、etc. しかし無理読みは避けられないだろう。

〔その3〕作者は言葉遊びをしていると考えて、意味を読み取ることを停止し、言葉の組み合わせに身を委ねてそれを楽しむ。

〔その4〕作者はシュルレアリズムの自動筆記を実践していると考えて、歌の中に明滅するイメージに無意識を探ろうとする。

 考えられるのはこんなところだろうが、どれもいまひとつしっくり来ない。そこでヒントになるのは歌集の題名である。栞文によると『既視感製造機械』になる前の仮題は『デジャヴュの製造法』だったという。既視感はフランス語のdéjà-vuの訳語であり、一度も経験したことがないはずなのに確かに見たことがあるという奇妙な感覚をさす。ベルクソンも興味を持ったというこの現象にはいくつもの説明が提案されるもいまだ原因が解明されていない。大橋が『既視感製造機械』というタイトルを歌集に付けたのは、自分の作る短歌によって既視感を生み出すもくろみがあるからだろう。

 「言葉の意味とは何か」というアポリアにたいしては、いくつもの解が提案されてきたがいまだに決着が着いていない。しかし広義の言葉の意味の中には、私たちが言葉の指すもの(指示対象)に関して今までに経験したことが含まれているはずである。たとえば「西瓜」と言えば、夏のうだるような暑さと冷えた西瓜の美味しさ、また西瓜特有の香りなどが立ち現れて来るだろう。「納屋」と言えば、雑然と置かれた農機具や藁や味噌樽から立ち上るほこり臭い匂いを伴うはずだ。そうしたものも広義の言葉の意味に含まれると考えてよい。つまり言葉の背後には私たちの経験が貼り付いている。

 しかし言葉の意味に含まれるのは、私たちが過去に実際に経験したこと(実体験)ばかりではない。本で読んだことや人から聞いたこともまた含まれる。「古池や蛙飛び込む水の音」という芭蕉の俳句は誰でも知っている。私は実際に寺の古びた池に蛙が飛び込むポチャンという音を聞いたことはない。しかし、私の記憶の中では芭蕉の俳句によって池と蛙と水の音は分かち難く結び付き、「池」または「蛙」という言葉の意味の一部をなしている。つまり私の言葉に関する記憶の一部は芭蕉の句によって作られているのだ。その意味で言葉はその背後に過去の文芸の総量を背負っているとも言えるのである。

 このことを踏まえて大橋が本歌集に『既視感製造機械』なる題名を与えた意図を推測すると、大橋は言葉の意味を少しずらすことによって、今まで誰も経験したことのない既視感を作りだそうとしているのではないだろうか。たとえば「またひとつアップルパイが潰されてゆく東京の日の出なのです」という歌がある。「アップルパイが潰されてゆく」ことと「東京の日の出」の間には何の関係もない。しかし両者がひとつの歌の中に配置されることによって、私の脳の中には新たな連合のシナプス回路が形成される。すると「アップルパイ」と「東京」の意味の中に、その新たな連合が薄い影のようにあり続けることになる。将来もしどこかで「アップルパイ」と「東京」とが隣り合わせに居ることがあれば、私の脳はその時既視感を感じるかもしれない。

 とまあ一応は理屈を付けることができるのだが、そのことは別として、作者には失礼な言い方になるが、意外に美しい歌が多くあり、付箋がたくさんついたことに自分でも驚いたのである。

トンカツに衣といえば夕闇の滲む速度で揚げるものです

レールとレールの間にわたつみがあって真夏の蜜がかいま見えてる

はちみつを匙で掬えば声がする天でライムが待っている、声

嘘さえもつきたくなくて揚雲雀空は端から端までの檻

人の世におよそ幾度か降る雨の冷たさを知るポストがあった

そのかみのみやこを守る大鴉いま紅に焼かれつつあり

いずくとも知られず汝の去りしのち海に漂う桃の実の影

あなたには聞こえない薔薇のこの薔薇の芯を朽ちてゆく幼児期

 一首目、「夕闇の滲む速度」が美しい。二首目、レールの間に海が見えることは実際にあるだろう。「真夏の蜜}に詩的な飛躍がある。三首目、蜂蜜とライムの取り合わせは色も美しい。大橋は「、声」のように読点や句点で区切って断層を作るのが好きなようだ。四首目、空は雲雀の檻という見立に含蓄がある。五首目、雨のポストは共感しやすいアイテムだ。六首目は神話的世界。七首目と八首目はことに美しい。桃の実の影は去ったあなたの魂の残像のようで、薔薇の芯はリルケを思わせる。

 集中に平仮名を多用した歌がいくつかあるのだが、取り合わせがトリッキーな歌と比較すると意味が取りやすく、殊に心に沁みるものが多い。ひょっとしたら大橋の作歌のベースはこのような歌で、既視感を製造する歌はこれとは別に意図的に作っているのかもしれないとふと思えるのである。

いましばしこの世にいたいゆっくりと百合に焼かれるままの、この世

木枯らしの薄桃色がやってくるたぶん死ぬまでひとりのきみに

ものはみなまひるにやかれねむの花そのましたすられいがいでなく

たましひをもてるわれらはたましひをゆらゆらさせて汁粉など食す

かたつむり。いつかわたしは帰りゆくそのおくまりのうすらあかりに

 中でも本歌集の白眉は次の歌ではないだろうか。

坂道で鴇色となり燃え落ちる。午後、妹の髪を噛むとき

 短歌は俳句より字数が多い分だけ意味の比重が高い。私たちは意味によって短歌を読みがちである。俳句は字数が少ない分だけ意味の比重が低い。たとえば次のような句を私は美しいと感じるが、意味を説明せよと言われるとはたと困惑する。

中空ふかくナイフ附きの梨のまま  安井浩司

花束もまれる湾の白さに病む鴎  赤尾兜子

涸沼に蝶死して海底火山起つ   九堂夜想

 上に引いた大橋の歌もこれらの句と同じ次元で日常的な言葉の意味を超えた美を発散しているように思えるのである。

 

第292回 加藤英彦『プレシピス』

うすきグラスに泛びてさむしたまゆらの夏をさやさやゆれる茗荷は

加藤英彦『プレシピス』

 『スサノオの泣き虫』(2006年)で第13回日本歌人クラブ新人賞を受賞した加藤英彦が実に14年振りに第二歌集を上梓した。その名『プレシピス』precipiceとは「断崖、絶壁」の意である。あとがきによれば、政権が急速に危うい方向へと舵を切り始めた暗鬱な時代への喩をこめて命名したとある。確かにprecipiceには「危機、窮地」という比喩的意味がある。だが一読すると歌集題名の含意はそれだけではなく、作者の人生航路の危機というニュアンスも感じられる。デビューしたての若い歌人の歌集と較べた時に、年齢を重ねたベテラン歌人の歌集に感じられるのは人生の苦みである。本歌集にも人生の苦みがたっぷりと詰まっている。

 加藤は1954年生まれで、結社「創作」「氷原」にしばらく所属したあとは無所属で、同人誌『DOA』『Es』を拠点として活動していた。本歌集のあとがきで、加藤は小笠原賢二と親交が深く、昨年他界した松平修文に長く私淑していたことを知った。本歌集は第一歌集以後の作品から480首を収録したもので、発表年には拘らず再構成し改作もしたという。このため若い頃に書いたと思われる歌が後半に現れることがある。歌人の歩みを辿りたい読者としては、これはいささかもどかしい。先日このブログで取り上げた川野芽生の『Lilith』では、文学研究者らしく巻末に初出一覧が付されていた。作者としては歌集全体の構成を考えて歌の配置を案配するのだろうが、読者の側からすれば歌人の作風の変遷や思想的深まりを辿りたいという思いがある。

 本歌集に収録された歌は、大きく分けて「現実の出来事に反応する歌」「家族の歌」「鬼籍に入った人への挽歌」「日常の思念詠」に分けることができる。「現実の出来事に反応する歌」には次のようなものがある。

咽喉もとまで土砂つめられてれもせずしずかに息を吐きて辺野古よ

もがれたる機首から遠くそのふとき腹のかた側を波が洗えり

いくさへと傾くニュース切りて朝、鬱然と雨のなかを出てゆく

微粒子セシウムがゆっくり雨に溶けはじむ朝 応答をせよ、海や空

知らざれば知らされざれば低濃度ゆえにほうれん草のみどりは

地雷のありかをさぐる足うら 一兵として犯されしいもうとのはぎ

 一首目は沖縄の辺野古への基地移転問題、二首目はオスプレイの不時着事件、三首目は安保関連法案の国会可決、四首目と五首目は東京電力福島原発事故を詠んだもので、六首目はきな臭い現実を支点として未来を幻視した歌である。第一歌集『スサノオの泣き虫』でもそうだったが、加藤にとっての歌は多かれ少なかれ思想詠であるため、世の中を揺るがす大きな事件が起きた時にはそれに反応する歌を詠むのは当然のことなのだろう。静かな怒りが感じられる歌である。

 本歌集で大きな場所を占めているのは「家族の歌」だ。

さっきだれかが訪ねてきたよと母がいう花に水さす背をみせていう

姉もわれもわからなくなりなずきには小さく白い花ひらきおり

胸にいくつの扉はありてひらくとき母にふぶけるとおきふるさと

軽くなりたる父を湯舟に洗いおり触るれば楽器のような肋を

さっき焼かれていたのは父かむらぎもにみっしりと棲みつきたる癌か

別れぎわに少しほほえむ耐えることしか知らぬ子になりてしまえり

ひきしぼるこころの弓弦ゆずるぎしぎしと子よ弑逆の一矢を放て

あきらかな叛意ひとつを泡立てておりキッチンに妻の無言が

 一首目から三首目は認知症となり妄想を抱くようになった高齢の母親を詠んだものである。自分を慈しみ導いてくれた親が妄想の世界に住むようになるのは子にはつらいことである。「うんうん、そうか」と静かに付き合い見守るしかない。四首目と五首目は癌と闘病の末に他界した父親を詠んだ歌である。かつて企業の中枢で働いていた父親は加藤が文学に傾倒する様子を見て、「文学に身をよせてゆく半生を蔑してながき父の不機嫌」という態度を取ったという。同じことは私にも身に覚えがある。実業の世界に生きる父親の目には、文学や芸術は男子一生の仕事にあらずと映るのだろう。六首目と七首目は息子を詠んだもの。事情はわからぬものの、子との関係には緊張感が漂う。七首目は妻を詠んだ歌で、こちらも何やら不穏な気配である。中年男性の家族の歌には波乱と後悔の匂いがする。

 加藤は松平修文に私淑していたので、松平が病に倒れてからも足繁く病室を訪って励ましていたようだ。薬石効なく松平が他界して哀切極まる挽歌を詠んでいる。

こんな夜にあなたは逝ってしまわれた私たちが病棟を去った深夜に

もう苦しまなくていいからむかし蒐めた枯れ枝やきのこは窓辺にかざる

森や沼や川からひとりずつありわれて寡黙な少女らのしろい脛

思いだしたように大きく目をひらくがもう口をひらくことはなく

 私も『水村』以来、松平の幽玄の歌境に魅了されていたので、死去の報に接して驚き悲しんだ一人である。上に引いた三首目は松平がしばしば歌に詠んだ幻影の少女だろう。哀切の念があまりに強いために破調になっているところが逆に胸に響く。松平のお別れの会を開くのに奔走したのも加藤だった。私は参加できなかったが、松平の作風を考えて白い花を供花として送った。あの白い花は冥界への道を歩む松平の足元をほの暗く照らしてくれただろうか。

早暁にみまかりしとぞ声ひくく受話器のむこうより伝えくる

骨壺に納まりしのちもうごかざる位置を定めておらむ眼窩は

小高賢その小気味よき論調をなつかしみつつ酌む二、三合

まだそこにいるような気がしてならぬ語り口調が耳をはなれぬ

 一首目と二首目は菱川善夫が亡くなった折の歌で、三首目と四首目は小高賢の訃報に接した時の歌である。長く生きていると、見上げるように後を付いていた人たちが死ぬのは避けられないことである。

 これらに加えて歌集の基底を構成しているのは次のような日常の思念詠である。

ふかく空がたわむ夕ぐれ窓あけて見ておりだれを呼びだすでもなく

かたちあるものはたれむ土砂降りをしたたか弾きかえす舗道に

ゆうぐれの庭に朽ちかけたる枝がゆれおりわたしの肋骨ほどの

そら豆のみっしりと太りいてその怒りのごとき一皿

ちゆくは何に憑かれし一群ぞいま蒼然と森がさわげば

 一首目では窓を開けて外を見ているという情景のみが描かれているが、下句の「だれを呼びだすでもなく」がその情景にある思念を呼び込んでいる。それはおそらく無用と孤独の想いだろう。二首目は歩道に土砂降りの雨が降っているという景色から、おおよそ形のあるものは打たれるのだという思念に到っている。三首目は夕暮れの庭に枝が風に揺れているという情景に自分の骨を見ている。「ほらほら僕の骨」という中原中也の詩が頭に浮かぶ。そういえば中原も生きる悲しみを詠った詩人だった。四首目は初夏の夕餉の食卓の風景である。みっしりと豆の詰まった空豆の塩茹でが食卓にあるが、それは自らの憤怒の象徴である。五首目の鳥が一斉に飛び立つ森の光景も単なる叙景ではなく、そこには胸騒ぎする作者の思念が色濃く投影されている。

 本歌集に収録された歌には純粋な叙景歌は極めて少ない。それは加藤の興味が花鳥風月を描くことにはなく、人間と社会の関わり、あるいはこう言った方がよければこんな社会で暮らすことを余儀なくされている人間に心を寄せることにあるからだろう。

 最後に特に引かれた歌をいくつか挙げておこう。

目にみえぬもの感官に戦がせて嬰児めざめる夜の車中に

月にも盈ち欠けがあるなら海馬にもうすき影さすほそき雨ふる

夕映えの原子炉一基にやわらかきイエローケーキが降るあさき夢

夢の汗よりもどればきみは陽のにおう朝をさしだすようにスープを

だれもこないゆうぐれ うつむけばくらき口より花ひらくみゆ

花首をあかるき午後の窓におく陽に晒されていたる死の量


 

第291回 荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』

ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖

荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』

 『青年霊歌』(1988年)、『甘藍派宣言』(1990年)、『あるまじろん』(1992年)、『世紀末君!』(1994年)に到るまで、荻原は2年ごとという短いスパンで歌集を刊行して、現代短歌シーンを牽引し続けていた。それがぱったりと止まったのは、20代の無職・フリーター生活に別れを告げて広告会社に就職し、背広を着てネクタイを締めるサラリーマンになったためである。外形的にはそのように説明できるのだが、荻原の内心には、日本語の解体実験にまで手を染めた自分の言葉が読者に届いているのだろうかという疑問が募っていたようだ。そこから自分を取り戻す「僕であることの奪還」(『新星十人 現代短歌ニューウェイヴ』立風書房、1998年)という長い道程が始まった。2003年に刊行された全歌集『デジタル・ビスケット』には、『永遠晴天症』という未完の第5歌集が収録されているようだが、そこから数えても16年振り、『世紀末君!』から数えれば実に四半世紀振りに第6歌集『リリカル・アンドロイド』が上梓された。昨年の2019年のことである。私はこの歌集が世に出たことを知らず、先日たまたま寄った書店で見つけて思わず息を呑んだ。買い求めて帰宅し、すぐに読んだことは言うまでもない。

 今年(2020年)の2月にムック『ねむらない樹』別冊として出版された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(書肆侃侃房)で改めてニューウェーヴ短歌に注目が集まり、命名者である荻原の名前も脚光を浴びたが、結社に属さず定期的な発表媒体も持たない荻原の短歌作品に触れる機会は少なくなっていた。私はそれを少し淋しいことと感じていたので、第6歌集の刊行は実に喜ばしい。最初から最後までとても楽しんで読み、現在の荻原のいる地点とその姿勢にも共感を覚えたのである。本歌集の全体を貫くトーンを敢えて取り出すならば、それは「静謐」と「不穏」とが微妙な割合で混じり合った混成体とでも呼ぶものだろうか。

 静謐編は例えば次のような歌である。

雲が高いとか低いよとか言ひあつて傘の端から梅雨を見てゐる

そこに貴方がここに私がゐることを冬のはじめのひかりと思ふ

曲線がどれもあざやかになる春先の曲線として妻を見てゐる

皿にときどき蓮華があたる炒飯をふたりで崩すこの音が冬

半生のほぼすべての朝を瑞穂区にめざめてけふはあぢさゐの朝

 本歌集の歌に頻繁に登場するのは妻であり、描かれているのは妻と二人で過ごす静かな日常の場面である。誰にも言えることだが、現在居る場所を知るためには今まで居た場所を確認しなくてはならない。両者の差分が本人の変化である。

駆落ちをするならばあのガスタンク爆発ののち消ゆる辺りに 『青年霊歌』

オートバイ星の光にゆだねをり青春といふ酔ひ醒むるまで

遠き星の言葉で愛を語るごと口うごかして剃る朝の髭 『甘藍派宣言』

(梨×フーコー)がなす街角に真実がいくつも落ちてゐた

恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず 『あるまじろん』

なにもかも昔ばなしになりますがぼくの理由はオカリナでした

宥されてけふも翡翠に生きてゐる気がする何が宥してゐるのか 『世紀末君!』

ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の

 塚本邦雄に師事して前衛短歌の文体から出発した荻原は、加藤治郎・穂村弘と併走するように口語を使い記号まで駆使するニューウェーヴ短歌を牽引した。『リリカル・アンドロイド』の文体に到るまでの文体の変化は明らかだろう。文体の変化はまた心境の変化であり姿勢の変化でもある。強い言葉を周到に避けてほとんど無音の静かな世界を描くリリシズムは味わい深い。歌集名のリリカル・アンドロイドは「抒情的な人造人間」という意味であり、これは自分のことを指しているのだろう。自身をアンドロイドと呼ぶのは、まだ十分に自分に戻れていない今の状態を示唆していると思われる。

 不穏編というのは例えば次のような歌が時々混じっているからである。

まだ誰もゐないテーブルこの世から少しはみ出て秋刀魚が並ぶ

春の朝があると思つてカーテンを開いた窓の闇におののく

わたしを解凍したらほんとに人間に戻るのかこの冬のあかつき

雨戸を数枚ひつばりだせばそこにある戸袋の闇やそのほかの闇

秋のはじめの妻はわたしの目をのぞく闇を見るのと同じ目をして

 一首目では、食卓に並ぶ秋の味覚のサンマが少しこの世からはみ出しているという幽体感覚のようなものがある。二首目と四首目と五首目にはいずれも闇が詠われている。ここに登場するのは、例えば魔王が降臨して世界を覆い尽くすような大きな闇ではなく、日常生活のふとした瞬間にちらっと顔を覗かせる闇である。恐怖の対象ではなく不穏のタネのようなものだ。三首目には荻原の目指す「僕の奪還」がまだ完遂途上であることが詠われている。

さくらからさくらをひいた華やかな空白があるさくらのあとに

夢の続きがしばらく揺れて早春のここがまたいまここになる朝

そらいろの小皿の縁が欠けてゐてにはかに冷える雨のひるすぎ

あのひとが鎖骨を見せてゐることのどこかまぶしく囀りのなか

蕪と無が似てゐることのかなしみももろとも煮えてゆく冬の音

母音のみのしづかな午後にペダル漕ぐ音を雑ぜつつゆく夏木立

ふゆの日はふゆのひかりをやどらせてひとの利手にひかる包丁

曲面をたどるあなたのゆびさきがとびらにふれるまでの夕映

 特に印象に残った歌を引いた。一首目は桜の花が散った後の空間を詠んだ歌で、「さくら」のリフレインがリズムを作っている。「華やかな空白」という表現が美しい。本歌集には夢と覚醒の歌が多いが二首目もそのひとつ。「ここがまたいまここになる」は、自己意識が「今・ここ」を規定していることを鋭く指摘している。三首目は集中屈指の美しい歌である。急に冷えを感じたのは、実際に気温が下がったのではなく、大切にしている小皿縁が欠けていることに象徴される心の動きが何かあったためだろう。四首目では結句の「囀りのなか」で戸外にいることがわかり、詩情が空間に解き放たれるような印象がある。五首目は「蕪」と「無」の漢字の類似から始めて悲しみへと着地している。七首目では「ふゆ」「ふゆ」「ひかり」「ひと」「ひかる」のように、「ふ」と「ひ」の音の反復が歌のリズムを生んでいる。

 昔の荻原が試みたような日本語の解体実験はすでに遠いエピソードである。これらの歌では平仮名を多用して歌のリズムを整え、言葉に無理な圧をかけることなく詩情を生み出している。これが間もなく還暦を迎えようとしている荻原の境地ということだろう。記号が一つもないのは予期できるとして、ルビが一箇所もないことに驚いた。これも言葉に圧をかけないという現在の荻原の姿勢を物語っている。